第12章 百鬼夜行
「……リベリア?」
呆気に取られた声でその名を呼ぶと、リベリアの耳がわずかに震えた。
彼女は神上を牽制したまま、天崎の方へと振り返る。
「天崎さん、大丈夫ですか? うわぁ、こんなにたくさん傷を作っちゃって……」
「なんともない。これくらいなら、すぐに塞がるよ」
事実、百を超える傷の中でも、致命傷となるものは皆無だった。
それでも痛いものは痛い。リベリアに支えられながら立ち上がると、自然と目尻に涙が浮かんできた。ただ、それが本当に痛みによるものだったのか、それとも頼もしい味方が来てくれたことによる安堵のためだったのか、はたまた情けない自分を悲観したせいだったのか、天崎自身にも分からなかった。
ともあれ、こぼれ落ちた涙は弱音を吐き出す引き金にもなる。
「悪い。意気込んで奴の誘いに乗ったはいいものの、結局何もできなかった。またリベリアに迷惑かけちまった。……すまない」
みっともない姿を見せるのが嫌で、天崎は顔を伏せた。
しかし脆く崩れ去っていく自尊心を、心強い味方が支えてくれる。
天崎の頭を両腕で包み込んだリベリアは、その胸へと優しく抱き寄せた。
「大丈夫ですよ。迷惑だなんて思っていません。それに天崎さんが失敗しても誰も責めたりはしませんし、私も笑って赦します。だから、どうか落ち込まないでください」
その瞬間、喉の奥で熱い何かが弾けた。
赦す。その一言が、雁字搦めにしていた天崎の罪悪感を解いたのだ。
自分を赦してくれる誰かが側にいる。たったそれだけで、心がとても軽くなった。
「俺は、正月……人を殺した」
それを実感したためか、燻ぶっていた感情が自然と口から漏れた。
ヨミを殺した罪。一生背負っていくべき業であり、絶えず自分を責め続けなければ償われることはないと信じてきた大罪。
涙混じりの声で、天崎は己の犯した罪を告白する。
「事故だったけど……殺す気なんてなかったけど、それでも一人の命を、俺は……俺は……」
「天崎さん。天崎さんは私と出会った時に言ったこと、覚えてますか?」
「出会った時に言ったこと?」
心当たりがなく、戸惑いながら言葉を詰まらせる。
するとリベリアは過去を懐かしむように答えた。
「言ったじゃないですか。お前の背負ってる物が重かったら、俺が半分持ってやるって。私も同じです。天崎さんが辛いと思ってるなら、その気持ち、私も半分持ちます。だって、何があっても私は天崎さんの味方ですから」
天崎の目から再び涙が溢れる。ただ今度は、その意味を明確に読み取ることができた。
嬉し涙だ。リベリアがいてくれて本当に良かったと、心の底からそう思った。
しかし、いつまでも彼女に身を預けているわけにはいかない。殺人鬼は未だすぐそこにいるのだから。
「では天崎さん。あとは私に任せてください」
「ま、待てリベリア!」
天崎の制止を振り払い、リベリアはゆっくりと立ち上がった。
彼女にとっては二度目の対峙である。だが実際に戦った天崎は感じ取っていた。リベリアでは神上を捕まえることはできない、と。
その根拠を示すかのように、リベリアは苦い顔を露わにした。
「あらら~。以前会った時よりも、ずいぶんと強くなっちゃってるみたいですね。これは少々骨が折れるかも」
そう呟いた後、彼女は背後にいる天崎の方へと肩越しに振り返った。
「すみません、天崎さん。もしかしたら見たくないものをお見せしてしまうかもしれません。できれば目を閉じてていただけませんか?」
「ダメだ! リベリア!」
リベリアは全力で戦うつもりだ。そうでなければ彼女自身の身も危うく、また天崎を守ることもできない。この短期間で、神上は殺人鬼としての純度を極限まで高めていた。
