間 章 とある女子高生と住人たちの会話
豆が散らばったおののき荘の庭先から、一台のトラックが出ていった。
それを見送った月島とおののき荘の大家は、改めて挨拶を交わす。
「それでは、本日からよろしくお願いします」
「うん、よろしくさね」
「よろしくでち!」
「よろしくね、ミルミルちゃん」
片手を挙げて元気に飛び跳ねるミルミルに、月島はハイタッチで応えた。
だが恥ずかしそうに大家の陰に隠れ、未だ顔を見せない童女が一人。
「ほら、円ちゃんも挨拶しないと」
自分の背中に引っ付いている円を、大家は無理やり前へと押し出す。円としても意地でも挨拶しないというわけではなさそうで、指名されたのであれば仕方がないと言わんばかりに、おずおずと姿を現わした。
「……よろ」
視線も合わせないままペコリと頭を下げると、円は再び大家の後ろへ隠れてしまった。久々に対面した月島と、どう接すればいいのか分からないのだろう。打ち解けるには、もう少し時間が必要かもしれない。
とはいえ初対面の時ほど嫌われてはいないはずだ。円が自分に心を開いてくれるまで、月島も根気強く待つつもりだった。
「おっ、やっと引っ越し作業が終わったか」
そう言いながら、空美が二階から降りてきた。
「これからよろしくな、洋子。てか宣言通り年明けに引っ越してくるってことは、今も気持ちは変わってないってことでいいんだよな?」
「ちょ、ちょっと有沢さん!」
「ああん? あたしのことは空美って呼べよ。じゃなきゃ言いふらすぞ」
「うぅ……」
早速空美にからかわれ、月島は頬を真っ赤に染めた。ちなみに彼女が天崎に気があることは周知の事実である。
と、つづいて二階の別室の扉が開く。今度はさくらだった。
「おや? 隣の空き部屋が騒がしいと思ったら、新しい入居者でしたか。そちらが東四郎さんのご友人だという月島さんですか?」
「おう、そうだぞ」
さくらの質問には空美が答えた。
深く頷いたさくらは、手すりを伝って階段へと向かう。
「そちらへ行きますので、しばしお待ちを」
「いや、そこからでいいだろ。あいつ、少し前に脚を骨折してさ。まだあんまり上手く歩けないんだ」
後半は月島に向けての言葉だったが、さくらは足を止めようとはしなかった。
「いえ、お渡ししたい物がありますので」
「渡したい物?」
問いには答えず、時間をかけてゆっくりと庭先へ降りてくる。
そして月島の前に立つと、お手本のようなお辞儀を披露した。
「はじめまして。私は東四郎さんの実家でお手伝いをしております、桜枝さくらと申します。東四郎さんが小さい頃からお世話をしておりますので、実質姉のようなものですね」
「天崎さんのお姉さん!?」
予想だにしていなかった事実を耳にして、月島は素っ頓狂な声を上げた。
その後、どこか複雑そうな顔になる。どうして先に言ってくれなかったのかという不満もあるが、こんな美人なお姉さんが子供の頃から側にいるなら、天崎の女性に対する美意識もかなり高いんじゃ? と危惧したからだ。
もちろん月島はさくらが人魚であることや、天崎が人間以外の種族に性的な感情を持たないことも知らないのだが。
「というわけで、お近づきのしるしに月島さんにはこれを差し上げます」
そう言って、さくらは懐から数枚の写真を取り出した。
受け取った月島は食い入るように見つめ、肩越しに覗き込んだ空美は笑い出す。
「うっひゃっひゃっひゃ。あの生意気なガキにも、こんな可愛げのある時代があったんだな! 今じゃ想像もできねえ坊ちゃん刈りじゃねえか!」
「で、でも天崎さんに内緒でこんなもの渡されても、どうしていいか……」
「別にいいではないですか。将来、実質私の妹になるかもしれない相手なんですから」
「い、いいい妹って……ふえええぇぇ!!?」
頭から煙を上げた月島は、珍妙な叫び声を漏らしたのだった。
その声を聞きつけてか、今度は一階の扉が勢いよく開け放たれる。中から出てきたのは、半纏を羽織ったぼさぼさ頭の青年だった。
「ようこそいらっしゃいました! 天崎ちゃんのお友達の現役JKさん! 俺の名前は安田清志っていって、作家をやっております! ペンネームは東雲カスミっていうので、気軽にカスミちゃんって呼んでね! それで貴女のお名前は……」
