エピローグ
名もなき神社での一件から数日後、天崎は重大な決断を迫られていた。
あれ以来、殺人事件はパタリと止まった。神上立人が再びおののき荘に襲撃してくるようなこともなく、完全に影を潜めたのだ。
そこで大家が自分たちの今後を占ってみたところ、しばらくは殺人鬼の脅威が降りかかってくることがないと出たらしい。そのため昨日あたりから、友人の家に避難していた空美が戻ってきたのである。
安田との話もあるし、天崎としても空美と険悪なままなのは嫌だし、こうして覚悟を決めて挨拶に伺ったわけだが……どうしても尻込みしてしまい、さっきからずっと空美の部屋の前を行ったり来たりしていた。
しかし、ここで逃げてはいつまで経っても和解などできやしない。
大きく息を吸った天崎は、震える指でインターフォンを押した。
「開いてるから勝手に入ってこい」
チャイムが鳴り終わるやいなや、間髪入れずに空美の声が聞こえてきた。いやいや、誰が来たのか確認もせずに入ってこいって……。
一応、扉を開ける前に声を掛けようか迷ったものの、そもそも空美にとって来訪者が誰であろうと関係ないのだろう。そう判断した天崎は、お化け屋敷にでも入るかのように恐る恐る足を踏み入れた。
空美の部屋は相変わらずだった。六畳間の半分はセミダブルのベッドが占領しており、その上には衣服が脱ぎ散らかされている。玄関にはいくつものごみ袋が転がり、窓側では洗濯した下着が干してあった。
この状態で誰かも分からない来客を招き入れるとは、恥知らずというか、度胸があるというべきか。それなりに空美の性格を知っている天崎でさえも、呆れてしまっていた。
「お邪魔します」
「おう。やっと入ってきたか、東四郎」
一人用の炬燵に入ってテレビを観ていた空美が振り返った。そして玄関口で佇む天崎と目が合うと、空美はニッと口の端を吊り上げる。
その笑みと言葉の意味が分からず、天崎は首を傾げた。
「やっとって?」
「お前、ずっとあたしの部屋の前にいたんだろ? お前の部屋の扉が閉じてから、しばらく足音が聞こえてたからな」
つまり来客が天崎だと最初から気づいていたわけだ。
一本取られたことに恥じ入り、天崎はわざとらしく頭を掻いたのだった。
「で、何の用だ?」
「えーっと……」
急に用件を問われ、しどろもどろになってしまう。
しばらく口ごもった後、結局はシンプルに頭を下げた。
「あの時は本当にすみませんでした。俺が間違ってました」
「やめろやめろ。んな仰々しく謝んな」
何のことか言わずとも、空美は分かってくれたようだ。
謝られたこっちが居心地悪いと言わんばかりに、彼女はしっしと手を払う。
「お前にはお前の考えがあったんだろうし、あたしは気に食わなかったけど、別にお前が悪いと思っちゃいねえよ。それと、あたしからは謝んねえからな。あたしも悪い事をしたつもりはないし、お前を殴ったことも間違いじゃないと思ってる」
「ええ。空美さんは謝らないでください。謝られると、こっちの調子が狂います」
「なんだよ、それ」
真剣に言い張る天崎に対して、空美は呆れたように鼻で笑った。
最初から和解など必要なかったことに、天崎は今さらながら気づいた。お互い忌み嫌っていたわけではなく、また喧嘩をしていたわけでもないのだから。
当たり前の日常が戻ってきたことを実感し、天崎の顔に自然と笑みが浮かぶ。
それを見て、空美は何か感じ取ったようだ。
「お前、ちょっと変わったか? なんつーか……憑き物が取れたような感じがするぞ」
「かもしれませんね」
空美の指摘を否定せず、天崎は深く頷いた。
神上との一件により、天崎は自分の罪の認識が間違っていることを知った。もちろんヨミを殺したことは決して許されはしないし、それは一生背負っていくべき業である。そこは前と変わりがない。
しかし、それと同時に自分を許してくれる人がいる。自分の罪を一緒に背負ってくれる仲間がいる。だから立ち止まる必要はないし、落ち込む必要もない。倒れそうになったのなら、隣にいる誰かに支えてもらえばいいのだから。
仲間に頼る。そんな当たり前で大切なことを、リベリアが教えてくれた。
力強く、それでいて清々しさを内包した天崎の眼差し。
その瞳を目の当たりにした空美は、我が子の成長を喜ぶ母親のようにはにかんだ。
「何があったかは知らんけど、お前はその方がカッコイイよ」
「え?」
普段の振る舞いからは想像もできない言葉が飛び出て、天崎は思わず固まってしまう。しかも口にした本人も「やべっ、口が滑った」と言わんばかりにバツの悪そうな顔をするものだから、少々気まずい空気が漂い始めた。
まるで飛び回っている羽虫を目で追うように、意味もなく視線を彷徨わせる二人。
やがて空美が提案という形で先に口を開いた。
「あー……なんだ。どうしても謝りたいって言うんなら、金は出すから今度なんか飯でも作ってくれ。円も喜びそうな、特別豪勢なやつな」
「もちろんです。けど、お金は要りませんよ。言ってくれれば、いつでも作ります」
「ばーか。高校生が遠慮してんじゃねえよ。あたしが金を出す。お前が飯を作る。これでチャラだ。いいな?」
聞きようによってはずいぶんと乱暴な物言いだが、これこそが天崎の知る有沢空美だ。傍若無人な振る舞いに、頼りがいのある姉御肌。非日常から日常へ、かけがえのないいつも通りが帰ってきた。
「はい!」
だからこそ天崎は、今までしたことのないような最高の返事を返したのだった。




