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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第10話『ノケモノホリック』

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第12章 長岡玉藻

 群青たちとの面会を終えた後、天崎はすぐに帰り支度を整えた。


 その途中、少しだけ驚いたことがある。獣人の暮らしは、人間の生活環境と比べても、まったく見劣りしなかったのだ。


 お借りしたトイレは全国的に有名なメーカーだったし、ウォシュレットまで付いていた。また空きっ腹を埋めるために軽くご飯を頂いたのだが、台所には炊飯器や冷蔵庫もあった。どうやら水道だけでなく、電気も通っているらしい。


 獣人の限界集落というくらいだから、もっと原始的な生活を想像していた。しかし電話やネットなどの外部と通信する手段がないだけで、決して文明に差異があるわけではないようだ。


「言っちゃ悪いけど、すげえ普通の家だったな」


 里長の屋敷を出た天崎は、肩透かしを食らったようにぼやいた。


 四方を山林で囲まれた獣人の里は、その面積のほとんどが棚田だった。時期的に今は土が剥き出しの状態になっているが、半年もすれば一面が緑の稲穂で埋め尽くされるだろう。


 他の民家は目の届く範囲に五軒ほど。いずれも一階建ての日本家屋で、家によっては軽トラまである。今は殺人犯関連で多くの獣人たちが外に出ているのか、里の住人たちはまったく見当たらなかった。


 はっきり言ってしまえば田舎だ。紛うことなきド田舎だ。しかし山間部と海沿いという違いはあれど、実家とそう大差のない天崎としては、決してバカにできない環境だった。


「当たり前でしょ。逆に普通じゃない物って何があるのよ」


 天崎の独り言に、むらさきが蔑むように割り込んできた。

 そう言われても困るのだが。


「いや、知らんけど……獣人の文化を象徴する何か特別な物でもあるのかなって」

「ははっ、そんな物あるわけないじゃない」


 鼻で笑われてしまった。


 獣人には獣人の、人間には人間の暮らしがあるとは何だったのか。そう言ったのはむらさきじゃなかったのか。


「外の人間たちとも交流があるんだから、あんまり文化が違ったら不自然でしょ?」

「そりゃそうだけど。交流してる人間は、ここが獣人の里だとは知らないんだよな?」

「『調査員』以外の人間には普通の里だって思われてるみたいよ。現代社会で獣人が実在するなんて知られたら大騒ぎになっちゃうわ」


 得意げに話すむらさきに、天崎は違和感を抱かずにはいられなかった。


 むらさきはまだ子供だ。里内の学校にも通っていると言っていたし、里の外にもそんなに出たことはないだろう。にもかかわらず、今の人間社会と獣人の里の格差をちゃんと認識できている。まるで自分が見てきたかのように。


 それを指摘すると、むらさきはバツが悪そうに視線を逸らした。


「えっと、それは、その……あたい、たまにテレビを観てるから……」

「テレビ? 獣人の里でもテレビは映るのか?」

「うん。おいたんの家……門番の家だけ」


 そういえば、殺された狼男の家にだけ電話があることを思い出した。人間と獣人の橋渡し役というくらいだから、人間社会の情報は常に仕入れなければならなかったのかもしれない。


 そして、むらさきがそわそわし始めた理由にも納得がいった。


 おそらく親か誰かから、門番の家に行ってはいけない、もしくはテレビを観てはいけないと釘を刺されているのだろう。しかし遊ぶ相手がおらず、暇を持て余したむらさきは、内緒で門番の家に通ってテレビを観ていた、というわけだ。


 俺が告げ口なんてするわけないじゃないかと呆れる反面、天崎の拳に力が入る。


 門番の家に入り浸っていたのなら、むらさきと狼男はそれなりに親しかったに違いない。しかし狼男は死んだ。殺されてしまった。


 先日、おののき荘に襲撃してきた際のむらさきを思い出す。


 今は気丈に振舞っているが、殺人犯に対する憎悪は本物だ。その無邪気な笑顔の下に隠れているであろう悲しみも。それを考えると、すでに消えているはずのむらさきに付けられた傷が疼いたような気がした。


