第13章 ヴラド三世の正体
午前三時。
名も知らぬ小さな神社で殺人鬼との死闘を終えた天崎は、リベリア、安田とともに、おののき荘へと帰還していた。
月明かりをぼんやりと反射しているおののき荘の屋根が見えたところで、天崎はどっと疲れたように肩を落とす。それも仕方のないこと。田畑の広がる馴染みのない土地から、ここまで歩いてきたのだ。多少なりとも血を失っている天崎にとっては、拷問のような距離だった。
もちろんリベリアに運んでもらうという選択肢もあったのだが――、
『お姫様抱っこならしてあげますよ!』
『んな恥ずかしいマネができるか!』
余計なやり取りとプライドのせいで、楽をするチャンスを逃してしまったのだった。
早々に布団に潜って眠りたいところではあるが、もうひと踏ん張りしなければならない。なんでもヴラド三世の去り際の言葉について、リベリアから話があるという。
とはいえ、どのみち話を聞くだけだ。まさかここから休む間もなく遠出をすることにはなるまいと高を括り、大きな欠伸をかましたのだが……おののき荘の庭先に立っている黒い影を目撃して、疲れも眠気も一気に吹っ飛んでしまった。
「やっと帰ったか。おかえり」
白い息を吐いて出迎えてくれたのは、黒い防寒着で身を包んだ安藤だった。
友人の不意の登場に、一瞬だけ思考停止に陥る天崎。しかし脳がその人物を安藤と認識するやいなや、天崎は小走りで駆け寄っていき、彼の頭を無言で軽く小突いたのだった。
「痛ッ! いきなり何するんだ!」
「いや、なんとなく殴っといた方がいいのかと思って」
「意味が分からない」
「俺もよく分かってないから気にすんな」
リベリアや安田に情報を漏らしたことについては責めてしかるべきだが、それが助けになったのも事実。結局、感謝と非難、どちらを優先して安藤と向き合えばいいか分からず、ひとまず殴って解決しようとしただけだった。
当然、その意図が安藤に伝わるわけもなく、「ったく、メガネが落ちたらどうしてくれるんだ……」と愚痴られるばかりだが。
そんなアホみたいなやり取りをしているうちにも、天崎は根本的な疑問に気づいた。
「で? こんな時間にこんな場所で、お前は何やってるんだ?」
「安藤さんは私がお呼びしたんですよ」
「あぁ、歩きながらどこかに電話してたもんな」
つまり神上に逃げられた経緯や事の顛末なども、すでに伝わっているということだ。無駄な説明が省けて大助かりである。
「聞いた話じゃ、ヴラド三世の正体が判ったんだって?」
「はい、そうなんです」
安藤が問うと、リベリアは神妙な声で答えた。
なるほど。もったいぶってたんじゃなくて、二度も説明するのが面倒だっただけかと、天崎は納得した。
「私はクルクルさんを連れてきますので、天崎さんは先に部屋へ戻っててください」
「なら俺は一足先に帰らせてもらうよ。三人とも、あまり夜更かししないようにね」
「あっ、はい。お疲れ様です!」
早々に自分の部屋へ引き上げていく安田を見送った後、天崎たちと別れたリベリアは、大家の部屋へと足を運んだ。
だが、そこで深刻な事態に気づく。
今は午前三時。吸血鬼にとっては普通に活動時間だが、世間一般では就寝中なのが常識。このまま訪ねては、さすがに迷惑だろう。
でもクルクルを連れて行くと言った手前、手ぶらで戻るのも恥ずかしいしなぁ。
そんな逡巡をしていると、突然、大家の部屋の明かりが点いた。少し間を置いて、ゆっくりと玄関の戸が開く。寝間着姿の大家が、柔和な笑みを浮かべて顔を覗かせた。
「おや、リベリアちゃんかね。何か用かい?」
「えっ! 大家さん、起きてらっしゃったんですか?」
「そりゃ安藤君から東ちゃんのことは聞いていたからね。心配で待っていたんさ」
「すぐ天崎さんに謝りに来させます!」
慌てて二階へ向かおうとするリベリアを、大家は「ええよええよ」と引き止めた。
「で、どうかしたのかい?」
「実はクルクルさんをお借りしたいのですが……」
