第7章 月島は〇〇派
「じゃあ、あの耳と尻尾は本物なんだ!」
前を歩くむらさきをじっくりと観察した月島が、驚きの声を上げた。
結局、部屋の前で詳しい説明をすることはできなかった。待ちきれなくなった円たちがボール遊びを始めてしまったことと、実際にむらさきを見てもらった方が早いと判断したため、月島には「もし時間があったら、今から円たちの面倒を一緒に見てくれないか?」とだけお願いしたのだ。
ひとまず了承をもらった天崎は、大家と一緒に子供たちを見守りながら月島を待つ。そして公園に向かう途中で、事の次第を語った。
ただ詳細は濁さざるを得なかった。殺人事件の話題に触れ、月島に要らぬ心配を掛けないようにするためだ。むらさきを預かることになった理由は、円やミルミルたちと遊びたがっていたからと、適当にはぐらかしておいた。
もちろん突っ込まれたらすぐにバレる嘘なのは天崎も承知している。だが月島は、初めて見る獣人という種族に感激しており、天崎の説明は話半分にしか聞いていないようだった。
「世の中には、私たちの知らない種族がたくさんいるんだね」
「こんなこと裕子が耳にしたら、まーた嬉しそうな顔するんだろうけどな。ってか、今も聞こえてるんだっけ?」
「うん。夢心地でぼんやりとだけど、ちゃんと見聞きできてるみたいだよ」
しっかり守護霊やってるんだなと、天崎は月島の背後に目を向けた。
そんな話をしているうちにも、一行は近所の公園に到着した。
敷地に入るやいなや、ミルミルが「それー!」と持っていたサッカーボールを放り投げる。すると隣にいたむらさきが、脊髄反射でボールを追いかけていったのだが……半分くらいの距離を走ったところでピタッと止まり、恨めしげな目つきでこちらを振り返った。
なるほどと理解した天崎は、円とミルミルに任務を言い渡す。
「どうやらむらさきは、俺の存在に気を取られて遊びに集中できないらしい。監視のことを忘れるくらい夢中にさせてやれ」
「あいあいさ!」
「でち!」
雑な敬礼で了解した円とミルミルは、颯爽とむらさきの方へ飛んでいった。
「俺たちはあっちのベンチで見てよう」
「うん」
公園の端へ移動した天崎と月島は、広く見渡せるベンチに腰を下ろした。
犬の本能とでも言うべきなのか、むらさきは円やミルミルが蹴ったサッカーボールを無我夢中で追いかけ回していた。しかも尻尾を大きく左右に振りながら。二人に託した任務など、まったく無意味だったと言われそうな熱中っぷりだった。
初っ端から全力で戯れる子供たちを眺めたまま、天崎は月島にお礼を言う。
「悪いな、月島。急に面倒事を頼んじまって」
子供三人の面倒を見るだけでも骨が折れるというのに、個性的な外見をした彼女たちを相手するのは、余計に神経が削られることだろう。
真っ白な髪に、背中から翼らしき物体が生えているミルミル。獣の耳と尻尾を隠そうともしないむらさき。日本人として一番まともな円さえも、外で遊ぶには適さない着物姿。しかも全員女の子。女性である月島が側に居るだけで、天崎としては非常に心強かった。
「ううん、全然大丈夫だよ。私も暇だったし」
気を遣った嘘であることは明白だった。引っ越しを終えた次の日が暇なわけない。無理にお願いした自分が言うのもなんだが、こりゃ月島のためにも昼辺りで切り上げるかなと、天崎は思った。
「そういえば昨日、高槻と一緒に野良犬とじゃれてたけど、月島も犬が好きなのか?」
「うーん、嫌いじゃないんだけど……」
少し言い淀みながら、月島は遠くで遊んでいるむらさきに視線を向ける。その仕草だけで、彼女が否定的な意見を言おうとしていることが分かった。
「犬か猫、どっちが好きって訊かれたら……猫の方が好き、かな?」
「へぇ、意外だな」
どちらかといえば月島は犬みたいだと思ってたのに。
そんな天崎の偏見を知ってか知らずか、月島は恥ずかしそうに告白した。
「ほ、ほら、犬って大きな声で吠えるじゃん。それで子供の頃に吠えられたのがトラウマになってて……大人しい犬は好きだけど……」
「なるほど。納得した」
どう見ても、月島は大声を出されて平気なタイプではない。犬か猫の二択なら、猫を選ぶのは必然だった。
「まあ無類の犬好きでも、いきなり吠えられたらビックリする人の方が多いと思うぞ。あんまり気にすることはないんじゃないか?」
「うん。それはそうなんだけど……」
フォローのつもりだったが、月島の声は徐々に萎んでいった。
なんで落ち込む必要があるんだ? そう疑問に思い、俯いた月島の顔を覗き込む。彼女は極度に緊張した面持ちで、何故か口をパクパクさせていた。