 むらさきと話をしているうちにも、里の入り口らしき場所に到着した。


 雑木林に囲まれた、車一台がギリギリ通れるほどの細道を進む。百メートルも歩くと、再び視界が開けた。


 見渡せる範囲に山はなく、起伏の少ない平地には枯れた田園風景が広がっている。和風の民家ばかりだった獣人の里とは違い、洋風の住宅も確認できることから、そこはもう人間の住む地域なのだろう。建物の密集度は、獣人の里とほとんど同じだが。


「つーか……ここ、どこだ?」


 明らかに知らない土地だった。


 自分の置かれた状況を忌々しげに呪いながらも、どうやって帰ろうか頭を悩ませる。すると隣にいるむらさきが、天崎の手をギュッと握ってきた。


「ねえ、お願いがあるんだけど……」

「ん? なんだ?」

「会ってほしい人がいるの」

「会ってほしい人? 誰だ?」


 天崎には心当たりがない。

 訊ねると、むらさきは言いにくそうに答えた。


「……玉藻さん」

「はあ!?」


 顎が外れそうなほど大きく口を開けた天崎は、素っ頓狂な声を上げた。


 玉藻といえば、先ほど里長が話していた九尾の狐に他ならないだろう。憤怒に満ちた表情で殺しにかかってくる様は、今でも鮮明に思い出すことができる。


「会うわけねえだろ! 俺、殺されかけたんだぞ!」

「そう言わないでよ! 玉藻さんがあなたを里に連れてきたのは、話がしたいからって言ってたんだから!」

「ヤダヤダ! 殺されるからイヤだ!」

「そんなことしないってば!」

「襲って来ない保証がない! ……ってかお前、力強いな!」


 むらさきが腕を引っ張ると、天崎の身体が引きずられるように動いた。


 天崎も全力で抵抗しているわけではないとはいえ、十歳にも満たない少女だと考えれば驚異的な腕力だ。円ではこうはいかないだろう。獣人、おそるべし。


 会わせたい。会いたくない。両者が己の意地を押し通す中、虚しい小競り合いは第三者の声によって終結を迎えた。


「おーい、むらさき。こっちだ、こっち!」


 お互い力を緩めた天崎とむらさきは、声がした方へと振り返る。


 少し離れてはいるが、雑木林と田んぼの境に立派な一軒家があった。さらに背の低い竹垣の向こうで、縁側に座りながら手を振っている人物を発見する。


 背中に冷汗が浮かぶのとともに、天崎は観念した。姿を見られた今、逃走は不可能だ。獣人の脚力から逃げられる自信はない。


「何やってんだ! 早く来い!」


 荒々しくなる呼び声にビビり散らした天崎は、自分の腕を引っ張っていくむらさきの小さな背中に隠れる。その様子を見た九尾の狐――長岡玉藻は、呆れたようなため息を吐いた。


「情けねえなぁ、大の男が女児の背中に隠れるなんてよ。んな必死にならんでも、オレは何もしねえって」

「本当に何もしないよな?」

「しないっつってんだろ。疑うんならマジで腹に風穴開けんぞ」


 どこぞの隣人よりも言葉遣いが荒い人だ。


 殺されるくらいならプライドなんていくらでも捨ててやるよ。などと言わんばかりに拗ねた天崎は、むらさきの背中を押すように竹垣を跨いだ。行儀の悪い訪問の仕方だったが、玉藻は縁側に座ったまま上機嫌に彼らを招き入れる。


 長岡玉藻の姿は、昨日とほとんど変わりなかった。


 長い銀髪の上には狐の耳が載っており、衣服はゆったりとしたワンピース一枚のみ。片方の肩が丸出しになるほど着崩しているせいか、ボリュームのある胸が今にも零れそうだった。


 ただ一点だけ異なるのは、今日は尻尾が一本しかなかった。怒髪天を衝いていた昨日とは打って変わって、今は玉藻の後ろでだらんと垂れている。美しい毛並みや大きさからして、抱き枕にしたら気持ち良さそうだなと、天崎は思った。


