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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第9話『マーダー・オン・マーダー』

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間 章 とある殺人鬼と????たちの会話

 老朽化が進み、入居者がいなくなってから長年放置された市営の集合団地。


 廃墟と化した、その棟の一角。黴臭くも、わずかに生活の痕跡が残っている部屋の中で、神上はうつ伏せのまま倒れていた。


 血を失いすぎたせいか、彼は未だ満足に動くことができない。


 そんな神上を取り囲むように立つ男が三人。


 一人はルネサンス期の彫刻のような西洋人。その身は約千年前に天界から堕天した大堕天使――カラエルだ。


 もう一人は、丈の長いトレンチコートを羽織った二十代の男。名は戸塚秀明。


 そして最後に、同じくトレンチコートを身に纏い、フェルトハットを被った電柱のように背の高い老人。真偽は定かではないが、その老人はとうの昔に存在を抹消された偉人、ヴラド三世であるという。


 そんな得体の知れない男たちが廃墟の中で三人も集い、二十歳にも満たない青年を見下ろしている様は、それだけで異常な光景だった。


 やがて床に伏している神上が小さく呻き声を上げる。どうやら失血のせいで、意識が朦朧としていたようだ。


「ここ……は?」

「案ずるな。ここに敵はいない」


 親のように慕う人物の声が耳に届き、神上はわずかに首を動かした。

 正面に視線を向けると、見慣れたトレンチコートの裾が目に入る。


「ヴラドの……爺さん……」


 恐る恐る、その名を口にする。


 神上が身を竦ませてしまうのも仕方のないこと。天崎と対峙しろという指示はなく、あろうことかヴラド三世が将来的に乗っ取ろうとする肉体を殺そうとまでした。命令違反どころか完全に背任行為である。


 さらにはおののき荘の住人を一人も殺すことができず、挙句の果てには目撃者を出してしまうという失態続き。弁解の余地などあるはずはなかった。


「爺さん……ゴメン。僕、役に立てなかった……」


 謝罪の言葉を口にした神上は、親に叱られる子供のように顔を伏せた。どんな罰でも受け入れる。そんな覚悟すら見受けられるほどの落ち込みっぷりだった。


 しかし待てども待てどもヴラド三世からの返答はない。不思議に思い、少し無理をして首を傾けると、フェルトハットの下で不気味に笑っている老人の顔が目に入った。


「いや、お前はよくやってくれた」

「え?」

「ずいぶんと役に立ってくれたと言っている。俺のために、お前はよく働いてくれた」

「爺さん……」


 神上にとって、それは救いの言葉だった。


 この世に生を受けてから六年間、神上は誰にも必要とされない存在だった。暴力の捌け口にされていた父親を殺し、偽りの愛しかくれなかった母親から逃げ、一人になった神上は死を選択した。


 だが神上は今もこうして生きている。なぜならヴラド三世が拾ってくれたから。


 そう。ヴラド三世は、この世で唯一自分を必要としてくれた存在なのだ。そんな人物からの誉め言葉は何よりも嬉しく、そして誇らしいものだった。


 同時に、神上の気持ちが沈む。障害となっているのは、天崎東四郎という名の人物。

 自分はヴラド三世にとって一番ではない。本当に必要とされているのは、あの少年だ。


 天崎に対する嫉妬心。それこそが心の奥に蔓延るしこりの正体だと、ようやく気づいた。


「爺さん、訊きたいことがある」

「なんだ?」

「爺さんは……天崎東四郎の身体を乗っ取るつもりなのかい?」

「そうだ」


 誤魔化すことなく放たれた返答に、神上は落胆した。


 身体を欲するとまで言うのだから、天崎はかなり重要視している人物なのだろう。ただの戦闘員として育てられた自分とは、優先順位が雲泥の差に違いない。ヴラド三世の一番が自分じゃないことを改めて認識させられ、神上は失望した。


 その時、神上はふと妙なことを思いつく。


「僕の身体じゃ……ダメなのかい?」


 自分でも何を言っているのか、よく理解していない提案だった。


 ヴラド三世が天崎を欲している理由は、彼が特殊な肉体だからだと、神上自身も知っているはずなのに。


 つまらない対抗心のせいでバカなことを口にした。とでも言うように、神上は顔を伏せる。そして、これ以上失望させないためにも、今の戯言を慌てて取り消そうとしたのだが……。


「誰もダメだとは言っていない」


 予想だにしなかった回答に、神上は驚きを隠せなかった。


「え?」

「ダメだとは言っていない、と言ったんだ。なんだ、くれるのか? その身体を」


 確かにその通りだ。ヴラド三世は天崎が欲しいと言っただけで、神上の身体を必要としていないとは一言も言っていない。自分じゃダメだという結論は、神上の思い込みだった。


 なら爺さんの役に立てる! そう喜び勇むのと同時に、不安も生まれた。


 身体を提供した後、自分はどうなる?

