第13章 合併症の脅威
寂れた田舎駅に到着した天崎は、電車を待つ時間を利用して電話を掛けていた。
最初の相手はリベリアだ。しかしコールが止むことはなく、最終的に留守電へ切り替わってしまう。先ほど送ったメッセージには『了解ですぅ』と返答があったが、真昼間でもあるし、たぶんマナーモードにして眠っているのだろう。
次に月島へと電話する。インフルエンザで寝込んでいるため期待はしていなかったが、やはりこちらも応答はなし。電話にも出られないほど弱っているのか、それとも単に寝ているだけなのか……。
諦めた天崎は、最後にさくらの番号を呼び出した。
コール三回で通話が繋がった。
『もしもし。東四郎さんですか?』
疲れ気味なのか、彼女の声にはやや元気がなかった。
「さくらさん、大丈夫ですか?」
『それはこちらのセリフです。連絡もなく、丸一日家を空けて……』
「それについては謝ります。ちょっと訳あって、獣人の里に居たもので」
『えぇ、先ほどリベリアさんから聞きました。東四郎さんのことですから厄介事に巻き込まれるのは仕方ありませんが、今度からは一報入れてください』
気絶してたから無理なんだけどなぁ。
無駄に心配させてもいけないので、そこは黙っておいた。
『東四郎さんこそ、お怪我はありませんか? いつ頃帰られます?』
「怪我はないです。今から電車で帰るつもりです」
『そうですか。よかった……』
電話口からでも、さくらが安堵していることはありありと伝わってきた。
「俺は大丈夫ですけど、さくらさんの声に覇気が感じられないんですが……」
『実は不覚ながらも風邪を引いてしまいました。体調が優れず、今は部屋の中で横になっています』
「ということは、さくらさんの頭からも動物の耳が生えてるんですよね?」
『はい。人魚の私はインフルエンザに罹らないと思い込んでいたので、少々油断してしまいました。今年のインフルエンザはやけに強いようです』
さくらも認識が変えられており、風邪を引けば動物の耳が生えることは常識だと思っているようだ。それはインフルエンザではなく、獣王の遺灰を吸い込んで身体が衰弱しているだけなのだろうが。
とにもかくにも、体調が悪いのなら無理をさせるわけにもいかない。本当は月島や円のことを気にかけてやってほしかったのだが……。
ここは自分が早く帰らなければ。
「なら、さくらさんも安静にしててください。俺もすぐに帰りますんで。何か帰りに買っていきましょうか?」
『お気遣いありがとうございます。しかし食糧等はだいぶ買い込んでありますので、しばらくは大丈夫かと』
「分かりました。お大事にしてください」
『東四郎さんこそ、気をつけて帰ってきてください』
通話を終えるのと同時に、電車がホームへ進入してきた。
四両編成の電車には、まったく乗客がいなかった。連結の扉から隣の車両を覗いても、一人二人椅子に座っているくらい。天崎も田舎出身であるため、この地域はこんなものだろうと不思議に思わなかった。
しかし一時間ほど乗り継いで、おののき荘の最寄りの駅に降り立った天崎は、驚きのあまり絶句することとなる。
「な、なんでこんなに人が少ないんだ?」
いつも利用する駅は、都会ほどではないにしろ、獣人の里周辺や実家に比べればだいぶ発展している方だ。コンビニや銀行、カフェや居酒屋だってある。帰宅ラッシュには多くのサラリーマンが押し寄せ、待機しているバスはすぐに座席が埋まるほど。
今はその時間帯には少し早いが、いつもの賑わしさは見る影もなかった。
平日にも若者が集っているカフェには客の姿など皆無で、ロータリーを歩いている人すら数人しかいない。しかも全員が、マスクか帽子、またはその両方を着用しているという有様。完全に無防備なのは、天崎ただ一人だった。
「遺灰とインフルエンザに、だいぶ汚染されてるってことか?」
危機感がさらに膨らんだ天崎は、急いでおののき荘へと向かった。
異様に静まり返った夕刻の住宅街を抜け、おののき荘に到着する。自室へ上がる前に、天崎はまずリベリアの部屋を訪れた。
呼び鈴を押すと、少し間を置いてから、眠たそうなリベリアが出てきた。
「あ、天崎さん。おはようございます。昨日はどうされたんですか?」
「おう。安藤の家に行く途中で、偶然にも群青さん……前に話した獣人の先生とばったり出くわしたんだ。んで獣人の里まで行って、ちょっと事情を聞いてきた」
「もう、行くなら行くって連絡してくださいよね。心配したんですから」
「悪い悪い」
さくらを相手にした時と同じく、ここは素直に謝っておいた。
ふと、リベリアの頭にも相変わらず獣の耳が生えていることに気づく。
「リベリアは体調が悪くないのか?」
「私は大丈夫です。ただ、さくらさんも大家さんも空美さんも、昨日からあまり調子が良くないそうでして……」
「さくらさんは電話で聞いたけど、ばっちゃんと空美さんもか。ってことは、やっぱり『完全なる雑種』だと獣王の遺灰の影響は受けないみたいだな」
「獣王の遺灰?」
「それについてちょっと事情を説明したいんだが、今いいか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
一人で抱えるよりも、リベリアがいた方が心強い。吸血鬼にとっては早起きな時間帯かもしれないが、今すぐに情報を共有させてもらおう。
