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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第9話『マーダー・オン・マーダー』

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第8章 神上立人について

 身も凍るような冷たい夜風が吹き抜ける中、天崎は先ほど空美に殴られた頬を撫でながら、独り白い息を吐いていた。


 時刻は午後十時過ぎ。場所はさくらが襲われたという歩道橋の上。手すりに寄りかかったまま、徐々に眠り行く街並みをぼんやりと眺めている。特に何かを探しているというわけではなかった。


 ふと、手にしていたスマホが着信を知らせた。相手はさくらだ。


「またか……」


 呆れるように呟いた天崎は、そのままスマホをポケットへと放り込む。これまでの鬼のような着信数を見る限り、さくらも自分を心配してくれているのだろう。それは理解しているためか、絶え間なく鳴る着信を煩わしいと思うことはなかった。


 庭先での住人会議が終わった後、天崎はちょっと夜風に当たってくると言って、おののき荘を飛び出した。もちろん、それは建前に過ぎない。本当の目的は自分自身を餌にして、殺人犯をおびき寄せることだった。


 しかし奴がリベリアから逃げ切ったのはつい先刻のことだし、一人歩きしているからといって、そうそう都合よく現れるとは天崎自身も思っていない。つまり寒い中わざわざ外に出てきて、別に見たくもない夜景を眺めている今の状況は、本当に無意味な行為だった。


「なーにやってんだろうな、俺」


 あまりに虚無すぎて、盛大なため息が漏れてしまうのも仕方のないことだ。


 時間だけは有り余っているせいか、どうしても先ほどのやり取りを思い出してしまう。頭に血が上って安藤に掴みかかろうとしたことは、間違いなく自分が悪い。けど何も殴ることはなかったんじゃないかと、心の中で空美を非難しながら、天崎は不貞腐れるのであった。


 ともかく、日付が変わるまでもう二時間もない。氷点下に達しても不思議ではない気温の中で野宿するつもりはないし、だからといって急に訪ねて泊めてくれる一人暮らしの友人がいるわけでもない。


 もちろん、さっさとおののき荘に帰れば解決する問題なのだが……。


「あー……帰りたくねぇ……」


 歩道橋の手すりと磁石でくっ付いたように二の足を踏む天崎だった。


 空美とも顔を合わせたくないが、どちらかと言えば今はさくらの方が問題だ。殺人犯が徘徊している夜道に一人で出て行った挙句、何件もの着信を無視してしまった。罰として拳骨が落ちるくらいなら、まだいい。今後ネチネチと嫌味を言われることを考えると、天崎は今さらながら後悔していたのだった。


 帰りたいのに最初の一歩が踏み出せず、再び手すりに体重を預ける。

 と、その時だった。


『こんばんわ。天崎先輩』

「――ッ!?」


 唐突に近場から声を掛けられ、天崎は慌てて身を起こした。


 しかしいくら周囲を見回したところで、それらしき人物は見当たらない。歩道橋の上には人っ子一人おらず、また歩道から呼びかけるにしては、あまりにも静かな声だった。


 ただ今の声、どこかで聞いたことがある。さらに自分を天崎先輩と呼ぶのは……。


「もしかして、石神か?」

『そうですよ』


 姿の視えない声の主は即座に反応した。


「どこにいる?」

『今、天崎先輩の側にいます』

「メリーさんかよ……」


 遊んでいるわけではないと分かりつつも、天崎は呆れてしまった。


 殺人犯じゃないどころか、正体が知り合いだと判明し、天崎は胸を撫で下ろす。一度敵対したことがあるとはいえ、石神相手に警戒するのは無意味。死神である彼は、やろうと思えば簡単に天崎の命を奪えるのだから。


「で、どうしたんだ?」


 石神がどこにいるのか分からないので、質問を虚空へと投げかけた。


『実はちょっと天崎先輩とお話がしたいんですよ』

「……まあ暇だし、話すだけなら別に構わんぞ」

『よかった。ではこの状態では話しにくいので、近くのファミレスに行きましょう。コーヒー奢ってください』


 遠慮のない要求に、天崎は顔をしかめた。


「ここでいいだろ」

『それだと天崎先輩、傍から見たら夜空に向けて独り言を呟く怪しい人になっちゃいますよ』

「……お前が姿を現わせば済む話じゃないか」

『それができない理由があるんです。できれば屋内……少なくとも屋根がある場所でお願いします』

「?」


 訝しげに首を傾げたものの、それ以上石神からの返事はなかった。


 仕方がないと諦めた天崎は、重々しいため息を漏らした後、歩道橋を下り始める。深夜までやっているファミレスは、すぐそこだ。


 眠そうな笑顔の店員に「あとでもう一人来る」と伝えると、奥の席に案内された。時間が時間だけにまったく混み合っておらず、人の話し声よりも店内に流れるBGMの方が大きい。今から会う相手が死神であるため、人目に付きにくい席なのはありがたかった。


