第8章 季節の風邪にはご用心
土曜日の廃墟探索と、日曜日の子守りの疲れが残っているようだ。いつも通りの時間に起きることはできたが、身体が異様に重かった。
寝ぼけ眼で着替えていると、さくらが朝食の準備をするために訪れる。そして円とともにちゃぶ台を囲む段階になって、朝っぱらからテンションの高いリベリアが、いつもの如く朝食をたかりに来た。
「おはようございまーす! ご相伴に預かりに来ました!」
リベリアの甲高い声は、寝起きの頭によく響く。頭痛でも起こしたように額を押さえた天崎は、他の住人のためにも注意を促そうとしたのだが……当のリベリアは、何かを探すようにキョロキョロと部屋の中を見回していた。
「どうしたんだ?」
「いえ、月島さんは来てないのかなぁと思いまして」
「……普通は他人の部屋に朝食をたかりに来ないんだよ」
リベリアを牽制するつもりで言ったのだが、本人はまったく意に介していないように平然と腰を下ろした。
「それに野良犬の女の子もいないんですか?」
「昨日の夕方には帰ってったよ。俺を監視するのも一日だけって約束だったからな」
「そうですかぁ」
今までのハイテンションとは打って変わって、肩を落とすリベリア。むらさきみたいな耳と尻尾があれば、だらんと元気を失った様子がありありと見えてくるようだった。
そんなにショックなら一緒に遊べばよかったのに。と言うのは、さすがに酷だろう。
彼女は吸血鬼。昼間に活動するだけでも自然の摂理に反しているようなものだし、それが連日ともなれば体調を崩してもおかしくはない。さらにアルバイトをしている身であるため、天崎が安易に口を出すことはできなかった。
「っていうか、月島とは挨拶したのか?」
「ギクッ」
その反応で、未だ顔すら合わせていないことを察した。
でへへーと悪びれもなく笑ったリベリアが、言い訳を漏らす。
「なんて言うか、昨日はアルバイトの時間まで泥のように眠っていましたので、一切外に出ていないんですよ。ほら、夕食の時もこちらにお邪魔しなかったじゃないですか。月島さんどころか、他の誰とも顔を合わせなかったもので……」
「そういえば二日間も夕食に来てなかったな。どうりで静かだったわけだ」
「もう、天崎さんったら。褒めたって何も出ませんよ!」
「どう解釈したら今のが褒められたと思えるんだ?」
朝っぱらから突っ込む気力もなく、天崎は呆れて肩を落とすだけに留めた。
「まあ、活動時間が真逆だからお互い遠慮してるんだろうけどさ。挨拶くらいはちゃんとしとけよ」
「はーい」
それから朝食を終え、リベリアと洗い物を片付けたさくらが退室していく。そして天崎も登校の準備が完了し、いざ出掛けようとしたのだが、そこでふと気づいた。本日は月島が引っ越してきてから初めての平日。一緒に登校した方がいいのだろうか?
