第2章 一家(?)団欒
その日の夜。家主である天崎と同居人の円、そしていつも通り夕食をたかりに来るリベリアに加え、何故か一緒に住まうことになったさくらの四人で小さなテーブルを囲んでいた。
さくらの突然の訪問に戸惑いはしたものの、結局は予定通りの一日となった。
昼食の後、明日明後日のためにテスト勉強し、夕方には買い物へ。本日はスーパーの場所を教えるため円とさくらの三人で出かけたのだが、明日からは一人で行ってくれるという。テスト前なので、家事の負担が減ることは純粋に助かっていた。
その間、リベリアは自分の部屋に戻って二度寝。そして夕食のタイミングを見計らって、再び天崎の部屋を訪れたというわけだ。
「さくらさんの作ったお蕎麦、美味しいですぅ」
「ありがとうございます」
ホクホク顔で蕎麦を堪能するリベリアに向け、さくらは丁寧に頭を下げた。
「大晦日で余った蕎麦がまだ幾分か残ってますので、これからちょいちょい挟んでいこうかと思います。ちなみにお餅も持ってきましたから、事前に言ってくれれば、お雑煮でもぜんざいでもお作りしますよ」
「わっ、本当ですか!? 日本でお正月を過ごすのは初めてなので、一度食べてみたかったんですよ!」
瞳を輝かせるリベリアに、天崎は無言で一瞥した。別に『遠慮しろよ』と諫めているわけではない。正月太りしたリベリアを、ちょっと見てみたいと思っただけだ。
「っていうか、さくらさん。蕎麦や餅は問題ないと思うんですけど、このおせちの残りって本当に大丈夫なんですか? 今日はもう七日ですよ」
テーブルの上には四人分の蕎麦の他に、だし巻き卵や黒豆など、どう見ても正月に余ったであろう総菜が出ていた。三日四日くらいならともかく、一週間経ってもおせちの残りが食卓に上がるのは、あまり聞いたことがない。
しかし天崎の疑問に対して、さくらは飄々と答えるだけだった。
「さぁ、大丈夫なんじゃないですか? 少なくとも死にはしませんよ」
「そりゃそうだけど……」
「そもそもこの中に、賞味期限切れの食品を口にしてお腹を壊す人がいますか?」
「…………」
座敷童の円は自宅にいる限り腹を壊すことなんてないだろうし、吸血鬼のリベリアと『完全なる雑種』の天崎は一般人よりも内臓が強い。腹を壊すとするなら、おせちの残りを出したさくら本人くらいだろう。
でも違う。そうじゃない。そういう問題じゃないんだ。
今度はさくらの方へ無言で視線を送ってみたが、彼女はすまし顔で蕎麦を啜るだけで、天崎の訴えを聞き入れようとする様子はなかった。
「にしても天崎さんが裸エプロン好きなんて知りませんでしたー」
突然、何故か高圧的な態度のリベリアが棒読みで揶揄してきた。
「だから誤解だっつーの。変な噂、流すなよ?」
「じゃあ嫌いなんですか?」
「好きでも嫌いでもねえよ。そもそも裸エプロンなんて、人生で一度も目の当たりにしたことないんだしさ」
「なら今度、私が披露しちゃいましょうかね」
「………………やめとけ」
遅れ気味の返事が墓穴を掘ったようだ。
鬼の首を取ったように歓喜したリベリアが、テーブルを乗り出してきた。
「あっ、あっ、あっ! 今、想像しましたね? 私の裸エプロン姿、想像しましたね!? 天崎さんにお見せするコスプレ一つ追加です! いやぁ、早く言ってくださいよぉ。いつでもしてあげましたのにぃ」
「…………」
見たくない、想像もしてないと意地を張るのも違うし、かといって是非ともお願いしますと素直に欲に従うのも羞恥心が邪魔をする。結局ダブルバインドに陥った天崎は、頬を赤くしながら蕎麦をかっ込むことしかできなかった。
二人のやり取りを傍目から見ていたさくらは、ほうっと感心のため息を吐く。
そして余計な一言を漏らした。
「渡井さんといいリベリアさんといい、東四郎さんも意外とうまくやっていけてるようで、お姉さん安心しました」
「いやいやいや、なんで小噺が出てくるんですか。アイツは関係ないでしょ」
「ではリベリアさんは関係あると?」
「くっそ、謀られた!?」
「東四郎さん。さっきから自分で墓穴を掘ってるだけですよ」
