第16章 炎の里 その1
むらさきからの電話を受け取った天崎は、リベリアの手を借りて、再び獣人の里へ向かっていた。ただ大まかな方角は覚えているとはいえ、もうすぐ夜がやって来るこの時間帯に、正確な場所を空から特定できるかは少し不安だった。
しかし意外と簡単に見つけることができ、天崎も驚いてしまう。学校の屋上を飛び出してから十数分、西日が差す山間部に、いくつもの火の手が上がっていたのだ。
「山が……燃えてる?」
複数ヶ所から上がっている不審火はぼや程度とはいえ、里の周りは山林だ。放っておけば大惨事になることは、素人目から見ても明らかだった。
だが、どうして里全体が燃えているのだ? むらさきの電話では、狼男の屋敷から火が出ているとしか聞いていなかったのだが……。
疑問はあるも、まずはむらさきを捜さなくては。
山の麓で一際大きく煙を上げている家の前へと、リベリアは高度を落としていく。そして燃え盛る屋敷の庭に降り立った天崎は、周囲に向けて大きく叫んだ。
「むらさき! どこだ、むらさき!」
電話ができていたのだから、閉じ込められていたり拘束されたりはしていないはず。すでに屋敷からは脱出しているだろう。そう頭では理解していても、むらさきの姿を確認するまでは一抹の不安を拭い去ることはできなかった。
捜索の範囲を広げようとしたのも束の間、すぐにむらさきを発見する。
彼女は屋敷から少し離れた雑木林の中で、木の幹に背を預けるようにして座り込んでいた。
「むらさき!」
「お、お兄ちゃん!」
急いで駆け寄り、その小さな身体を抱きしめる。今までずっと恐怖に怯えていたのか、むらさきは泣き腫らした目を天崎の胸へと押し付けた。
「無事でよかった。何でそんな所に隠れてたんだ?」
「あたい、まだ耳と尻尾を隠せないから。あたいがいると、ここが獣人の里だってバレちゃう……」
耳を澄ませると、遠くの方でサイレンが聞こえた。おそらく、火事を見た近所の住人が通報したのだろう。
人外に理解のある機関なら問題ないが、最初はまず間違いなく人間専門の救急隊がやってくるはずだ。姿を見られる程度ならまだしも、もし救急車で運ばれて検査でもされれば大事になりかねない。遺灰で獣化した人間と獣人の身体の構造が違うのかは知らないが。
むらさきの顔に付いた煤を拭いながら、天崎は訊ねる。
「それで、玉藻や群青さんは里の方に行ったんだな?」
「……うん」
空から見た時は、里の家々も燃えていた。狼男の屋敷と同様、獣人たちが火を点けたってことなのか? いったい何故、自分たちが住む里を滅ぼすようなマネを?
……考えを巡らせるも、答えは出ない。
ふと、むらさきが天崎の服の裾を力強く握りしめてきた。
「お願い。玉藻さんと群青先生を助けて……」
「連れて行かれた玉藻はともかく、群青さんもか? あの人の指示で火を点けたようなもんだろ?」
「群青先生はそんなことしない。絶対何かに操られてるんだわ!」
天崎は、先ほど襲ってきた獣人たちを思い出した。
獣王の遺灰を吸い込み、意識を支配された獣人たち。彼らが獣王の怨念によって、常識外れな行動をさせられている可能性は十分にある。
真実は何も分からない。しかし分からないなら分からないなりに行動するまで。
むらさきのお願いに、天崎は力強く頷いた。
「分かった。俺が何とかする。お前は人間に見つからないように、木の陰に隠れてろ」
「うん」
無理やり嗚咽を抑えたむらさきが、天崎の裾を放した。
雑木林の奥へ歩いて行く彼女を見送っていると、背後からリベリアが揶揄してくる。
「あーあ。また女の子のために己を犠牲にするんですね」
「何を言ってんだ。女の子も男の子も関係ないだろ。子供に助けてって言われたら、無条件で動くのが大人ってもんさ。かといって、俺は自己犠牲なんてするつもりもねえよ」
「分かってますよ。そんな貴方に惚れた……オホン! それが天崎東四郎という人物ですからね。このリベリア=ホームハルト、不肖ながらもお手伝いさせていただきます」
