第3章 リベリアは〇〇派
三〇五号室で猫又の依頼を引き受けた天崎とリベリアは、件の野良犬に会うため、ひとまず住宅の外へと出ていた。しかし階段を下りたところで安藤とばったり出くわしたので、先に今の出来事を説明する。
「まあ、この団地も放置されてからずいぶんと年月が経ってるから、そういう物の怪が棲み付いていても不思議じゃない。けど、なんか怪しいなぁ」
話を聞き終えた安藤は、疑わしげな表情を浮かべた。
怪しいという感想には天崎も同意見だった。ヴラド三世が神上の肉体を乗っ取る現場に居合わせ、たまたまやってきた天崎たちにその情報を渡し、依頼を達成すれば協力関係にもなってくれるという。
あの猫又は得体が知れなさすぎて、手放しには信用できない。疑ってかかるべきだろう。最悪、ヴラド三世の仲間という可能性も視野に入れた方がいいかもしれない。
だが天崎には、安藤の懐疑的な考えに反論する術があった。
「別に何かされたわけでもないんだ。受けた依頼は野良犬をどうにかするだけ。やって損はないと思うぞ。約束を反故にされたり、嘘でも付かれたら後で考えればいい」
「そうだね」
労力に対する見返りの方が大きいし、猫又に騙す意図があったとしても、事が進展するごとに立ち止まって議論すればいい。とりあえず行動をするべきだという天崎の提案に、安藤も賛成したのだった。
天崎、リベリア、そして結界の作成を中断した安藤は、三〇五号室から見下ろせた駐輪場へ向かう。件の野良犬はそれほど遠くに移動してはおらず、まだ何かを探しているように、そこら辺の匂いを嗅いでは駐輪場近辺をうろうろと彷徨っていた。
三人が近づくと、それに気づいた犬が尻尾を振りながら駆け寄ってくる。
おそらく柴犬の類だろう。お腹の辺りは白く、頭から背中にかけて赤い毛で覆われている。ただ驚いたのは、少なくとも三日も前からこんな廃墟で徘徊しているはずなのに、あまり汚れた様子がないことだ。
なら野良犬じゃなくて、近所の飼い犬が遊びに来ているだけなのか? けど首輪はしていないし……。
「人懐っこいですねぇ」
天崎が思案していると、屈んだリベリアが両手を伸ばした。遠慮なく懐へ入ってきた野良犬は、そのまま地面に寝そべり、リベリアの撫で回しを無抵抗で受け入れる。
しばらくじゃれ合っていたのだが、そこは何事も合理的に処断する安藤である。空気を読まずに、容赦なく切り捨てた。
「首輪もないし、間違いなく野良犬だろうね。猫又の依頼でどうにかするっていうんなら、やっぱり保健所に連れて行くのが妥当なんじゃないかな?」
そう提案すると、野良犬の首周りをギュッと抱きしめたリベリアが、真っ青になりながらふるふると頭を横に振った。
「こ、こんな可愛い子を保健所なんかに連れていけません!」
「吸血鬼も犬に感情移入するんだな……」
彼女の意外な一面を目の当たりにして、天崎は呆れたように呟いた。
しかし、それでは問題を解決できない。眉を寄せた安藤が厳しい現実を突きつけてくる。
「じゃあ、どうするんだい? 他の場所に連れて行っても戻ってくるかもしれないし、街中を徘徊してたら、それこそ誰かが保健所に通報するだろうさ」
「うぅ……」
正論で諭され、リベリアはさらに力強く野良犬を抱きしめた。
リベリアの気持ちは、よく分かる。保健所に連れて行くくらいなら自分で飼いたい。しかしアパート暮らしであるため、そう簡単に口にはできない葛藤。視点の定まらない目の動きが、彼女の心情を物語っていた。
だから天崎は安藤に訊ねた。
「お前の家では飼えないんだよな」
「無茶言うな。僕の両親は野良犬を飼うなんて絶対に承諾しない」
「だよな」
他に誰か飼ってくれそうな人はいないか、無言で考え始める三人。