「そ、それに……猫は天崎さんに似ているから……」
消え入りそうな声で言うと、月島はすぐに顔を背けてしまった。
真っ赤に火照った耳を見るに、どうやら相当な覚悟が必要だった発言らしい。その理由がいまいち分からなかったが、昨日もリベリアと同じようなやり取りをしたことを思い出した。
「あ……」
そこで、ようやく気づく。『猫の方が好き』と『天崎は猫に似ている』。つまり『天崎のことが好き』と勇気を振り絞って言ったことに他ならない。
リベリアには犬っぽいと言われたばかりだし、まったく違う評価をされて少し混乱するなぁと己の内心を誤魔化しながら、天崎もまた頬を赤らめてそっぽを向いたのだった。
そのまま特に会話を交わすこともなく、少しずつ時間が流れていく。
未だ体力の尽きない円たちはずっと走り回っているのだが、いつの間にかボール蹴りの参加者が増えているようだった。きっと近所に住む友達なのだろう。
この地区の子供たちは男女の垣根を越えて仲が良いんだなぁ。などと思いながら眺めていると、不意にむらさきと目が合った。しかもサッカーに夢中になっている集団から外れて、こちらへ小走りにやって来る。
任務のことをすっかり忘れている円に呆れながらも、天崎はむらさきを待った。
「おう、どうした?」
「んん~……」
監視の一環か? と思うも、どうも様子がおかしい。
先ほどまでの勝気な態度から一転、しおらしく肩を揺らすむらさきは、何故か恥ずかしそうに両手の指をもじもじと絡めていた。
用事があるのは間違いないだろう。しかし口を開こうとしないので、何がしたいのかさっぱり分からない。いや、言いたいことはあるものの、羞恥心が邪魔をして躊躇っているという感じだった。
あっ、もしかしてトイレか? と、天崎は思い至る。
むらさきも花も恥じらう乙女。やっぱり月島を連れてきて正解だったなと、天崎は彼女に視線で合図を送ったのだが……残念ながら、予想は外れていたようだ。
ついに話す決心のついたむらさきが、大きく息を吸って訊ねてくる。
「あ、あなたたちって、恋人同士なのかしら?」
「はぁ!?」
「ふぇ!?」
思わぬ単語を耳にした天崎と月島は、石のように固まってしまった。
恋人? なんで? どこをどう見てそうなった?
様々な疑問が浮かぶも、天崎は意外と冷静に頭を回すことができた。
自分と月島は恋人同士ではない。が、月島の気持ちを知っている天崎としては、即座に否定するのも憚られる。こちらの態度によっては、彼女を傷つけてしまうだろう。
だから天崎は、回答を保留するかように質問を返した。
「なんでそう思ったんだ?」
「ん。二人、なんか仲が良さそうだったから……」
男女が仲睦まじくしてたら恋人同士。なるほど。他人の恋色沙汰に興味津々な、ませた小学生といった感じか。
あるある。自分もむらさきと同じくらいの年の頃、誰が誰を好きかとか、よく話題になっていたもんなぁ。特に女子は。
などと意味もなく昔を懐古した天崎は、むらさきの勘違いを大人の余裕で訂正しようとしたのだが……どうやら事情は少しだけ違っていたようだ。
耳と尻尾をしょんぼりと垂らした彼女は、小さな声で語り出した。
「あたいが住んでる獣人の里は、子供がほとんどいないの。群青先生が教えてる学校のクラスでも、生徒は少し年上の無口なお兄さんと、ようやく喋れるようになった男の子くらい。あとはお父さんやお母さんよりも年上の人たちばかりだから、若い人の恋バナとか、よく知らなくて……」
「限界集落ってやつなのかな?」
話を聞いた月島が耳打ちしてきた。
確かに現代日本において、獣人という種族が里を作っても、そうそう大きな集落になることはない。『調査員』が管理しているとはいえ、数が増えれば一般人にも周知になってしまうだろうから。
「むらさきの世代よりも一つ上くらいの若い人とかは、まったくいないのか?」
「ううん、何人かいる。でもみんな学校を卒業すると、すぐに里の外に出て行っちゃうから……。たまに帰ってくる知り合いのお姉さんが、少女漫画とか買ってきてくれるの。それが楽しみで……」
「なるほどな。それで俺たちを恋人同士だと思ったってわけか」
恋愛を漫画でしか知らない、夢見がちな少女。そうレッテルを貼るのは、いささか失礼だろう。むらさきの場合、そうならざるを得ない環境だったのだから。
うんうん。分かるよ、その気持ち。と、腕を組んだ天崎は深く頷いた。
だが内心では非常に焦っていた。なぜなら天崎には、まともな恋愛経験など一切ないのだから! 話せることなど一つもない!!