「なんだ。文句を言う割には付いてきてくれるんだな」
「当たり前です。天崎さんが行くのなら、たとえ火の中水の中……あの娘のスカートの中以外なら、どこにでもお供しますよ」
「ははっ。意味は分からんけど、お前ほど頼もしい知り合いはいないな」
何故か頬を膨らませ、不機嫌になるリベリア。どうやら渾身のジョークだったようだ。
だが今はそんな悠長に漫才をしている場合ではない。隠れているむらさきの方を一瞥した天崎は、急いで獣人の里へと走って行った。
百メートルほどの雑木林を抜けると、数時間前に見た獣人の里が広がっていた。ゆったりとした山の勾配は棚田になっており、民家が点々としている。里の入り口からは、車一台がギリギリ通れるくらいのあぜ道が、それらの民家へと伸びていた。
先ほどと違うのは、西に傾いた太陽が山陰に阻まれており、里にはすでに夜が訪れていること。ただ視界の確保には困らなかった。点在する民家から上がっている大きな炎が、里全体を照らしていたからだ。
里の面積のほとんどが土の剥き出しになった田んぼであるため、移動だけなら特に危険はない。しかし山林に燃え移るのは時間の問題だった。
「どうしましょう。まずは火を消さないと、山火事になりかねませんよ」
「いや。もう消防車は来てるみたいだから、俺たちは群青さんを捜そう。獣人たちが火を点けたんなら、そこを何とかしないと意味がない」
「なるほど。まずは火の元を消すわけですね」
「消すって……物騒だな」
「いやだなぁ、言葉の綾ですよ」
「……ならいいんだけど」
最初から力づくで解決するつもりはない。まずは話し合いだ。
リベリアとともに獣人の里を散策する。すると群青は意外にもあっさりと見つかった。燃え盛る里長の屋敷の前で、群青と里長が何やら言い争っていたのだ。
「萩原君! 何故こんなマネを……」
「お飾りの里長に説明しても意味はありませんよ」
食ってかかる里長と、それを冷たく見下す群青。
弱腰な里長も、さすがに看過できなかったのか、群青の胸ぐらを掴みかかろうと一歩踏み出す。しかし群青が片腕を払うと、里長は呆気なく弾き飛ばされ尻もちをついてしまった。
「里長さん!」
「おや?」
天崎が駆け寄ったところで、二人はこちらの存在に気づいたようだ。
「あ、天崎様……」
「お帰りになったとばかり思っていたのですが、まだ居たのですね」
「一回帰って戻ってきたんだよ」
「それはまた物好きな」
そう言って、群青は乾いた笑い声を上げた。
この状況で笑うなど、すでに常軌を逸している。
「何故、戻ってきたのですか?」
「むらさきに助けを求められたからだ」
「はて? 誰かに助けを求めるほど、あの子は窮地に陥ってるわけではないはずですが」
「助けてほしいと頼まれたのは、あんたや玉藻をだよ」
「それはますますおかしい。玉藻は神。在るべき場所に戻しただけです。また、わたくしに助けなど必要ない。天崎さんも大変ですね。むらさき君の勘違いに付き合わされてしまって」
「勘違い、だと?」
握った拳に、自然と力が入った。
天崎は見たのだ。木陰に隠れて泣いているむらさきを。あの涙は本物だ。決して嘘や勘違いなどではない!
「だったら、あの子は何で泣いていたんだ! 信頼していた先生に裏切られたからじゃないのか!?」
「これまたおかしなことを言いますね。わたくしはわたくしの考えに従って行動したまで。誰かを裏切ったつもりはありません。仮に裏切られたと感じたのなら、それはむらさき君が本来のわたくしとはまったく違う人物像を描いていただけ……というより、ただ単に立場が違っただけでしょう」
「……はあ?」
群青が何を言っているのか、本気で理解ができなかった。
立場が違う? 描いた人物像が違うだと? 十歳にも満たない少女相手に、この男は何を求めているのだ? これが本当に教師なのか?