 ジャケットを脱ぎ、横にあったハンガーに掛ける。そして椅子に座って一息つこうとしたところで――黒い霧とともに、対面の席に石神が現れた。


「うわっ! ビビったじゃねえか……」

「すみません」


 してやったりと言わんばかりに、石神は口の端を吊り上げて細く微笑んだ。


 石神の恰好は相変わらずだ。死神の衣と同じような漆黒のタートルネックに、黒いチノパンだけ。特に着飾ることもなく、細めの身体の輪郭が妙に浮いているように見える。ただ服装とは対照的に、露出している顔や手首は病的に白く、また長く伸びた前髪のカーテンから覗く瞳は、ひどく虚ろだった。


 不意の登場に驚きはしたものの、初めて見た演出ではないので、ため息を漏らす程度の反応に収まる。しかし店員まではそうはいかなかったようだ。


 水を持ってきた店員が、石神の姿を見てギョッと肩を揺らした。それもそのはず。客が出入りできる戸口は一つしかなく、そこを通ってきたはずのない石神が堂々と席に座っているのだから。ずっとホールにいた店員ならば、狐に化かされた気分だろう。


 ただいくら戸惑っていたとしても、客に「いつ入ってきたんですか?」と訊ねることなどできるはずもなく、店員は納得いかないような表情を浮かべながら、そそくさと去っていった。


「……もうちょっと自然に入って来いよ。店員に死神だって疑われるぞ」

「どんな直感力のある店員ですか、それ」


 天崎の責めるような助言に、石神は軽く笑うだけだった。


 特に食事をしに来たわけでもないので、さっきの店員を呼び戻すようにベルスターを押す。天崎はもちろんのことながら、石神もまた同じくホットコーヒーを注文していた。


「にしても、死神がコーヒーを飲みたがるなんて不思議だな」

「別に飲みたいわけじゃないですよ。ただ会話中、手持無沙汰になるのが嫌だったんで」

「お前な……」


 一人暮らしの学生にとっては、一杯のコーヒー代でも懐が痛くなるものだ。


 とにもかくにも、石神とは和気藹々と会話する仲でもない。苦い顔をした天崎は、早速本題へ入ろうとした。


「で、俺になんか用か? ……って訊きたいけど、その前に、安藤がお前に会いたがってたことは伝えとくぞ」

「安藤先輩が? 僕、男に好意を寄せられるようなことしましたっけ?」

「……お前って、そんな冗談言うキャラだっけ?」

「もっと根暗だと言いたいんですか? それはその通りですけど、僕と天崎先輩って、お互いを知れるほど話したことないですよね」

「そりゃそうだけども……」

「あと生前はよくレスバとかしてたんで、心の中では結構しゃべってるんですよ。声に出すのが苦手ってだけで」

「レスバってなんだ?」

「……いえ、なんでもないです」


 目を逸らす石神を見て、説明するつもりがないのなら別にいいかと天崎は思った。

 話を戻す。


「安藤は死神が殺された事件について、お前にいろいろ聞きたかったんだとさ」

「えぇ。その事件のせいで、僕も先輩たちと会うことができなかったんですよ」


 と言って、石神が事情を話し始めた。


「実は死神が生者と接触するのは、基本的に禁止されてるんです」

「って言う割には、けっこう俺たちと話してるじゃねえか」

「信号無視は悪い事ですけど、信号無視をした時点ですぐに捕まるわけではないです」

「…………」


 言いたいことは分かる。誰も見ていなければ、たとえ犯罪でも捕まることはない。


「今は死神が殺されて、冥界の目がこの街に集中してるんです。だから先輩たちと接触することができなかった。言うなれば、事故が起きた後の交差点では誰もが慎重に運転するようなものです」

