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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第9話『マーダー・オン・マーダー』

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間 章 とある殺人鬼と元『調査員』の会話 その1

 その殺人鬼が初めて人を殺したのは、わずか三歳の時だった。


 当時、父親の家庭内暴力が絶えず、彼は日常的に虐待を受けていた。ただ理不尽な仕打ちを受けていたのは幼い彼だけではなく、暴力の波は彼の母親にも及ぶ。彼の父親は、たった三人の世界に君臨する暴君だったのだ。


 暴力に満ちた日常。そんな不条理な生活が続いていたある日、泥酔した父親が、本当に殺しそうな勢いで母親を殴ったことがあった。それを目の当たりにした彼は、自分の中に眠る何かが弾けたことに気づく。


 そしてその夜、彼は実の父親を、その手で――殺した。


 一家が寝静まる、唯一の安穏なひと時。人知れず目を覚ました彼は、ゆっくりと台所へと歩み、引き出しから包丁を取り出した。そして大きな鼾をかいている父親の首元に、その切っ先を立てたのだ。


 無論、三歳の腕力では絶命するほどの傷には至らないだろう。しかし全身の体重を掛ければ話は別だ。約十五キロの重りを課せられた包丁が、人間のもっとも脆い部分へと深く突き刺さっていく。


 即死ではない。ただ痛みと苦しみから目を覚ました時には、もう遅かった。大事な血管を切断された彼の父親は、声を上げることも叶わず、自らの血液に溺れながら、静かに息を引き取った。


 翌朝、遺体を発見した母親が警察へ通報するも、現場検証に来た彼らは皆一様に首を捻るばかりだった。


 果たして三歳の子供が、たった一人で大の大人を殺すことができるだろうか?


 状況的には可能だ。凶器である刃物が手元にあり、抵抗のできない熟睡している最中に事に及んだのであれば、たとえ立ち上がったばかりの幼児ですら人を殺すことができるだろう。しかし問題なのは、その精神面だ。


 明確な殺意を持ち、包丁が人を殺せる凶器だと見定め、首という人間の急所を理解し、抵抗の暇も与えずに刺し殺す。三歳の子供が? 本当に?


 結局、あまり現実的ではないと判断した警察は、事件を事故として処理したのだった。


 そうして訪れた、束の間の平和。暴君がいなくなり、貧しいながらも母親と幸せに暮らす日々。

 しかしそんな仮初の幸せも、たった三年で終わりを告げてしまう。


 彼は唐突に気づいてしまったのだ。自分を見る母親の目が、恐怖に塗れていることを。


 自分を第一に考えてくれていた母親が、あれだけ愛想良くしてくれていた母親が、いったい何故?

 考えてみれば、原因は明白だった。


 わずか三歳で実の父親を手にかける異常性。幼さという盾に隠れた凶暴性。もしかしたら、自分にもその魔の手が及ぶのではないかという恐怖。母親は自分の身を守るために、彼に気を遣っていただけに過ぎなかったのだ。


 母親の愛などどこにもなく、ただの保身だと知ったのは彼が六歳の時。

 小学校へ上がる前に、彼は悟る。自分がいる限り、母親は幸せにはなれない。だから……家を出た。


 ただ資金も体力もない六歳の子供が遠出などできるはずもなく、彼は近所の河川敷に広がる雑草の中へと身を潜め、自らに死が訪れるのを待った。


 これでいい、これでいいんだ。自分さえいなくなれば……。


 空腹が身体を蝕み、徐々に奪われていく体温が死を促進させる。瞼を開けることも困難なほど衰弱しきった彼は、夢と現を行き来しながら、後は完全なる『死』を待つのみ――だったはずなのだが。


 ふと、誰かが彼の側に立った。


「どうせ死に逝くのなら、その命、俺のために使うつもりはないか?」


 何の前置きもなく、しゃがれた声が降ってきた。


 もう動かすこともないだろうと思っていた瞼を無理やりこじ開け、彼は自分に声を掛けてきた人物の方へと視線を向ける。丈の長いコートを身に纏った老人が、まるで電柱のように直立していた。