そしてリベリアが本気を出すということは、神上の死を意味する。人間をベースとした殺人鬼が吸血鬼に敵うわけもなく、また生け捕りを狙って力の調節ができるほど、神上はか弱い存在ではなかった。
リベリアに人を殺してほしくない一心で、天崎は必死に引き留める。
しかし神上と相対した彼女は、すでに覚悟を決めているようだった。
「背中を向けてたのに攻撃してこないなんて、意外と紳士的な方なんですね」
挑発するように言うと、神上は嘲るような笑みを返した。
「ちょっとばかり趣向が変わってね。今は不意打ちで殺すよりも、正々堂々と戦って、キミたちよりも強いことを証明したいんだ」
「その証明に実力が伴っているといいですけどねぇ」
「今の僕なら吸血鬼も殺せるよ」
今から殺し合う二人の間には、それ以上の言葉はいらなかった。
リベリアは指を咥え、神上は腰を落として前傾姿勢になる。
お互いが臨戦態勢に入り、吸血鬼と殺人鬼が全力で衝突する――はずだったのだが。
戦いの火蓋が切られる、まさにその直前――、
境内を囲む雑木林の中から、非常に大きな物体が飛び出してきた。
「えっ?」
「なっ――」
迫り来る地響きに気づいた神上が顔を向けるも、すでに手遅れだった。
三メートル近くある巨体が、アメフト選手の如く突進してきて、神上を容赦なく撥ね飛ばした。あまりに予想外の出来事だったためか、神上はまったく反応できず、雑木林の方へと吹っ飛ばされていく。
そして突き飛ばした神上を追うようにして、巨大な闖入者もまた林の中へと消えていった。
「い、今のは……?」
「わ、分かりません。なんか牛の頭をした怪物に見えましたけど……」
状況が呑み込めず、困惑したまま神上と牛頭の怪物が消えていった方を目で追う二人。あの牛頭は二足歩行をしてはいたものの、どう解釈しても人間ではなかった。
すると今度は、牛頭が出てきた方から多数の化け物が姿を現わした。
異様に鼻が高い山伏衣装の男。体格の良い一つ目の子供。人魂のように宙に浮く灯り。全身から火が噴き出ている老人。両腕が鳥類の翼になっている女性。ぺらっぺらな胴体で飛んでいる紙のような生物。あとに続く猫や狸や狐も、どこか普通ではない特徴を有していた。
一見して明らかに人ではない生物が、次々と雑木林から出てくる。その数は三十……いや、小動物も含めれば五十を超えるかもしれない。
異常な光景を前に、ようやくリベリアは我に返る。慌てて警戒を始めたものの、化け物たちは天崎やリベリアには目もくれず、神上や牛頭を追うように列をなして境内を横断していくばかりだった。
「いったい……なんなんだ?」
「さ、さぁ……」
未だ理解が及ばない二人は、化け物たちが通り過ぎていく様子を、ただただ見守ることしかできなかった。
「これは百鬼夜行だよ」
解答は意外な方からやってくる。
神社の裏から現れた声の主は、半纏を羽織ったぼさぼさ頭の中年男だった。
ここにいるはずのない人物を目の当たりにして、二人は驚きの声を上げた。
「清志さん!?」「安田さん!?」
「そんなに驚かないでおくれよ」
おどけた安田は二人に軽く挨拶をすると、賽銭箱の横に腰を下ろした。
そして境内を横断する化け物たちの列を眺めながら、説明を始める。
「百鬼夜行の権限を親父から借りて、妖怪たちに招集をかけたんだ。ほら、ぬらりひょんは妖怪の総大将って言うだろ? 最初に殺人犯を吹っ飛ばしたのが牛鬼。そっから順番に、天狗、山童、狐火、火車、姑獲鳥、一反木綿……まあ説明しだしたらキリがない。彼らの中には、人間社会に溶け込んで暮らしている奴もいる。もちろん姿形が人間とは似ても似つかず、世間から隠れて生活してる妖怪もいるけどね。ま、俺もお世話になってる人ばかりだから、怖がる必要はないよ」
