第6章 早朝、監視開始?
休日でも普段の習慣が消えることはない。起床時間を本能で察知した天崎は、テレビのチャンネルを切り替えるように目を覚ました。
しかし身体が妙に重く、起き上がろうとしても簡単には動けない。何事かと思って横を見ると、その原因が判明した。両脇でスヤスヤと眠っている円とむらさきが、天崎の服にしがみついているのだ。
こんな場面、誰かに見られたら絶対に勘違いされるだろうなと思いつつも、天崎は呑気に頭を掻く。そして枕元にあるスマホで時間を確認しようとしたところで、メッセージを受信していることに気づいた。
相手はリベリアだ。
『天崎さん! 野良犬がいません!』というメッセージが午前三時。その五分後に『少し探してきます!』と続き、それ以上の報告はなかった。
天崎の部屋に来なかった理由は、おそらく寝ているところを起こすのは迷惑だと判断したからだろう。人間社会の常識に慣れつつあることが、今回は裏目に出たようだ。
「しゃーない。リベリアにはいの一番に報せてやらないとな」
独り言ち、そのままメッセージを送った。
『おはよう。今起きた。リベリアは部屋にいるのか?』
すると一分も待たずに返信が来る。
『はい。もうすぐ寝ようかと思っていたところです』
スタンプや顔文字のない、簡素な文章だ。バイトから帰ってきて、今まで野良犬を探していた疲れが滲み出ているようだった。
『野良犬に関してちょっと事情ができたから、今からそっちに行ってもいいか?』
『事情ですか? 別に構いませんが……』
『じゃあ行く』
許可を得たので、天崎はむらさきの身体を揺すった。
「おい、むらさき。起きろ。リベリアの所へ事情を説明しに行くぞ」
「んん~。むにゃむにゃ……」
強めに揺すっても瞼は半分しか開かず、完全に寝ぼけている様子だった。
お前を監視すると意気込んでいたくせに、この体たらく。獣人とか関係なく本当にただの子供なんだなと、天崎は呆れてしまった。
このままでは埒が明かないと判断した天崎は、未だ起ききっていないむらさきの腕を無理やり引っ張って、リベリアの部屋へ向かった。
インターフォンを押してから数秒。出てきたリベリアの顔は、やはり疲れが残っているようだった。
「おはようございます、天崎さん。……その女の子は?」
「この子が件の野良犬だ」
「???」
眠たげな眼を見開いて、むらさきを凝視するリベリア。耳や尻尾も視界に入っているはずだが、昨日の野良犬と目の前の少女が同一人物であることを認識できていないようだった。
もちろん説明不足なのは十分承知。理解の追い付いていないリベリアのアホ面を存分に堪能したところで、天崎は昨夜の出来事を簡単に話した。
「……つまり昨日の野良犬は獣人の女の子で、天崎さんが殺人犯と疑われているから、今日一日だけ監視の意味も込めて預かっている、ってことですか?」
「ま、そんなところだな」
「そうですか……」
沈んだ声は、落ち込んでいることを隠そうともしていなかった。犬を飼いたがっていた彼女からすれば、その気持ちも分からなくもないが。
「いずれは里親に引き渡す予定だったんだ。すぐに見つかったと思えばいいだろ」
「それはそうですけど……」
口ではそう言いつつも、リベリアは不服そうに頬を膨らませた。
まあ昨日あれだけ大家に頭を下げたり、いなくなった野良犬を深夜中ずっと探し回っていたのだ。労力が無駄になったリベリアの心中くらいは察してやるべきだろう。
「ちなみに天崎さんの顔の引っ掻き傷は、その子にやられたんですか?」
首を傾げたリベリアに指摘され、天崎は自分の頬に触れた。