「先に訊いておきたいんだけど、何で俺を殺そうとしたんだ?」


 むらさきに隠れて一通り玉藻の姿を眺め終えた天崎は、険しい顔で問いただした。この回答をもらうまでは、素直に話し合えない。


「ん? 里長や群青は言ってないのか? ……あぁ、オレが話してなかったな」


 そう言って、玉藻はバツが悪そうに頭を掻いた。


「悪い。あれは人違いだ」

「ひ、人違い!? いやでも、俺の名前を叫んでただろ?」

「うん。オレが本気で殺してやろうと思ってたのは、お前の親父さ。天崎って名前を聞いて、早とちりしちまった。すまん」


 親父ぃ、この人に何をしたんだ? と、天崎は心の中で実の父親を呪った。

 すると手を合わせていた玉藻が訝しげに訊ねてきた。


「なんだ。オレのこと、親父から聞いてないのか?」

「仮に聞かされてたとしても、最近いろいろありすぎて忘れちまったよ」

「……お前も若くして苦労してるんだな」


 人違いだったとはいえ、命を奪いに来た相手に同情されてしまった。


「ま、昔の話だ。獣王が復活して、お前の親父がそれを倒したって話」

「あっ、それならさっき里長さんから聞いたぞ」

「なら話は早い。じゃあ質問だ。オレの年齢はいくつだと思う?」

「…………」


 厄介な質問を投げかけられ、天崎は目を細めた。


 女性の年齢を見た目で判断するのは難しい。加えて相手は獣人だ。人間と同じ基準で判断していいのかすら分からない。


 まあ答えないわけにもいかず、あまりに年上を言って機嫌を損ねるのも嫌なので、適当に保険を掛けておいた。


「二十代……前半?」

「そんなところだな。オレの年齢は二十四だ」


 緊張の瞬間が過ぎ去り、天崎はホッと胸を撫で下ろした。

 そして気づく。


「ん? 二十四歳って……」

「おっ、察したか。二十四年前は、獣王が復活した年だな」


 獣王が復活し、天崎誠三が討伐した年に生まれた長岡玉藻。何があったかは想像すら至らないが、何かしらの因果関係があることは疑いようがなかった。


 ただ玉藻はクイズを続けるつもりはないようだ。目を閉じ、険しい表情で語り始めた。


「復活した獣王が、九尾の前任者を殺して力を奪おうとした話は聞いたよな? それはお前の親父に阻止されて、晴れて獣王は粉みじんに焼き尽くされたわけだ。けど依り代を失った九尾の力を存続させるためには、新しい媒体を早急に用意する必要があった。そこで選ばれたのが当時まだ赤子だったオレだ。里の老人たちは、オレが適任かどうかも検査せず無理やり九尾の力を押し込めやがった」


 再び見開かれた玉藻の瞳には憎悪が宿っていた。ただ憎しみの炎はすでに鎮火しており、燃料だった憎悪の燃えカスだけが彼女の中に残っているようだ。それだけ長い間、玉藻は里の重鎮たちを恨み続けてきたのだろう。


 しかし天崎はどうしても納得がいかず、首を傾げて訊ねた。


「それで、なんで俺の親父を殺したいって話になるんだ?」

「だってそうだろ? お前の親父が獣王を倒さなきゃ、オレの身体に九尾を入れる必要もなかったんだ。九尾の力なんぞ、そのまま獣王にくれちまえばよかったのに……」


 要は、完全に私怨だった。


 殺意の理由を耳にした天崎は、呆れたようにため息を漏らす。その態度を否定的に捉えたのか、苦い顔をした玉藻が鼻を鳴らした。


「何の鎖にも繋がれていないお前にゃ分からねえよ。オレと同世代の奴らはみんな人間社会に出て、子供だって作ってる歳だ。なのにオレだけこんな寂れた里に閉じ込められて、勝手に崇め奉りやがる。他人の人生ぶっ壊した奴らを呪って何が悪い」


