第5章 侵入者たちの事情
「東四郎さん。どうかされましたか?」
物音を聞きつけたらしいさくらが、天崎の部屋の戸を叩いた。
時計を確認したところ、もう十分もしないうちに日付が変わる。この時間、リベリアと空美はほぼ間違いなく不在であるため、誰かが気づいて心配してくれることはありがたいのだが……この状況を説明しなければならないのは、多少なりとも億劫だった。
ともあれ、無視をするわけにもいかない。
疲労感たっぷりの身体に鞭を打った天崎は、おぼつかない足取りで玄関へ向かった。
「さくらさん。お騒がせしてすみません」
「……どうかされましたか?」
扉の隙間から対面したさくらは、同じ言葉を繰り返しながら眉を寄せた。
おそらく顔の引っ掻き傷を見て不審に思ったのだろう。意外と痛みはないし、血が出るほど深いものではなかったし、侵入者の対応に追われていたため、傷の手当は二の次三の次になってしまっていた。
「あー……なんでもありま……」
せん。と答えようとして、天崎は心の中で自分の考えを否定した。
顔に傷を作っといて、なんでもないはずがない。それに以前さくらと約束したはずだ。何かあったら大人を頼る。自分一人で抱え込むようなことはしない、と。
それを思い出した天崎は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません、さくらさん。ちょっとだけ立ち会ってくれませんか?」
「立ち会う、ですか?」
それ以上は説明せず……というか説明できず、天崎はさくらを招き入れた。
入れば分かる。そう背中で語った天崎の後ろを、さくらは怪訝な面持ちでついていく。そして室内を見回したところで、彼女はさらに呆気に取られた。
「東四郎さん。この方たちは?」
「それを今から追及するつもりです」
ため息混じりに言って、天崎は畳の上に腰を下ろした。
彼の正面には、まるで囲碁や将棋でもするように二人の珍客が姿勢正しく正座していた。
一人は眼鏡を掛けた三十歳前後の男だ。ほとんど坊主に近いさっぱりとした髪型と調和するように、顔の方も特徴が薄い。しいて言えば不法侵入をしているのにもかかわらず、人当たりの良い柔和な笑みを絶やしていないことくらいだ。
また服装の方も、空き巣や強盗をするにしては異質な恰好だった。
袴姿なのだ。紋などは付いていない簡素で地味なものではあるが、今から犯罪を犯そうとしている人が選ぶには目立ちすぎる服装だろう。笑顔から滲み出ている人柄もあり、明治か大正時代辺りに子供たちにそろばんでも教えてそうだなと、天崎は思った。
一方、男の隣に座っている少女はひどく不機嫌そうだった。腕を組んで頬を膨らませながらそっぽを向いている。
年の頃は円と同じか少し下くらいだろう。こちらは年相応のカジュアルな服装に身を包んでおり、どこの小学校にいてもおかしくはない女児……と言いたいところだが、頭とお尻には明らかに人間ではない特徴があった。
ゆるふわウェーブのかかったセミロングの頭頂部には犬のような耳があり、また尾てい骨辺りからはモフモフな尻尾が生えていた。
しかも、それらはどこかで見たことのある形だったが……ひとまず触れないでおく。
天崎と円が並ぶ横でさくらが腰を下ろすと、男の方が仰々しく頭を下げた。
「夜分遅くに失礼いたしました。わたくし獣人の里にて教師をしております、萩原群青と申します。そしてこちらが生徒の姫野むらさきです。ほら、むらさき君。先の非礼も詫びて、挨拶しなさい」
「ふーんだ」
未だに機嫌を直さない姫野むらさきは、さらに天崎から顔を背けた。
人を引っ掻いたり噛みついたりしといて、その態度かよ。と、文句の一つでも垂れてやりたかったが、相手は円以下の子供。いちいち腹を立てていたらキリがない。
それよりも、微妙に聞き覚えのあるワードが天崎の中で引っかかった。
「獣人の……里?」
つい最近、どこかで耳にした単語だ。しかし思い出せない。過去に獣人の里を訪れたことなどないはずなのだが……。
「じゃあ、あんたたち二人は獣人なのか?」
思い出せないことは一旦横へ置き、天崎は訊ねた。
すると群青は生徒を相手でもするように、優しげな声で答える。
「はい、その通りです。わたくしが狸の、こちらのむらさきが犬の獣人です」
「そっちの女の子は分かりやすいけど、あんたは普通の人間に見えるんだが?」
「幼い獣人は人に変化するのがまだ不慣れで、一部獣の特徴が残ってしまいます。歳を重ねるごとに、確実な人の姿へ変わることができるようになるのです」
なるほど。吸血鬼の翼や人魚の尾みたいなものかと、天崎は納得した。