あれからまだ七時間程度。いかに『完全なる雑種』の治癒力であろうと、完全に傷が消えるには、もう少し時間が必要だろう。
「寝込みを襲われたんだよ。しかも肩にまで噛みつきやがってさ……」
そう言いながら、天崎は噛まれた方の襟元をずらして傷を晒した。
頬と同様、こちらも出血はすでに止まっており、鋭い犬歯に抉られた穴が二つ開いている。どのみち服で隠れる場所だし、すぐに治るだろうと天崎は楽観視しているのだが……それを見たリベリアが、何故か顔を赤く染めてテンパり始めた。
「何やってるんですか天崎さん! は、破廉恥な!」
「破廉恥ってなんだよ」
意味が分からず、天崎は目を細めた。
襟を元に戻すことで、あちこち彷徨っていたリベリアの視線がようやく帰ってきた。そして取り乱したことを恥じるかのように、彼女は軽く咳払いをする。
「とにかく、そういう訳なら里親の心配はしなくていいってことですね?」
「そうだな」
「あー……よかったよかった。肩の荷が下りましたよ。これでぐっすり眠れそうです。昨日の日中は廃墟探索、夜はバイトだったもんで、少し寝不足だったんです」
「……なんか悪いな」
「いえいえ、天崎さんのせいではありませんので」
言葉通りに受け取ってもいいのだろうが、どちらかといえば彼女は自分に強く言い聞かせ、無理やり納得しようとしているようにも見えた。
リベリアと別れて自室へ戻る。その時点で、ようやくむらさきは眼が冴えたようだ。
今日は日曜日なので、さくらが朝食を作りに来ない。そのため天崎が昨晩の残り物や総菜を用意していたのだが……支度している最中、睨みつけるような視線がずっと背中に突き刺さっていたのは、非常に居心地が悪かった。
「……この味噌汁、玉ねぎは入ってないわよね?」
「入ってないぞ」
ちゃぶ台に置かれた味噌汁の匂いを嗅ぎながら、むらさきが疑わしげな目つきで訊ねた。
やはり犬の半面を持つむらさきにとって、ネギ類は普通に毒なのだろう。リベリアのために普段から玉ねぎを抜いといて良かったと、天崎は安堵した。
お椀を手にしたむらさきが、恐る恐る味噌汁を啜る。特に表情を変えることもなく、味噌汁の味をしっかりと堪能した後、彼女はすました顔で言い放った。
「まあまあの味ね」
己は姑か。と思いつつも、むらさきの尻尾がゆっさゆっさと左右に振られているので良しとしておいた。ただ、それを見ながら瞳を輝かせる円が今にも味噌汁を溢しそうだったので、天崎は違う意味でドキドキしていたのだが。
そんなこんなで何事もなく朝食が終わり、天崎はちゃぶ台を片付ける。そして、むらさきに面と向かって問いただした。
「で、監視って具体的にはどうするつもりなんだ? 俺、今日は何の予定もないんだけど」
「引きこもりってわけ?」
「うるせえ」
正確には買い物やら何やらあるので外には出るのだが。
うーん……と、天井を見上げて唸るむらさき。今になって悩みだすということは、やっぱり考えなしだったんだなと、天崎は脱力した。
すると突然、円がむらさきの肩を叩いた。
「あそぼう」
珍しくキラキラと輝く円の双眸。これは新しい友達……もとい新しいおもちゃを見つけた時の顔だなと、天崎は思った。
「え、でも……」
困ったように眉を下げながら、むらさきは天崎を一瞥した。
尻尾の動きを見るに、遊ぶこと自体には否定的ではない。けど天崎を監視している手前、側を離れるわけにはいかないという葛藤が生まれているのだろう。
そこで天崎の頭の上に電球が灯った。
なるほど、良い案だ。円たちと遊ばせておけば、自分は楽ではないか!