するとリベリアの元を離れた野良犬が、今度は天崎の方へ寄ってきた。匂いを嗅ぎながら足元を三周して、最終的に天崎の顔を見上げたのだが――どこか様子がおかしい。リベリアとじゃれ合っていた時とは打って変わって、まるで威嚇するように喉を鳴らしている。
そして鼻の頭に皺を寄せると、一度だけ「わんっ!」と吠えた。
「うわっ、ビックリした」
「気に入られたみたいですね」
「どう見ても嫌われてるだろ」
だが吠えたのはその一度きりで、懐かれたのか嫌われたのか判断できないまま、今度は安藤の方へと移動していった。
同じように安藤の匂いを嗅ぐ野良犬を見ながら、リベリアは決意する。
「分かりました。ダメ元で大家さんに頼み込んでみようと思います」
「ばっちゃんなぁ」
天崎にとって、その選択肢はあまり好ましくなかった。
というのも、今も現在進行形でミルミルを預かってもらっている負い目があるからだ。追加で犬を飼ってもいいかなど、訊ねることさえ気が引ける。
しかし悩んでいる間にも、リベリアはおののき荘の電話番号を呼び出していた。
「もしもし、大家さんですか? 私です、リベリアです」
『おや、リベリアちゃんかい。どうしたんだい?』
「大家さん。実は、折り入ってご相談があるのですが……」
『相談? なんじゃらほい』
「その……ちょっと事情があって、野良犬を拾ってしまったのですが……おののき荘で飼うことはできないでしょうか?」
『犬?』
そのお願いはあまりに想定外だったのか、大家の返答には間があった。
ただ天崎は不思議に思う。犬を飼うほどの大きなイベントなら、事前に占いに出ていてもおかしくはないはずだ。にもかかわらず大家は準備をしていないどころか、リベリアから連絡が来ることすら知らなかった。つまり犬を飼う未来は存在しないってことなのか?
『うーん、室内で飼うのは難しいねぇ』
「いえ、庭の一角をお借りするだけで構いませんので……」
『うーん……』
おののき荘の庭先は、犬一匹を飼うには十分すぎる敷地面積がある。とはいえ当然そこは住人に貸し出すつもりのない、大家所有の土地。お願いされたからといって、二言返事で承諾するわけにはいかないのだろう。
それでも諦めの悪いリベリアは、さらに畳みかける。
「土地代は払いますし、犬の餌代も私がもっと働いて稼ぎます。大家さんには迷惑をお掛けしません!」
『いやいや、お金のことは心配せんでもええよ。ただね……』
再び間を置いた後、大家は歯切れが悪そうに言った。
『あたしゃ犬を飼ったことがないから、勝手がよく分からんのさ。躾とか散歩とかワクチンとか、いろいろあるでしょ? 何にも知らんから、快く首を縦に振るわけにはいかんのさ』
「な、なるほど……」
犬一匹を飼うにしても、それなりの責任が発生する。
他の住人の理解も得ないといけないし、近所迷惑になる場合だってある。それに日々の餌や散歩はもちろんのこと、これから十数年は世話をする覚悟がなければ務まらないのだ。
それらすべてを考慮した結果、犬を育てたことのない自分が無責任に許可を出すことはできないと、大家は言っているのだろう。
そして、それはリベリアにも痛いほど伝わっているようだった。
「うーん……」
返す言葉を失ったリベリアが、電話していることも忘れて深く悩み始める。もしかしたら犬を飼った場合の今後の生活をシミュレーションしているのかもしれない。
そんな彼女を気遣うように、電話口の大家は軽い口調で提案してきた。
『まあでも里親が見つかるまで、少し預かるくらいなら大丈夫でしょ』
「ほ、本当ですか!?」
『うん。一旦、連れておいで』
「ありがとうございます!」
本人が目の前にいないのにも関わらず、リベリアは何度も何度も深々とお辞儀を繰り返したのだった。
どうやら話はまとまったようで、通話を切ったリベリアが安堵したように息を吐いた。