「クルクルねぇ」
そう呟いて、大家は押し入れの方を一瞥した。
「やはり、こんな深夜では難しいですかね?」
「あの子にとっちゃ、昼も夜も関係ないよ」
「それもそうですね」
「ま、声だけ掛けてみな。ミルミルは寝てるから、静かにお願いね」
お礼を言ったリベリアは、忍び足で大家の部屋へ上がる。できるだけ音を立てないように押し入れを開けると、布団の上で気持ちよさそうに眠っている惰天使を発見した。
「夜分遅くにすみません。クルクルさん、少しお時間を頂けませんか?」
「うーん……あと十年……」
「百年近く生きている私にとっても相当な時間ですよ、それ」
常套句とはいえ、あまりの長さにリベリアも呆れてしまった。
「話に参加してくれるだけでいいんです。布団で眠ったままでも構いませんので」
「運べ」
「語尾は!?」
ついつい大声でツッコミを入れてしまい、大家に叱られるリベリアだった。
そのままクルクルを抱えて二階へ向かう。天崎の部屋には、さっき別れた二人と折れた右脚を投げ出して座っているさくらがいるだけで、円の姿は見えない。おそらく押し入れの中で眠っているのだろう。
部屋の端に敷いてある布団にクルクルを放り込む。その際、安藤の手によって絆創膏まみれにされている天崎の顔を見たリベリアは、ぷっと吹き出した。
「これが本当の絆装甲って感じですかね。ぷぷ」
「面白いことを言いますね、リベリアさん。その調子で東四郎さんをなじっていきましょう」
「リベリアは別になじってるわけじゃありませんし、連絡しなかったことについては、さっき謝ったじゃないですかぁ」
涙ながらに訴える天崎。とはいえ、これも自業自得なので仕方がない。
学校が終わってから一度も連絡を寄こさず、こんな時間に帰ってきたと思えば、全身傷だらけ。話を聞くと、殺人犯と決闘していたという。叱られるのは当然だし、今後もネチネチと小言を言われ続けるに違いない。
ただ本件とはまったく関係のない惰天使の癇に障ったようだ。
布団の中で鼻提灯を膨らませたクルクルが迫真の寝顔でブチギレる。
「そんな下らないやり取りを見せるためにクルクルを呼んだなりか!?」
「場の雰囲気を和ませようとしただけですよ」
発端となる発言をしたリベリアが、呆れたようにクルクルを宥めたのだった。
そんなことをやっている間にも、安藤による治療が終わったようだ。絆創膏を貼る手を止めて、天崎の身体を一通り見回し始める。
「そんなに深い傷でもないし、もう出血も止まってるみたいだし、この辺りにしておこう。明日には全部かさぶたになってるだろうな。さすがは『完全なる雑種』の治癒力だ」
「破れた衣服は元に戻りませんけどね」
嫌味ったらしく言うさくらに返す言葉のない天崎は、がっくりと肩を落とした。
これ以上なじられるのは精神衛生上よろしくないので、天崎は安藤にお礼を言った後、さっさと本題に入った。
「それで、ヴラド三世の正体って?」
「はい。彼の言った『吸血鬼であって吸血鬼ではない存在』というのを真に受けるなら、一つ心当たりがあります」
居住まいを正したリベリアが、ヴラド三世の正体を静かに宣言する。
「おそらく彼は……現象としての吸血鬼です」
「「「現象としての吸血鬼?」」」
天崎、安藤、さくらが声をそろえて首を傾げた。
その際、天崎は安藤に目配せする。どうやら知識の豊富な安藤すらも知らないようで、彼は肩を竦めて首を横に振るだけだった。
「安藤さんが知らないのも無理はないです。現象の吸血鬼とは、吸血鬼界でもオカルトみたいなものですから」
「その現象の吸血鬼ってのは、いったい何なんだ?」
「ちょっと長くなりますが……」
そう断りを入れ、リベリアは説明を始めた。
「吸血鬼は人間の血を吸うことによって、その人間を眷属にすることができます。ただ当然ですが、それは成功した場合のみ。少なからず、失敗することもあるんです」
「失敗した場合はどうなるんだ?」