 天崎じゃなくていいのなら、爺さんに妥協させることになるのでは?


 しかし、それらの懸念はすぐに霧散した。


 この身体は十二年前、すでにヴラド三世に捧げた身。今さら惜しくはないし、彼が欲しいと望むのであれば何も問題はない。何より、命を預けた人物が自分の身体を使ってくれる。これ以上の喜びはなかった。


「ヴラドの爺さんの為なら」


 床に伏せたまま、神上は己の決意を伝えた。


「では、ありがたく受け取ろう」


 口元を歓喜で歪めたヴラド三世は、神上の頭に手を置いた。その様子は、まるで孫を労わる祖父のよう。場所や状況が異なれば、人情味に溢れた光景にも見えるだろう。


 ただ残念なことに、手を差し伸べている老人の方に慈しみの心などなかった。


 あるのは自らの欲求のみ。仮の肉体を得るために、手塩にかけて育てた我が子を喰い殺す、非常に残虐な行為だった。


 すると突然、ヴラド三世の身体が一瞬にして消失した。まるで肉体だけが別の次元へと転送されたかのように、トレンチコートとフェルトハットがその場に落ちる。それと同時に、神上も意識を失ってしまった。


 今まで言葉を交わしていた二人が口を閉ざしたため、廃墟の一室に耳鳴りがするほどの静寂が訪れる。


「なるほど。こういうシナリオだったのか。だから目撃者を出さないように配慮していたわけだね?」


 しばらく成り行きを見守っていた大堕天使のカラエルが、感心したように口を開いた。

 同じく神上の末路を看取った戸塚が答える。


「ええ。殺人犯として顔が割れてしまうと、肉体を頂戴した後で、自由に往来を闊歩できなくなりますからね」

「ちなみに、この殺人鬼への乗っ取りも百パーセント成功するわけじゃないんだろ? 失敗したらどうする?」

「その場合はすみませんが、お楽しみはこれにて終了ということで」

「それもまた一興」


 瞼を閉じたカラエルが、安定しない天秤を前にしたような苦笑いを浮かべた。


 それから一分ほど待機していると、神上の指が唐突に動いた。痙攣のような生体反応ではなく、肉体が意志を持って活動を再開する。


 そして時間を掛けてゆっくりと起き上がった。


「…………」


 その身体に宿る精神はヴラド三世か、それとも神上立人か。

 己の全身をじっくり観察している様を見れば、誰の目にも明らかだった。


「どうやら成功したみたいですね」

「……そのようだな」


 ホッと安堵する戸塚には目も向けず、ヴラド三世は己の物となった神上の肉体を興味深そうに観察していた。


 つづいてカラエルが訊ねる。


「閉所恐怖症の方はどうかな?」

「アレは奴の精神的な欠陥だ。俺には関係ない」

「よかった。なら、もう僕が手伝う必要はないね」


 やっと傍観者に徹することができるとでも言いたげに、カラエルは嘆息した。


 やがて自分の身体を一通り眺め終えたヴラド三世が頭を上げる。その顔には、神上が浮かべそうにない邪悪に満ちた笑みが張り付いていた。


「ククク。なるほど、とても素晴らしい身体だ。久々の肉体にしては上出来だろう」


 そう言いながら、ヴラド三世は新しいシューズを買ってもらった子供のように飛び跳ねる。とてもじゃないが、血を失いすぎて今の今まで伏していた者の動きではなかった。


「ずいぶん浮かれてるようですけど、失血は大丈夫なんですか?」

「問題ない。血を失っただけで動けなくなるとは、奴もまだ人間の枠に囚われていたということだ。本物の殺人鬼は、腱が切れようが骨が砕けようが、人を殺すためなら一切停止しない種族なのだよ」

「そうですか」

「だが、この身体は少々肉が足りない。『完全なる雑種』を手に入れるまでの繋ぎとはいえ、活動するには不十分だ。俺はしばらく身を隠し、この肉体を鍛え上げることにする。その間のことは任せたぞ、戸塚よ」

「えぇ。まずは久々の肉体で俗世を楽しんで、存分に休養してください」


 執事のように頭を下げる戸塚。その佇まいは、神上とはまた別の忠誠心を宿しているようでもあった。

 頷いたヴラド三世は、部下と協力者に背を向け、闇に染まる天井を見上げる。


「この殺人鬼すら混じった『完全なる雑種』の血統は、さぞかし凄まじいのだろうな」


 殺人鬼の皮を被った殺人鬼は、恋焦がれた相手の到着を待ちわびるように、舌を舐めながら笑い声を上げたのだった。

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