 つまり里の老人たちに恨み疲れていた玉藻は、自分が不幸を背負う原因となった張本人の名を聞いて、今まで眠っていた怒りが爆発したということなのだろう。


 生い立ちに関しては同情するし、行動原理も理解できる。だが人違いで殺されそうになった身としては、たまったもんじゃない。ため息の一つや二つくらいは出るというものだ。


 ふと横を見ると、むらさきが何故かしょんぼりしていた。耳や尻尾が垂れ、あからさまに落ち込んでいる。


 その様子を見た玉藻は鼻の上に寄せていた皴を解いて、むらさきの頭を乱暴に撫でた。


「別にむらさきのことを責めてるわけじゃねえよ。お前はお前の人生を自由に歩め。オレに遠慮なんてするな。いつも言ってるだろ?」

「う、うん……」


 なんだ。粗暴な口ぶりの割には、意外と面倒見が良いじゃないか。まるで姉妹みたいだな。と、仲睦まじい光景を眺めながら天崎は思った。


「そういえば、さっきから話題に出てる九尾の力って何なんだ?」

「オレもよく知らん!」

「えぇ……」


 胸を張って自信満々に言い張る様は、拍子抜けというより驚きだった。特殊な力とはいえ、自分の中にある物をよく知らないとは……。


「なに言ってんだ。お前だって、『完全なる雑種』とかいう訳の分からん家系なんだろ? 自分の血のことを一から十まで完璧に理解してるって言えるか?」

「いや、そんなことはないけど……」

「だろ? それと同じだよ。ちょっとカッとなると、自分でも驚くほどの力が出るようになって制御が効かなくなるんだ。後は尻尾が増えるくらいかな? それ以外に、九尾がどうのこうのって自覚はあまりない。まあ、神の力ってのはどこかで聞いたけどな」