「なんでまた百鬼夜行なんか……」
問うと、おちゃらけた安田の表情が少しだけ険しくなった。
「みんな、河合のおやっさんの仇を取りたがってるんだ」
安田の言う河合のおやっさんとは、神上に殺された河童のことだ。つまり殺人犯に復讐をするため、被害者と仲の良かった妖怪を集めたということなのだろう。
しかしそれはあまりに危険な行為だと、天崎は安田を咎めた。
「ダメだ! 神上の強さは尋常じゃない! 返り討ちに遭うかもしれません!」
「大丈夫だって。みんなには一発殴ったらすぐ逃げるように言ってあるし、そもそも戦闘能力のない妖怪は連れてきてない。それに凶悪な殺人犯を相手にするんだ。みんな、多少の危険があることは承知してるよ」
「でも……」
「天崎ちゃんも、親友が殺された妖怪たちの気持ちを分かってやってくれ」
「…………」
それ以上は反論の言葉が浮かばず、天崎は押し黙った。
しばらくの間、三人は雑木林の中で動き回っている妖怪たちの音に耳を傾ける。すると安田がわざとらしく「ふーっ」と白い息を吐いた。
「そういや話は変わるけど、天崎ちゃんは何で有沢に殴られたか分かる?」
「空美さんに?」
数日前、おののき荘の庭先で空美に殴られたことを思い出した。
そうさせた原因が自分にあることは天崎も理解しているため、バツが悪そうに答える。
「俺が分からず屋で……年甲斐もなく駄々をこねたから、ですか?」
「それもあるけど、根本的には違うかなぁ」
そう言って、安田は自分の推理を語り始めた。
「有沢は天崎ちゃんと同じなんだよ。安藤ちゃんの自己都合なところにカチンときたんだ。でも自分は聞き分けのある大人だし、安藤ちゃんに脅しをかけると、それこそ自己都合になっちまう。そこへ自分が抑えていた感情を天崎ちゃんが遠慮なく言っちゃうもんだから、自分を止める意味も込めて、天崎ちゃんを殴ったんだ」
「えぇ、そんなことで……」
「それに桜枝さんが襲われたことも、殺人犯がおののき荘に来たことも、有沢は天崎ちゃんのせいだとは微塵も思っていない。にもかかわらず、天崎ちゃんはまるで自分に責任があるように背負い込んでる。それも苛立ってた要素だろうね」
「…………」
それはその通りなので、言い返すことはできなかった。
「結局、二人とも子供みたいなものさ。駄々をこねる天崎ちゃんも、八つ当たりで天崎ちゃんを殴る有沢も。だからまあ子供同士の喧嘩だったっつーことで、手打ちにしてやってくれよ」
安田はまるで保護者のように言う。
自覚はないが、自分もまだまだ子供だったことを知らしめられ、天崎は恥ずかしそうに頭を掻きながら目を逸らした。
「仲直りできるなら、それに越したことはないですけどね」
そう呟いて横を見ると、何やらリベリアが感心したように頷いていた。
「空美さんは安田さんの何十倍も生きてるはずなのに、安田さんの方がずっと大人なんですね!」
「リベリアちゃん、マジでやめてくれ。何十倍も歳は離れていない。せいぜい五倍か六倍だ。あんまり年増扱いすると、今度は俺が殴られちまう」
今まで良いことを言ってたはずなのに、ガチで焦る安田だった。
そうこう話している間にも、妖怪たちの暴れ回る音が徐々に収まっていく。そして完全な静寂が訪れるのと同時に、神上が境内へと吹っ飛ばされてきた。
「どうやら終わったようだね」
吐き捨てた安田が、妖怪たちの気配が消えたことを確認するように周囲を見回した。
境内に残っているのは、天崎とリベリアと安田、そしてたった今リンチから解放された神上の四人だけだ。
「うげっ、まだ意識があるのかよ……」
ボロボロになりながらも起き上がろうとする神上を見て、戦闘力のない安田はそそくさとリベリアの背後に隠れる。
