第11章 獣人の里
腹に痛みを感じ、意識が加速度的に蘇ってきた。
夢と現の境を越えた天崎は、一気に目を醒ます。そして慌てて起き上がろうとしたのだが……九尾に腹パンされた時の痛みが、それを許してはくれなかった。
「痛って……」
腹部を押さえて悶絶する天崎。一応確認してみたが、幸いにも穴は開いていないようだ。おそらく獣人の血統が覚醒されていたおかげで、肉体の強度が増していたのだろう。今は頭の耳以外、すべて元に戻っているが。
「あ、起きた」
もし人間のままだったら……と、顔面蒼白になっている天崎の横から声がした。
見れば、亜麻色の髪に獣の耳を生やした少女が姿勢よく正座をしていた。
「……むらさき?」
「おはよう」
数日前に出会った獣人の少女――姫野むらさきは、天崎と対面するなり目を細めた。
「お前、何してんだ?」
「べ、別に心配で看病してたわけじゃないんだからね!」
「してくれてたんだな」
頬を膨らませてプイッとそっぽを向くむらさきに、天崎は破顔した。
とはいえ、和んでいる場合ではない。忙しなく動くむらさきの耳や尻尾から目を逸らした天崎は、周りを見回した。
「ここはどこだ?」
やけに天井の高い二十畳ほどの和室だった。ただ家具らしい家具は見当たらない。床の間に掛け軸があり、天井付近に神棚が奉られているくらいだ。生活感がなく小綺麗なことから、大人数も収容できる宴会場と見た方がしっくりきた。
そんな大広間のど真ん中に敷かれた布団の中で、天崎は眠っていたのだ。
「ここは獣人の里で、この家は里長様のお屋敷よ」
「獣人の里?」
むらさきの回答を耳にしながら、もう一度大きく見回してみる。
どう見ても典型的な日本家屋だ。獣人の里にいるという実感をさせるような物は、何一つなさそうだった。
すると突然、むらさきが立ち上がった。
「あたい、里長様と群青先生を呼んでくるわ」
「あっ、おい……」
引き止めようとするも、むらさきは障子を開けてさっさと行ってしまった。
布団の中で一人残された天崎の肌に、耳鳴りがするほどの静けさが刺す。
里長様とは、文字通り獣人の里の長なのだろう。そして群青の名を聞いて思い出した。九尾の女性に腹パンされる前、群青が助けに入ってきたのだった。もしかして自分を獣人の里まで運んだのも彼なのか?
ふと横を見ると、自分のスマホと財布があるのを発見した。
日時を確認してみる。
「げっ、あれから丸一日経ってるのかよ」
本日は水曜日で、時刻は昼過ぎだった。障子の向こうが明るいから日中なのは間違いないと思っていたが、まさか日を跨いでいたとは……。
学級閉鎖だったからよかったものの、普通に学校があったら、またも無断欠席をするところだった。ただでさえ出席日数が危ういのに……と、天崎は肩を落とした。
そこでリベリアと安藤からメッセージが来ていることに気づく。
安藤の方は『まだなのか?』という一言があった後、特に追記はなかった。きっと返信がないから諦めたのだろう。
問題はリベリアの方だ。
『天崎さん。ずいぶんと帰りが遅いようですが、何かありましたか?』
というのが昨日の午後六時ごろ。つづいて午後九時に『円さんとさくらさんも心配しています。返事をください』と不在着信も一緒あり、最後に日付が変わってから『捜しに行きます』と残していた。
「しまった。無駄に心配させちまったかな?」
そう反省しつつも、不可抗力だったので仕方がない。見たところ出血らしい出血もしていないので、天崎の居場所が分からず、一晩中街中を彷徨っていた可能性もある。
心の中で謝罪と言い訳を繰り返しながら、天崎はすぐに返事を打ち込んだ。
『心配させて悪かった。俺は大丈夫だ。今はちょっと訳あって獣人の里にいるんだ。もう捜さなくてもいいぞ』
そう送った後、一応保険を掛けることにした。
『もし俺が二十四時間以内に連絡しなかったら、安藤に獣人の里の場所を聞いて助けに来てくれないか? それまでは動かなくても大丈夫だ』
