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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第10話『ノケモノホリック』

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プロローグ

「東四郎さん。円さん。短い間でしたが、お世話になりました」


 二月に入ってから最初の金曜日。朝食を終えた天崎が、今週最後の授業だと気合を入れて登校の準備をしていたところ、洗い物を片したさくらが急に言い放った。あまりに脈絡なく唐突だったため、天崎も円も呆気に取られてしまう。


 するとさくらは特に説明をすることもなく、事前にまとめてあった自分の荷物を手に取って玄関へと向かっていった。


「ちょっ! ちょちょちょちょっと待ってください! さくらさん!」

「はい?」


 さすがに理解が追い付かず、天崎は慌ててさくらを引き止める。ちゃんと立ち止まってくれたはいいものの、彼女の頭の上には「何か問題でも?」とでも言いたげな疑問符が浮かび上がっていた。


「さくらさん。もしかして……帰るんですか?」

「もしかしなくても、そのつもりです」

「えー……だったらもう少し早く言ってくださいよ」


 少なくとも、昨夜の時点ではすでに荷物をまとめていたはずなのだ。伝える猶予がなかったなんてことはあるまい。


 こんなギリギリに言うなよ。などと不満顔で訴えたものの、どうやら彼女には伝わらなかったようだ。何故かドヤ顔をした彼女が、蔑むように鼻で笑った。


「おやおやおや? 東四郎さんは、私がいなくなるのが寂しいのですか?」

「寂しいというか、心の準備が……」

「もう、東四郎さんってば。いつまで経っても甘えん坊さんなんですから」

「…………」


 二人きりならまだしも、今は円もいる。幼い頃の自分を暴露されたようで、天崎はバツが悪そうに顔を背けた。


 ふと、荷物を持っているさくらの左腕が目に入った。殺人鬼に刺された傷はほとんど塞がっているものの、包帯の下にはまだ生々しい傷跡が残っているという。


 それに脚の方も。骨折自体は治ったが、まだ全快とはいかず、足を引きずるようにしか歩けない。自由に動けるまでには、もう少し時間が必要だろう。


 とはいえ、二週間ちょっとでここまで治っているなら上出来だ。深海で暮らす人魚の骨密度は人間と比べ物にならないくらい高く、完全に折れていたわけではなかったらしい。また、頑張って能力を使ってくれた円にも感謝だった。


 怪我の具合を確かめた天崎は、小さくため息を吐いた。大家も言っていたが、やはり人魚は海で養生するべきだろう。無理やり引き止めるわけにもいくまい。


「人の身体をじろじろ眺めた後にため息とは……お姉さんのナイスバディで賢者タイムに入っちゃいましたか?」

「朝っぱらから何を言ってるんですか……」


 早く帰ってしまえと、一瞬だけ思ってしまった。


 とはいえ、ただ帰るにしても心配せざるを得ない。荷物を持って駅まで歩くとなれば、病み上がりには相当きつい距離になるだろう。


「本当なら駅まで送りたいんですが……」

「いえ、お構いなく。こんな時間に付き添ってもらっては、確実に遅刻してしまうでしょうからね。そこまで図々しいお願いはできませんよ」


 ふっ、と笑みを溢したさくらが、別れを惜しむように天崎の肩を軽く叩いた。


 せめて階段下まではと思い、天崎は先回りして玄関の戸を開ける。だがそれすらも手を煩わせるわけにはいかないと言わんばかりに、さくらは玄関を跨いだところで天崎と円の方へと振り返った。


「東四郎さんをお守りするという名目でこちらに来たのですが、お役に立てなくて申し訳ありませんでした」


 そう言って、さくらは深々と頭を下げた。


「いや、そんな……さくらさんが居るだけで心強かったですし、何より家事の方面でも大助かりでしたよ」

「私としても、ちゃんと一人暮らしできている東四郎さんを見ることができて安心しました。次に会う時は、さらに成長した姿を見せてくださいね」

「ゴールデンウィークまでに、そんな成長しますかね……」

「男子三日会わざれば刮目して見よって言いますからね」


 次の帰省予定のゴールデンウィークまで、もう三ヶ月もない。そんな短期間で成長を期待されても……と苦笑いする天崎に対し、さくらは甥っ子を応援する親戚のお姉さんのようにガッツポーズを見せた。