いや……と、天崎は考えを改める。
やはり群青も、獣王の遺灰に操られているのかもしれない。出会ってから数えるほどしか会話していないが、どこか雰囲気が違うような気がする。少なくとも最初の頃は、彼が自分の生徒を蔑ろにするような奴には見えなかった。
しかし気掛かりなのは――、
「とはいえ部外者がいては、いささか邪魔です。大人しくしていただきましょう」
そう言うやいなや、群青が片手を挙げた。
すると暗がりから男たちが現れる。数は十人ほど。ついさっき公園で襲われた時と同様、獣人たちの手には様々な農具が握られており、例外なく正気を失っているようだった。
「お、お前たち、やめなさい!」
心神喪失状態とはいえ、明らかに敵意を剥き出しにしている獣人たちに向け、里長は及び腰ながらも制止を呼び掛けた。だが男たちは彼の方を見向きもしない。ただ天崎を敵と見定め、じりじりと間合いを詰めていくのみ。
「さあ。里に戻って来たことを不運と思って、大人しく捕まりなさい」
群青の合図を以って、農具を振り上げた男たちが一斉に襲い掛かってきた。
公園の時と同じだ。天崎一人に対し、複数人が考えもなしに飛び掛かってくるため、一人一人の可動範囲が制限されてしまっている。天崎が数歩下がるだけで、お互いが邪魔で縺れ合うことだろう。
だが今の天崎には、避けるという選択肢すら必要なかった。
突然、天崎の周囲に一陣の風が吹き荒れた。質量を持った突風は瞬く間に獣人たちをなぎ倒し、そして何事もなかったように天崎の横へと戻る。
姿を見せた風の正体――リベリア=ホームハルトは、悪戯が成功したおてんば少女のように舌を出していた。
「まったく、歯ごたえのない方々ですねぇ」
「なっ……」
自分以外の獣人が一瞬で地に伏せる光景を目の当たりにし、群青は呆気に取られていた。
だが驚くのも無理はない。流れ作業のように彼らを気絶させたリベリアの動作は、天崎の目にすら映らなかったのだから。彼女の正体を知らない群青にとっては、男たちが勝手に倒れたようにも見えただろう。
ただそれでも男たちを昏倒させたのが、目の前の少女であることは理解できたようだ。リベリアを睨みつけた群青が、ギシッと歯を食いしばる。
「何者かは存じ上げませんが、仕方がありません。歯ごたえのある相手が欲しいのなら、出し惜しみせずに差し上げます」
軽くため息を吐いた群青が、大きく手を叩いた。
すると、どこからともなくやって来る。九つの尾を生やした、山の神が。
「ひっ!」
お互いの間に割って入るように着地した長岡玉藻を見て、里長が短い悲鳴を上げた。だが悲鳴を上げるまではないにしろ、天崎も里長と同じ心境だった。
夜の空から降ってきた玉藻は、すでに臨戦態勢だった。九尾にとって最大限の力を発揮できると言われる九つの尾が生えた状態を維持し、昨日以上に興奮しているよう。さらに他の獣人と同様、正気を失っているようにも見えた。
「玉藻には数倍の量の遺灰を吸わせてあります。手ごわいですよ」
「ぐががががあああああ!!!」
完全なバーサーカーと化した玉藻に、躊躇いはなかった。
説得する時間どころか、天崎が何か声を発する前に玉藻が地を蹴った。天崎をただ屠るだけの標的と見做し、飢えた獣が如く突進してくるのみ。憎悪に染まった彼女の瞳には、つい数時間前に和気藹々と会話した時の面影はどこにもなかった。
天崎の反射神経ですら、玉藻の疾走には反応できない。だがリベリアは別だ。
二人の直線上に身を滑らせたリベリアは、衝撃に備えるようにどっしりと腰を落とした。そして玉藻の腕の動きに合わせて、自らの手を正面に突き出す。
刹那の後、両者の指が絡み合った。
衝突の際に骨がぶつかるような音が響いたものの、お互い怯むことはなかった。それどころか、一瞬でも気を抜いた方が負けそうな全力の押し合いが始まる。純粋な力比べだ。
「あっ……やっば。これはマズいですね」
リベリアの弱気な言葉が耳に入るのと同時に、天崎は見た。彼女の足元で、徐々に長い足跡ができていくのを。
まさかリベリアが押し負けている? 尾が九つにまで増えた九尾の狐は、吸血鬼以上の力を持っているってことなのか?
だが天崎の心配も杞憂に終わった。
「そおい!」
妙な掛け声とともに、玉藻の両手を握りしめていたリベリアが上半身を捻った。ハンマー投げでもするかの要領で、玉藻の身体を明後日の方向へ投げ飛ばしたのだ。
地面から足が離れた玉藻は、為す術なく夜の空へと打ち上げられる。そのまま放物線を描きながら、山林の中へ消えていった。
なんだよ、全然押し負けてないじゃないか。と、天崎は人知れず安堵の息を吐く。しかし玉藻が投げ飛ばされた方向へ駆け出したリベリアの顔は、苦虫でも噛み潰したように余裕のないものだった。
「天崎さん。私はあの狐さんを抑えておきます。おそらく手一杯になると思いますので、あの男性の相手はお任せします」
「……あぁ。分かった」
頷くと、リベリアは弾丸の如き疾走で暗闇の中へと消えていった。
群青と向き合う前に、天崎は尻もちをついている里長の側で屈んだ。
「里長さん。群青さんは俺が説得します。あなたは逃げてください」
「し、しかし……」
お飾りとはいえ、少しは里長としてのプライドがあるのだろう。目を泳がせながらも、決して逃げようとはしなかった。
足手まといになるから邪魔なんだけどなぁとは言えず、天崎は里長に耳打ちする。
「今、消防車がこちらへ向かっています。もしかしたら里の中の火が見えていないかもしれないので、消防隊に指示してあげてください。それと里の入り口でむらさきが隠れているので、保護してくれると助かります」
「……わ、分かりました」
指示を出すと、立ち上がった里長はふらふらと里の入り口へ走って行った。
その背中を見送った後、天崎は燃え盛る屋敷の前で群青と対峙する。