「その墓穴も、あなたが来なければ掘る必要もなかったんですけどね!」
と言って、天崎はさくらを恨みがましげに睨みつけた。
そこへ今の言葉を聞き逃さなかったリベリアが再び迫って来る。
「渡井小噺って、あの妖精コレクターのことですよね? 本当になんで彼女の名前がここで出てくるんですか?」
興味津々に尋問してくるリベリアに根負けした天崎は、仕方なく年末年始の出来事を話し始めた。
「俺の実家の裏に山があるんだけど、小噺が言うには、そこは妖精が集まってきやすいエネルギーに満ちてるんだと。んで、歩いてたら偶然ばったり会っただけだ。本当に偶然も偶然。俺は散歩で、アイツは妖精を求めて。それ以外に他意はないよ」
「ほお? なら東四郎さんは、年頃の女の子と一緒にお風呂に入ることも偶然だとおっしゃるのですか?」
「ぶはッ!?」
思わず噎せてしまった。
喉に詰まった蕎麦を救出しつつも、天崎は目を白黒させながらさくらを見据える。
「な、なんでさくらさんが知ってるんですか!?」
あの時は確かヨミが変装しており、本物のさくらは人魚の里にいたはずだ。年末の出来事なんて知ってるはずはないし、さくらは小噺の顔すら見ていないだろう。にもかかわらず、事情を把握しているということは……。
「ご両親から聞きました」
「それしかないもんな!」
納得の理由だった。
あの二人、言わんでもいいことをペラペラしゃべりやがって。話を聞いただけのさくらが、変に勘繰っているじゃないか!
そして又聞きの又聞きにより、さらに盛大な勘違いをした人物が一人。
「い、一緒にお風呂って……まさかやっちゃったんですか!」
「何もしてねえよ! 事実が省略されすぎて勝手な妄想が一人歩きしてるけど、あの場には円もいたんだからな!」
「円さん! それは本当なんですか!?」
「うん」
救済の女神はここにいたらしい。短く肯定しただけの円に、天崎は土下座して感謝の意を伝えたいほどだった。
電池が切れたように急に大人しくなったリベリアが、元の位置へ腰を下ろす。
しかし落ち着いたのも束の間、今度は駄々っ子へと変身した。
「いいなぁ、いいなぁ。私も天崎さんと一緒にお風呂入りたいなぁ」
「お前は少し黙っとけ。……って、さくらさん? 何故食事中に携帯を?」
「いえいえ、お構いなく。私はただ、東四郎さんとお風呂に入りたがってる女の子がいることをご両親にお伝えしようとしているだけですので」
「最悪じゃねえか!」
携帯電話を取り上げようとするも、華麗に躱されてしまった。
さすがに連絡はやめてくれたようだが、さくらは満足げな笑みを浮かべる。
「まだ初日だというのに、ずいぶんと面白い話題がてんこ盛りですね。これはもっと東四郎さんの身辺調査をしなければなりません。叩けば叩くほど埃が出てきそうで、お姉さん、年甲斐もなくわくわくしてきちゃいました」
「あっ、それに関しては私からもお願いします!」
ノリノリで握手を交わすリベリアとさくらを見ながら、天崎は「勘弁してくれ……」と頭を抱えたのだった。
少し落ち着いたところで、天崎がリベリアに訊ねた。
「そういやリベリアは実家に帰らなかったんだよな?」
「何を言ってるんですか。帰れるわけないでしょ」
「じゃあ正月は何してたんだ?」
天井を見上げたリベリアは、ここ一週間を振り返っているようだった。
「バイト先も開いていないので、基本は家でゴロゴロしてましたね。それ以外は、空美さんやマロンちゃんと一緒に買い物とか食事とか初詣に行ったりしてました」
「あぁ、空美さんも高槻も暇だったんだな」
空美は元々実家がない。またマロンも高校を辞めてからは家に帰りづらいだろうし、暇な女が三人集まってわいわいやってる光景は容易に想像できた。
「ああ、そうそう。一度だけ安藤さんが訪ねてきましたよ」
「安藤が?」
不審に思った天崎は首を捻った。
年末年始、天崎が一週間ほど実家に帰省していることは、安藤も知っていたはずだ。なのに連絡もせず、おののき荘を訪れる理由とは? 今日の昼、何か話があると言っていたのと関係あるのか?