「吸血鬼にならなかった人間は、例外なくグール……生ける屍になります。けど安心してください。グールは見境なく人を襲いますが、創作でよくあるようなパンデミックになることはありません。グールから吸血鬼の遺伝子が感染することはないのです。そして最終的にグールとなった人間は、駆除されたり肉体が腐り果てたりして、そう遠くない未来に必ず活動を停止します。個体によって時間差はありますけどね」
呼吸を整えるように、リベリアは一息ついた。
今の話は、まあ納得できる範囲だ。特に疑問はない。ただ彼女の言う『現象の吸血鬼』とやらには、まだ繋がっていないように思えた。
四人の顔を窺ったリベリアが、さらに続ける。
「経過はともかく、グールは間違いなく死にます。ですが肉体が滅んでも、稀に精神だけがこの世に取り遺される場合があるみたいなんです」
「幽霊みたいなものか?」
「どうなんでしょうね。半透明の姿でぼんやりと宙に浮いているところは、似てるっちゃ似てるようなんですが。ただし、それは決して元の人間の魂ではありません。人間が吸血鬼に『成った』という精神の塊にすぎないのです。故に吸血鬼界では、吸血鬼に『成った』という『現象』だけが一人歩きしていると、オカルトのように伝わっているのです」
リベリアが一気にまくし立てるものの、聞き手の反応はいまいちだった。
天崎と安藤は難しい顔をして押し黙り、さくらはすでに理解を放棄。クルクルに至っては相槌すらないので、起きているのかどうかすら不明だった。
自分の説明が悪かったのかと戸惑ったリベリアは、妙な比喩を引き合いに出した。
「例えば水が百度に達すると水蒸気に変わるじゃないですか。水が人間で、水蒸気が吸血鬼。そして水を熱している炎が吸血鬼の遺伝子だと思ってください。その三つは間違いなくそこに存在している『物』。でも『蒸発』という現象そのものは、実際に存在しているわけではないですよね? 水から水蒸気に状態変化することを、便宜上『蒸発』と勝手に名付けただけですから。どういう状況下でそうなるのかは私も知りませんが、その『蒸発』という現象が目に見える状態……実物として存在している状態こそ、『現象の吸血鬼』なのです」
「例を出したせいで、余計に分かりにくくなってないか?」
「だって、これ以上どう説明すればいいのか分からないんですもん!」
開き直ったリベリアが声を上げて嘆いた。
ともあれ、なんとなく伝わってきた部分もある。あのブラド三世を名乗る老人は、それだけ訳の分からない存在だということだ。
そう結論付けようとしたところで、ふと安藤が呟いた。
「元々人間だったヴラド三世は、串刺しにした人間の血液を摂り続けることで吸血鬼へと『成った』。その『成った』という事実だけが、肉体や魂を置き去りにして一人歩きしているってわけか」
「そういうことです! しかもヴラド三世は吸血鬼の手を借りずに吸血鬼へと至った、おそらく唯一の存在だと言われています。だから現象となって下界に残ることも可能なのでは? どう思いますか、クルクルさん!?」
食い気味に問いかけるリベリア。
布団の中でぐっすり眠っているクルクルは、気怠そうに答えた。
「その現象の吸血鬼とやらが実在する仮定で言うなりが、信憑性はかなり高いなりねぇ」
「クルクルさんに太鼓判を押してもらいました!」
「そこまで大きく支持するつもりはないなりが……天界に存在を抹消されたからこそ、そういうイレギュラーが発生しても何ら不思議ではないなり。ヴラド三世という偉人が消えた穴を埋めるために、世界が現象の吸血鬼とやらを無理やり捻じ込んだ、とか」
「なるほど」
クルクルの言説に、安藤が大きく頷いた。
「一つ、腑に落ちない点があったんだ。ヴラド三世はいずれ復活するためだと言ってたけど、いったいどのタイミングで天崎家の血筋に意識を植え付けたんだ? 連行される寸前にそんな余裕があったとは思えないし、さらに前から保険を掛けていたとも考えにくい」