そう思い、招き入れるリベリアの後に続いて部屋へ入ろうとしたのだが――、
突然、二階の扉が開いた。
普通に開けただけとは思えない大きな音に驚いて、天崎とリベリアは軒先から二階を見上げる。開け放たれている扉は月島の部屋。その中から、今にも転びそうなほど不安定な足取りの円が出てきた。
「と、東四郎……」
「円!」
叫んだ天崎は、一目散に階段を駆け上がった。
手すりに寄りかかるように倒れる円の身体を抱き寄せる。額に手を当ててみたが、どうやら熱はないようだ。
「大丈夫か!?」
「うん、まどかは大丈夫。でも、お姉ちゃんが……」
「月島がどうかしたのか?」
開いた扉の隙間から見える、薄暗い部屋へと目を移した。
勝手に女の子の部屋に入るのは悪いと思ったが、今は緊急事態だ。心の中で謝りながら、天崎は月島の部屋へと踏み入れる。そして発見した。布団の中で息を荒くして眠っている、ほとんど獣化した彼女の姿を。
「これ……月島なのか?」
「うん」
脇で支えている円に問うと、彼女はひどく落ち込んだように頷いた。
まるで天崎が獣人の血統を覚醒させた時のような姿だ。全身が毛深くなり、マズルが現れ、呼吸回数の多い口元からは牙が覗いている。かろうじて人型を保っているものの、このまま症状が進んだら、完全な犬になってしまうんじゃないかと思った。
「いったい……どうしたってんだ……」
恐れ戦きながら呟くと、円は怪訝な表情で天崎を見上げた。
「風邪が、ひどくなったから……」
あぁ、そういうことなのか。と、天崎は理解した。
今の月島の姿から受けた印象通りだ。インフルエンザに罹ると獣の耳や尻尾が生えるだけでなく、症状の進行具合によっては完全な動物になってしまう。認識が改変されている今の円には、それが常識として知識にあるのだろう。
息苦しそうな月島を見ていると、玉藻の言葉が頭を過る。
獣王の遺灰で身体が弱っているところにインフルエンザなんか罹ったら、それこそ死のリスクが高くなる。まさに今、月島は合併症を引き起こしているのだ。
「わっ。もしかしてこの方、月島さんですか?」
「……ああ」
追いついたリベリアが後ろから覗き込んできた。
声を掛けられたことで放心状態から戻った天崎は、月島の頭を優しく撫でる。
「医者に連れて行くべき……なんだろうけど、普通の病院でいいんだよな?」
「そうですね。私たち以外の認識が改変されてるなら、これは普通の風邪の症状として受け入れてくれると思いますよ」
「だよな。でも……病院やってるかなぁ」
駅に降り立った時、まったく人通りがなかったことを思い出した。これだけインフルエンザが流行っていては、もしかしたら医者もダウンしているかもしれない。電車が動いていたのも奇跡のようなものだった。
判断に迷っている間、天崎は呼吸の荒い月島を呆然と眺める。
そこで、ふと気になることができた。
「そういえば、裕子はどうなってるんだ?」
「裕子って、月島さんのお姉さんの?」
「ああ、守護霊だ。一日三十分を限度に入れ替われるらしいんだけど……」
そう説明した天崎は、意識が朦朧としている月島に呼びかけた。
「裕子。裕子。そこに居るのか?」
たっぷり十秒ほど、苦しむ月島の呼吸音だけが部屋に響く。
すると突然、彼女の瞼が開いた。しかし眼球の動きだけで二人の姿を確認すると、すぐに閉じてしまう。
「たぶん今のは裕子だ。精神は入れ替わることができても、身体が弱ってることに違いはないから裕子も辛いんだろうな」
そして天崎は決心する。
「よし、ひとまず月島を病院へ連れて行こう。医者に任せた方がいい」
「そうですね。分かり……」
そう言いかけ、リベリアの動きがピタッと止まった。
彼女は人差し指で『静かに』の合図を示すと、次に辺りを警戒するようにゆっくりと首を回し始める。
「……どうした?」
「どうやら、おののき荘の周りが囲まれてるみたいです」
「はあ!?」
ついつい大声を出してしまい、天崎は慌てて自分の口を塞いだ。
そのまま耳を澄ませ、周囲に注意を払ってみる。だが天崎には何も感じない。吸血鬼ならではの感覚なのだろう。
「……いったい、何だってんだ」
「何者かまでは分かりません。しかし四方から気配を感じますので、少なくとも三人はいるかと。ただ大勢ではなさそうです。多くても六人か七人ですね」
「くそっ、こんな時に……」
「私が出ていって懲らしめてやりましょうか?」
「いや。お前だと相手によっては周りの住宅に被害が出るかもしれない。俺が行く」
そう言って、天崎は立ち上がった。
「まだ相手がどんな輩かも判ってないのに、危ないですよ!」
「そいつらは近づいてきてるんじゃなくて、周りで様子を窺ってるだけだろ? なら、すぐに襲ってくることはないと思う。俺は歩いて公園に向かうから、もしおののき荘を囲む気配が全部なくなったら助けに来てくれ。その時は俺が狙いってことだからな」
「もし二手に分かれたらどうしますか?」
「その場合は自分で対処する。お前はおののき荘を守ることに集中してくれればいい」
「……分かりましたよ」
今の天崎さんには何を言っても無駄だろうな。とでも言いたげに嘆息したリベリアは、渋々ながらも了解した。
目礼で感謝の意を示した後、天崎は単独で敵中へと降り立っていく――。