いやしかし、クラスメイトと遭遇して何か勘ぐられるのも嫌だし……。
「……考える時間がもったいねえな」
こういう場合のスマホだ。
現代の利器に感謝した天崎は、早速月島にメッセージを送った。
『月島。一緒に学校行くか?』
誰かに見られたら変な噂されるかもしれないけど……という文言は打たず、簡素なメッセージにする。卑怯かもしれないが、月島に判断を任せようと思ったのだ。
すると返事はすぐに返ってきた。
『ごめん。まだ準備ができてないから、先に行ってて』
時計を見れば、まだ十分くらい余裕がある。女子は準備に時間が掛かると聞くし、天崎が勝手に待ってて気を遣わせるのも悪い。
『分かった。じゃあ先に行ってるぞ。遅刻するなよ』
『うん』
やり取りを終え、天崎は一人で学校へ向かったのだった。
教室に到着した天崎が授業の準備をしていると、月島よりも先に安藤が登校してきた。彼は天崎と挨拶を交わすやいなや、苦笑いを浮かべる。
「おはよう。せっかくの休日なのに、昨日は散々だったみたいだね」
昨日の出来事については、すでに安藤へと連絡済みだった。
緊急事態ではないと判断した天崎は、月島が朝の準備をしている時に一回、群青たちと別れた後にもう一回、土曜日の深夜と日曜日の昼間の出来事を電話で説明していたのだ。天崎の口調からも切迫した状況ではないのが伝わったのか、安藤も特には干渉してこなかった。
いや、安藤には干渉してこれない理由があったのだろう。
「お前も人のこと言えないんじゃないか?」
指摘すると、安藤は月曜の早朝とは思えないほど疲労困憊なため息を吐いた。
「まあね。街に出ている獣人の動向を調べるのに、丸一日掛かったよ」
苦笑いの原因はこれだ。
正当な手順を踏んでいる獣人には『調査員』の支援があるかもしれないが、殺人犯を捜しに里を出た連中のことまで知っているとは思えない。故に安藤は、どれほどの規模の獣人たちが動いているのか、休日を返上で調査していたというわけだ。
「君が神上立人のことを教えたおかげで無関係な人を巻き込む事態には陥らないと思うけど、獣人たちとヴラド三世が衝突するのは恐いなぁ」
戦闘にもなれば周りに危害が及ぶかもしれないし、捕まえに行った獣人たちが全滅してしまう恐れもある。最悪の事態も含め、常にあらゆる状況を想定している安藤にとっては、キリキリと胃が痛む日が続きそうだった。
「何か起きるよりも先に、俺たちがヴラド三世を取っ捕まえれば早いんじゃないか? ってなわけで、土曜の廃墟探索の成果は何もないのか?」
「無茶を言うな。現場でも言った通り、誰かが出入りしたことを記録する程度の結界しか張ってないし、それだって定期的に回収しに行かなきゃ情報を得られない。何より昨日、僕は獣人を調べるのに掛かりきりだった」
「……悪かった」
獣人に関しては天崎のせいじゃないのに安藤の八つ当たりが始まりそうだったので、素直に謝っておいた。
「ま、急いでもしゃーないしな」
自分の席に戻っていく安藤にフォローを入れつつ、徐々に騒がしくなるクラスをぼんやりと眺める。しかし月島が登校する前に、ホームルームを知らせる鐘が鳴ってしまった。
「あいつ、まさか遅刻か?」
担任が業務連絡をしている間、天崎は隠れてスマホを操作する。
ホームルームが終わると、周りをキョロキョロと見回した安藤が再びやって来た。
「あれ、月島さんは? 一昨日おののき荘に引っ越してきたんだろ? 一緒に来なかったのかい?」
「準備がまだだから先に行っててって返事が来たんだよ。んで、今さっき訊いたら『ごめん、天崎さん。体調が悪いみたいだから、今日は休むね』って返ってきた」
スマホを眺めたまま、天崎は来たばかりのメッセージを読み上げた。
「月島の奴、風邪でも引いたんかな」
「普通の風邪じゃないかもね」
「っていうと?」
「インフルエンザ」
なるほどな。と、天崎は教室内を見渡して納得した。
確かに先週と比べてマスク率が高いような気がする。時期も時期だし、インフルエンザが流行っているのだろう。そう考えると、もしかしたら昨日付き合ってくれた時点で体調があまり優れなかったのかなと思い至り、天崎は少し後悔した。
「月島は身体が強い方じゃないだろうし、ちょっと心配だな。まあ俺やお前や犬飼には関係ない話だけど」
「君たちと一緒にするな。僕は身体が異常に強いわけでもなければバカでもない一般人だぞ。予防接種は受けてるけど、罹る時には普通に罹るよ」