我ながら楽観視しすぎかなと思いつつも、むらさきの様子から切羽詰まった状況ではないことは感じ取っていた。まあ、為るように為れはいつものことだ。
スマホを操作する傍らで、廊下の足音を耳にする。障子に映る影は三つ。大人二人と子供一人――群青と里長を呼びに行ったむらさきが戻ってきたのだろう。
天崎がスマホを枕元に伏せると、群青が障子の隙間から顔を覗かせた。
「おはようございます、天崎さん。身体の調子はいかがですか?」
「腹はまだ痛むけど、それ以外に変なところはない……かな」
「そうですか。大事にならずに済んで何よりです」
ホッと胸を撫で下ろす声とともに、障子が開いた。
相変わらず袴姿の群青と、先ほど出て行ったまんまのむらさき。そして二人に続いて入ってきた老人が里長なのだろうが……その姿を目の当たりにした天崎は眉を寄せた。
里長という割には、あまりにも普通のおじさんだったからだ。
年齢は六十代くらいだろう。頭の方は薄くなりかけ、顔には年相応の皴が寄っている。またチェック柄のワイシャツの上にニットベストを着用している服装は、まるで中小企業の中間管理職のよう。年齢差さえなければ、袴姿の群青の方が里長らしかった。
いや、それはあくまでも天崎の印象。貫禄がなくとも里長は里長。人を見た目で判断してはいけない。
彼ら三人が布団の横で正座をしたため、天崎も起き上がろうとする。
しかし群青がそれを制した。
「いえ、天崎さんはそのままで大丈夫です」
まだ腹も痛むので、お言葉に甘えることにした。
天崎が姿勢を戻すと、里長が仰々しく頭を下げた。
「まずは先の無礼をお詫び申し上げます。我が里の九尾……長岡玉藻がご迷惑をお掛けしました」
迷惑を掛けたというか、下手したら死んでたけどな。と、天崎は嘆息した。
もちろん里長の謝罪は受け入れるつもりだ。しかし天崎は命を危険に晒されて、すべて許せるほど能天気ではない。ここに至るまでの詳しい経緯を求めた。
「あの九尾の狐は、いったい何なんですか?」
少し強めの口調で問うと、里長は目に見えて狼狽え始めた。
自分の三分の一にも満たない年齢の少年に対してこの態度とは、なんとも威厳がない。
「九尾は、我が里で崇め奉っている神の力です。獣人の身体を依り代として代々受け継がれていまして、今は玉藻の中に封印されているのですが……しかし何故彼女が天崎様を襲ったのかは……」
「日曜日に天崎さんと別れた後、わたくしとむらさきは里に戻って事の次第を報告いたしました。その際、同席していた玉藻が急に飛び出していったのです」
説明に詰まった里長の後を、群青がスムーズに引き継いだ。
長岡玉藻というのは、あの九尾の女性のことだろう。里長と群青の話を聞く限り、天崎を襲ったのは彼女の単独行動であり、群青はただ凶行を止めただけという感じだった。
「なんで俺を獣人の里まで連れてきたんですか?」
「それは玉藻の要求です」
まるで問われることを予測していたかのように、群青は滑らかに答えた。
「天崎さんが気絶した後、玉藻は急に落ち着きを取り戻しました。本来ならアパートへ運ぶべきだったのでしょうが、彼女は何故か天崎さんを里へ連れて行こうと言い出したのです。拒否したらまた暴れるぞと脅されましたので、仕方なく……」
「その九尾の女性は今どこに?」
「さあ? 里の中にはいるはずですが、今どこにいるかまでは……」
自分の都合で連れてきたのに? いや、あれから丸一日経過しているのだ。ずっと看ているわけにもいかなかったのだろう。
ならば好都合。再び顔を合わせる前に、さっさと里を出るまでだ。
もちろん獣人たちに問い詰めなければならないことも、天崎は忘れていない。
「今、俺が住んでる街で、風邪を引くと動物の特徴が現れるって現象が起きています。これって獣人たちの仕業ですよね? どういうことなんですか?」
「えっと、それは……」
鎌を掛けるまでもなく、里長の反応は自白しているようなものだった。