「……誰?」


 ほとんど音にすらもなっていない掠れた声で問う。しかし電柱のような老人は、唇の動きだけで彼の言葉を読み取ったようだ。


「俺が誰かなど、どうでもよい。今お前に提示されている選択肢は、このまま野垂れ死ぬか、それとも生き永らえ俺のために命を消費するか。そのどちらかしかない」


 そこに居たのは暴君だった。自らの欲と意思を押し通す振る舞いを見て、彼は老人を自分の父親と重ね合わせてしまう。深層に刻まれたトラウマが地獄を思い出し、死にかけの身体が震え上がった。


 しかし不思議と恐怖することはなかった。おそらく与えられた『選択肢』という自由に、わずかばかりの優しさを感じ取ってしまったからだろう。何もかもを虐げてきたあの男とは、一線を画しているように思えた。


 それに――誰かに必要とされたのは、彼にとってこれが初めての経験だった。


 思えばこの六年間、父親からはサンドバック以外の用途として扱われず、また母から受けた愛はすべて偽りだった。それが今になって、名も知らぬ老人に必要とされている。


 今までが今までだっただけに、誰かのために生きたいと思う反動は大きかった。


 だからこそ、その殺人鬼――神上(かみうえ)立人(たつひと)は、生きた証を求めて、差し伸べてきた老人の手を躊躇いもなく取ってしまったのだった。






「それから十二年、ヴラドの爺さんの手引きで、いろんな国を回ったっすね。殺人鬼としての純度を高めるために、紛争地帯や治安の悪い地域でめちゃくちゃ人を殺しまくったっす」


 寒空の下でコーンポタージュ片手に昔を懐古しているのは、青年になった神上だった。


 真冬の屋外にもかかわらず、上半身は半袖のTシャツ一枚のみであり、また迷彩柄のカーゴパンツは所々擦り切れ、骨のような真っ白い脚が覗いている。そして何よりも謎なのは、素足のお供が室内用のスリッパだというところだろう。


 ただ服装だけならば、ファッションに無関心な大学生と言えば通るかもしれない。しかし神上の異常性は、その顔にあった。


 肩の下辺りまで伸びた髪は脂でべた付いており、数週間単位で洗っていないことは明白だ。一見してホームレス、または今まで山籠もりをしていた世捨て人のような風貌ではあるが、不思議と髭はなく、前髪の隙間から覗く瞳は爛々と輝いている。その眼力は、今にも獲物に襲い掛からんとする肉食獣のそれだった。


 そんな異彩を放つ青年が店先にいるためか、陽も沈みかける夕刻にもかかわらず、彼がいるコンビニへ足を向ける客は少ない。自分が売り上げ低下に一役買っていることを知ってか知らずか、神上は飄々としたままコーンポタージュを呷った。


「十二年。干支を一回り、か。よく死ななかったね」


 そう言葉を返したのは、神上よりも幾分か年上の男だった。


 長身をトレンチコートで包んでいるその身なりは、小汚い神上とは違って清潔そのもの。良く言えばどこへ出ても恥じることのない出で立ちだが、悪く言えばなんら個性も特徴もない外見だ。むしろ彼自身がそれを演じているようでもあった。


 彼の名は戸塚(とつか)秀明(ひであき)。人外に関する調査を行う『調査員(ウォーカー)』だ。


 いや、その名も肩書も今は無意味である。なぜなら戸塚という名は偽名であり、『調査員』という職業も過去のものなのだから。


「銃弾くらいは何発も当たったことあるっすけどね。でも不思議と死にませんでした。……傷跡ありますけど、見ます?」

「こんな場所でやめてくれ」


 渋い顔をした戸塚が、シャツを捲ろうとする神上を慌てて制止した。


「というか話を端折りすぎじゃないかい? あのお方に拾われてから、いきなり十二年も経ってるし」

「だって語ることなんて何もないっすもん。毎日を生き延びることに精一杯で、ひたすら人を殺してただけ。ヴラドの爺さんも、生きるための助言をくれた以外は基本放置だったし」


 と言って、不貞腐れた神上が唇を尖らせた。


「ってか戸塚さんの方こそ、ヴラドの爺さんから僕のこと聞いてないんすか?」

「あの方は多くを語らないからね。君の素性だけは大まかに聞いていたけど、生い立ちまでは知らないよ。あんまりそういう世間話はしない」

「側近なのに?」

「側近なんて大層なものじゃないさ。何もできないあのお方の介護みたいなものだよ」


 今の愚痴が失言だと気づいた戸塚は「おっと、今のは聞かなかったことにしてくれ」と、わざとらしく念を押したのだった。


「で、戸塚さん。今日は何の用っすか? まさか僕の生い立ちを聞きに来ただけじゃないでしょうに」

「ちょっとした確認だよ。先日新聞に載ってた殺人事件、犯人は君だろ? この国で人間を殺せという指示はなかったはずだ。おかげで『調査員』だけじゃなくて、警察まで動く事態になってしまった」