「そうなのか?」
中身は悪魔だし、安藤ならインフルエンザに罹らない何かしらの術でも知っているものだと思っていた。まあ普通の人間の演じるため、特殊な技術は使わず、病気や怪我はあえて享受しているのかもしれない。
そんなどうでもいいことを考えていると、会話を耳にしていたバカが近寄ってきた。異様にテンションの高い犬飼だ。
「待て待てーい。バカを一般人じゃない扱いするなってーの!」
「自分がバカだってことは否定しないんだな」
天崎と安藤が呆れ返っている間にも、一時限目を報せる鐘が鳴った。
空になっている月島の席を見て、天崎は軽く嘆息する。大事にならなきゃいいのだが。
終礼と同時に教室を出た天崎は、一直線におののき荘へと足を向けていた。
一応さくらには月島の面倒を看てあげるよう連絡を入れたのだが、了解の返事以降は特に経過の報告もなかったため、状況がよく分からなかった。
さくらがいるのなら余計な心配はしていないものの、顔を合わせてから日の浅い二人なら、病人の月島が気を遣ってしまいそうではある。そして何より、体調を悪化させたのは自分のせいだという罪悪感が、天崎の足を速めさせたのだった。
その甲斐あってか、普段よりも早めにおののき荘に到着した。しかし敷地に踏み入ったところで天崎は足を止める。月島の部屋の前で、さくらと誰かが話をしていたからだ。
「月島……じゃないよな?」
学校を休んだ病人が、こんな屋外で立ち話に興じるはずがない。そう自分の考えを否定するのとともに、その女性の正体に思い至った。
歩を緩めて二人の元へ向かう。すると、さくらが天崎の帰宅に気づいたようだ。
「あら、東四郎さん。おかえりなさい」
「ただいまです」
階段を上りながら、天崎は頭を下げる。
つづいて、さくらと会話していた女性もまた天崎に向けてお辞儀をした。
「お久しぶりです、天崎さん。娘がいつもお世話になっております」
「おや? 東四郎さん、月島さんのお母さんと面識があるのですか?」
「えぇ、初対面の時にいろいろあって……」
話すと長くなるので、適当にはぐらかしておいた。
しかし何を思ったのか、さくらが唐突に顔を寄せてくる。詳しく話せと脅されるかと思いきや、彼女の悪戯な笑みを見る限り、どうやら違うようだ。
月島の母親に聞こえないよう、さくらは天崎の耳元で囁いた。
「将を射んとする者はまず馬を射よ、ってことですか?」
「それ、失礼すぎませんか? せめて外堀を埋めるくらいにしとかないと」
「埋めてるんですか! 外堀を!?」
何の話をしているんだ。
面倒になった天崎は、狼狽するさくらに白い目を向けた。それより今は月島の容体だ。
「えっと……月島さん、体調が悪いって言ってたんですが……どうでした?」
訊ねると、月島の母親はあまり芳しくない表情を露わにした。
「先ほど医者に連れて行ったら、インフルエンザと診断されました。しばらくは学校に行けないかと……」
「え? なら実家に戻った方がいいんじゃないですか?」
「私もそう提案したのですが、風邪だからって実家に戻ったら一人暮らしの練習をしている意味がないと突っぱねられまして……」
確か月島は、父親がいつ転勤してもいいよう、両親が近場にいるうちから一人暮らしの練習をすると言っていた。親が遠くへ行った後に病気を患うことも大いにあるので、月島の言葉は一理あるっちゃあるのだが……変なところで強情だなぁと、天崎は呆れてしまった。
「ご安心を。隣人である我々も、月島さんを気に掛けますので」
意気込みを握り拳で表現したさくらが、月島の母親に宣言した。
もちろん天崎としても、その言葉に異論はない。しかし何故か楽しそうに瞳を輝かせる彼女の態度には、うんざりせざるを得なかった。
「ありがとうございます。ですがインフルエンザが移ってしまってもいけませんので、ほどほどによろしくお願いします。私といつでも連絡が取れるよう、携帯電話は常に枕元に置いておきなさいと、洋子にも言っておきましたので」
「あぁ、インフルエンザが移るかどうかについては、心配せずとも大丈夫です。我々はそう簡単に風邪を引いたりはしませんので。ね、東四郎さん」
「まあ……」
「?」
肩でも組んできそうな勢いで同意を求められたので、天崎も渋々頷いておいた。
