第14章 パンデミックは突然に
こちらがすでに察知していることを悟られないよう、天崎は買い物にでも行くかの如く軽い足取りで部屋を出る。しかし住宅密集地で事が起こらないように配慮したその行動も、あまり意味を為さなかった。
公園に向かう途中、誰かに尾行されている気配がありありと伝わってきたのだ。リベリアほど正確に把握できるわけではないが、複数人が自分を追ってきているのは間違いない。故に、気づいていないことが逆に気づいている証拠、という訳の分からない状況になっていた。
目的は何だ? どうして今すぐ襲って来ない?
様々な疑問を抱きながらも、天崎は気を引き締める。
予想通り、近所の児童公園には人っ子一人いなかった。普段は小学生が遊んでいてもおかしくない時間帯だが、やはりインフルエンザが猛威を振るっているのだろう。
「おい、あんたたち。何のつもりだ?」
グラウンドのど真ん中で振り返った天崎は、尾行者たちと対面した。
後ろにいたのは五人。年齢は三十代から四十代くらいの男性であり、いずれも獣の耳と尻尾が生えている。そして全員が、その手に鎌や熊手などの農具を握りしめていた。
武器を持ってるのは厄介だな……と思いつつも、天崎は声を上げて再度問いただした。
「あんたたち、獣人だよな? 過激派か? 穏健派か? どっちにしろ、俺を尋問しても殺人犯の情報なんて出ないぞ。話せることは全部群青さんに話してある」
だが反応はなかった。返事もなければ、お互いが意思疎通を図る素振りもない。五人の男たちは距離を開けたまま、天崎を囲むようにゆっくりと散開していく。
そして天崎を中心とした円が出来上がると、一人が鎌を振り上げて襲い掛かってきた。
「いきなりかよ!」
狼狽しながらも、袈裟斬りに振り下ろされた鎌を避ける。男はそのまま乱暴に振り回すが、草刈り用の鎌はリーチが短いため、一歩下がるだけで回避は可能だった。
しかし相手は五人。一人から距離を取れば、背後にいるもう一人に近づくのは道理。砂を踏む音が聞こえたため、全身を捻って後ろを確認すると、大男が鍬を振り上げていた。
「くっ……」
そんな隙の大きい攻撃が当たるほど、天崎はノロマではない。が、相手は本気だ。本気で殺しにかかってきている。
「悪く思うなよ」
なら、こちらも容赦はしない。
身体を反転させた勢いで、天崎は一気に鍬男の懐へと潜り込む。そして地面を力強く踏みしめると、相手の下腹部へ拳を叩き込んだ。
たった一撃ではあるが、無力化させるには十分な威力だったようだ。振り上げていた鍬を手放した男は、息を乱しながら膝をつく。天崎を襲うことよりも、呼吸を回復させることに専念し始めた。
そこで天崎は、ふと自分自身に違和感を覚えた。
普段よりも力が出ているような気がする。やはり獣王の遺灰を吸うことによって、『完全なる雑種』の中にある獣人の血統が活性化されているのか?