「ひとまず、この子をおののき荘に連れて帰ります」
「里親探しか。また忙しくなりそうだな」
「はい、がんばります!」
瞳を輝かせながら意気込むリベリア。
だが一連の流れを黙って見守っていた安藤は、呆れたように嘆息した。
「君たち、本来の目的は忘れていないだろうね? 猫又の依頼は棚ぼただっただけだ。せっかくここまで足を運んだんだから、やることは済ませないと。戸塚が定期的にここを訪れてるって話なら、三〇五号室以外も調査してくれ」
「分かってるよ。お前の方はどうなんだ?」
「まだ途中さ。とは言っても、そんなに凝った結界を張るつもりはないから、あまり時間は掛からないと思うけどね」
「そうなのか?」
「性能の良い結界は、それだけ気づかれる危険性が高くなる。それに改造された前例もあるからね。この団地にいつ何人が訪れたのか記録する程度のものしか作るつもりはないよ」
「なるほどな」
学園祭の時に発動した結界は、石神が改造したものだった。本人はヴラド三世から改造手順を教わったと言っていたが、天使の術式が組み込まれていたことを踏まえるに、おそらく元はカラエルの入れ知恵だったのだろう。また利用されないとも限らない。
なら破壊されたり逆に利用されるリスクを負うよりも、性能が低くても気づかれにくい結界で少しずつ情報を集めた方がいいと、安藤は考えたわけだ。
「とりあえず、もう一時間くらい調べて回ろう」
「分かった」
「じゃあ、ちょっとだけここで待っててくださいね」
そう言って、リベリアは野良犬の頭を優しく撫でる。
すると野良犬は、まるで人の言葉を理解しているかのように、一度だけ「わんっ」と鳴いたのだった。
結局、三〇五号室で猫又に会った以外の目ぼしい手掛かりはなく、陽も傾き始めたため、一同は廃墟探索を切り上げることにした。
件の野良犬は、別れた場所でずっと座って待っていた……わけではなかった。天崎とリベリアの後ろをついて回り、住宅内を探索する時だけ扉の前で待機するという具合だった。
「けっこう素直について来るもんだな」
「だから天崎さん、気に入られたんですってば」
「というか監視されてるみたいで、あまり良い気はしないんだけど……」
住宅団地を離れて安藤と別れた後も、野良犬は自主的に二人の後についてきた。まるで自分もおののき荘の一員だと言わんばかりに、その足取りに迷いはなかった。
「にしても、リベリアが犬好きだとは知らなかったよ」
「そうですか? 猫よりは断然好きですけどね」
「へえ。むしろ、お前自身が猫っぽい感じなんだけどな」
「えー、やめてくださいよぉ。猫なんて、気まぐれで自分勝手で高慢ちきじゃないですか。ずっと一緒にいたら疲れちゃいます」
まさにお前のことなんじゃないか!? と、危うく狼狽しそうになった。
そんな天崎の内心を知ってか知らずか、リベリアは後ろを振り向いて野良犬に笑いかける。
「逆に犬は子供のように無邪気で、飼い主に従順で、人の気持ちをよく分かっています。そして悲しい時には寄り添ってくれたりもしますからね。天崎さんみたいで、私は好きですよ」
「今の要素、俺にあったか!?」
さすがにこれにはツッコミを入れざるを得なかった。
普段から子供みたいに無邪気で従順だと思われていたのか。少しばかり己の振る舞いを改める必要があるな。
そう自らを省みるのと同時に、『好き』という単語が時間差で脳内に浸透してくる。ただまあ今のはラブではなくライク寄りだろうと勝手に解釈し、天崎は照れ隠しのために咳払いをしたのだった。
「ちなみに、よくスマホで犬の動画とか観てます」
「人間社会に馴染みすぎだろ」
世間一般では伝説級の生物である吸血鬼も、人間文化の影響からは逃れられないみたいだ。