それは月島も同じだったようで、彼女はそっぽを向きながら口笛を吹いていた。
このままでは二人とも要らぬ傷を負ってしまうのは必至。早く話を変えなければ。
そう思うのと同時に、天崎はふと疑問を抱いた。
「それ、若い獣人たちは人間の社会に出稼ぎに来てるってことなんだよな? 耳や尻尾を隠せるんなら、まずバレることはないと思うけど……群青さん、携帯やスマホを持ってる獣人はいないって断言してたぞ。現代社会で携帯を持ってないのって、けっこう不便じゃないか?」
「うーん……」
突然むらさきが俯いた。
話しにくいことなのか、彼女は躊躇いがちに告白する。
「その……先生はとてもお堅い人なの。人間には人間の、獣人には獣人の暮らしがあるっていつも言ってて、人間の造った物が獣人社会に入ってくるのを快く思わない人。だから里を出て人間に混じって生きて行く者は、獣人の仲間だと認めないって考えを持ってるのよ」
「うわー……なんていうか、技術の進歩についていけない頑固おやじみたいだな」
天崎が率直な感想を漏らすと、むらさきは尻尾を逆立てながら頬を膨らませた。どうやら逆鱗に触れてしまったらしい。
「伝統を重んじる人って言ってくれないかしら! 若い人が出て行くのにあまり良い顔をしないのも、里のことを一番に心配してるからよ!」
今にも噛みついてきそうな勢いだったので、天崎は手を合わせて平謝りした。
群青を尊敬しているからこそ、むらさきも意地になって反論してくるのだろう。ただ世間から隔絶された集落に待っている未来は、想像に難しいものではない。若い獣人たちもそれを理解しているため、人間の力を借りることに迷いはないのだ。
里に残り続け、自分たちの力だけで生きていくことが獣人の為だと信じている群青。それに対して若者たちは、人間と共に歩むことこそ現代の獣人にとって重要だと考える。どちらが正しいのかは、今の天崎には判断できなかった。
ただそうなると、どうしても気になってしまう。
「じゃあ、むらさきは将来どうするつもりなんだ? 学校を卒業した後、里に残るのか? それとも人間社会へ出て行くのか?」
「あ、あたいは……」
目を泳がせ、返事に窮するむらさき。
困り果てた彼女の様子を目の当たりにした天崎は、ちょっと意地悪だったかなと反省する。むらさきにとっては、まだまだ先の話だ。
「悪い、今の質問は忘れてくれ。けど里に子供が少ないって言うんなら、こんな大人数で遊ぶのは初めてだろ? 俺のことなんて気にせず、しっかり遊んで来いよ」
「……うん!」
監視という当初の目的を忘れ、むらさきは今日一番の良い顔で頷いた。
しかし終わりの合図は唐突にやってくる。むらさきの腹から、「ぐぅ~」という間の抜けた音が鳴ったのだ。
赤面したむらさきは自分のお腹を押さえ、それを見た天崎と月島は笑い出すのを堪えられなかった。
「しゃーない。ちょっと早いけど飯にするか。ばっちゃんからお小遣いももらってるから、ファミレスにでも行こう」
「ファミレスって何かしら?」
「飯が食える店のことだよ。お子様ランチもあるから心配するな」
「むあっ!? こんなレディーを捕まえてお子様だなんて、失礼が過ぎるわ!」
憤慨したむらさきだったが、左右に激しく揺れる尻尾は喜びを隠しきれてはいなかった。
ファミレスで食事を終えた一行は、一旦おののき荘に戻っていた。元気に駆け回っていた疲れが出たのか、腹を満たしたミルミルがうとうとし始めたからだ。
買い物へ行かなければならない月島とは別れ、子供たち三人は天崎の部屋でお昼寝タイムに突入。眠気を訴えていたのはミルミルだけだったが、横になるやいなや、円とむらさきもすんなり夢の世界へと入っていった。
それから二時間、子供たちの寝顔を眺めながら、天崎は学校の課題を適当に終わらせる。そして起きた後は自由帳でお絵かきに興じ、気づいた時には陽が西へ沈みかけていた。
名残り惜しくはあるが、別れの時間だ。
おののき荘の庭先にて、迎えに来た群青とむらさきが頭を下げた。
「本日はむらさきがお世話になりました。何かご迷惑をお掛けしなかったでしょうか?」
「いや。むしろ円やミルミルと一緒に遊んでくれて、こっちが助かったよ」
なんだか保育園を訪れた保護者同士の会話みたいだなぁと、天崎は思った。
「ふんっ! 一緒に遊んでたんじゃなくて、遊んであげてたんだからね!」
腕を組んだむらさきが、何故か高圧的な態度で鼻を鳴らした。
