第15章 『完全なる雑種』の宿命
腰を据えて話し合える場所として選んだのは、天崎が通う高校の屋上だった。
吊り下げていた天崎を降ろすと、リベリアもコンクリートの上にへたり込む。さらに彼女は大声で喚き始めた。
「もう、いったい何が起こってるんですか!? まるでゾンビが出てくるパニック映画みたいじゃないですか!!」
「落ち着け。あんまり大きな声を出すな」
陽も沈みかけているし、一昨日から学級閉鎖にもなっているので、近場に誰かいるとは思えない。しかし獣化により、嗅覚や聴覚は普段よりも格段に鋭くなっているはず。声を聞きつけてやって来るかもしれないため、静かにしておいた方が無難だろう。
とはいえ天崎もリベリアと同じ心境だった。
まったく、頭を抱えたくなる状況だ。何もかもが理解できない。いや、獣王の遺灰が原因なのは疑いようもないのだが、では何故リベリアはスルーで天崎だけが狙われているのか。
時間だけはあるため、ベンチに座ってじっくり考えてみる。すると隣に腰を下ろしたリベリアが、いきなり天崎の二の腕を舐め始めた。
「お、おい。何やってんだよ……」
「ひとまず止血します。吸血鬼の血統値を上げれば、すぐに傷が塞がると思いますので」
「あ、ああ……」
そういえば黒い獣に腕を斬られていたことを思い出した。
見れば、自分でも引くほど大量に出血している。考え事に意識を裂いていたとはいえ、今まで痛みを感じてなかったのは奇跡としか言いようがなかった。
リベリアの言う通り、吸血鬼の血統が高くなれば、それだけ傷の治りは早くなる。ハンカチで縛るよりかは断然効果的だろう。ただ、どうしても疑わずにはいられない。
「お前、ただ単に俺の血を舐めたいだけなんじゃないのか?」
「やだなぁ、天崎さん。そんなの当たり前に決まってるでしょ」
当たり前なんだ。応急処置をしてもらってる手前、文句を言うつもりはないけれど。
まあいい。リベリアが手当てしている間、自分は今の状況を整理しよう。そう思って、再び思考に専念しようとした天崎だったが……残念ながら、考え事に集中できるはずもなかった。
二の腕を舐めるリベリアの顔が近い。さらに傷口の痛みと舌が這うくすぐったさのせいで、考えがまとまらない。それだけならまだしも、身体の一部を舐められるという行為は、なんだか特殊なプレイでもしている感じがして……。
なんてことを考えていると、不意にリベリアと目が合った。
しくじった。疚しいことを考えてたのがバレたかな? そう思い慌てて顔を背けた天崎だったが、どうやら彼女は気にしていないようだ。
「それで、天崎さんは昨日から獣人の里で何をしていたんですか?」
二の腕を舐めながら、リベリアが問いただしてきた。
まあ事情は説明しなければならないし、新しい考え事もできないのでちょうどいい。
「実は……」
そして天崎は、昨日リベリアと別れてからの出来事を話し始めた。
ただこんな状況になってしまったからには、すべて真実を語らねばならないだろう。心配させると思って一部をはぐらかすなんてのはなしだ。
話し終える頃には出血が止まったのか、二の腕から離れたリベリアが神妙に頷いた。
「なるほど。九尾の狐に……。やはり私もついて行けばよかったですね」
「それは結果論だろ。そういえばクルクルの件はどうだった?」
「ダメです。クルクルさんも認識を変えられていて、風邪を引けば動物に近づくのは常識だと思ってるみたいです。昨日の時点では、耳も尻尾も生えていませんでしたが」
「つまり天使の仕業じゃないってことか?」
「分かりませんよ。別の天使かもしれないし、天使よりも上位の存在が関わっているのかもしれません。ほら、前に対面した大堕天使のカラエルとか」
「それは俺も考えたんだが……」
いや、どうだろう。と、天崎は否定的だった。
学園祭の時、石神が改造した結界に天使の術式が組み込まれていたり、歩道橋で神上立人がさくらを襲う時に助力するなど、確かにカラエルの存在は見え隠れしている。だが、それらはヴラド三世の意思に基づくものなのだ。
今回このような事態になったのは、獣人が獣王の遺灰を撒いたことが原因である。それを、わざわざカラエルが手を加えて干渉してくるだろうか? もちろん天崎が知らないだけで、ヴラド三世の意思が介入してるのかもしれないが……なんだかしっくりこなかった。
ともあれ、考えても分からないことは保留にしておく。極端なことを言えば、他の大堕天使が地上にいる可能性も捨てきれないのだし。
「じゃあ獣の耳が生えたのも、獣王の遺灰ってやつのせいなんですね?」
「そうだな。でも分からんのは、なんで正気を失って俺に襲い掛かってきたのかってことなんだよなぁ」
「まあウイルス兵器にパンデミックは付き物ですからね。ただ映画で観たようなゾンビ物とは一味違ってましたよ。みんな暴れている様子はありませんでしたし、天崎さんが離れたら普通に帰宅していきましたから」
「俺に何かしらの要因があるのは間違いないってことか……」
ただ、その要因にはまったく心当たりがなかった。『完全なる雑種』の血統に魅かれているのなら、同じ血を分けたリベリアも襲われていいはず。なのに、おののき荘を囲んでいた獣人は全員が天崎を追い、さくらや空美もリベリアに手を出そうとはしなかった。
なんで俺だけが狙われている?