「た、確かに」
「つまりヴラド三世は生前に分裂したわけじゃない。天界で確実に排除された後、下界に残っていた現象の吸血鬼が行動を起こしたんだ。ついでに奴の肉体に魂が入ってなかったっていう石神の証言とも辻褄が合う」
石神はヴラド三世に裏切られた際、その身体を死神の大鎌で切り裂いたらしい。しかし本来あるはずの魂の手応えはなく、ヴラド三世はすぐに姿を消したのだと言う。
この場の見解としては、ヴラド三世は現象の吸血鬼ということで一致しそうだ。
そう判断した天崎は、リベリアに訊ねた。
「その現象の吸血鬼ってのは、どんな特徴をしてるんだ?」
「私も実際に視たことがあるわけではないので、他の吸血鬼の受け売りですが……生前の姿形をしていて、身体は半透明で、本人に意識があるのかないのか、ひどく虚ろな状態でその辺を漂ってるだけです。声を掛けると、たまに反応してくれる時もあるみたいですが、最終的には自然消滅してしまい、いつの間にかいなくなってるそうなんです」
その話を聞いた天崎は、さすがに首を捻らざるを得なかった。
「あの老人と全然違うじゃないか」
「そうなんですよねぇ。あの人、ちゃんと喋ってたし、普通に意識があるようでしたし」
「お前、確か握手もしてたよな?」
天崎たちが最初にヴラド三世と出会ったのは、マロンと外食をした帰り道だった。音もなく夜道に現れたヴラド三世に駆け寄り、リベリアは嬉しそうに握手を交わしたはず。この人がおののき荘を教えてくれたんですよ、と言って。
するとリベリアは申し訳なさそうに顔を伏せた。
「すみません。実はあの時、手の感触をまったく感じてなかったはずです。人間ではないというのは初めから気づいていましたから、そういうものだと思っていたもので。実体があったかどうかは、ちょっと判断できかねます」
「まあ今さらそれを責めるのは酷だわな」
ただ天崎としては、どうしても訊いておかなければならないことがあった。
「で、その現象の吸血鬼は他人の身体を乗っ取ることができるのか?」
「それについて一つ仮説を思いつきました。天崎さんは一般的に知られている吸血鬼の弱点をご存じですか? 例えば流水を渡れない、鏡に映らない、聖水に触れると火傷をする、とか」
「聞いたことはある。けどお前、普通に鏡に映るよな?」
「やだなぁ、天崎さん。実在する物体が鏡に映らないわけないでしょ。ぷぷ」
「…………」
何故このタイミングで煽るようなマネをしてくるのか。眠気と疲労で今にもぶっ倒れそうな体調の天崎には、リベリアの考えを理解することなど到底できそうになかった。
「実を言うと、それらはすべて現象の吸血鬼の特徴なんです。逆に日光やニンニクに対しては何ともないらしいんですが……で、その中に『招かれないと家に入ることができない』という制限があるんです」
リベリアが見回すと、眠っているクルクル以外の一同は頷いた。どうやら既知の情報だったようだ。
「逆に言うと、招けば家に入ることができる。人間の身体を家と見做して、家主の許可さえあれば人格を乗っ取ることも可能なんじゃないかと思いまして」
「「あっ」」
声を上げた天崎と安藤が顔を見合わせた。
学園祭での一件では、実行犯である石神に課せられた任務が二つあった。死神の血統を覚醒させることと、もう一つ、天崎の心を折れというものが。
例えば失意のどん底に落ちた天崎が、生きる気力を完全に失ってしまったら? ヴラド三世に身体を明け渡しても構わないと、少しでも思ってしまったら? 天崎本人が許可を出せば、簡単に奪われてしまうだろう。
「天崎。くれぐれもヴラド三世の言葉に惑わされるなよ」
「……分かってるよ」
安藤の忠告に、天崎は重々しく頷いた。
とそこで、一旦ここで区切りと言わんばかりにリベリアが手を叩く。