先ほどよりも露骨に動揺を表した里長は、かいてもいない額の汗を拭い始める。そして口の中でもごもごと小さく呟いた後、最終的に群青へと助けを求めた。
「やはりお気づきでしたか」
群青も群青で、里長の態度はいつも通りとでも言わんばかりに平然と説明を始めた。
「先日も申し上げたように、わたくしたちは殺人犯を捜すべく、穏健派と過激派に分かれました。その過激派の連中が、どうやら獣王の遺灰を勝手に持ち出して、街にばら撒いたようなのです」
「獣王の遺灰?」
聞き慣れない単語を問い返すと、里長が少し意外そうに訊ねてきた。
「お父様から獣王の話をお聞きなられてはいないのですか?」
「お父様? 俺の親父ってことですか?」
「えぇ、もちろん。お父様の名前は天崎誠三様ですよね? 天崎様は、お父様の若い頃によく似ていらっしゃる」
「???」
疲れ果てた中間管理職のような態度とは打って変わって、昔を懐古する里長の表情は妙に明るかった。まるで若い頃の武勇伝を語るかのよう。ただし話し方からして、その武勇伝の主人公は里長本人ではなく、天崎の父親なのだろうが。
話の流れについていけず、天崎は首を傾げる。
すると里長は意気揚々と語り出した。
「お聞きになられていないようでしたら、私から話しましょう。二十四年前、この獣人の里は貴方のお父様に救われたのです」
「救われた?」
「我が里には古より獣王なる怪物が封印されていたのですが、ちょっとした手違いで、その封印が解かれてしまったのです。解放された獣王は新たな力を求め、当時九尾の依り代だった女性を手にかけました。里の者では復活した獣王に立ち向かう力はなく、あわや里が滅ぼされる事態となったのですが、そこに現れたのが当時まだ少年だった天崎誠三様……それこそ今の天崎様と同じくらいの歳のお父様だったのです。彼のおかげで獣王は討伐され、里に平和が戻りました」
「わたくしが天崎という苗字に聞き覚えがあったのも、そのためでした。ただわたくしは当時まだ四歳だったので、すぐにピンとこなかったのです」
と、最後に群青が付け加えた。
我が父ながら凄まじい経験をしてるんだなと思いつつも、疑問を抱く。
「じゃあ獣王は再び封印されたってことですか?」
「いえ、お父様の活躍により獣王は完全に消滅いたしました。封印されていたのも、誰も滅ぼせるほどの力を持ち合わせていなかったからです。ただ存在そのものをこの世から消すことはできず、肉体を焼いた遺灰は残りました。その遺灰は里の外れにある祠に納められていたのですが……」
調子よく語っていた里長が、最後には言葉を濁した。
またも群青が言葉を繋げる。
「過激派は、その遺灰を持ち出して人間の街へと撒いたのです」
「……何でそんなことを?」
「理由は簡単です。獣王の遺灰を体内に取り込むことで、獣人は一時的に身体能力を向上させることができます。いわばドーピングのようなものですね。逆に獣人以外の種族は身体が衰弱してしまいます。殺人犯は狼男を殺害するほどの手練れ。遺灰を撒いたのは、その殺人犯を弱体化させるためでしょうね」
「なるほど、そういうことか」
「ちなみに遺灰を吸った獣人以外の種族は、大なり小なり獣の特徴が現れます。今はインフルエンザが流行っていることもあり、過激派は好機と見て実行に移したのでしょう」
「……?」
ふと違和感を抱いたが、なんてことはない。獣人たちも認識が改変されているのだ。
おそらく因果関係が逆なのだろう。本来は過激派が遺灰を撒き、獣の特徴が現れた後、認識が改変された。しかし認識が変わった今では、インフルエンザをカモフラージュとして、遺灰が撒かれたことになっているのだ。
インフルエンザも獣人の遺灰も、人々に獣の特徴が現れるのは同じ。過激派としても騒ぎになるのが本意でないなら、好機と言えば確かに好機である。
そうなると認識が改変されたことに関しては、やはり天使の仕業なのか?