「……お前の例え話は、いつも分かりにくい」


 とはいえ、安藤が石神と接触できなかった理由は判明した。


 意味もなく生者の魂を狩れば拷問が待っているように、接触することにもそれなりの罰はあるのだろう。緊急事態でもないかぎり、誰だってリスクの高い違反をしようとは思わない。


「だから屋内って要求をしたわけか。それだけで冥界の監視から逃れられるのか?」

「だいぶ警戒が緩くなってきましたからね。短時間なら大丈夫だと判断しましたし、都合よく一人でいる天崎先輩を見つけたんで、声を掛けさせていただきました」

「ふーん。まあいいけど」


 そこへ、先ほど注文したホットコーヒーが運ばれてきた。

 ミルクと砂糖で味を調えながら、天崎は石神に問う。


「それで? 多少の危険を冒してまで、俺に何の話があるんだ?」

「もう察してるかもしれませんが、例の連続殺人事件についてです」


 今まさに話題にしていたためか、天崎も特に驚きはしなかった。


 ただ今さら石神から有益な情報を得られるかは疑問だった。殺人犯の顔写真を撮り、安藤がそれを警察と『調査員』に流すという。名前や年齢など、すぐにでも素性が明らかになるだろう。もう自分たちには、殺人犯が捕まるまで新たな被害者が出ないよう注意を払うことくらいしかできない。


 だから石神の話を聞いたところで、何かが変わるなんて――、


「単刀直入に言いましょう。この事件、ヴラド三世が関わっています」

「なっ――」


 さすがの天崎も驚きを隠せなかった。


 裏でヴラド三世が糸を引いている可能性は、安藤が示唆した。しかし根拠となるのが天使の亜空間、もしくは『認識阻害』を発動させたかもしれないというだけだったので、天崎も半信半疑のまま心に留めておく程度にしておいたのだ。


 だが、この死神は断言した。ヴラド三世が関わっている、と。

 どう反応していいのやらと思いながらも、天崎は無意識のうちにスマホに触れていた。


「ヴラド三世絡みなら、安藤も呼んでいいか?」

「すみません。それはやめてください」

「なんでだ?」

「天崎先輩も見たことあると思いますが、安藤先輩の魂って普通の人間よりもだいぶ異質なんですよね。まあ悪魔だから仕方ないんですが。なので、近くにいると僕がこうやって生者と話してるのがバレてしまうかもしれない。話の内容は、天崎先輩が伝えてください」

「……分かったよ」


 渋々了承した天崎は、石神に話の続きを促した。


「それで、なんでヴラド三世が関わってるって断言できるんだ?」

「実は殺人犯とは一度だけ会ったことがあるんですよ。奴の名前は神上立人。ヴラドの爺さんのお遣いだと言っていましたんで」

「なんだと?」


 天崎は疑わしげな目つきで石神を睨みつけた。


 名前を出したということは、少なくとも嘘ではなさそうだ。ただ今は協力者のような関係ではあるものの、石神も一度はヴラド三世に懐柔された身。いつ、どこで、どのように殺人犯と出会ったかによっては、決してその情報を鵜呑みにはできない。


「なら教えてくれないか? その神上立人って奴のことを」

「えぇ、もちろんです。そのために、わざわざこうしてやってきたんですから。とはいえ、僕もそうそう詳しい素性を知っているわけではないんですけどね」


 そう断りを入れてから、石神は約二週間くらい前の出来事を話し始めた。


「神上が僕の前に姿を現わしたのは、十二月二十五日の早朝でした。場所は病院の屋上。死神としての仕事中でしたね。なんでも感情の死んでる死神は懐柔しにくいから、もう一度仲間にならないかっていうヴラド三世の伝言を持ってきたみたいです。もちろん断ったんですけど、その後いきなり攻撃してきました」


 そして石神は、ここからが重要だと言いたげに声のトーンを落とした。


「何より不思議だったのは、神上が最初から僕を視認していたことと、当たり前のように蹴りをかましてきたことです。正直、驚く以上に混乱してしまいました」

「視る、触れるなら俺でもできただろ」

「いえ。死神を視認できるのは単に僕がそうしているからですし、触れられるのは天崎先輩が死神化したからですよ。それまでは僕からしか触れてません」


 そういえばそうだったな。と、天崎は石神を殴った時のことを思い出していた。


「じゃあ死神を視る、蹴るってのは普通の人間にできるのか?」

「不可能です」


 天崎の質問に、石神は即答した。


 神上は普通の人間ではない。それ自体は安藤やリベリアの予想した通りだが、天崎が知りたいのは、その先だった。


 殺人犯、神上立人は果たして何なのか。

 天崎が問うよりも早く、石神は続けた。


「けど今回、神上立人は死神を殺した。冥界人も調査に乗り出したんですが、これは事実だそうです。じゃあ同じ死神や冥界の住人以外で、死神に触れられる存在、もしくは死神を殺せる存在がいるのか。僕も少し調べてみました」