そう考え始め、つい最近、同じようなことがあったのを思い出した。
長岡玉藻が、どうして自分を殺そうとしていたのか。
「おいおい、マジかよ……」
人違い。嫌な単語が、頭の中を過った。
九尾の力を無理やり移された玉藻同様、滅ぼされたという獣王も天崎誠三に恨みがあって当然のはず。ただの遺灰に意思が宿るのかは不明だが、仮にあるとすれば、間違いなく復讐にやって来るだろう。
そして里長は言っていた。天崎は若い頃の誠三にそっくりなのだと。
親父ぃ! アンタのせいで息子が大変な目に遭ってるぞ! とでも言いたげに、天崎は唇を噛み締めたのだった。
「どうかしましたか?」
「悪い。ちょっと電話する」
文句の一つでも言ってやろうかと、天崎はスマホを取り出した。
電話を掛けると、すぐに相手が出る。どうやらまだ会社にいるようだ。
『おう、東四郎か。お前が二日連続で俺に電話を寄こすなんて、珍しいこともあるもんだな。どうした?』
「親父に訊きたいことがある。獣人の里って覚えてるか?」
『獣人の里?』
挨拶もなしに切り出した天崎だったが、誠三は特に不審にも不快にも思っていないようだった。記憶を手繰るように低く唸った後、わずかに声を弾ませながら答えた。
『ああ、覚えてるよ。俺が高校生の時だったかなぁ。獣人の里に封印されてた獣王って奴が復活してさ。里の獣人たちの力を借りて、なんとか倒したんだけど……あの時はマジで死ぬかと思ったぞ。懐かしいなぁ』
「いや、思い出話をするために電話したんじゃないんだ。その事件のせいで、親父は獣王から恨みを買ったってことでいいんだよな?」
『恨みを買うも何も、獣王は死んだぞ。間違いなくな。まあ仮に生きてたら絶対に恨まれるんだろうけどな。はっはっは』
呑気だな、おい!
とはいえ誠三も自分と同じ巻き込まれ体質であり、おそらく獣王の件も自分から首を突っ込んだわけではないのだろう。責め立てたくはあるが、その境遇には十分に共感できるため、天崎はため息を漏らす程度に留めたのだった。
ただし情報提供という形で責任の一端を担ってもらうとする。
「質問がある。その獣王ってのは他人を操れるような特殊能力とかあったか?」
『うーん、どうだったかなぁ。なんせ二十年以上も前のことだから……あー、思い出した。なんか獣王が黒い靄みたいなのを纏ってて、それを大量に吸い込んだ獣人を従えてたような気がする。と言っても、まるで操り人形みたいな感じだったがな』
今の状況と酷似している。
さらに判明したのは、獣王は元々獣人の意識を奪って従わせるような能力があったことだ。
「それで親父は他の獣人と力を合わせて解決したんだよな? 全員が操られていたわけじゃなかったのか?」
『単純に吸い込んだ靄の量だと思うぞ。少量だと獣人はパワーアップするけど、一定量を超えると獣王の支配下に置かれてしまう、みたいな』
「ちなみに獣人だけじゃなくて、人間も操られてたってことは?」
『あの時は俺以外の人間はいなかったから、ちょっと分からんなぁ』
いや、遺灰によって獣化しているのだから、今はあまり関係ないのかもしれない。
また過激派が獣王の遺灰を持ち出すに至った経緯にも合点がいった。前例があったのだ。獣王の靄にはドーピング効果があると。
「あと獣王が小さくて黒い獣を使役したりはしなかったか?」
『小さくて黒い獣? ……さぁ、覚えがないな』
「四足歩行のすばしっこい小動物なんだけど……踏み潰すと煙のように消えたから、生物じゃないと思う。例えば獣王の靄が獣の形に変化して、襲ってきたとかは……」
『いや、心当たりはないな。手こずった記憶もない』
なら、あの黒い瘴気の獣はいったい何だったんだ?
