第10章 天崎の中にあるモノ
祠というくらいだから、小規模な殿舎みたいな施設があるものだと思い込んでいた。しかし実際に見つけたのは、ほとんど建築物ですらなかった。
剥き出しになった岩の狭間に木製の格子が取り付けられ、雨に濡れないよう簡素な屋根が覆っているだけの代物だ。隙間から中を覗いてみても、とても人の手で整えられているようには見えなかった。
「東四郎さん。本当にコレなんですか?」
「さあ? あれだけ探したのに、見つけた人工物はこれだけですし……」
疑いの眼差しを向けるさくらに、天崎は苦笑いで返した。
時刻はすでに昼近くになっていた。つまり探索を開始してから二時間以上。その間、蛇などに襲われることはなかったものの、特に手掛かりを見つけることもできなかった。
祠から目を離し、周囲を見渡してみる。
だいぶ山奥に入ったこの場所は、自宅付近よりも勾配がきつくなっている。魔術工房を構えるのに不向きなような気がしないでもないが……。
「中は……暗くてよく見えませんね。何かが納められているようですが……」
用意の良いさくらが、懐中電灯で祠の中を照らしていた。
確かに、空洞の中に何かがある。そしてそれが目的の物ならば、外から判別できないのも納得がいった。
「……開けてみますか」
「威勢がいいですね、東四郎さん。さて、蛇が出るか蛇が出るか……」
「それ、どちらも同じですよ」
しかも昨日一昨日と立て続けに蛇に襲われた天崎にとっては、あまり聞き心地の良い冗談ではなかった。
幸いにも鍵は掛かっていないようだ。長年放置されていたため凝り固まっているものの、少し力を入れただけで、木製の格子は軋んだ音を立てながら簡単に開いた。
「石皿……いえ、石鉢みたいですね」
さくらに懐中電灯で照らしてもらいながら、天崎はその物体を祠の外へ運ぶ。
バスケットボール大の石を半分に切断し、中心を大きく繰り抜いた形。思っていたよりも大きかったが、家系図に描かれていた、あの魔術道具に間違いないだろう。
「これが東四郎さんの探していた物なんですか?」
「ええ、そうです」
首肯しつつ、天崎はポケットから小さなケースを取り出した。
「それは?」
「裁縫針です。出血させるためには、これが一番手っ取り早いかと思って」
言うが早く、天崎は裁縫針を指の先端に刺した。
その行為を横で見ていたさくらが渋い顔をして咎める。
「一般人よりも傷の治りが早いからって、思い切りが良すぎますよ」
「すみません。これしか思いつかなかったもので」
指の先から滲み出る、赤い血液。それを石鉢の中心に押し付けたところで――周囲が一瞬にして暗闇に覆われた。
「なっ――」
自分の身体だけが視認できる、完全なる闇。目の前にあった石鉢も、隣にいたはずのさくらも消え失せ、天崎はただ一人、上下前後左右の感覚が不安定な世界に放り込まれてしまった。
突然の異変に困惑するも、意外とパニックにはならなかった。つい先日、同じような体験をしたばかりだったから。
「ここは『自問自答の世界』なのか?」
天崎家の家系図も、石鉢の魔術道具も、先祖である天崎満春が作った物だ。同じような効果があっても不思議ではない。つまり天崎は今、集中力が極限まで高められ、脳内に引き籠っている状態なのだろう。
「いや、違うか」
あの時は家系図に目を通しているという名目があった。しかし今度は、どんな理屈で何に集中しているのだ?
「ま、いっか」
自分は魔術の素人。いくら頭を働かせたところで答えに辿り着くことはないと、早々に理解を諦めた。どのみち危険な物ではないはずだ。
「案内役は現れない、か」
どこに行けばいいのか、何をすればいいのか。何も分からない天崎が、所在なさげに周囲を見回していると――それは唐突に出現した。
「扉?」
まるで夜空に瞬く星々のよう。色とりどりに輝く無数の扉が、天崎の周りを取り囲む。
そして、その扉が何を意味しているのかは考えるまでもなく理解できた。
自分の内に眠る、他種族の遺伝子だ。
「『完全なる雑種』の定義であった『扉を認識した者』って、こういうことだったのか?」
この魔術自体は天崎満春がデザインした物。実際に天崎の中に扉があるわけではない。つまり家系図に書かれていた扉とは、各遺伝子の情報を知るための入り口だったのだろう。と、天崎は結論付けた。
「それはさておき……」
迷いのない足取りで、とある扉の前まで進む。
その部屋の名は吸血鬼。おそらくヨミが妨害した原因であろう遺伝子の扉を、天崎は恐る恐る開けた。
「……いた」
内も外も区別のつかない宇宙のような空間の中で、一人の男が眠っていた。
背の高い老人だ。横になっており、目を閉じたまま動かない。もちろん呼吸もしていない。
死体のような、人形のような、それでいて今にも目を見開いて起き上がってきそうな生々しい顔を、及び腰になりながらも覗き込む。
「これがヴラド三世?」
じっくり観察することで、妙な違和感を覚えた。
端的に言えば、この顔には見覚えがあるし、見覚えがないのだ。
一ヶ月ちょっと前、深夜の住宅街で遭遇した、あの老人の特徴と一致している。あの時は帽子を深く被っていたため、はっきりと顔を見ることはできなかったものの、まあ状況的に同一人物で間違いないだろう。
だが教科書などに載っているヴラド三世の肖像画からはかけ離れていた。
外国人だから顔の見分けがついていないだけ?