「どうだった?」

「歴史上、稀にいたらしいです。特に昔の方が多かったみたいですね。大前提として、人の死に触れすぎた者が、死神に触れられるような体質になるらしいです」

「人の死に触れすぎた者?」


 石神の言葉を繰り返した天崎は、自分の知識を総動員させて考え始めた。


 まず浮かんだのが医者だ。職業柄、事故や病気など、何人もの死に逝く人々をその目で看取っているだろう。そして職業的な流れからいえば、次は葬儀屋や坊さんが死に触れる機会が多くなると思う。


 また人の死は自然に発生するものだけじゃない。人は人を殺すし、事件を捜査する警察関係者は遺体を検分する。さらに戦争にでもなれば、たくさんの人が死ぬだろう。軍人やテロリストなどは、一般人よりも多くの死に触れることになる。


 しかし石神が稀と言った以上、それらすべてが該当するとは思えない。


 自主的に答えを出そうとする天崎をしばらく見守っていた石神だったが、これでは話が進まないと思ったのか、彼は得意げに解説を始めた。


「まず寺の住職や葬儀屋は、人の死そのものではなく、魂と密接に関係しています。霊感は高まると思いますが、死神に触れられる体質とは、ちょっと方向性が違うんですよね。次に軍人やテロリストですけども、近代では直接手を下すよりも、銃やら爆弾やらを使うことが多くなっていますよね? なので人の死に触れたという感触が薄いんです」

「あぁ、だから昔の方が多かったってわけか」


 石神の言葉を言い換えるなら、人の死を間近で体験するほど、死神に触れられる体質になる可能性が高くなる。銃火器がなかった時代なら、斬る刺す殴るなど、その手で命を奪うという実感は段違いだっただろう。現代の戦争では、そんな方法で人を殺めることはほとんどないため、死神に触れられる者は激減してきたというわけだ。


「つまり人の身体にメスを入れる外科医みたいな職業が、最も可能性が高いってわけか」

「いえいえ。普通の医者は結果的に患者を死なせてしまうことはあっても、それは助けようとする行為の果てです。死神に触れるという、不名誉な体質になることはありません」

「じゃあ……」

「ただ」


 思い描いた可能性をすべて潰され、天崎は拗ねたように唇を尖らせる。だがそれを遮るように、石神が口を挟んだ。


「悪意を持った医者は別ですね。医療行為を装い、患者をわざと死なせるような医者は該当すると思います」

「わざと死なせるって、それって普通に殺人じゃ……」


 言いかけて、天崎は思い出した。

 神上立人の悪意。そして彼がどのように人を殺しているのかを。


「どうやら気づいたようですね。ただ殺人を犯したすべての人が、そのような体質になるわけじゃない。軍人のように仕事だったり、武士のように手柄を立てるためだったり、テロリストのように信念がある場合は違います。殺すために殺す。殺したいから殺す。目的もなく殺す。ただ殺す。根っからの殺人鬼が、死神に触れられるようになる……いえ、生身のまま死神に近づくといった方が的確かもしれません」

「殺人鬼……」

「神上立人は、もう人間ではない。進化した人間……『殺人鬼』という種族だと思った方がいいです」

「……そういうことか」


 その事実に驚きはしたものの、納得できる要素はあった。


 リベリアは人間の血の他に何か別の物が混じっていると言っていた。人間から殺人鬼へ至ったからこそ、そのように感じられたのだろう。


 また厄介な奴が現れたものだと、天崎は眉を寄せる。

 だが、そこでふと気づいた。


 天崎は何も、己の手でさくらの仇を取りたいわけではない。殺人犯が捕まれば、それでいいのだ。そして警察や『調査員』よりも頼りがいのある存在が目の前にいる。


 期待を込めた表情を露わにして、天崎は石神に訊ねた。


「それで今回の件、冥界は神上って奴をどうするつもりなんだ?」

「冥界は動きません。それが最終決定なので、覆ることはないでしょう」

「死神が殺されたのに?」

「さっきも言いましたけど、冥界人は基本的に生者に干渉してはいけないんですよ。下界の成り行きを見守るだけです。ただ死後の魂の取り扱いは、どうなるか分かりませんけどね」