「じゃあ、身体の中に九尾の狐が住んでるわけじゃないんだな?」

「なんじゃそりゃ」


 心当たりがないというよりは、天崎の言葉をまるで理解していないようだった。リベリアから借りた漫画の知識をそのまま質問してみたが、どうやら違うみたいだ。


 まあ本人が知らないことを長々と問いただしても仕方がない。変なことを訊いたと、天崎は軽く謝って話題を変えようとしたのだが……ふと、どこからか声がした。


「九尾の力は大昔、巫女だった初代玉藻が獣王の勢力に対抗するため、その身に宿した山の神の力じゃよ」


 唐突に割り込んできた第三者の声に、三人は警戒心を高めて辺りを見回した。


 声の主はすぐに正体を現した。二つに分かれた尻尾を揺らしながら、一匹の黒猫が庭の端から悠然と歩いてくる。


「お、お前は……」


 ほんの数日前に出会った相手が登場し、天崎は思わず声を上げた。

 だが何か言葉を発するよりも先に、意気揚々とした玉藻が身を乗り出した。


「おっ、猫又じゃねえか! 久しぶりだな! 十年ぶりくらいか?」

「年月など、いちいち覚えとりゃせんよ。それだけ長く生きとるからな」


 旧知の間柄みたいに挨拶を交わす一人と一匹を見て、天崎は驚きを隠せなかった。


「あんたたち、知り合いなのか?」

「おう、オレが子供だった頃の話し相手だ。っていうか、お前こそコイツを知ってるのか?」

「俺の方は、ちょっと事情があって……」


 説明するのも面倒なので、その件については適当に誤魔化した。

 次に猫又へ問いただす。


「あんた、あの廃墟に住んでたんじゃなかったのか?」

「住んどるからといって、外に出んわけでもなかろうに。たまにこうして遠出することもあるんじゃよ」


 言われてみれば確かにそうだ。


 目から鱗……ほどではないにしろ、当たり前のことを当たり前のように諭され、天崎は唖然とする。しかし、その横では天崎以上に絶句しているむらさきがいた。


「猫が……喋った……」


 幽霊や宇宙人にでも遭遇したような反応だった。


「いやいや、お前も喋ってるだろ」

「あ、あたいは獣化状態じゃ喋れないわよ」


 そういうものなのか。まあ猫又は妖怪だ。獣人とは何かが違うのだろう。

 そこで、ふと思い出した。むらさきと出会うことになったきっかけを。


「ん? ん? んん!? 猫又! ってことはお前、廃墟を徘徊してたのがむらさきだって知ってたのか!?」

「知らんよ。獣化状態の獣人は普通の動物と見分けがつかんし、近くでじっくり観察したわけでもないからの。あれは裏のない純粋な依頼じゃ」

「そ、そうか……」


 玉藻も十年ぶりとか言っていたし、むらさき個人のことも知らなかったのだろう。

 再会の挨拶もそこそこに、ちょっとだけ上機嫌になった玉藻が話を戻した。


「えっと、なんの話だっけ? あぁ、そうだ。猫又、なんか意味深なこと言ってたな」

「九尾の力についてじゃろ?」


 そう言って喉を鳴らした猫又は、頼んでもいないのに語り出した。


「大昔、獣王はその名の通り獣人たちを統べる王じゃった。だが悪政で民衆に反旗を翻され、結果的に封印されるまでに至ったわけじゃな。その民衆側を率いたのが狐の獣人。巫女でもあった彼女は自らの身体に神を降ろし、獣王に対抗できる力を得たわけじゃ。以降、万が一にも獣王が復活してしまった場合に備えて、神の力……つまり九尾の力を後世へと伝えていったのじゃよ。ただ初代玉藻は神を宿していたけども、彼女の子孫からは九尾の力だけしか遺すことができなかった。力の源がなければ減衰するのは必至であり、今では初代の半分も力を発揮できないじゃろう」

「あ、だから二十四年前は獣王に負けたのか」

「そう。ちなみに九尾の力は遺伝じゃが、先代玉藻には子供がいなかった。だからお主の身体に無理やり移したらしいのじゃが……上手く制御できんのは、たぶん血筋のせいじゃろな」

「なるほどなぁ。そういうことか」


 話を聞き終えた玉藻は、まるで他人事のように頷いた。

 だが、そこで天崎は気づく。気づいてしまう。


「ちょっと待て。獣王に対抗するための九尾の力だって言うんなら、獣王がいなくなった今なら玉藻に移す必要はなかったんじゃないか?」


 そして言ってしまってから、それが失言であることにも気づいた。


 玉藻は生まれてからの二十四年間、ずっと里に縛り付けられていた。まったく自由も与えられずに。天崎の言葉は、それらはすべて無意味だったと言っているようなもの。自分の人生が無駄だったと知ってしまうのは、誰だって……辛い。


 しかし天崎の心配とは裏腹に、玉藻は静かに睨みつけるだけだった。


「なんだ? それを聞いて、オレが取り乱すとでも思ったか? アホ抜かせ。お前がこの場で思いつくことなんざ、とうの昔に気づいてるよ。オレの存在は里にとって無意味なことくらいはな。それを今さらどうこう言うつもりもない」

「ま、獣王を倒した当時は完全に滅んだという確信がなかったかもしれんし、獣人たちも伝統を守りたかったんじゃろ」

「ふん。伝統なんて糞くらえだ」


 猫又のフォローにも、玉藻は鼻を鳴らして一蹴するだけだった。


 九尾の事情は大まかに把握できた。だが一つ、その答えを持ってきてくれた黒猫については疑問が残る。

 そこは同じ疑問を抱いた玉藻が代弁してくれた。


「で、猫又よ。お前は何しに来たんだ?」

「懐かしい顔に向けて、何をしに来たとはお言葉じゃの。まあ、お前さんの顔を見に来たのは事のついでじゃから、そう言われても仕方がないのかもしれんが」

「その『事』ってのは何だよ」

「最近、人間の街で大変なことが起こっとるみたいでの。少しばかり事情を聞くために、この里を訪れてみたわけじゃ」

「ああ、遺灰のことか」


 猫又の来訪目的を理解した天崎と玉藻は、交互に事情を話し始めた。

 説明を聞き終えた後、猫又は目を細めて「ほう」と落胆の息を吐いた。


「……そうか。あやつを殺めた殺人犯に制裁を下すべく、過激派が獣王の遺灰をなぁ」

「そうだ」


 神妙に頷いた玉藻とともに、猫又は家屋の方へと振り返った。

 その行為に、天崎はピンとくる。


「もしかして、ここって殺された門番の家なのか?」

「ああ。オレも昔からお世話になってた。九尾の狐を神と崇める奴らが多い中で、奴は普通に接してくれた数少ない相手だったからな。まあ里を出てはいけないオレが、ギリギリ行動を許されてた範囲だったってのもあるが」


 なるほど。玉藻とむらさきの仲が良いのも、そういう理由があったわけだ。


 天崎の想像の中で、玉藻、むらさき、そして顔も知らない狼男が仲睦まじく談笑している姿が浮かぶ。だが次の瞬間には狼男の姿は消え、闇夜に紛れて襲ってきたむらさきが記憶の中に蘇った。


 殺人犯と思しき相手の寝込みを襲うも、結局は軽傷しか与えられなかった。仮に天崎が本物の殺人犯だったら、彼女は返り討ちに遭っていただろう。そういう意味では幸運だった。