「ふーん、つまり文句を言いに来たってわけっすか」


 神上は自分に非があると理解しつつも、その顔には反省の色も謝罪の念もなかった。それどころか、何も理解していない戸塚を嘲るようなため息まで吐く始末。


「仕方ないことだったんっすよ。僕の本質が出ちゃったんで」

「本質?」

「最初の殺人が僕を殺人鬼たらしめる根源っす。殴られる母親を見て、殺人衝動が生まれたことは話しましたよね? つまり弱い者が虐げられてる場面を見ちゃうと、ついつい殺したくなっちゃうんっすよ。むしろ紛争地帯でも、そういう奴をメインで殺っていました」


 手に持っている空き缶から目を離した神上は、茜色に染まりゆく空を見上げた。まるで大空というキャンパスに、これまで過ごしてきた十二年間を思い描いているような、昔を懐かしむ目つきだった。


「武器を持つ者。非武装の人間に銃口を向ける者。弱者に対して力を振りかざす奴らを中心に殺してました。っていうか、それ以外はまったく殺してなかったと思うっす」

「なるほどね。一言で殺人鬼と言っても、自分の中のルールに則って、殺すべき人間とそうじゃない人間を区別しているわけか。……でも今は罪のない人を殺しているよね? 不幸にも君の裁きに遭ってしまった人間を除いても、三人もの人外を。それはあの方の指示だから? それとも人間じゃない種族は、君のルールには当てはまらないのかな?」

「そんなことはないっす。たとえ人間じゃなくても、それが『人』であれば人殺しっす。でも……」


 がっくりと肩を落とした神上は、大きなため息を吐いた。


「やっぱり、無抵抗の人を殺すのは気が滅入るっすね。相手が悪人ならまだ殺りがいはあるっすけど」

「殺人鬼なのに、人を殺すことに気が滅入るのかい?」

「殺人鬼だからっす。殺人機じゃない。鬼にも心はあるんっすよ」


 誰かを守るために殺す。弱者に危害を及ぼす奴を殺す。


 手段が極限的というだけであって、神上は誰彼構わず殺したいと思っているわけではない。故に自分の正義にそぐわない行動をすることは、普通の人間と同じように罪悪感を抱いてしまうのだろう。


「ってか、ヴラドの爺さんはどうして僕に人外を殺させてるんっすか? しかも一人ずつ丁寧に殺せっていう指示まで出して」

「経験のためさ。多くの人外は、人間と身体の構造が違うんだよ。これからメインとなるターゲットは、ほとんどが人間じゃないからね」

「はっはー、なるほどね」


 疑問が解消した神上は、意気揚々と声を上げた。


「で、どうだい? 人間じゃない相手には慣れたかな?」

「たった三人ぽっちじゃ慣れたもクソもないけど……まあ人外っていっても、基本は人間と同じっすよ。首を刎ねれば死ぬっす」

「……首を刎ねても、何食わぬ顔で生きてる種族もいるんだけどね」


 つい最近の出来事を思い出した戸塚は、苦々しげな表情を浮かべた。


「それに一部の人外は、武器を持った人間よりも遥かに強い場合がある。君とて返り討ちに遭う可能性も否定できない。それでも覚悟はあるかい?」

「もちろん。僕は六歳の時にすでに死んだ身。今さら命なんて惜しくはないっす。それよりも最初に約束した通り、この命はヴラドの爺さんのために使うっす」

「そうか。分かった」


 覚悟ができているのならもう何も言うまいと、戸塚は鼻を鳴らした。


「なら早いとこ始めよう。君がまた関係のない人間を殺して、騒ぎになる前にね」

「説教はさっき聞いたっすよ」


 空き缶をゴミ箱へ放った神上は、休憩を終えたサラリーマンのように背筋を伸ばす。

 そこで、ふと気づいた。まだ次の指示を受けていない。


「次のターゲットなんですけど、その言い方だとまた人外なんっすよね?」

「ああ、そうだ」


 不敵な笑みを見せた戸塚は、静かに宣言したのだった。


「次の標的は、おののき荘の住人だ」

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