「っていうか、このタイミングで犬の獣人って、もしかしなくても……」
「えぇ。市営団地の廃墟から貴方たちについて行った犬は、こちらのむらさきですよ」
どうりで耳や尻尾に見覚えがあるわけだ。
まさか拾ってきた野良犬が獣人だったなんて……と、天崎は頭を抱えた。いろいろ考えることはあるが、真っ先に思ったのは「リベリアになんて説明しよう」だった。いや、説明する内容は今から聴くわけだが。
「で、あんたたち獣人が人間に化けて何の用だ? 正体を隠したまま廃墟からついてきたり、寝込みを襲ったり……」
「申し訳ございません。勘違いされているようなので一つ訂正させていただきますが、我々獣人は別に人に化けているわけではありません。獣の姿も人の姿も、獣人にとってはどちらも真実の姿なのです。なので古いお伽噺のように獣と人以外のモノに成ることはできませんし、むらさきも貴方たちを欺いたという認識はありません。そこはどうかご理解ください」
「…………」
丁寧な物腰の中にも、どこか棘が含まれているような気がした。
おそらく『人に化ける』という言葉が、群青の癇に障ったのだろう。しかし天崎の方には明らかに悪気がなく、また自分たちが不法侵入をしている負い目もあり、彼は下手に出たのだ。
今後そういう表現を使わないように気をつけようと、天崎は肝に銘じた。
「それで、我々の目的でしたね」
居住まいを正した群青が、少しだけ表情を硬くした。
「単刀直入に申し上げます。我々は、里の門番を殺した犯人を捜しているのです」
「里の門番を殺した犯人?」
理解が至らず少しだけ訝しむ天崎だったが、すぐに思い出した。
獣人の里。殺された門番。年末年始、神上立人という殺人鬼が人間と人外を殺害した事件があった。その連続殺人事件の最初の被害者が、確か獣人の里の門番……狼男だったはずだ。
群青たちの目的に合点がいき、天崎とさくらは目配せする。
その無言のやり取りを、むらさきは見逃さなかったようだ。
「何か話してる! やっぱりこいつらが犯人なんだ!!」
「待ちなさい、むらさき君。情報を持っているからといって、犯人とは限らないよ」
威勢よく立ち上がったむらさきに、群青は落ち着き払った声で宥めた。
一応、素直に従って再び腰を下ろしたむらさきだったが、喉を鳴らして威嚇することはやめてくれない。天崎が一つでも失言すれば即座に飛び掛かってきそうなほど、彼女の尻尾は逆立っていた。
血の気の多い生徒に呆れながらも、群青は天崎に提案する。
「先ほどの詫びも込め、我々が今夜ここを訪れた理由を包み隠さず説明いたします。そして話を聞いた後で構いませんので、そちらが得ている情報を我々と共有しても良いかどうか、判断していただけると助かります」
要は、こっちが教えるからそっちも教えろっていうわけか。
寝込みを襲う非常識極まりない連中だが、話を聞く限り彼らも被害者なのだ。加えて、天崎たちも神上立人の情報を口外しないようにしているわけではない。
門前払いをするのも後味が悪い……もとい、要らぬ疑いを掛けられる可能性もあるので、できるだけ力になってやるかと、天崎は頷いた。
「……分かった」
「ありがとうございます」
再び丁寧に頭を下げる群青。
そして先ほどよりも堅い表情を貼り付け、彼は経緯を語り始めた。
「去年の年末、我々が住んでいる獣人の里の門番……というよりも、人間との橋渡し役ですかね……が何者かによって殺害されました。里の重鎮たちは話し合い、外部の『調査員』等に犯人捕縛を委ねる結論に落ち着きましたが、未だ捜査の進展はなし。痺れを切らした里の住人たちは、二つの派閥に別れてしまったのです」
「二つの派閥?」
「はい。一つは穏健派。里の外で独自に事件を捜査し、もし殺人犯を捕えた場合は警察か『調査員』に引き渡そうという勢力です。そしてもう一つは過激派。捜査すること自体は同じですが、殺人犯は里へ連れて行き拷問の刑に処する、という勢力です」
「…………」
安藤の情報により、獣人たちと『調査員』が揉めていることは知っていた。しかし、もうすでに自分たちで捜査を始めていたとは。また面倒事が増えて大変そうだなぁと、天崎はここにはいない悪魔の友人を憐れんだのだった。
「捜査を開始した我々は、まず被害者宅の匂いを収集しに行きました。こちらのむらさきは鼻が利きますからね。そして殺人犯らしき匂いを追っていたところ、つい先日あの市営団地を発見したのです。何か手掛かりがないか入念に調べていたのですが、そこへ殺人犯と同じ匂いがこびりついた貴方がたがやってきた、という次第です」