それとも年齢が違うだけ?
だとしても、しっくりこない。明らかに別人だ。
「ま、織田信長だって本当にあの顔だったのか今じゃ分からんしな」
そもそも写真ではないのだ。時の権力者なら、肖像画などいくらでも改変できるだろう。
そんなことを一人で納得しながらも、天崎はようやく覚悟を決めた。眠っているヴラド三世に触れようと、手を伸ばす。
しかし――、
「あ、そっか。俺は自分の血の情報を見ているだけなんだ」
天崎の手はホログラムでも掴むように、ヴラド三世の身体をすり抜けたのだった。
あの石鉢は決して体内にある遺伝子を操作できるような魔術道具ではない。あくまでも自分の遺伝子を調査するだけの物。干渉はできないというわけだ。
つまりヨミのやったことは無駄だった……のか?
「仕方ない」
名残惜しみながらも、天崎は吸血鬼の部屋を後にした。
せっかくだから近くにある扉にも入ってみる。人魚、獣人、悪魔、天使、妖怪、妖精など、一通り確認してみたが、やはり吸血鬼以外の部屋に誰かがいることはなかった。
「ある程度の予想はしてたけど……壊れてるよな、これ」
あの家系図には、もっと多くの情報が書かれてあったはずだ。それこそ先祖代々どんな種族と交わったのかも、すべて。にもかかわらず天崎が把握できたのは、自分の中に眠る遺伝子の種類のみ。あまりにも情報が少なかった。
おそらく保管状態が劣悪だったためだろう。なんせ作られたのは四百年も昔。さらに工房が解体されてからは、何十年も野ざらしにされていたのだ。劣化するのも無理はない。
「見た目はただの石鉢だもんな。知らなきゃ誰も魔術道具だとは思わんだろうし。とりあえず遺伝子の調査はここらで打ち切るとして……」
天崎は改めて周囲を大きく見渡した。
「多いな」
その数に、我ながら圧倒されていた。
天崎がヨミの言うような完璧な『完全なる雑種』なら、現存するすべての種族と等しい数の扉が存在しているはずなのだ。そのスケールの大きさに、思わず目が眩んでしまった。
そして――、
「西村狂一郎、か」
天崎家の足りない部分を補った、『完全なる雑種』に成り損ねた男。
どんな人間だったのか、興味は尽きない。
しかし天崎がいくら問いかけようとも、先祖の遺した魔術道具は何一つ答えを提示してくれはしなかった。
「東四郎さん? どうしたんですか?」
さくらの声が意識の奥に浸透し、天崎はハッと我に返った。
気づけば周りの景色は色彩の薄い冬の山中へと戻っており、目の前には薄汚れた石鉢があった。顔を少し横に向けると、怪訝な表情をしたさくらも目に入る。
「えっと……俺、どれくらいボーっとしてました?」
「どれくらいかは知りませんが、今は一月二日の正午辺りです」
「いや、そんな天丼ネタを求めてるんじゃなくて」
「冗談ですよ。だいたい五秒くらいですね」
「五秒……」
あれだけ探索していたのに、たった五秒しか経っていないのは驚きだった。
とはいえ、いつの間にか夕刻になっていた家系図の時と真逆だったのは、助かったといえば助かったのだが。
「それで、この石鉢はどうしましょう」
「これは……元に戻しておきます」
と言って、天崎は再び石鉢を祠の中へと納めた。
「自宅に持ち帰らなくてもいいんですか?」
「なんか壊れてるようだし、たぶんですけど、これはここで使わないと意味がないんだと思います」
妖精が集まってくる、不思議なエネルギーに満ちた土地。天崎満春がこんな山奥に魔術工房を構えた理由だ。ここじゃないと効力を十分に発揮できない、もとい、この場所だからこそ壊れた石鉢がギリギリ機能したんだと、実際に使った天崎は感じ取っていた。
「なるほど。つまり東四郎さんは、私に重い荷物を運ばせないために気を遣ってくれたわけですね?」
「いえ、そういうわけではないんですが……」
「そこは嘘でもそうだと言っておくべきですよ。でないと、女の子にモテません」
「……勉強になりました」
お叱りを受けた天崎は、ふてぶてしく胸を張る姉のような相手に向けて、恭しく頭を下げたのだった。