「では……」


 別れの挨拶はここまで。軽く会釈をしたさくらが背を向ける。そして天崎と円に見送られ、さくらはおののき荘の階段を降りて――行かなかった。


 何を思ったのか、彼女は空美の部屋とは反対の、隣の空き室へと入っていった。


「ちょっ! ちょちょちょちょっと待ってください! さくらさん!?」

「はい?」


 またも理解が追い付かず、天崎は狼狽しながらさくらを呼び止める。しっかりと足を止めてくれたまではいいものの、「こんな問題も解からないの?」とでも言いたげな呆れ顔を向けられたのは、ちょっと納得できなかった。


「なんでさも当然のように隣の部屋へ入ってるんですか!?」

「何故って……そりゃ部屋をお借りして、本日から私の寝床になるわけですからね」

「どうせそんなことだろうと思いましたよ!」


 最初から変だとは思っていたのだ。ものすごく急な話だったし、あれほど大人に頼れと言っていたさくらが天崎を残して一人で帰るわけがない。結局、部屋を移動するのにかこつけて、ただ単にからかっただけなのである。


 真相を知って肩を落とした天崎に、さくらは言い訳のように説明を加えた。


「本当はこちらに来てから三日四日くらいで移動しようと考えていたのですが、不運にも殺人犯に負傷させられてしまいましたからね。円さんの能力で傷を癒すため、今まで移ることができませんでした」


 まあ、納得はできる。納得はできる説明だが、悪戯が成功したことで憎たらしい笑みを浮かべるこのアラサーに、天崎は本気で拳骨を落としてやりたいと思ったのだった。


 もちろん、そんな無謀なチャレンジができるはずもなく、溜まりに溜まったストレスはすべてため息へと変換させた。


「別に都合が悪いわけでもないし、わざわざ部屋を移らないでも、このまま一緒でいいんじゃないですか?」

「いえいえ。私はよくても、東四郎さんがマズいのでは? 近々、ご友人がおののき荘に引っ越して来るんですよね? しかも巨乳で可愛らしい女の子が。こんなナイスバディなお姉さんと同棲してると知られてしまっては、いらぬ疑いを掛けられてしまいますよ?」

「情報通ですね! どこで聞いたんですか!?」

「空美さんたちとの女子会で、東四郎さんの大方の所業は耳に入れています」

「女子って年齢でもないでしょうが……」

「おっと。女性に対してそれは禁句ですよ。心が女子のうちは、いつまでも女子なのです」

「ずびばべん」


 病み上がりとは思えないスピードで接近してきたさくらが、天崎の頬を片手で握り潰した。その握力に圧倒され、縦に開いた口からは間抜けな呻き声が漏れるばかりだ。


「ま、東四郎さんはまだまだお若いですからね。大人の女性の考え方が分からないのも無理はありません。これから勉強していってくださいね」

「……精進します」


 素直に謝ったのが功を奏したのか、さくらはあっさり解放してくれた。


 だが天崎の物言いたげな内心を瞳の中に見たらしい。珍しく笑顔を浮かべたさくらが顔を覗き込んでくる。


「まだ何か言い足りない顔をしていますね。他に何かあるなら、ここでブチ撒けた方がすっきりしますよ」

「い、いえ……特にないです……」

「ならいいんですけど」


 さすがは幼い頃から天崎の面倒を見ているお姉さんである。「自分のことを二回もナイスバディって評してますけど、空美さんやターニャと比べると、どうしてもな……」とは口が裂けても言えなかった。間違いなく、命に関わる。


「ともあれ、家事については今まで通りお手伝いします。まあ口うるさい小姑が少し距離を置いた程度に思ってくれて構いません。それよりも早く登校の準備を。あんまりのんびりしてると、遅刻してしまいますよ」


 そうなった原因が何を言ってんだ。と思っているうちにも、さくらは新たな仮住まいとなった隣室へと入っていってしまった。


 嵐の後には、冬の朝特有の冷たく乾いた空気が残るのみ。


 今日はまだ始まったばかりだというのに、さくらにおちょくられて疲れ果てた天崎は、がっくりと肩を落とすのだった。

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