「まったく同じ匂いがするんだもの。こいつが犯人に違いないわ!」
「こらこら、むらさき君。落ち着きなさい。人を指で差してはいけません」
再び興奮したむらさきを、群青は先ほどより強い口調で叱責した。
ともあれ、ここまで聞けば天崎も後のことは容易に想像できる。
「それで過激派のあんたたちは、俺を犯人だと思って寝込みを襲ったってわけか」
「いえ、我々は穏健派です」
「えぇ……」
これで穏健派なら過激派はどうなるんだよと、天崎は絶句してしまった。
「過激派はこうやって丁寧に説明などしませんし、犯人だと判断したら問答無用で里へ連れて行こうとしますよ。それに考え方は違えど、殺人犯は決して許さないというのが里の総意ですので」
そう言ってこちらを見据える群青の瞳には、確固たる意志が宿っているようだった。
話を終えると、群青は無理やりむらさきに頭を下げさせる。そして自分も腰を低くし、再度謝罪の言葉を述べた。
「先ほどの無礼は、むらさきが先走ったためです。彼女には後で厳しく叱っておきますので」
先生に圧力を掛けられ、むらさきの耳と尻尾がしゅんと項垂れた。
「とまあ、我々がここに至った経緯はこんなところです。何か質問はございますか?」
「質問って言われてもなぁ」
天崎も多少は事情を知っている。話を聞いた限り、矛盾点などはなさそうだ。
だからこそ、いきなり質問しろと言われてもパッとは浮かばない。獣人たちから情報を仕入れたところで、天崎に利することは一つもないだろうから。
「そういえば、どうやって部屋に入ってきたんだ? 鍵が壊された様子もなかったし」
「それについては、こちらを使わせていただきました」
そう言って群青が取り出したのは、ピッキングツールだった。
確かおののき荘って、築五十年だった前身とほとんど同じ造りだもんなぁと、天崎は頭を抱えた。こうも簡単に侵入を許してしまうようであれば、もう少し防犯意識を高めた方がいいのかもしれない。
「悩みに悩んで出た質問が鍵の心配ですか」
何故かさくらに窘められ、天崎は肩を落とした。
すると天崎に代わって、さくらが群青へと訊ねる。
「ここまで詳しく説明していただいたということは、彼の嫌疑は晴れたと思ってもいいのでしょうか?」
「いいえ、まだです。こちらからの質問に対する回答で判断しようかと考えています」
「ふむ」
頷いたさくらは、群青に向けて手を差し出した。どうやら質問しろという意味らしい。
いつの間にか会話の主導権を握られちゃったなと思いながら、天崎もまた群青の質問に耳を傾けた。
「では。まずお聞きしたいのは、貴方がたはあの廃墟で何をされていたんですか?」
いきなり核心を突いてきた。
確かに群青たちからしてみれば、天崎たちがあの廃墟にいたことは不自然極まりない。仮に匂いのことがなかったとしても、殺人事件と何かしらの関りがあると疑うのは当然だ。
そうすると、天崎はどこまで話していいものかと悩む。
殺人犯の神上立人は死んで、その肉体には現在ヴラド三世が入っている。なので天崎が知っていることをすべて話すのであれば、ヴラド三世についても言及しなければならないのだが……その名を出すと、話がこじれるような気がした。
そもそも群青たちは、神上立人『だけ』の被害者である。その背後にいるヴラド三世とは関りがない。無駄な情報を与えてしまうのは、より混乱を招くだけだろう。
ならば……と考えをまとめた天崎は、神上立人は生きているという体で答えた。
「その前に言っとく。俺らも殺人犯に襲われた被害者だ」
告白すると、「うっそだー」と呟いたむらさきが鼻で笑った。彼女は最初から天崎が犯人だと決めつけているので、どんな反応をしても無視を決め込む。
「年明けに、こっちのさくらさんが腕を切られて片脚を折られた。その一週間後くらいに、俺も襲われた……というか、直接戦ったんだ。その時に強く接触したせいで、他の人よりも濃く匂いが残ってるんだと思う」
「貴方が?」
信じられないといった眼差しで、群青は天崎をまじまじと見つめた。
その理由は理解できる。狼男ですら敵わなかった殺人犯を、こんな普通の少年が撃退したと言うのだ。疑うのも無理はない。
なので、そこは誤魔化さずに説明した。
「殺人事件の二番目の被害者が近所に住む河童でさ、その人と親しい妖怪たちが途中で助けてくれたんだ。結局は逃げられたんだけど」
「そうですか……」
妖怪と聞いて訝しげな表情すら作らなかったのは、おそらく自分たちと同じだと理解したためだろう。殺人犯を捕まえられなかったことを残念に思っているのか、同じ境遇の妖怪たちに共感しているのか、群青は複雑な表情のまま頷いた。