いや、俺はそのつもりで言ったんだけど? そう指摘しようとしたのだが、天崎は寸でのところで言葉を飲み込んだ。照れ臭そうに唇を尖らせたむらさきが、「……ま、楽しかったのは間違いないけど」と、素直な感想を漏らしたからだ。
天崎の隣にいる円とミルミルは、彼女の胸中を耳にするやいなや、パッと顔を明らめる。そして新しい友達ができたことを心から喜ぶように、彼女たちは握手を交わした。
「また、あそぼう!」
「待ってるでち!」
「うん。また……」
見栄を張って笑みを見せるむらさきだったが、尻尾は正直だった。
遊んでいた時の激しい動きとは打って変わって、しょんぼりと元気を失くしている。別れが寂しいのと、そうそう頻繁に会えるわけではないと彼女自身も理解しているからだろう。
天崎としても、せっかくできた円の友達を別れさせるのは辛いものがあるが、こればかりはどうすることもできなかった。
「では、何かありましたら、こちらから連絡させていただきます」
「あぁ」
再びお辞儀をした群青が、むらさきの手を引いて去っていった。
彼らの姿が見えなくなるまで手を振ってから、三人は各々の住まいに戻る。その途中、天崎は二階から見守っていたさくらに呼び止められた。
「お疲れ様です、東四郎さん。疑いは晴れましたか?」
「晴れたも何も、むらさきの奴、普通に遊んでただけですからね」
「ふむ。では結局、月島さんとデートしただけってわけですか」
「……絶対に言われると思いましたよ」
本日の締めの言葉がそれかよと、天崎は肩を落とした。
ただ月島とは実際にデートしたこともあるのだ。この程度で取り乱す天崎ではない。
「それはそうと、あの萩原群青という方は今後も警戒した方がよさそうですね。どうも彼の腹の内が読めません」
群青たちが去っていった方角を眺めながら、さくらが呟いた。
彼女の不穏な言い方に眉を寄せた天崎は、訝しげに問い返す。
「腹の内って何ですか?」
「私の想像なので、あまり断言したくはないのですが……少なくとも昨夜言ってた『貴方を信用しましょう』という彼の言葉は嘘だと思います」
「……どうしてそう思うんですか?」
「例えば……そうですね。東四郎さんは私が人魚だと言い張ったら、それを素直に信じることができますか?」
「いや、信じるも何も……」
事実として知っている。そう答えようとして、さくらがそんな回答を求めているわけではないことに気づいた。
今のさくらの見た目は完全に人間だ。海水に浸かれば人魚の尾に変化するとはいえ、そうしなければ決して区別はつかない。
だから仮に初対面だった場合、彼女が自分は人魚だと言い張ったとしても、到底信じることはできないだろう。
「そうでしょう? しかし彼らが獣人であることを明かすと、東四郎さんはあっさり信じてしまった。普通の人間ならこうはいきません」
「群青さんはそうでも、むらさきには耳と尻尾がありましたから……」
「いえいえ、そもそも一般人には『獣人が実際に存在する』ことすら認知されていないんですよ。東四郎さんが人外に慣れすぎているのです」
さくらに指摘されたことで、天崎はようやく自分を客観視することができた。
獣人が実在するという前知識があったからこそ、群青の話を事実としてすんなり受け入れられたのだ。まーた厄介事に巻き込まれてしまった、程度に思いながら。さくらが言うように、何も知らない一般人だったらあまりにも不自然な反応だろう。
「つまり群青さんは、東四郎さんを殺人犯とまでは思ってないにしろ、何かしらの事実を隠している……端的に言えば、すごく怪しいと睨んでいるのだと思います」
「だからさくらさんは、むらさきが監視するって言った時に快く承諾したんですね? むらさきじゃなくて、群青さんの疑いを少しでも晴らすために」
「そうです。もしかしたら今日一日、群青さんは陰ながら東四郎さんたちを監視していたかもしれませんね」
想像すらしていなかった目論見を耳にし、天崎は舌を巻いた。同時に、やっぱりさくらに立ち会ってもらってよかったと安堵する。天崎一人ではむらさきの提案を突っぱねていただろうし、痛くもない懐を探られていたかもしれないから。
ただそうなると、今日一日だけで自分への疑いが完全に晴れたとは思えない。もしかしたらもう一波乱あるんじゃないかと心配になった天崎もまた、群青とむらさきが去って行った方向に視線を向けたのだった。