 しかし目の前にいるのは九尾の狐。神の力を持つ獣人。実際に攻撃を受けた天崎だからこそ分かる。殺人犯――神上立人に対抗する力は十分に有るはずだ。


 だからこそ天崎は、どうしても訊かずにはいられなかった。


「復讐は……考えていないのか?」


 問うと、雰囲気が一気に変わった。

 視線だけで射殺せるほど尖った目つきで、玉藻は天崎を睨みつける。


「したいさ。殺人犯が目の前にいたら、間違いなくぶち殺してると思う。でも……里の奴らが躍起になってるところを見たら、なんだか感情にブレーキがかかってな。酷い話だけど、あいつのために怒ることができなくなっちまった」


 言い終える頃には、玉藻の耳と尻尾は見るからに萎れていた。


 狼男が殺された時点では、おそらく玉藻も怒りに奮い立っていたに違いない。しかし里の獣人たちもまた、殺人犯を捕まえるために蜂起した。生れてからずっと彼らを恨み続けてきた玉藻は、無意識のうちに同調するのを止めたのかもしれない。


 そして行き場のない殺人犯への憎しみが積もりに積もった結果、天崎誠三に対する復讐心が爆発したのだろうと、天崎は推測した。


 被害者の狼男を悼むような短い間が訪れる。

 その沈黙を破ったのは猫又だ。そういえば街の異変を説明している途中だった。


「にしても話を聞いてる限り、今の里長は無能もいいところじゃのう。里の奴らをまとめられないとは」

「しゃーねえだろ。別に選ばれたわけじゃなくて、持ち回りで役割を回してるだけなんだからさ。里長なんざ、最初からお飾りなんだよ」


 ああ、町内会の組長みたいなものか。どうりで人の上に立てるような器じゃなかったわけだと、天崎は納得した。


「だとしても、どう収拾つけるつもりなんじゃ?」

「知るかよ。オレに訊くな」

「え? でも里長さん、一週間くらいで収まるって言ってたぞ」


 天崎が口を挟むと、玉藻と猫又が同時に振り返った。


 ただ両者の反応は各々違っていた。猫又は「そうなのか?」と眉間に皴を寄せ、玉藻は呆れたように空を仰いだ。


「相変わらず中身のない説得だな。それで納得するお前もお前だが」

「……どういう意味だ?」


 玉藻の意味深な指摘に、天崎は怪訝な表情を浮かべた。


「いいか? 一週間で収まるってのが本当かどうかは置いといて、里長としては嘘を言ってるつもりはないだろう。けど、それは遺灰を一度だけ吸った場合だ。連中は殺人犯が捕まるまで撒き続けるはずだし、そうなれば症状も長引くだろう。たとえインフルエンザの流行が終わってもな」


 その事実を耳にし、天崎はハッと顔を上げた。

 さらに玉藻は追い打ちをかける。


「遺灰は問題なくとも、インフルエンザの方は危険に違いないだろ。毎年少なからず死者が出てんだ。遺灰のせいで身体が弱ってるところにインフルエンザなんて罹ったら、さらに死者が増えると思うぞ。まあ、頑丈な奴は大丈夫だと思うけどな」


 確かにインフルエンザに罹らない人外なら、遺灰が止まれば後遺症もなく症状が治まるだろう。しかし人間は違う。特に免疫力の弱い人間なら、獣王の遺灰とインフルエンザの合併症で死を招きかねない。


 ……嫌な予感がした。

 いてもたってもいられなくなった天崎は、喉を震わせながら玉藻に言った。


「悪い。今すぐ帰らせてくれ」

「ん。まあ、そう言うなら仕方がない。ホントはもっとゆっくり話したかったんだが……ああそれと、お前の親父に言っとけよ。オレの前に現れたら殺すって」

「おっかねえな……。むらさきも、看病ありがとな」

「え? あ、う、うん……」


 急に褒められて驚いたためか、むらさきはツンツンした返事をする余裕もなく、嬉しそうに耳をぴくぴくと動かした。


「帰るなら儂が駅まで案内しよう」

「ああ、頼んだ」


 玉藻とむらさきに別れの挨拶を済ませた天崎は、猫又とともに一目散に駆け出した。

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