「ということは、貴方がたは殺人犯の顔を見ているというわけですね?」
「あぁ。顔だけじゃなくて名前も知ってる。名前は神上立人。顔は……スマホ持ってたら画像を送るけど?」
「いえ。我々獣人は、人間社会で流通している機械類を所持しておりませんので」
「そうか。じゃあ、これが殺人犯だ」
そう言って、天崎は対面の二人にスマホを渡した。
画面に映っているのは、以前安藤が撮影した神上立人の顔写真だ。受け取った群青とむらさきは、食い入るように画面を凝視していた。
「で、ある筋からの情報で、あの廃墟に神上立人が出入りしてるって聞いたもんだから、仲間と一緒に調べに行っただけだよ。何も見つからなかったけどな」
「つまり貴方がたも、殺人犯の情報を探していたというわけですか」
「自衛の意味も込めて、一応な」
「なるほど」
スマホを天崎に返した群青は、間髪入れずに訊ねてくる。
「ちなみに、その筋の情報元とは?」
「悪いが、それは言えない」
死神から教えてもらったと言ったところで、信じてくれないだろう。
質問は終わりなのか、俯いた群青が深く考え込んでいる様子。まるで天崎が話したことを今一度思い起こし、おかしな所がないか吟味しているようだった。
対する天崎は、横やりを入れずに群青の判断を待った。ヴラド三世の話題を避けただけで、嘘は言っていないはず。無駄に構える必要もない。
やがて群青の中で結論が出たのか、彼は顔を上げて天崎をまっすぐに見据えた。
「分かりました。貴方を信用しましょう」
「先生!」
やはり彼女は不服だったらしい。むらさきが懇願にも似た抗議の声を上げる。
しかし群青は、そんな生徒の訴えを堂々と無視した。
「お互い殺人犯を追う者同士、もしかしたら今後も情報共有を依頼するかもしれません。何か連絡できる手段があればいいのですが……」
「スマホどころか、携帯も持ってないんだよな?」
「ええ。携帯電話なる物を持っている獣人はいません。ただ一軒だけ固定電話のある家があります。もっとも、今回の被害者である門番の家にですが」
「じゃあ、こっちから掛けても繋がらないって認識でいいな? 俺の電話番号を渡すよ」
机から取り出したメモ帳に自分の電話番号を書いて、群青に渡す。すると彼は怪訝そうな表情で、その紙切れを見つめた。
「天……崎?」
「?」
どうやら番号と一緒に書いた、天崎の名前が引っ掛かっているようだ。
「俺の名前が天崎東四郎っていうんだけど……どうかしたのか?」
「いえ。この天崎という苗字、どこかで聞いたことがあるような気がしましたので」
「まあ、めちゃくちゃ珍しいってほどでもないしな」
それに響きが似ている苗字と勘違いしている可能性もある。天崎も往々にしてそういうことがあるので共感できた。
「分かりました。もし何かあれば、この番号に電話させていただきます。本日は夜分遅くに無礼を働いたことを、改めてお詫び申し上げ……」
「ちょっと待った!!」
話がまとまりつつあったところを、憤慨したむらさきの声が遮った。彼女はその場で仁王立ちをすると、ぷくっと頬を膨らませる。円という女児で慣れている天崎には、それが不満の表れであることは手に取るように分かった。
「あたいは信用できない!」
「では、君はどうすれば納得するのかな?」
「うっ……」
群青に静かな声で諭され、むらさきは押し黙る。所詮は子供の我が儘。何か考えがあるわけではないようだった。
しかし次の瞬間、奇跡的に名案を思い付いたのか、彼女は瞳を輝かせながら顔を上げた。
「明日一日、あんたを監視させてもらうわ!」
「はあ?」
呆気に取られる天崎。
何をバカなこと言ってるんだと、嘲るように鼻で笑う。だが天崎の内心とは裏腹に、隣にいるさくらは何故かニヤニヤしながら、その案を受けようと提案してきた。
「別にいいではありませんか。東四郎さん、明日お休みなんですから」
「お休みだからなんですけど……」
これは逆らえそうにないなと判断し、天崎は群青に救援の視線を送る。
だが彼もまた名案だとでも言いたげに深く頷いた。
「そちらさえよければ、むらさきが納得するまでご一緒させてはいただけませんか? わたくしは一人で探索に出かけますゆえ」
「あんた、保護者じゃなかったのかよ」
「こう見えて、むらさきは人間の成人男性よりも強いから大丈夫です」
ついさっき付けられたばかりの、頬と肩の傷が疼いた。
大人二人に自分の案を採用され、得意げな笑顔でこちらを見下すむらさき。子供相手に意固地になるのも敗北した感じがするため、天崎はせっかくの日曜日が潰れることを受け入れるしかなかった。