ひとまず答えを保留にして、天崎は群青たちと認識が同じ前提で話を進めた。
「つまり細菌テロってわけか……」
「端的に言えば、そういうことになりますね」
これでいくつか合点がいった。
例年以上にインフルエンザが流行っている原因は、そのためだ。インフルエンザウイルスに免疫力がある人も、獣王の遺灰に対する抵抗力はない。獣化による弱体を、風邪と勘違いしている人もいるのだろう。円もその一人だ。
さらに父親の周りで獣化の症状が出ていない理由にも納得がいった。過激派が活動している地域から遠すぎて、遺灰が届いていないのだ。
「いや、ちょっと待てよ……?」
インフルエンザに罹ると獣の特徴が現れる。逆を言えば獣化していなければ、インフルエンザウイルスに感染していないという判断になるはずだ。つまり全国的には、まったく流行していないことになっている……のか?
だが父はインフルエンザで何人か会社を休んでいると言っていた。獣化の症状は出ていないのに? いや、実際のインフルエンザの症状は何も変わっていないのだ。熱や咳が出る=獣化前の初期症状という認識になってるのかもしれないし……よく分からない。
「……その獣王の遺灰は、普通の人間が取り入れても問題ないんですよね?」
よく分からないことは置いといて、天崎は核心を突く。
原因が判明した後は、解決策だ。
天崎が非難するように声を落として問い詰めると、里長は居たたまれなくなったのか、再びハンカチで額を拭った。
「ご、ご安心ください。遺灰による獣化は、免疫ができるのと同時に収束していきます。おそらく後遺症もありません」
「それは本当ですか?」
「何百年も前に一度だけ同じことがあったようなのですが、獣人化した人間たちは一週間も経たないうちに元に戻ったと記録されておりますので、おそらくは……」
念を押すも、いまいち頼りない返答だった。
まあ、ここで言質を取ったところで意味はなさそうだ。今回の事態には、明らかに里長も頭を悩ませている様子。おそらく完全な認知外の、過激派の独断だったのだろう。監督責任はあれど、無理に責め立てても仕方がない。
時間が解決するなら待つしかないかと、天崎は煮え切らないまま矛を収めた。
その表情の変化で赦しを得たと判断したのか、里長が改めて頭を下げた。
「とにもかくにも、過激派の件に関しては『調査員』と連携を取って事態の収拾に尽力してまいりますので、天崎様は心配せずとも大丈夫です。ご安心を」
「…………」
今の言葉で確信した。この男性は名ばかりの長なのだろう、と。
過激派は自分たちの行いを隠匿するために、インフルエンザの流行時期を選んだはず。ならば『調査員』が異変を察知しているわけがないし、言い方からして、外部と連絡を取り合うのもこれからに違いない。あまりにも対応が遅すぎだ。
形だけの司令塔には何も期待できない。
そう判断した天崎は、早々に布団から這い出した。
「里長さん。知人も心配していますので、俺はすぐに帰ります」
「そ、そうですか。お詫びも込めて、我が里でおもてなしをしたかったのですが……」
察しが悪いなぁと、天崎は露骨に嫌な顔を浮かべてしまった。
とはいえ里長からしてみれば、過去に里を救った英雄の息子なのだ。もてなしたい気持ちも分からなくもない。
天崎の意思に根負けした里長は、隣にいるむらさきに言い聞かせた。
「むらさきや。天崎様を里の入り口まで案内して差し上げなさい」
「はい、分かりました」
嫌な顔一つせず、むらさきは即座に了承する。
天崎としても、顔見知りのむらさきに見送られた方が気が楽でいいのだが……無表情を装う彼女の尻尾が嬉しそうに揺れているのは、少し気になるところではあった。