「あの老人が現象の吸血鬼ならば、ひとまず放っておいても問題ないでしょう。誰かに指示を出す以外、何もできないはずですので。それよりも脅威なのが、連れて帰った殺人鬼と、一緒にいた白人男性です」
「白人男性?」
その存在を初めて知ったかのように、安藤が怪訝な表情を見せる。
なんだ、電話で話してなかったのかよと呆れた天崎が説明を加えた。
「ヴラド三世と一緒に変な外国人がいたんだよ。全体的に白っぽかったし、あの身なりはどう考えても天使だった。お前の予想通りなら、あれがカラエルなんだろうな」
「カラエル!?」
突然、大堕天使の名を叫んだクルクルが飛び起きた。鼻提灯を膨らませて安眠していた今までとは打って変わって、非常に慌てた様子で目を白黒させている。
「クルクルさんはカラエルのことを知っているんですか?」
「当たり前なりよ! カラエルは天界史上最悪の大天使として歴史に名を残してるなり!」
「最悪って……そんなにヤバい奴なのか?」
「個人の人格までは知らないなり。ただカラエルは、大天使の中でも上位の能力を持っていたと言われているなりからねぇ。そんな奴が堕天したものだから、当時の天界は大騒ぎになったみたいなり」
約五十年前に製造されたクルクルに対して、カラエルが堕天したのは千年以上も昔のこと。当時の状況を知らないのも無理はない。
「上位の能力って、どれくらいなんだ?」
「面識があるわけじゃないからクルクルは知らないなりよ。教科書に載ってる人物が、どんな奴だったかなんて。ただ堕天して下界の秩序の枠に収まっているのなら、天界にいた頃と比べて格段に能力が落ちてることは間違いないなりね。天界総出なら簡単に排除できると思うなりが……そうなるとサボってたクルクルはお咎めを食らうし、ミルミルってガキも見つかって排除されるかもしれないなりね」
むしろクルクルは叱られろと天崎は思ったが、ミルミルが排除される可能性があるのなら、天界に任せる選択肢を選ぶわけにはいかなかった。
つづいて天崎は無言で安藤を見る。
その視線の意味に気づいた安藤は、肩を竦めて首を横に振った。
「カラエルという名の大天使が堕天したことは耳にしてたけどね。クルクルと同じで、悪魔の僕が彼のことを詳しく知ってるはずがないよ。今のところ対抗策も思いつかない」
最後に天崎はリベリアの方を窺った。
「リベリアは元々カラエルを知ってたのか?」
「いえいえ。もちろん私もカラエル個人は知りません。ただ身なりが文献に載っている大天使の姿そのままだったので、天崎さんを止めたまでです。大天使など、下界で生きる我々が手を出していい存在ではないですからね。触らぬ神に祟りなし、です」
「リベリアにそこまで言わせるのか……」
こちらの一番の戦力ですらも太刀打ちできないと言うのだ。カラエルに対する打開策が浮かばず、思わず頭を抱えてしまう。
「とにかく、だ」
話を締めくくるように、安藤が膝を叩いた。
「奴らが今どこにいて、どうやってこちらに干渉してくるか予想できない以上、どうしても受け身にならざるを得ない。僕もできる限り調べてみるつもりだけど……まあ普段から気を抜くなってことだね。何か異変を感じたら、直ちに情報共有すること」
「それくらいしか対策しようがないよなぁ……」
ぼやいた天崎が天井を仰いだ。
現時点で判明しているのは、奴の目的のみ。どれだけの協力者がいるのか、はたまた今後どう仕掛けてくるのか、何もかもが不透明な状況だ。
しかも気配もなく現れ、一瞬にしてその場から離脱できるような能力者もいる。こちらからアプローチする方法は、ほとんど皆無と言っていいだろう。
少し考えてみたものの、やはり交通事故を回避するように、普段から気をつける以外の対策は思いつかなかった。
ふと視線を感じ、横を見る。両手に拳を作ったリベリアが、熱い眼差しを送っていた。
「大天使を相手にするのは難しいかもしれませんが、あの殺人鬼程度なら任せてください。殺さずに捕まえられるよう、力の調整も頑張ります!」
「もちろん頼りにしてるよ」