考えている間にも、最初に襲い掛かってきた鎌の男が間合いに入った。再び身構える天崎だったが、そこで異変を目の当たりにする。
鎌を持った奴と、もう一人が同じタイミングで攻撃を仕掛けてきたのだ。そのためお互いの身体がぶつかり、もつれ合ってしまう。統率が取れていないというよりは、天崎を襲うことに固執しすぎて周りがまったく見えていない感じだった。
少し距離を取った天崎は、男たちの様子をよく観察してみる。
すると気づいた。どう捉えても、彼らが正気を保っているようには見えない。まるで何かに取り憑かれたように唸り声を上げ、牙を剥き出しにしているのだ。
まさか過激派って、そういう意味? いや違うだろと、天崎は自問自答した。
訳が分からないものの、ここは自分の身を最優先で守るのみ。つまり先手必勝だ。
体勢を立て直される前に、天崎は鎌の男を殴り倒した。つづいて、もう一人。無暗やたらと振り回される熊手の隙を見極め、男の顎へジャブを決める。脳を揺さぶられたためか、熊手の男は地面に沈むと二度と立ち上がることはなかった。
群青は獣王の遺灰をドーピングのようなものと言っていたが、正気を失っているせいで逆に弱体化してないか? これでは餌に群がるゾンビと同じだ。
「っと、考えるのはまだ早いな」
残る二人が農具を構えて襲い掛かってきた。しかし学習能力も失っているのか、まるで仲間の失態を見ていなかったかのように同じ失敗を繰り返す。お互いがお互いの足を引っ張っている間に、天崎は要領よく無力化させたのだった。
あっという間に五人を倒した天崎。だが、その顔に勝利の余韻はなかった。
正気を失っていて、武器を振り回す程度の攻撃しかしてこなかったから対処できただけだ。獣人の身体能力を最大限に活かしていたら、ここまでスムーズにはいかなかっただろう。
それだけに、自分を狙う理由や正気を失った原因を問い詰めたかったのだが……。
「対話ができる感じじゃなさそうだしなぁ」
地面に伏したまま呻く獣人たちを見下ろしながら、天崎はぼやいた。
全員、意識はあるようだ。かといって会話をする元気もなければ正気もない。おそらく回復した途端に再び襲い掛かってくるだろう。そうなる前に、ひとまず今は逃げるが勝ちだ。
そう思い、天崎が踵を返した――その時だ。
五人の口の中から、黒い瘴気が漏れ出した。
「なっ――!?」
予期せぬ事態に、天崎は身構える。
まるで魂の如く宙へ浮かんだ五つの瘴気は、一ヶ所に集まると、さらに大きな塊と化した。同時に、粘土を捏ねるように形を作っていく。最終的には小型犬よりも少し大きい程度の、四足歩行の獣が出来上がった。
「『奪者』!? ……じゃあねえよな?」
闇で形作られた獣は、一昨年のクリスマスに遭遇した化け物と酷似していた。だが正体は別物だろう。『奪者』が人の口から出てくるなんて話は聞いていない。
混乱するも、瘴気の獣は待ってくれない。
毛を逆立て、無音で威嚇してくる小さな獣が、いきなり飛び掛かってきた。
「くそっ!」
予備動作などなかったはずなのに、弾丸にも匹敵するスピードだった。
反射的に身体を傾けて、天崎は回避する。直撃だけは避けられたが、まるで鎌鼬にでも遭ったかのような深い傷が二の腕に刻まれた。
背後で着地した瘴気の獣が、再び地を蹴って迫ってくる。
視界の端で何とか姿を捉えたものの、それだけだ。肉体の反応が追い付かない。
ただ奴の狙いは正確に把握できた。このままでは心臓を貫かれる!
歯を食いしばり、せめてもの抵抗として自分の胸の前で両腕を交差させようとしたが……幸いにも、瘴気の獣が天崎の元へ到達することはなかった。
「どっこいしょおお!!」
上空から隕石の如く墜落してきたリベリアに、呆気なく踏み潰されてしまったのだ。
衝撃によって四方へ飛び散る黒い瘴気。元々形のない物体だったから、また再生するのかと思いきや、その兆候はなさそうだ。霧散した瘴気は、ゆっくりと大気中へ消えていった。
その様子を見届けてから、リベリアは黄金色の瞳を天崎へ向けた。
「天崎さん、大丈夫ですか?」
「……あぁ、助かった」
「ってか、今のは何なんです?」
「俺にも分からん」
リベリアが間に合わなければ確実に殺されていた。その事実を今さら実感したためか、全身から一気に冷や汗が噴いた。
ただ安堵している場合ではない。リベリアがここに居るということは、おののき荘は今手薄の状態だ。
「おののき荘の方は大丈夫なのか?」
「たぶん大丈夫ですよ。気配は完全に消えましたし、念のため少し見て回ったのですが、誰もいませんでしたから」