だが震える脚に鞭を打つも、神上が立ち上がることは終ぞ叶わなかった。
「あ、あれ? 身体が……」
膝立ちすらできず、うつ伏せのまま身じろぎするのみ。上手く身体を動かせないことに、自分でも驚いているようだった。
そんな神上の様子を見て、安田が冷静に分析する。
「おそらく血を失いすぎたんだろうね」
天崎が血の刃を増やすことに躊躇った理由でもあった。
自分の血液を元に作る刃は、最低でも一本200mlは必要とするだろうし、破片が散ればその都度血を使って自動的に修復される。さらに天崎が施した肩の刺し傷からも、相当量の出血があった。
その状態で、多くの妖怪から制裁を受けていたのだ。意識を失っていない方が不思議なくらいだろう。
無様に地面へ這いつくばる神上に向けて、天崎は冷徹な眼差しを送る。
ただ天崎としても、これ以上追い討ちをかけるつもりはなかった。
「警察を呼びましょう」
「ああ、それが良い。最後は司法に判断を委ねようか」
殺人犯がぼこぼこにされている状況を説明するのは骨が折れそうだが、その提案にはリベリアと安田も同意してくれた。
そうと決まれば、なるべく早く通報しなければ。相手は殺人鬼という未知の種族。だいぶ失血しているとはいえ、神上がいつ動けるようになるか分からない。
というわけで、天崎は急いでスマホを取り出したのだが――、
画面を操作する指が唐突に止まる。
それはまるで映像のコマを差し替えでもしたかのよう。前触れや気配などは一切なく、倒れている神上の横に二人の男が現れた。
「なっ――」
天崎はもちろん、五感の鋭いリベリアすらも、その男たちがどこから来たのか、どうやってこの場に降り立ったのか理解できぬまま絶句していた。
一人は純白の衣装に身を包み、背中に白鳥のような翼を携えた西洋人。端正な顔立ちは彫刻のようにきめ細やかで、万人が美青年と認めるくらいには浮世離れしていた。
そしてもう一人は――、
「久しぶりだな、『完全なる雑種』」
しゃがれた声を耳にし、天崎は困惑から我に返った。
丈の長いトレンチコートを纏った、背の高い老人。フェルトハットを深く被っているせいで顔ははっきり見えないが、間違いない。自分の遺伝子の中で眠っていたのと同じ人物……ヴラド三世だ。
「お前……」
因縁の相手を前に、天崎は拳を握りしめる。
しかしヴラド三世は、今にも飛び掛かっていきそうな天崎を手で制した。
「今は争うつもりはない。この殺人鬼の回収に来ただけだ。警察に捕まっては困るのでな」
「させるか!」
慌てた天崎が一歩前へ踏み出すも、今度はリベリアに阻まれてしまう。
「天崎さん、ダメです!」
珍しく焦ったリベリアの声に、天崎も足を止めざるを得なかった。
怪訝に思いながら、リベリアの顔を覗き込む。どちらかといえば、彼女は隣にいる西洋人の方に恐れを抱いているようだった。
そして再びヴラド三世の方へ焦点を合わせると、リベリアは静かに問う。
「貴方は……何者なんですか?」
良い質問だと言わんばかりに、ヴラド三世は口の端を吊り上げた。
「俺は吸血鬼であって吸血鬼ではない存在、とでも言っておこうか。貴様なら判るだろう? ホームハルト家の末裔よ」
「吸血鬼であって、吸血鬼では……ない?」
質問を質問で返されたような不快感を得ながらも、リベリアは頭を回転させる。その甲斐あってか、彼女は一つの可能性に辿り着いたようだ。
リベリアの表情が驚愕に満ちる。
「まさか……でも、そんな……」
「では、さらばだ」
回答を待たずして、ヴラド三世は再び不気味な笑みを見せる。
すると彼らは現れた時と同じく、地面に伏している神上とともに、一瞬で姿を消してしまったのだった。