少年のように元気溌剌とした……もとい下心を隠そうともしない安田の自己紹介は、そこで終わりを告げた。なぜなら月島の隣に立っている空美が、『何か』を握り潰すようなジェスチャーをしたからだ。
顔面蒼白になった安田は、縮み上がった自分の股間を押さえ、おずおずと部屋の中へ退散していった。
「今のが要注意人物の安田だ。気をつけろよ」
「は、はい」
安田が消えていった扉を見つめながら、月島はごくりと生唾を飲み込んだのだった。
最後に、また別の一階の扉が開く。現れたのは、何故か高校のセーラー服を着た高槻真論だった。
「ったく、あの変態は昼間っから何を叫んでるのよ。こちとら異世界ボケで今起きたばかりだっていうのに……」
言うように、マロンは頭に寝癖を作ったまま眠たそうに欠伸をかましていた。
しかし庭先に大家や空美がいることに気づき、きょとんとしながら訊ねる。
「あれ? みんな集まって何してるんですか?」
「おう。今日から新しい入居者が来たんだ」
「新しい入居者?」
マロンの視線が空美から月島へと移った。
初対面の相手にじっと見つめられてオロオロした月島は、背筋を正しながら頭を下げた。
「は、はじめまして。今日からおののき荘でお世話になります、月島洋子と申します。えっと、その、天崎さんのクラスメイトです」
「天崎の?」
その名前が出たことで訝しげに首を傾げたマロンだったが、どうやら深い意味では捉えなかったようだ。自己紹介をするため、彼女も庭先へ集まってくる。
「私は高槻真論って言います。天崎のクラスメイトってことは、私とも同い年なのよね? このアパートにいることの方が少ないけど、何か困ったことがあったら相談に乗るわ。よろしくね」
「あっ、確か異世界に行ってるんですよね?」
「……知ってるの?」
「はい。以前、天崎さんが話してくれたもので」
「そう……」
顔を背けたマロンが小さく舌打ちをした。
あの野郎、口が軽いな。とでも言っているようだった。
「そっか。そういえば、マロンと東四郎は同い年なんだっけか」
「えぇ」
なんとなしにぼやく空美を見て、マロンは頷く。だがその瞬間、雷に撃たれたような衝撃が走った。大きく目を見開いたマロンが、驚愕の表情を露わにする。
今一度、月島の身体……というか胸部をじっくり眺めた後、再び空美の方へ首を回す。さらにもう一度、自分の目を疑いながら、まるでUMAでも目撃したように、マロンは月島と空美を交互に見比べたのだが……さすがに気づかれたようだ。
笑っていない笑顔を貼り付けた空美が、ドスの効いた声で威嚇してきた。
「ん~? どうしたマロン。何か気づいちゃいけないことに気づいちまったのかなぁ?」
「……いえ、その……なんでもありません」
この時ばかりは自分の観察眼を呪ったマロンだった。
「ともあれ、せっかく新しい入居者が増えたんだ。女同士、裸の付き合いでもしようぜ」
「は、裸……ですか?」
恐れ戦いた月島は、無意識のうちに自分の身体の前で両腕を交差させていた。
だが別に空美は襲おうとしているわけではない。
「怯えんな。みんなで銭湯行こうって話だ」
「銭湯!」
何故か隣にいるマロンが歓喜の声を上げた。
「さくらはどうする? 行くか?」
「えぇ、お供しましょう。滋養滋養っと」
凛とした声で承諾したさくらは、準備をするため、ゆっくりと二階へ上がっていく。
とそこへ、さくらと入れ替わるように再び安田の部屋が開け放たれた。その家主の手には着替えやタオルなど、早くも銭湯へ行く準備が整っているようだった。
「いいねいいね、裸の付き合い! 濡れた髪、シャンプーの匂い、火照る肌、着崩した服! 風呂上がりの女性は、普段よりも何倍も色気があるものだ! おののき荘の一員として、おじさんもついて行っちゃおうかな!?」
意気揚々と現れた安田だったが、それ以上言葉を発することはなかった。なぜなら半眼で睨みつけた空美が『何か』を咥えた後、噛み千切るようなジェスチャーをしたからだ。全身から冷汗を噴いた安田は、内股になりながらそそくさと自室へ戻っていった。
そして安田の存在など始めからなかったかのように、空美は月島へと向き直る。
「もちろん洋子も行くよな?」
「は、はい……」
こう凄まれては、引っ込み思案な月島が断ることなどできるはずもなかった。




