第19章 後始末、帰宅、そして……
群青と連れ立って山を下りると、里の入り口には二種類の人間がいた。
一つは消防隊。一目見て数えきれないほどの消防車もさることながら、里の状況を見て応援を呼んだのか、ヘリの音まで聞こえてきた。とはいえ純粋な山火事ではなく、家屋を狙った放火であるため、すぐに消し止められれば被害が拡大することはないだろう。どのみち天崎の出る幕ではない。
もう一つは『調査員』だ。消防隊と連携して避難してきた獣人たちの保護にあたっている。
その様子を見た天崎は、『調査員』の情報伝達力と行動の速さに舌を巻いた。マスコミや野次馬らしき人々が集まってくる前に仕事を終えている様は、彼らがいかにスピード勝負の活動をしているのかが、よく分かった。
ただ天崎は、それらを雑木林の陰に隠れて見守ることしかできなかった。なぜなら彼らの体内には、未だに獣王の遺灰が残っているかもしれないからだ。
「獣人ならある程度わたくしが操ることもできますが、獣化した人間は……ちょっと分かりませんね」
というのは群青の言。
公園での出来事を思い出す。遺灰に感染した人間たちは、正気を失って天崎に襲い掛かろうとしていた。消防隊や『調査員』がどの程度の遺灰を吸い込んでいるかは分からないが、彼らの活動に支障が出るのならば、天崎は姿を見せないに越したことはない。
里の入り口へは群青だけが戻り、代わりにリベリアを呼んでもらう。
入れ替わりでやって来たリベリアは、何故か目尻に涙を溜めていた。
「うぅ、天崎さん。『調査員』の方々が私をイジメますぅ」
「は?」
「『なんでお前がここに居るんだ』、『またお前が何かやったのか』って言いそうな白い眼でこちらを睨みつけてくるんですよ! 私、骨折しながらも頑張って皆さんを里の外まで運び出したのにぃ」
「あー……分かる分かる」
以前リベリアはデュラハン関係で『調査員』と一悶着を起こした。それもあってか、『調査員』の中では厄介者として扱われているのだろう。今回ばかりはリベリアはほぼ無関係だが、『調査員』の内心も理解できないでもなかった。
リベリアの頭を撫で、慰めながら天崎は訊ねる。
「それで、玉藻はどうなった?」
「あの九尾の方は、『調査員』に連れられて人外専門の病院に運ばれました。ちなみに、むらさきさんが付き添っています」
「むらさきが? 子供一人で大丈夫なのか?」
「ここに居るよりかは安全だと思いますよ」
「まあ、確かにな」
幼いむらさきは、獣の耳と尻尾を隠すことができない。インフルエンザによって未だ獣化が当たり前の認識とはいえ、本物の獣人ならば人混みは避けた方が無難だろう。
「それで、どうして天崎さんはこんな離れた場所で隠れてるんですか?」
「ほら、さっき公園で遺灰に感染した人間たちが集まってきただろ? あれと同じことが起こらないように気をつけてるんだよ。それと九本の尻尾が世間的にどう見られるか分からないからな」
「あっ、そういうことでしたか」
青い炎は消えたが、天崎の尻からは未だ九本の尻尾が生えている。これも時間の経過とともに消えていくのだろうが、他の人から奇異な目で見られるのは嫌だった。
「じゃあ……そうだな。悪いけど、里長さんを呼んできてくれないか? あの人は正気を保ってたし、九尾の力に関して説明もしなきゃならないし」
「里長さん、消防隊と『調査員』に事情を説明して回っているので、すぐには来れないと思いますよ」
「構わないよ。俺はここで少し休んでる」
「分かりました。では呼んできます」
そう言って、リベリアは消防隊や『調査員』が集まっている方へと戻っていった。
その背中を見送った天崎は、木の幹に背を預けて座り込む。そして「疲れた」と呟いて、大きく息を吐き出したのだった。
里長の見立てでは、遺灰による正気の喪失は、ごく短時間で解消するとのこと。それだけ重篤な状態であり、遺灰を吸い続けなければ自然と体内から排出され、徐々に快方へと向かうそうだ。