リベリアが側にいれば、なんとかなる気がする。そう思わせるほど、意気込んだ彼女からは自信が溢れていた。
今後の方向性が決まったところで、天崎は時計に目を移す。
まだ夜は明けていないものの、夏だったら東の空が白ばんでくる時間帯だ。神上が起こした事件のせいで今日の授業がどうなるかは分からないが、少しくらいは睡眠を取った方がいいだろう。
そう思い、解散を促そうとしたのだが――、
「いやいやいやいや。ちょっと待ってくださいよ、東四郎さん」
今まで沈黙を貫いていたさくらが、立ち上がろうとする一同を引き止めた。
「さくらさん、どうかしましたか?」
「どうしたもこうしたも、東四郎さん、助けを呼びましょうよ」
「助け?」
何のことやらとでも言いたげに、天崎は首を捻った。
あまりの察しの悪さに、さくらは苛立ちの表情を浮かべる。ああ、これは今から叱られるんだなと、天崎は長年の経験から悟った。
「得体の知れない相手から狙われているのでしょう? だったら助けを求めるべきです。相手が相手なので警察は難しいかもしれませんが、少なくとも自分たちだけで解決するようなことではありません」
さくらの言わんとしていることは分かった。とはいえ、天崎の方にもそれができない理由がある。
リベリアと安藤を一瞥した天崎は、さくらの方へと向き直った。
「すみません、さくらさん。中身が悪魔の安藤は知識が豊富ですし、吸血鬼のリベリアには世界規模で見てもトップクラスの戦闘力があります。これ以上の戦力を望むのは、ちょっと難しいかと……」
「いえ、戦力だけの問題ではありません。何かあった時に備えて、支えてくれる大人に相談しておくべきです。それこそ自分の両親でもいいし、あなたの祖父に事を伝えれば、もっと多くの人魚を寄こしてくれると思います。東四郎さんはまだ子供なんですから、大人に守ってもらわないと」
年齢に関して言えば、さくらはこの中でも下から二番目なのだが、話が拗れそうなので黙っておいた。
「でも俺が狙われてるわけですから、他人に迷惑は掛けられませんよ。今も話してたように、カラエルは非常に危険な存在だし、殺人鬼の神上だって今まで何人も殺しています。余計な犠牲者は出したくないんですよ」
「迷惑? 余計な犠牲者? 今後に及んで、まだそんなことを言っているのですか?」
「…………」
お互い譲ることをせず、二人は真っ向から睨み合う。
しかし必死に訴えるさくらの眼差しを見て、天崎はふと思い出した。
脳裏を過るのは、つい先ほどの出来事。神上を殺せなかった自分は、かなり危険な状況まで追い込まれた。リベリアや妖怪たちが来てくれなかったら、どうなっていたか分からない。
さらに、数ヶ月ほど前に聞いた安田の言葉が蘇る。
『天崎ちゃん。まずは自分を助けてみたらどうかな?』
そうだ、その通りだ。
自分はいつも一人で突っ走り、失敗するたびに誰かに助けられてきた。迷惑を掛けたくなくて、結局は余計な迷惑を掛けてきた。なのに今さら助けが必要ないだなんて、口が裂けても言えるはずがない。
だったら今度は自分から助けを求めてみよう。
もしかしたら、それが成功の鍵になるかもしれないのだから。
「……分かりました」
目を閉じた天崎は、さくらの言葉を噛み締めるように呟いた。
「何かあったら必ず相談します。そのためにも、今は信頼できる仲間と情報を集めたい」
「何かあったら、ですか」
もうその段階に来ているのでは? とでも言わんばかりに、さくらが深く息を吐いた。
そして妥協できる範囲かどうか見極めるように熟慮した後、彼女は意地っ張りな弟に向けて優しく笑いかけた。
「仕方がありませんね。ですが、危険が迫る前に必ず助けを呼んでください。絶対ですよ。お姉さんとの約束ですからね?」
そう言いながら、さくらは小指を立てた手を天崎の方へと差し出した。
「えぇ、約束します」
力強く頷いた天崎は、迷うことなく自分の小指を絡めたのだった。