人魚であるさくらは人間の病気には罹らないのかもしれないし、『完全なる雑種』の天崎は言わずもがな。気怠くなる程度はあっても、風邪で寝込んだことは一度もない。まあ月島の母親も『予防接種を受けてるんだろうな』くらいの認識で納得してくれたので、余計な説明をせずに済んだのだが。
よろしくお願いしますと再び頭を下げて帰っていく月島母を見送った後、さくらは天崎の方へと向き直る。だが何故か少し怒っている様子だった。
「それで東四郎さん。見たところ、月島さんへのお見舞いの品を持っていないようですが?」
「見舞いの品? いや、特に買ってきたりはしてないですけど……」
「ダメじゃないですか! 朝から体調が悪いことは知っていたのですから、何か持ってこないと! せっかく月島さんの好感度ポイントを稼ぐチャンスなのに!」
「まーたおかしなことを言い始めたぞ、この人」
と言って、天崎は目を細めた。
「とにかく、今からでもいいので何か買ってきてあげてください。もちろん、病人が贈られて喜ぶような物ですよ。私は夕飯までに何か作っておきますので」
一気にまくし立てたさくらは、ぷりぷり怒ったまま自分の部屋に戻っていった。
えー……と立ち尽くす天崎。とはいえ、どのみち買い物には行くつもりだ。さくらの思惑に乗るのは癪だが、月島のために何か買ってきてやるか。
そう思い、ひとまず着替えるため自分の部屋の扉を開けたのだが……そこで奇妙な光景を目にした。珍しいことに、円が天崎の帰宅を正座で出迎えていたのだ。
「ただいま。どうしたんだ?」
「えっと、うんと……」
円はそわそわと落ち着かない様子で視線を彷徨わせていた。
何か言いにくいことでもあるのか? まさか皿でも割ったんだろうか? などと勘繰っていると、不意に円と目が合った。すると彼女は久々にテレパシーで話しかけてくる。
『お姉ちゃんが心配だから、部屋に行きたい』
なるほどと、天崎は納得した。
座敷童には、家主が在宅中なら必ず家の中にいなければならないというルールがある。しかし例外として、家主の許可があれば、一時的に他の家に移動することができるのだ。
そこでピンとくる。円が側にいるなら、月島の快復も早くなるだろう。
「ああ、分かった。ちょっと待ってろ」
カバンを降ろした天崎は、月島に連絡するためスマホを取り出した。
電話だと迷惑かなと思い、メッセージを送る。
『体調が悪いところすまない。円がそっちに行って看病したがってるんだけど、行かせても大丈夫か?』
少し間を置いた後、返事が来た。
『えっ、私は構わないけど……円ちゃんに風邪が移ったりしないかな?』
『たぶん大丈夫じゃないか?』
根拠はないが、神様である座敷童がインフルエンザに罹るとは思えなかった。
『じゃあ今からそっち行かせるわ』
『うん。分かった』
「月島の許可が出たから行ってもいいぞ」
「やった」
両手を挙げて全身で喜びを表現した円が、早々に部屋から飛び出ていった。
「……一目散だったな」
苦笑いを浮かべるものの、あの二人が仲良くなるのは天崎にとっても喜ばしいことだ。いったい円は、いつの間にあそこまで月島を慕うようになったのか。初対面の時の険悪さが嘘のようだった。
「さて……」
着替えを終えた天崎は、円のいなくなった部屋を見回した。
おののき荘で一人きりになるのは、いつ以来だろう。普段の円は押し入れを寝床にしているため広くなった感じはしないのだが、どことなく物寂しくなったような気がした。
「って、ゆっくり感傷に浸ってる場合じゃないな。買い物に行かないと」
さくらが月島の分の夕食を作るというのであれば、自分も甘えてはいられない。少なくとも数日はさくらに頼らないよう準備をしておかないと。
頭の中で数日分の献立を考えながら、天崎はおののき荘を出発した。
暗くなる前には帰りたいと思い、早足でスーパーに向かう。買い物かごを持ち、いつも通りの順路で肉や野菜などを品定めしていたのだが……ふと、得体の知れない違和感に気づいた。
「…………?」
顔を上げ、スーパーの中を見渡してみる。
いつもより客が少ないのだ。普段とそう時間帯がズレているわけでもないのに、主婦らしき姿は疎らにしか見当たらない。しかも店員も含め、そのほとんどがマスクを着用しているという有様だった。
「……マジでインフルエンザが流行ってんのかな?」
風邪を引いていないどころか、予防すらしていない自分の方が世界から孤立してしまった錯覚に陥り、天崎は未だかつて抱いたことのない疎外感を感じたのだった。