そして過激派の連中は、すでに遺灰を撒くのを止めていたらしい。自分たちが所持していた遺灰に侵され、殺人犯を追うどころの話ではなかったのである。
さらに言えば、墓に遺っていた遺灰のほとんどを天崎が浄化したため、これ以上のパンデミックは起こらないだろう。
ただ念のため、天崎は一日ほど身を隠すことにした。
里から少し離れた場所にある空き家に身を潜めて、ただただ時間が過ぎていくのを待つ。食事や着替えはリベリアに世話してもらったが、何もせずボーっと過ごすのは、それなりに辛いものがあった。
夜が明ける頃には、九尾の尻尾と頭の上の獣耳も消え、天崎は人間の姿に戻っていた。そして正午に差し掛かる少し前、この空き家を用意してくれた里長が訪れる。
彼は天崎の顔を見るやいなや、深々と頭を下げた。
「この度は、天崎様に多大なる迷惑をお掛けしました。里を代表して心からお詫び申し上げるのとともに、事の収束に尽力していただいたことには、里の獣人一同、本当に感謝しております」
別にそこまで感謝される謂れはないと思うのだが。
ただ里長のやつれた顔を目の当たりにしては、出かかった文句も引っ込んでしまうというものだ。事後処理の際に各方面からいろいろ言われたのか、里長はだいぶ疲れ果てているようだった。
「それで里長さん、俺の中にある九尾の力はどうしましょう」
九尾の力を天崎が所持するに至った経緯は簡単に話したが、その時は驚かれるばかりで、答えは少し保留にしてほしいと言われたのだ。
「里の重鎮たちと話し合ったところ、天崎様さえよければ、そのまま持っていて欲しいという結論に至りました。獣王の遺灰がなくなった今、我々は九尾の力を必要としませんし、伝統を守ることに固執しすぎて玉藻に無理やり押し付けてしまったのは、里の老人全員が反省しなければならないことですので」
その回答を耳にして、天崎は安堵した。
群青にも宣言したように、九尾の力を再び玉藻の中へ戻すつもりはなかった。加えて、他の依り代を用意されたとしても拒否していただろう。誰かに背負わせるくらいなら、天崎としても自分で持っていた方が気が楽だった。
そんなこんなで軽く会話した後、里長はまだいくつか後始末が残っているということで、早々に帰っていった。天崎は空き家に籠りながら日没を待つ。そして陽が完全に沈んだ頃合いを見計らって、リベリアの手を借りて大空へと飛び立った。
「そういえば、月島の容態はどんな感じだった?」
「私が午前中に帰った時は、ずいぶんと落ち着いていましたよ。ちゃんと人間の姿にも戻っていました。ただ、まだあんまり体調が優れないのか、動物の耳と尻尾は残っていましたね。なので挨拶は一言二言しかしていませんが。逆に言うと一言二言は挨拶しましたが!」
「なんでそこ食い気味なんだよ……」
ともあれ、人の姿に戻ったのなら快方へ向かっているのだろう。そう判断した天崎は、ホッと胸を撫で下ろした。未だに認識が変わったままという、大きな悩みの種は残されているが。
やがて、おののき荘の屋根が見えてくる。また自分を求めて人間たちが集まってこないか、注意深く地上を観察しながら降下したのだが、どうやら杞憂に終わったようだ。
おののき荘の庭先に降り立ったリベリアは、一直線に天崎の部屋へと向かった。
「ただいまですぅ! 月島さん、調子はどうですか!?」
「えっ、ちょっと待て。なんで俺の部屋にいるんだ?」
いや、脚を骨折したさくらと同様、円の本来のテリトリーで安静にしていた方が、それだけ早く病気は治る。だから月島が自分の部屋にいるのは何も不思議じゃない。
そう自分自身で合点し、リベリアにつづいて部屋に入ろうとしたのだが――、
「あっ、リベリアさん。おかえりなさい。体調なら、だいぶ良くなって……」
声を弾ませた月島の言葉が途中で止まった。
同じくして、自室に一歩踏み入った天崎の足も止まる。
「…………」
「…………」
目が合ったのは一瞬。天崎の視線は、わずかに下へ逸れた。
だが、それも仕方のないこと。なぜなら月島の大きな双丘が露わになっていたからだ!
