第1章 悪い報せと良い報せ
つい二週間ほど前、天崎が通う高校では、授業の真っ最中に他殺体が屋上から投げ捨てられるという大事件があった。その日は昼を迎える前に一斉下校となり、それから数日ほど休校になっていたのだが、今では普通に授業が行われていた。
こうも早く日常が戻ってきた理由は、殺害現場が校内ではなく、また被害者がこの学校の関係者ではなかったからだろう。もしかしたら安藤が裏から手を回したのかもしれないが、いずれにしても警察や一般人を装った『調査員』は、数日ほど現場検証を行っただけで切り上げていった。
それらの公的機関に加え、事件直後はテレビや新聞記者などがそこら中をうろついていた。そのため生徒の間ではしばらくその話題で持ち切りだったのだが、それも十日程度の話。今では誰も話題に出さないほど、騒ぎは収束していた。
若者の興味は季節の移り変わりよりも早いなぁ。などと思いながら、天崎は他の学ランやセーラー服に混じって校舎へと歩いていく。
まだ午前八時とは思えないほどの疲労感を抱えたまま教室に入ると、珍しく天崎よりも先に登校していた安藤と眼が合った。しかも彼は天崎の姿を見るやいなや、待っていましたと言わんばかりにやって来る。
「天崎、ちょっといいか? って、何でこんな朝っぱらから死にそうな顔してるんだ?」
「いやぁ、ちょっとさくらさんにからかわれて……」
「あぁ……」
何かを悟ったように、安藤は感嘆の息を漏らした。実姉が二人もいる安藤には、説明不要だったようだ。
自分の席に腰を下ろしながら、天崎は用件の続きを促す。
「で、何の用だ?」
「実は悪い報せがある」
「良い報せはないのか?」
「良い報せ? 別にないけど?」
「なんだよ。そういう場合、良い報せと悪い報せを両方用意しといて、どっちからか選ばせるもんだろ?」
「無茶言うなよ」
心底面倒くさそうに、安藤は顔を顰めた。
ただ天崎本人も滅茶苦茶なことを言っている自覚はあった。そして何故そんなことを口にしたかといえば、原因は疲労のせいだ。つまり元をただせばさくらのせいである。だから安藤にバカを見るような目で見下されてるのも全部さくらのせい、ということにしておいた。
天崎が授業の準備をしている間にも、安藤はその悪い報せとやらを話し始める。
「昨日の夜、石神と話す機会があったんだ。奴の話によれば……殺人犯の神上立人が死んだらしい」
「…………は?」
あまりの唐突な報告に、天崎は思わず手を止めてしまった。
神上立人とは、今年の年末年始に人外三人、人間二人を殺した連続殺人犯だ。さらにはさくらに重傷を負わせ、大家を殺すためおののき荘を襲撃し、天崎に難癖をつけて殺し合いへと誘い出した張本人である。
最終的に妖怪たちのおかげで事なきを得たのだが、地に伏した神上は、天崎の因縁の相手であるヴラド三世に連れていかれたはず。
その神上立人が……死んだ?
「その情報は確かなのか?」
「石神自身が神上の魂を冥界へ送ったと言っていたから、まず間違いないだろう」
石神に嘘を付く理由はない。つまり神上は、本当に――死んだ。
ただ考えてしまうのは、それは悪い報せなのか? ということ。人が死んだことを喜んではいけないが、神上立人は天崎たちの敵であり、多くの人を殺した殺人犯だ。これ以上の被害者が出なくなったことは、決して悪い話ではないはず。
何か裏でもあるのかと勘ぐった天崎は、安藤に詳細を催促した。
「っていうか、なんで死んだんだ? いきなりすぎるだろ」
「死因はなんでも、ヴラド三世が神上の肉体を乗っ取ったことによるものらしい。ヴラド三世の精神が肉体に入ってしまったため、必然的に神上の魂が追い出されたみたいなんだ。冥界の決まりでは、魂のまま下界へ留まることは許されていないから、神上は死亡者として扱われることになったそうだ」
「…………は?」
頭がこんがらがってきた。なんでヴラド三世が神上の身体を乗っ取るんだ?