「監視するってんなら、俺も一緒にいれば問題ないだろ?」
「む、確かにその通りね」
「んじゃ決まりだな。ミルミルも呼ぶだろ?」
「よぶ!」
円の元気な掛け声により、今日の方針が決定した。
外出の準備を終えた三人は、おののき荘の外階段を下りる。そして大家の部屋を訪れたのだが……子供用のサッカーボールを抱えて出てきたミルミルは、どこか悲しげだった。
「どうしたんだ?」
「このボール、おばあちゃんが買ってくれたんでちけど、わんこいなくなっちゃって……」
大家は朝が早いため、野良犬がいなくなったことは、すでに確認済みだったわけだ。
どのみちむらさきの説明もしなければならない。ミルミルと後から出てきた大家に向けて、天崎はリベリアに説明したことを再度繰り返した。
「じゃあ、その女の子が昨日のわんこでちか!? 確かに耳と尻尾が同じでち!」
「ははぁ。どうりで犬を預かってる未来が視えなかったわけだねぇ」
大家が感心するように言ったことで、天崎は思い出した。
昨日リベリアが電話をした時、大家は未来が視えていないかのような反応だった。けど今にしてみれば当然のこと。野良犬は獣人であり、そもそも犬を飼う未来は存在していなかったのだから。
「わんこだった時よりも大きくてモフモフでち!」
「もふもふ~」
「ちょっ! やめなさいってば、あんたたち! くすぐったいんだから!」
サッカーボールを放り出したミルミルが、左右に揺れるむらさきの尻尾を抱きしめた。負けじと円もマネをし、迷惑そうなむらさきは声を上げて逃げ惑う。
一見、子供たちが仲睦まじく遊んでいる光景だが、むらさきの鋭い爪や牙の危険性を身をもって知っている天崎は、彼女たちのスキンシップをハラハラしながら見守っていたのだった。
「悪いねぇ、東ちゃん。ミルミルの面倒も見てもらっちゃって」
「まあ、それはいいんだけど……」
言葉を濁した天崎は、地面に転がっているボールを一瞥した。
ボールで遊ぶのなら、アパートの敷地では狭すぎる。なので公園に行くべきなのだが、あのやんちゃどもを一人で面倒見るのは骨が折れるなと、天崎は頭を悩ませた。
たまには大家を一人にさせてあげたい。リベリアと空美は寝ているだろうし、高槻は自分と一緒に出掛けるのを嫌がるだろう。さくらは脚がまだ完調ではないため、公園まで歩かせるのは気が引ける。安田は最初から選択肢にない。
うーん……と考え込む天崎。
そこで、ふと思い出した。いるではないか。昨日引っ越してきたばかりの適任が。
「ちょっと待ってろ」
そう言うやいなや、天崎は二階へ駆け上がっていく。
起きているかどうかは微妙な時間帯だが、準備するくらいの時間は待つつもりだ。そうでなくとも、手伝ってくれるかどうか意思を聞くだけでもいいし。
「月島、起きてるか?」
扉の前に立った天崎は、呼び鈴を押すのと同時に声を掛けた。
すると中から「ふぁ~い?」という間の抜けた返事が返ってくる。あ、こりゃ明らかに寝起きだなと判断したので、一度スマホで連絡をしようとポケットに手を入れたのだが……そんな彼を尻目に、ガチャリと扉が開いた。
「どちら様ですかぁ~?」
無防備に出てきた月島を見て、天崎は思わず固まってしまった。
瞼の下がった眠たそうな面持ちに、寝ぐせばかりの髪。さらには今起床したことを強く主張するように、月島はモコモコの可愛いパジャマ姿だった。
天崎は驚きのあまり、月島は眠たいあまり、お互いの間で数秒の沈黙が生まれる。ただ、すでに意識のある天崎の方が我に返るのは早かった。
「お、おい、月島。ここ、一応外だってば」
「…………ふぇ?」
未だに開ききっていない月島の瞳が、天崎の顔を見上げた。
そこから周囲を大きく見回し、彼女の視線は最終的に自分の身なりへと落ち着く。そこで自分の犯した失態に、ようやく気づいたのだろう。状況を認識していく月島の顔色が、みるみるうちに赤くなっていった。
そして彼女は自分のへそを見下ろすほど深く俯いた後、ゆっくりと扉を閉めた。
「まあ、実家の気分で外に出ちゃうことなんて、よくあるからな。今後は気をつけろよ」
「う、うん」
フォローしたつもりだったが、それ以上の気の利いた言葉は出てこなかった。
「そ、それで天崎さん。今日はどうしたのかな?」
「あぁ、えっと、実はな……」
扉越しだと話しにくいなぁと思いつつも、同級生の寝起き姿を目撃したインパクトで吹っ飛んでしまった内容を必死で思い出しながら、本日何回目になるか分からない説明を始める天崎だった。