何故、彼女は自分の部屋で半裸に? いや、全体を見渡してみれば分かること。布団の中で上体を起こした月島の背後には、濡れたタオルを手にした円が。おそらく身体を拭いてもらっている最中だったのだろう。
「…………」
「…………」
対する月島もまた、状況をうまく呑み込めていないようだった。
リベリアさんが帰って来た。それはいい。でも、なんで後ろに天崎さんがいるのだろう。あぁ、そっか。ここ、天崎さんの部屋だった。えっ、っていうか待って。私、天崎さんの部屋で裸になってるってこと? それで天崎さん本人も帰ってきて……。
眩暈がするほどの混乱の中、熱を帯びた月島の顔が徐々に赤くなっていく。
「…………」
時が止まる室内で、いち早く我に返ったのがリベリアだった。
月島が半裸になっている状態に目を剥いた彼女は、即座に反転する。そして背後にいる天崎の胸を思い切り突き飛ばした。
「ダメぇ! 見ちゃダメですぅ!」
「ふぐぅ!」
吸血鬼の張り手が直撃した天崎は、為す術なく吹っ飛ばされていく。半開きだった扉を突き破り、二階の手すりで背中を打ち付けると、そのままバク転しながら一階へと落ちていったのだった。
「天崎さあああん! 本当にすみませんでした! 悪気はなかったんですぅ!」
「月島あああ! 本当に悪かった! ご要望とあらば俺は自分の目を潰す!」
「そ、そこまでしなくても、大丈夫だから……」
数分後、リベリアは天崎に、天崎は月島に向けて土下座をしていた。しかし謝罪のトライアングルは完成しない。天崎を二階から突き落としたリベリアや、月島の半裸を目撃してしまった天崎とは違い、月島自身には何も謝ることなどないのだから。
未だに赤く染まっている顔を隠すように布団の端を持ち上げながら、月島はいいよいいよと赦しを与える。
ただし土下座をする二人に対しては、このお方が黙ってはいなかった。
「びょうにん」
「「はい」」
口元をへの字に曲げ、怖い顔で威圧してくる円。どうやら病人の前では静かにしろと言っているらしい。ぐうの音も出ないほどの正論だったので、天崎とリベリアは大人しく正座をしたのだった。
その様子を見て満足げに頷いた円は、さっさと押し入れに帰っていく。
小姑みたいな童女の姿が見えなくなったところで、天崎は安堵の息を吐いた。
「にしても月島、元気になって良かったよ」
「うん。円ちゃんが付きっきりで看病してくれたから」
そう言って、月島は押し入れの方へと視線を移した。
円の頭にも、まだ獣の耳が生えている。つまり獣王の遺灰のせいで、彼女も体調を悪くしているはずだ。にもかかわらず自分そっちのけで月島を診てくれていたことには、感謝の言葉もなかった。
「そういえば、天崎さんたちはどこに行ってたの?」
「いろいろあって獣人の里に行ってたんだよ。またいつもの厄介事が舞い込んできてさ……」
そして天崎は、ここ数日間の出来事をかいつまんで話し始めた。
一昨日辺りから人の頭に獣の耳が生え始めたこと。安藤の家に行く途中で、九尾の狐に襲われたこと。殺人犯を捕まえるため、獣人たちが獣王の遺灰を撒いたこと。それが原因で獣化が始まったこと。そして厄介事の根幹、とある獣人が里に火を放ったことなど。
リベリアの合いの手に助けられながら、天崎は一連の流れを話し終えた。ただ月島が途中で訝しげな表情を浮かべていたことには、天崎も気づいていた。
彼女は頭の上に生えた自分の耳を触りながら、困ったように訊ねてくる。
「えっと……これって、インフルエンザのせいじゃないの?」
それを聞き、天崎とリベリアは無言で視線を合わせた。
やはり自分たち以外の人々の中では、インフルエンザに罹ると獣化するという認識のままらしい。この謎に関しては天崎も完全にお手上げの状態であるため、ここは里長や群青の言葉を借りることにした。
「獣人たちはインフルエンザの流行を狙って遺灰を撒いたんだよ。どっちも獣化するのは同じだからな。その合併症のせいで、今年のインフルエンザは非常に強力だっていう話になったわけだ」
そう説明すると、月島は特に気にした様子もなく、すんなり受け入れてくれた。
そして間を置かず、次の話題へ移る。
「じゃあ天崎さんの中には今、九尾の神様がいるってこと……なのかな?」
「勘違いしてるようだから訂正させてもらうけど、神様本人じゃなくて九尾の力だけな。でも……どうっすかなぁ」