深く考えてみたところで答えは出ず。すると安藤が自分の推測も交えて説明を加えた。
「リベリアさんの言った通り、ヴラド三世は現象の吸血鬼だった。けど世界と物理的に干渉できないのはいろいろと不便だから、君の身体を手に入れるまでの仮宿として、神上の肉体を奪ったんじゃないかな」
「じゃあ神上はヴラド三世に殺されたってことなのか?」
「いや。石神の話では、神上はむしろ自分から肉体を提供したらしい。彼らにどんな関係性があって、どういう経緯でそうなったかは見当もつかないけど……ただ、これで他人の肉体を乗っ取れる証明と、リベリアさんの推測に裏付けが取れたわけだ」
「家主が招いたからこそ簡単に身体を奪えた、か」
現象の吸血鬼の特性である、『招かれないと家に入ることができない』。これが人の身体にも適用できたわけだ。今後どうあっても心を折られて自暴自棄になるわけにはいかないなと、天崎は肝に銘じたのだった。
悩みの種が尽きないことに頭を抱えながらも、思考を戻す。
「つまり神上の身体には今、ヴラド三世が入ってるってわけか」
「そうだね。しかも今まで喋るくらいしかできなかったと思うけど、肉体を得たなら普通に活動できるはずだ。さらに殺人鬼の身体能力も手に入れたわけだから、ヴラド三世自身が攻め込んでくる可能性も考慮しないといけない」
「……厄介だな」
ヴラド三世の手足でしかなかった神上が、ヴラド三世そのものとして襲ってくる。危険度が変わるかどうかは分からないが、悪い報せとはそういうことだったのかと、天崎はガクッと肩を落とした。
「あ、それとそうだ。明日の昼頃、時間あるかい?」
「明日?」
急な問い掛けの回答を探すように、天崎は天井を見上げた。
明日は土曜日。学校もなければ、特に予定もない。
「空いてるぞ」
「よかった。実は一緒に行ってほしい場所があるんだ」
「行ってほしい場所?」
「ここから少し離れた地区にある、廃墟となった市営団地さ。石神によると、そこに神上の魂が縛り付けられていたらしい。つまり彼が死んだ場所だね。もしかしたらヴラド三世や元『調査員』だという戸塚、そして大堕天使のカラエルに関する何かしらの手掛かりがあるかもしれない」
「なるほどな」
廃墟というのがいかにも怪しい。悪巧みをするにあたっては、まず人の目がないことが第一条件だろうから。
「分かった。ついでにリベリアも呼ぶぞ」
「うん。彼女がいた方が頼もしい。ただ何かあるかもしれないから夜は避けたい」
「オーケー。後で連絡しておく」
約束を交わすと、安藤は自分の席へ戻っていこうとする。
だが天崎はふと思い立ち、離れていく友人を呼び止めた。
「なあ、安藤。大堕天使のカラエルって奴は、とんでもない力を持ってるんだよな?」
「なんだい、藪から棒に」
「いやさ、石神ならカラエルを簡単に倒せるんじゃないかと思って」
「……どういうことだい?」
難しい顔をした安藤が追求してくるも、天崎としても上手く説明できるわけではなかった。
まず前提情報として、大天使は存在するだけで地上の秩序を乱してしまうらしい。そのカラエルが平然と地上で活動できているのは、堕天したことで相当の力を削ぎ落とされたからだという。それでも吸血鬼が正面からの戦闘を避けるほどではあるが。
ともあれ、どんなに力を持った種族でも天敵は存在するはず。
自分の中にある知識を総動員させながら、天崎は思いつきをたどたどしく話した。
「ほら。死神に触れられるのは、同じ死神か殺人鬼のような特殊な体質をした奴だけだって石神も言ってたからさ。堕天使がどんな種族なのか詳しくは知らんけど、カラエルは石神に対して手も足も出ないんじゃないかと思って」
「ああ、なるほどね」
天崎の言わんとしていることを理解した安藤は、眉間の皴を解いてゆっくりと頷いた。
その様子を見るに、それほど的を外した指摘ではなかったようだ。受け持ちの生徒から質問された教師のように、安藤は滑らかに答える。