今と昔で違うところといえば、獣王が灰になっているかどうかだ。つまり、さっきの獣は獣王の残滓だった? 遺灰そのものに意思が宿っているってことなのか?
通話を繋いだまま考え込んでいると、今度は誠三の方から疑問が飛んできた。
『それで? なんでそんなことを訊くんだ? お前も獣人の里の厄介事に巻き込まれてる最中なのか?』
「……まあ、そんなところだ」
さすが同じ『完全なる雑種』。察しが良く、理解も早い。
ただ詳細を語るほどの時間はないため、適当にはぐらかしておいた。
「そういや、親父は長岡玉藻って知ってるか?」
『長岡玉藻? もしかして次の玉藻に選ばれた、あの赤ん坊か? もちろん覚えてるさ。いやぁ、可愛かったな。あれから二十年は経ってるから、さぞかし美人に育ってるんだろうな』
「ああ、美人だったよ。でも親父、気をつけろ。玉藻の奴、次に会ったら親父をぶっ殺すって言ってたから、絶対に会わない方がいい」
『はあ!? なんで……』
狼狽していたようだが、もう用はないので無理やり切ってやった。
ただ通話は切れたが、話は繋がったような気がする。
獣王は獣人を強制的に支配下に置ける能力を持っており、それは遺灰となった今でも健在。獣化した人間と獣人を操って、自らを滅ぼした天崎誠三を標的とした。あの黒い獣は、その副産物程度だと考えても問題ないと思う。
とはいえ、ただの灰に明確な意思が宿っているとは思えない。おそらく怨念だけが独り歩きしている状態なのだろう。天崎を見失った人々が普通に帰宅していったことが、復讐以外の目的を持っていない何よりの裏付けである。
自分の考えをまとめた天崎は、情報を共有するためリベリアの方へ振り返る。だが彼女は頬を膨らませて、何故か不貞腐れているようだった。
「……なんで不機嫌になってんだ?」
「その玉藻さんって方、美人だったんですねぇ」
「嫉妬すんなよ。美人っつっても獣人だから、俺はなんとも思ってないって」
「どうだかー」
下唇を前に出したリベリアは、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
彼女が自分の気持ちを伝えてからというもの、天崎が他の女性と親身にしていると、どうも露骨に揶揄してくるようになった気がする。まあドライな性格の彼女なりの愛情表現だと、天崎は受け取っていた。
それを証明するかのように、リベリアは感情の切り替えも早かった。
「それで、これからどうしましょう」
「とりあえず、過激派に遺灰を撒くのをやめさせよう。獣化も治るだろうし、ついでに俺を標的にするのも止まると思う」
「なるほど。では過激派の獣人ってどこにいるんですかね」
「問題はそこなんだよな。結局、虱潰しに捜すしかないんじゃないか? もしくは俺を囮にするか。リベリアなら、獣化した人間と獣人は見分けられるよな?」
「できますが……だいぶ時間がかかりそうですねぇ」
「やれることからやるしかないさ」
というよりも、まずはそこからだ。インフルエンザとの合併症を起こしている月島のためにも、早く遺灰を止めなければならない。
事件解決への方針を定めた天崎は、ベンチから立ち上がる。
その時、スマホの着信音が鳴った。見れば、知らない番号だった。
「誰だ?」
不審に思うも、通話ボタンを押して耳に当てる。
すると聞き覚えのある声が通話口から響いた。
『お兄ちゃん!』
「お前……むらさきか?」
電話の向こうの少女は、すでに泣き出しそうなほど声を震わせていた。
感情を抑えられないのか、彼女は天崎の確認にも答えず、ただただ言葉を絞り出す。
『お兄ちゃん! 助けて! 玉藻さんが、玉藻さんが……』
そして切羽詰まった様子のむらさきは、天崎が獣人の里を離れてからの出来事を支離滅裂に話し始めた。