そんな中身のない会話をしているうちに、おののき荘に到着した。リードもないのに従順についてきた野良犬は、敷地に入るやいなや地面の匂いを嗅ぎ始める。そして具合の良い場所を見つけると、すぐに丸まってしまった。
その様子を見た後、リベリアは大家の部屋のインターフォンを押した。すると、まるで待ち構えていたかのように円とミルミルが飛び出してきた。
「わんこだ!」
「わんこでち!」
一目散に駆けて行く二人。遠慮のない子供たちにモフモフされた野良犬は、迷惑そうに鼻を鳴らしていた。
「おやおや、お利口さんなワンちゃんだねぇ。誰かに飼われてたことがあるのかい?」
「さあ?」
あとから出てきた大家とリベリアのやり取りを見て、天崎は少しだけ不安に駆られた。今さらながら、本当に連れてきてよかったものか疑問に思ったからだ。
首輪をしておらず、安藤と意見が一致したため、野良犬だと勝手に思い込んでいた。けど飼い犬の可能性だって決してゼロではない。もしそうなら、今ごろ飼い主が探していることだろう。
里親探しももちろんだが、あの住宅近辺で迷い犬の情報がないかアンテナを張っておこう。と、天崎はリベリアに悟られないよう決意を固めた。
「大家さん。この度は無理を言って本当にすみませんでした」
電話の時より深く頭を下げるも、大家の笑顔はいつも通りだ。
「ええよええよ。これから里親を探さないとね」
「はい!」
「でもその前に、しばらくここに置くための餌やら首輪やらを買わないとねぇ」
「あっ、今から行ってきます」
「ちょっと待て」
軍人顔負けの敬礼で了解したリベリアを、天崎は慌てて引き止めた。
「買い物は俺が行ってくるよ。お前は休め」
「え、でも……」
天崎の真意が分からず、リベリアはきょとんとする。
だが言葉の意味自体は理解しているようだ。円たちと戯れる野良犬を一瞥しながら、意地を張るように反論してきた。
「あの子を連れてきたのは私の我が儘なんですから、天崎さんのお手を煩わせるわけにはいきません」
「んなこと言ったら、それを承諾した俺も同罪だ。お前に世話を全部押し付けるわけにもいかねえよ。交代でやろう」
「そうだとしても……」
「それに吸血鬼が日中ずっと活動してたんだ。かなり疲れてるだろ? 今日これからの予定は何もないのか?」
「仮眠した後、バイトへ行こうかと……」
「だろ? だったら少しでも身体を休めとけよ。今日は俺に任せろ」
そう言って、天崎はリベリアの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
くすぐったそうに身をよじったリベリアは、少しだけ躊躇するも、最終的には譲歩したのだった。
「……分かりました。では、よろしくお願いします」
「おう。けど確か月島が引っ越して来てるんだったよな? 挨拶くらいはしとけよ」
「そういえば、そんな話でしたね」
ポンと手を叩いたリベリアが二階へ向かおうとすると、その背中を大家が呼び止めた。
「月島ちゃんは今みんなで銭湯に行っとるよ。さくらちゃんも一緒だから、帰りはちょっと遅くなるんじゃないかな?」
「銭湯って……また一風変わった歓迎だな」
不在ならば仕方がない。挨拶なら、また後ですればいいのだから。
それからリベリアは仮眠を取るために自室へ。天崎も少し休憩しようかと思ったが、せっかく遊びに出ている円を部屋へ戻すのは忍びない。財布も持ってるし、このまま買い物へ行くことにする。
その時、ふと視線を感じた。
振り向いて確認してみるも、野良犬とじゃれ合っている円とミルミル、そしてそれを見守る大家しかいない。
「ちんちんない」
「メスでちね」
寝転ぶ野良犬を、彼女たちは興味深そうに観察している。そう、誰も天崎の方など見てはいないはずなのだが……おののき荘の敷地から完全に離れるまで、誰かに視られている感覚が消えることはなかった。