「それじゃあダメだ。次の被害者が出る前に、なんとしてでも奴を捕まえないと」

「そうは言っても、無理なものは無理ですよ。冥界も僕も手は貸せません。警察に任せるか、万能な安藤先輩にでも頼ればいいんじゃないですか?」

「お前な……」


 ひどく投げやりな石神に対して、天崎は舌打ちを漏らした。

 ただ少し違和感を抱く。石神にとっても、この事件は他人事ではないはずだ。


「裏にヴラド三世がいるって分かってるのに、なんかやる気がなさそうだな」


 石神が天崎に協力している理由は、ヴラド三世に報復するために他ならない。にもかかわらず、彼の口調からはヴラド三世に対する恨みがまるで感じられないのだ。


 そう指摘すると、石神は人を小馬鹿にするように鼻で笑った。


「なんていうか、私怨がどんどん薄くなってるんですよね」

「薄くなってる?」

「聞いてるかどうか知りませんが、死神は感情や欲求が生前の十分の一くらいになるんです。それに死神になってから抱いた感情も、風化は早い。だからヴラド三世に復讐したいって気持ちも、だいぶ薄れてきちゃってるんですよ」

「じゃあなんで俺に情報を流してるんだ? 冥界に見つかるリスクまで負って」

「それとこれとは話が別です。復讐する気がなくなったって言っても、あのヴラド三世が嫌いなことには変わりがない。意趣返しは続けますよ」


 喉を鳴らすような低い声で笑った石神は、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。どうやら話はこれで終わりらしい。


「僕から渡せる情報はこれくらいですね。コーヒー、ごちそうさまでした」

「ああ」


 あまり長く居座るつもりはないのだろう。お礼を言った石神は早々に立ち上がった。


 しかし天崎は座ったままだ。未だ家に帰る覚悟ができていないし、せっかく温かい店内にいるのだから、このまま石神の情報を咀嚼し、今後どうするか思案するのも悪くはないと考えたからだ。


 石神とは仲睦まじい関係でもないため、特に別れの挨拶もせず、天崎は自分のコーヒーをぼんやりと眺めながら相手が去っていくのを待つ。だが石神は二歩ほど歩いたところで立ち止まった。


「少し話は変わりまずが、天崎先輩、最近人を殺しましたか?」


 問われ、天崎は大きく肩を揺らした。


 瞬きも忘れたまま、テーブルの横にいる石神の方へぎこちなく視線を向ける。黒ずくめの死神は、ただただ無表情で天崎を見下ろしていた。


「……どうしてそう思う?」

「なんか終始浮かない顔でしたし、天崎先輩の周りに魂の残滓が纏わりついているような気がしましたから。特に明確な根拠があるわけじゃなくて、単なる鎌かけだったんですが……どうやら図星だったようですね」


 天崎は自分の両手へ視線を落とした。

 なんだか薄汚れているような気がした。


「……話すほどのことじゃない」

「ふーん。まあ、興味があるわけじゃないんで別にいいですけど。とはいえ、こんなことに気がつくのは死神だけですし、事故で人を殺したくらいじゃ地獄行きにはならないと思うんで安心してください。っていうか本当に地獄があるのか、死神の僕ですら知らないんですけどね」

「それ、慰めになってねえぞ」

「別に慰めてるつもりはないです」


 そう言って、石神は冷ややかに笑った。


「何はともあれ、過ぎたことをいつまでも悔やんでいても仕方がありません。あんまり思い詰めると、いずれ僕みたいになってしまいますよ?」

「自虐にしては説得力がありすぎるな」

「ふふ」


 呆れ気味に返すも、石神はそのまま立ち去っていった。


 頭では理解しているつもりだ。しかし悔やむな思い詰めるなと言われても、どだい無理な話である。正月の出来事も、件の殺人犯に関しても、自分の存在が大きな要因となっているのだから。


 結局、堂々巡りの思考は悩みの種を取り除いてくれることはなく、天崎はコーヒーの表面に映った自分の顔を、ただただ見つめることしかできなかった。

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