悩ましげに息を吐いた天崎は、ゆっくりと天井を見上げた。
その仕草が引っかかったのか、リベリアが不思議そうに首を傾げる。
「どうするもこうするも、天崎さんは九尾の力を持ち続けることに承諾したんですから、そのままでいる他ないのでは?」
「あぁ、いや、それは別にいいんだけどさ。何であろうと、使い方が分からなけりゃ宝の持ち腐れだろ? 自由に使えなきゃ意味ないし、無理に使おうとすると暴走するし」
「今度、玉藻さんに訊いてみたらどうです?」
「アイツも正当な継承者じゃないから、制御できてたわけじゃないんだよ。むしろ暴走させることで無理やり力を発揮してるって言ってたかな」
「……そういえばそうでしたね」
実際に矛を交えたリベリアは、悪夢でも思い出したかのように身を震わせた。
「今後のこともあるから、できれば無難な使い方を知りたいけど……難しいよなぁ」
「つまり天崎さんは、お師匠さんに該当する人物を探してるというわけですね!」
「んな少年漫画風に言われても……」
「特に血統の修行がメインだと思うので、この場合は血縁関係がベストなんじゃないですか? 天崎さんのお父さんなんてどうでしょう?」
「いや、親父には子供の頃からいろいろ教えてもらっててさ。獣人の血統を覚醒できるのも、そのおかげなんだけど……今回は血統云々じゃなくて、力の使い方だからなぁ。親父に九尾の力があるわけじゃないから、聞いたところで無駄だろうな」
「んじゃ、ダメですね」
諦めが早いなぁと、もはや飽きの領域まで達していそうなリベリアを、天崎はジト目で睨みつけた。
「天崎家以外の『完全なる雑種』の家系なんて知らないし、血縁関係っていっても、俺を除けば今は親父しかいないからなぁ。……あとは血を分けたお前か」
「私に期待されても困ります。……あっ、じゃあこういうのはどうでしょう。月島さんが天崎さんのご先祖を口寄せして、あれこれ教えてもらうのは!」
「えぇ!? 私、そんなことできないですよぉ」
どうやらリベリアは、月島をイタコか何かと勘違いしているようだった。まあ実際に守護霊である姉を憑依させることができるので、そう思うのも無理はないが。
ただ現実的かどうかは別として、先祖に話を聞くというのは非常に合理的だ。天崎の中に他の山の神もいるみたいだし。もちろん不可能だという点に目をつぶればの話だが。
「もし話を聞けるとしたら、やっぱり家系図をまとめたっていう天崎満春辺りかなぁ。魔術の方にも精通してたみたいだし。……あぁ、確か母さんの方の先祖にも一人いたっけ。人工的に『完全なる雑種』になろうとした西村狂一郎ってのが。いや、まあ、こんなこと考えても無意味なんだけど」
「ニシムラキョウイチロウ?」
天崎の独り言に、リベリアが不思議そうに首を傾げた。
まるで思いがけないところから、共通の知り合いを発見したような反応だった。
「そのニシムラキョウイチロウって人のキョウって、もしかして『狂う』って漢字じゃないですか?」
「いや、名前を聞いただけだから漢字までは分からないんだ。けど、たぶんそんなニュアンスだったと思う。……っていうか、この話リベリアにしたっけ?」
「いえ、されてませんけど……」
そう言いながら、リベリアは困ったように視線を下げた。
話していないのも当然だ。年末年始の出来事は天崎に大きな精神的ショックを与え、しばらくの間、軽い気持ちで口にすることなどできなかったのだから。
では、何故リベリアは納得いっていない顔をしているのか。
彼女の様子を見て天崎は訝しげに眉を寄せるものの、話の流れからして、そのような感情が出てくる理由は理解できた。
すなわち会話が噛み合っていないのだ。天崎が言う西村狂一郎と、リベリアの思い浮かべるニシムラキョウイチロウの姿が一致せず、不和を起こしているのである。
それに気づいた天崎は、早々に核心を問いただした。
「リベリアは、その西村狂一郎って人物に心当たりがあるのか?」
「えっ? えぇ、当然ありますよ。だって西村さんは……」
リベリアの口から、西村狂一郎なる人物の正体が告げられる。
それを聞くやいなや、天崎の表情が驚きに満ちた。そして唐突に立ち上がると、「少し出てくる」とだけ言い残して、彼は一目散におののき荘から飛び出していった。