「いえ、安藤さんは私に用があったみたいなんです」
「お前に? なんでまた」
するとリベリアは、今までの軽快な調子から一変、まるで憂い事でもあるかのように声を落とした。
「なんでも年末年始、この近所で殺人事件があったみたいなんです」
「はあ? それでお前が疑われたってことか?」
「いえいえ、とんでもない。殺害方法から犯人は私ではないと判断していましたし、安藤さんも元より私を疑っている様子ではありませんでした。ただ場合によっては少し協力してもらうかもしれないと言ってましたね」
「まあ、時と場合によるわな」
もし犯人が危険人物なら、リベリアに協力を仰ぐのは合理的だ。一般的な身体能力しかない安藤よりも、吸血鬼のリベリアの方が被害を抑えられるだろうし。
そこで会話を黙って聞いていたさくらが口を挟んできた。
「その安藤さんというご友人は、探偵でもされているんですか?」
「至って普通の奴ですよ。いや、厳密に言えば普通とは言い難いんですが……」
言いかけ、天崎はふと気づいた。
安藤は普通の人間ではない。悪魔だ。人間の社会生活を調査するため、一通り普通の人生を送っている魔界の住人である。故に、近所で殺人事件が起こったからといって、積極的に首を突っ込むようなマネはしないだろう。おののき荘の住人に注意を促すことはあっても、協力なんて言葉は出てこないはずだ。
つまり犯人は人間ではない別の何か……なのか?
天崎の表情で察したリベリアが、説明を加えてくる。
「加害者が人間なのか人外なのかは分かりません。問題なのは被害者の方なんです」
「被害者が?」
「ええ。世間一般に報道されている被害者は、人間が一人だけです。けど安藤さんが仕入れた情報によれば、少なくとも他に三人の人外が殺されているらしいんです」
「はぁ!? ってことは合計で四人も!?」
「その人外三名に関しては、『調査員』が処理して事件は闇に葬られました。現在では警察が人間を殺害した方の、『調査員』が人外を殺害した方の犯人を追っているみたいなんです」
「同一犯じゃないのか?」
「今のところ分かっていません。殺害方法からして、同一犯の可能性も視野に入れて捜査しているみたいなんですが……」
天崎が実家に帰省してから、まだ十日程度しか経っていない。その間に四人も殺されて未だ捜査中となれば、それほど情報が出ていないのも仕方がないか。
昼に安藤が話そうとしていたのは、おそらくこの件だったのだろう。『完全なる雑種』の血に引き寄せられた人外が事件を起こしたと考えたが、天崎は実家に帰省中だった。そのため無関係と判断して、話を後回しにしたのだ。
「えっと、それで……被害者は?」
「すみません。それは教えてもらえませんでした。ただ人間の被害者は新聞にも名前が出ていたので、後で差し上げますよ。といっても、安藤さんからもらった数日前のものですが」
そう言ってから、リベリアは円とさくらの方にも目配せをした。
「というわけで、皆さんもお気を付けください」
「そうだな。円もできるだけ一人で外に出ない方がいい。日中でも」
「わかった」
「了解しました」
リベリアの注意喚起を境に、四人の夕食会はお開きとなった。
食後の一杯を済ませたところで、さくらが空いたどんぶりや小皿を流し台へ運んでいく。するとリベリアが、すぐにその背中を追った。
「お皿洗い、お手伝いしますよ」
「お前、普段は絶対に自分から手伝おうとしないくせに……」
畳の上で胡坐をかく天崎が、不機嫌そうに睨みを利かせた。
しかしさくらはリベリアの申し出をやんわりと断る。
「いえ、東四郎さんのお友達に手伝ってもらうわけにはいきません。リベリアさんには、東四郎さんと良い関係を築いていただいてるだけで感謝の極みですので」
そう言いながら、さくらはエプロンのポケットから数枚の紙を取り出した。
「気持ちばかりの物ですが……」
「えぇ……いや、そんな、お金を受け取るわけには……」
「いえいえ、東四郎さんの子供の頃の写真です」
「一枚いくらで売ってくれますか!?」
目を血走らせたリベリアが、いつの間にか財布を取り出していた。
「もちろん無料です。しいて言えば、これからも東四郎さんと仲良くしてあげてください」
「はい! 喜んで!」
「やめい!」