「ってことは、完全に俺が狙いだったわけか……」
ようやく動悸が治まってきた天崎は、倒れている獣人たちを見下ろした。
他に誰もいないのなら、なおさら話が聞きたくなった。
「倒れている方たちは……人間ではないですね」
「やっぱりそうか。人間じゃないってことは、獣人なんだろうな」
「獣人の方たちが、何故天崎さんを?」
「さあな」
最初に獣人と顔を合わせたのは、つい最近のことだ。先週の土曜日、むらさきや群青と対面したのが始まりだろう。命を狙われるほどの恨みを買った覚えはないし、知らずに恨まれるような期間でもない。
「というか最後の黒い動物、獣人たちの口から出てきたように見えたんだけどな。まさか、あの煙のせいで正気を失ってたんじゃないか?」
「私がさっき踏み潰したやつですね?」
「ああ。こいつら、とても自我があるようには見えなかったんだ」
なら、瘴気が出て行った今なら話が通じるんじゃないか? そう思い、天崎は獣人の一人の元へ歩み寄ろうとしたのだが――それは強制的に中断させられた。
公園の入り口から、大勢の人々がゆっくりと押し寄せてきたのだ。
「…………は?」
ざっと見て、数は五十。主婦らしき人もいれば、子供もいる。その全員に獣の耳と尻尾が生えており、先ほどの獣人と同様に正気を失っている様子だった。
あまりの怪現象に絶句した天崎の全身から、再び冷汗が浮かぶ。そして生唾を嚥下した後、今度は無意味に叫び声を上げた。
「マジかよ! いったい何なんだ!?」
「わ、分かりませんよ! しかもあの方たち、人間みたいです!」
「はあ!? なんで!?」
言い合っている間にも、正気を失った人間たちはゾンビのような足取りで近づいてくる。ただ何故か律儀に入り口から入ってくるため、フェンスを乗り越えて逃げようと思えば逃げられるのだが……あの大群を住宅地へ引き連れていくのは、さすがに気が引けた。
「とりあえず逃げましょう。天崎さん、こちらへ」
手を差し伸べるリベリアを見て、天崎はその提案を受け入れた。
怪我を逃れた腕でリベリアの手を掴むと、彼女はゆっくりと真上へ飛び上がった。人間が米粒に見えるほど上空へ移動してから、地上を見下ろす。
公園に押し寄せていた人々は、空へ逃げていく天崎たちを見上げた後、まるで何事もなかったかのように解散していった。
「……マジでなんだったんだ? 俺、あんなにたくさんの人間に恨まれる覚えなんてないぞ」
愕然としたまま呟くも、天崎の頭にはすでに答えが出ていた。
獣人たちの口から出てきた、黒い瘴気。あの正体は獣王の遺灰であり、獣人や人間の意識を奪って身体を操っていた。理屈は何一つ分からないが、現状から鑑みるに、今のところ原因はこれしか思い浮かばない。
ただ空中で吊り下げられた状態では、上手い具合に考えがまとまらないのも事実。
「ひとまずおののき荘に戻ろう」
「分かりました」
公園からおののき荘までは、ほんの三百メートル程度。故に目的地の屋根はすでに視界に入っており、リベリアはゆっくりと高度を落としながら目指したのだが……彼女は何故か途中で止まってしまった。
しかも滞空しながら発せられた声は、妙に震えているようだった。
「すみません、天崎さん。降りるのはちょっと無理そうです」
「どうした?」
「空美さんとさくらさんと安田さんが、庭でうろうろしています」
「は?」
天崎も地上を見下ろしてみる。
薄暗くてよく見えないが、確かに庭先には三人ほどの人影があった。
「外で何やってんだ?」
「分かりません。ただ先ほどの人間たちみたいに、正気を失っているようにも見えます」
「はあ!?」
驚きはしたものの、よくよく考えれば天崎の中の理屈とは矛盾していない。彼女たちも獣王の遺灰を吸い込み、獣の耳や尻尾が生えているのだ。人外といえど、他の人々と同様、例外ではなかっただけの話だろう。
「……うぅ、円さんや月島さんが心配です」
「いや、リベリアが部屋にいた時は襲って来なかったんだろ? なら、たぶん狙いは俺なんだと思う。逆に俺が行くと、また人間たちが寄ってくるかもしれないな」
「天崎さん、何をやらかしたんですか!?」
「……俺が聞きたいよ」
自分が狙われている点については、もう確定と言ってもいいだろう。もちろん、理由にはこれっぽっちも心当たりはないが。
「とにかく、人のいなさそうな場所へ移動しよう。しっかり地に足を着けて考えたい」
「はい」
返事をしたリベリアは、天崎を吊り下げたままおののき荘から遠ざかる。自分たちが離れ始めると、庭先にいた三人の人影は各々の部屋へと帰っていった。