「考え方自体は何も間違っていないよ」
「マジか」
「ただ、いろいろと制限がある」
そう言って、安藤は解説を始めた。
「天使も堕天使も、その身に魂を宿している生物であることに違いはない。つまり死神の鎌で両断すれば、有無を言わさず肉体から魂を引き剥がすことができる。たとえそれが天敵である殺人鬼であってもね」
特殊な体質である殺人鬼なら、死神を殺すことも可能だ。しかしそれと同時に、死神の方も殺人鬼の魂を普通の生物と同じように扱える。そこに例外はない。
「けど死神は感情や欲求が極端に少ないから自ら進んで人を殺そうとはしないし、生者の魂を無許可で狩ったことが冥界に露見すれば、酷い拷問が待っている。誰もやるわけがないよ」
「そういや石神もそんなこと言ってたな」
ヴラド三世に対する憎しみがだいぶ風化してしまった、と。
なら石神に協力を仰ぐのは難しそうだ。有事の際に側にいてもらえれば、牽制くらいにはなるかもしれないが……。
「っていうか、君が死神になればいいだろ? 一度は覚醒させたことがあるんだし、訓練さえすれば、いつでも死神の遺伝子を引き出せるようになるんじゃないか? まあ、もしかしたら冥界に咎められるかもしれないけど」
「それは……」
少し考えたところで、それは無理だという結論に至った。
死神の攻撃は一撃必殺だ。殺すか何もしないかの二択しかない。仮に死神の血統を自由に引き出せるようになったとしても、人を殺すことを厭う天崎には選べない選択肢だった。せいぜい、その場から即座に離脱したい時に使えるくらいだ。
しかも魂のないヴラド三世に対する有効打はなく、逆に殺人鬼の肉体により一方的に攻められるばかり。
そして何より天崎は最大のミスに気づいた。
石神にカラエルを倒してもらう。それすなわち殺人行為を他人に押し付けるということ。自分の発想が人として最低なものであることを自覚し、天崎は大いに反省したのだった。
「じゃあ同じ天使なら少しくらいは対抗できるのか?」
小さく呟いた天崎は、去年あったミルミルとの一件を思い出していた。
天崎が知る天使の能力は主に三つ。『認識阻害』と『認識改変』、そして亜空間だ。その中でも亜空間が厄介で、クルクルが言うには、亜空間内では想像し得ることすべてを実現できるらしい。それはまさに小説を書くようなものだとか。
カラエルも亜空間を扱うのなら、もっと理解を深めておいても損はないはずだ。
「そもそも亜空間って何なんだろうな?」
「それはクルクルに聞きなよ。僕が知ってるわけないだろ」
と言って、安藤はやれやれとため息を吐いた。
「いや、まあ、それはそうなんだけどさ。俺も使えたらなぁと思って」
「練習しなよ、練習を。『完全なる雑種』は完璧な存在なんだろ?」
「茶化すなよ。練習もなにも、俺は未だに天使にはなったことないからな」
「けど少なからず影響は受けているだろ? 前のおののき荘が倒壊するまでの一年と半年、ずっと一階の床下でクルクルが眠ってたんだからさ」
「あ、そっか」
思い出し、天崎は自分の手の平を見下ろした。
その種族が近くにいるだけで覚醒するという実績はない。しかし今まで遭遇したことのない種族よりかはマシだろう。しかもクルクルは誰にも見つからないよう、常に『認識阻害』を使っていたのだから。
クルクルのおかげで、天崎の中の天使の血統が刺激されていた可能性は大いにある。
そして天使になれば、亜空間を展開することもできるだろう。根拠は、死神化した時に人間の魂を見分けられたから。血統を覚醒させることで、その種族特有の能力も開花するはずだ。
「試してみる価値はある、か」
「言っとくけど、学校でやるなよ?」
「分かってるよ」
なんにせよ、やはり自分の血をもっと詳しく知る必要があるなと天崎は思った。