写真を受け取ってうっとりするリベリアに、天崎の鋭いツッコミが炸裂する。ただ無理やり奪い取るようなマネはしなかった。なぜなら円もまた興味津々に覗き込んでいたからだ。
「いやいや、お前は実家で何度も見たことあるだろ……」
「な、なんと。天崎さんの実家には、こんなお宝がたくさんあるのですか!?」
「大抵の家にはあると思うけどな」
他人の子供の頃の写真なんて見て何が楽しいんだ? などと思いつつ、このテンションの日々がしばらく続くのかと思うと、どっと気疲れしてしまう天崎だった。
「さくらさん。ご夕食、ありがとうございました! とっても美味しかったです!」
「喜んでいただけたなら何よりです」
「天崎さん。新聞を渡しますので、私の部屋まで来ていただけますか?」
「あぁ、そうだったな」
すっかり忘れていた。
どっこいしょと言わんばかりの緩慢な動作で立ち上がり、リベリアの後に続く。だが流し台の前に立っているさくらが不敵な笑みを見せていることに気づき、天崎は足を止めた。
「……なんで笑ってるんですか?」
「お帰りになるまでに、赤飯でも炊いときましょうか?」
「夕飯食ったばかりなのに、何言ってんだこの人……」
意味は分からなかったが、さくらがこういう笑みを見せる時、大抵は嘘か冗談の類なので、天崎は気にせず無視することにした。
さくらと円に見送られながら、天崎は部屋の外に出る。
リベリアの部屋は一階だ。そのためアパートの外階段を下りなければならない。すっかり日の暮れた冷たい夜風に身震いしつつ、天崎は地面に足を着いたのだが……ふと、前を歩いていたリベリアが振り返った。
「天崎さん、どうかされましたか?」
「どうかって?」
むしろどうかしたのは唐突に立ち止まったリベリアの方じゃないのか?
という意味で訝しげな表情をすると、彼女は言いにくそうに視線を落とした。
「なんていうか、その……天崎さん、帰ってきてから、ずっと影が差してるというか、落ち込んでいるというか……表現しにくいんですけど、元気がないように見えるんです。帰省中に何かあったのかと思いまして」
「…………」
ちゃんと普段通りの自分を演じているつもりだったが、まさか見抜かれていたとは思わなかった。内心では驚きつつも、天崎は無表情のままじっとリベリアを見つめる。いや、もしかしたら今の驚きすらも悟られたかもしれない。
そう考えると全身がむず痒くなり、天崎もまた露骨に視線を逸らした。
「リベリアには……俺が落ち込んでるように見えるってわけか」
「そうですね。少なくとも、帰省する前と雰囲気が違うことは間違いないかと」
「……そっか」
よく見てるなぁと感心しながら、天崎は夜空を仰いだ。
それが嬉しいことなのか、もしくは煩わしいと感じてしまっているのか、天崎自身にすら本心は分からなかった。
しかし話せない。まだ口にしたくない。人を殺してしまった重圧は、わずか数日で思い出に昇華できるほど軽くはない。ましてや決して人を殺めてはいけないと約束させたリベリアが相手なのだから、なおさらだった。
「なんでもないよ。たぶんリベリアの気のせいだろ」
だから天崎は、隠し事があると悟られた上で無理やり誤魔化した。
ピクッと耳が動いたリベリアは、何か言いたげに口を開いた後、結局は何も言わずに再び視線を地面に落とす。今度はひどく残念そうな顔をしていた。
「天崎さんがそう仰るなら、別に構いません。でも……」
まっすぐに天崎を見据えた彼女の瞳には、強い意思が宿っていた。
「何があっても私は天崎さんの味方です。それだけは忘れないでください」
ああ。リベリアが側にいてくれて本当に良かったなと、天崎は素直に思った。
それと同時に、いつかは必ず話そうと心に決める。無条件で寄り添ってくれる彼女には、行動で応えてやるべきだと。
「……あぁ、ありがとう」
だから今は、精一杯の感謝を言葉として返した。
天崎の気持ちがしっかりと伝わったのだろう。優しく微笑んだリベリアは、まっすぐ受け止めたと言いたげに強く頷いたのだった。
「さーて! さくらさんって方は非常に物分かりが良いみたいですし、ここは一つ、是非とも私の部屋で一緒にお風呂を……」
「新聞もらったらすぐに帰るからな?」
「……はーい」
不貞腐れて頬を膨らませるリベリア。
このくだらないいつものやり取りが、今の天崎にとっては何よりもありがたかった。