やがてホームルームの時間が近づき、教室内がクラスメイトの声で騒がしくなってくる。とそこへ、月島が遠慮がちに近寄ってきた。安藤の顔をチラチラ窺っているのを見るに、どうやら二人の会話が終わるのを待っていたようだ。
「天崎さん。ちょっといいかな?」
「おう、おはよう。どうした?」
「おはよう。それが、明日なんだけど……」
そう言いつつも、彼女は未だに安藤の方を気にしていた。
早々に自分の席へ戻ろうとしていた安藤だったが、そんな態度をされては気になるというもの。天崎と一緒に月島の言葉を待つ。
「実は、その……明日、おののき荘に引っ越す予定になってるの」
「明日ぁ!?」
驚きのあまり、危うく椅子から転げ落ちるところだった。
「またえらく急な話だな」
「ううん。前々から準備は進めてたけど、ほら、何か事件に巻き込まれてるから、少し延期してくれって天崎さんが言ってたから……」
「あぁ……」
すっかり忘れていた。殺人犯がおののき荘の住人を狙っている可能性があったため、月島を巻き込まないよう、入居を先延ばしにしてもらっていたのである。
「一週間くらい前に大家さんから電話が掛かってきて、もう大丈夫そうだから、いつでも来ていいよって言われたの」
「うーん……」
殺人鬼、神上立人の凶行は影を潜め、実際に彼が死んだことをたった今知った。確かに巷を騒がせていた事件に巻き込まれる危険性は去ったと言えるだろう。
しかしヴラド三世に関する懸念は、未だ継続中である。ほぼ無関係の月島を、標的である自分と同じアパートに住まわせてもいいのだろうか? 巻き込んだりしないだろうか?
「大家のばっちゃんが大丈夫だって断言したんだよな?」
「うん。占いでも、しばらく悪い未来は視えないって言ってたよ」
大家の占いは信頼できる。それこそ予知の領域だ。
それに友人の家に避難していた空美も戻ってきたわけだし、本当の意味で日常を取り戻すなら、月島の引っ越しも拒むわけにはいかない。
「まあ今さら中止するわけにもいかないだろうし、仕方ないか。歓迎するよ」
「あ、ありがとう……」
当たり障りのない言葉だが、月島を赤面させるには十分だったようだ。
ただ彼女は天崎の元に来た理由を思い出し、すぐに向き直る。
「それで明日なんだけど……」
「明日か……」
要は他のアパートの住人に挨拶する際、天崎に付き添ってほしいのだろう。人見知りの激しい月島ならではの悩みだ。
天崎は今しがた約束を交わしたばかりの安藤を一瞥した。
どうやら安藤も気づいたようで、彼は月島に譲るよう提案してきた。
「僕の予定は別に明日じゃなくてもいいよ。それこそ君の時間が空いてる時で」
「それもそうだな」
明日がダメなら明後日でもよい。廃墟の探索など、特に時間が決まっているわけではないのだから。
だが月島は大きく手を振って、安藤の申し出を断った。
「あっ、ううん。私も絶対に天崎さんに立ち会ってほしいわけじゃないから、予定があるならそっちを優先して。ただ出掛けてる間に引っ越しの作業が終わって、いきなり私が居たらびっくりさせちゃうかなと思って……」
「十分驚いたけどな」
こんなギリギリに報告されては、今朝のさくらと同様、どうしても作為的なドッキリを疑わずにはいられなかった。
「本当にいいのか?」
「うん。これからお世話になる人たちだもん。挨拶回りくらい、一人でやらなくちゃ」
意気込んだ月島が、両手を強く握りしめた。
こうして見ると、月島は本当に変わったなと天崎は思った。転校したての頃なら、自分から挨拶回りをするとすら言わなかっただろう。というか、本当に一人暮らしを始めるかどうかも二の足を踏んでいたかもしれない。
ならば天崎としては、彼女の意見を尊重しなければ。
そんなことを考えているうちにもホームルームを知らせる鐘が鳴り、安藤と月島は自分たちの席へと散っていく。生徒たちの喧騒が徐々に治まっていく教室を眺めながら、天崎は少しだけ口元を緩めた。
明日から月島がおののき荘に入居する。また賑やかになりそうだ。




