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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第8話『メイド・メイド・マーメイド』

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第9章 罪のあと

 どれくらいの間、そうしていただろうか。一分程度だったかもしれないし、一時間は経っていたかもしれない。ただ太陽の位置を見る限り、それほど長く放心していたわけではないようだった。


 ふと思い立ったように、天崎は腰を上げた。


 肌を撫でる冷たい北風や遠くの方から届く祭囃子など、ささやかな現実を身に受けながら、おぼつかない足取りで前に進む。


 向かった先は、野ざらしのまま眠っている小噺の元だった。

 彼女の身体をゆっくり抱き上げると、今度は確かな足取りで自宅を目指した。


 勝手口から家に上がり、両親の話し声がする方へ。二人は居間にはおらず、台所で昼食を取っているようだった。


「東四郎?」


 先に気づいたのは父で、その声に合わせて母も振り向く。

 彼らは息子の姿を見て一瞬だけ硬直した後、椅子を転がして駆け寄ってきた。


「おい、東四郎! どうしたんだ!? 血だらけじゃないか!」

「ヨ、ヨミが……」


 震える声で説明しようとしたが、自分でも驚くほど声が出なかった。

 唾液を飲み込んでから、天崎はもう一度試みる。


「さくらさんが、ヨミで……蛇がたくさん出てきて……お、俺の血が暴走して……」

「ヨミ? 蛇? 血?」


 支離滅裂な言葉の中から、誠三はいくつか単語を拾い上げた。


 次に天崎の手元に視線を移す。気を失って動かない小噺と、何かの種族を覚醒させたと思しき右腕の痕跡。穏やかな事態でないことは明白だった。


「怪我はないのか?」

「俺は、ない。でも、小噺が……蛇に噛まれたかもしれない」


 視点が定まらず、呼吸が不規則になっている息子に向けて、誠三はゆっくりと頷いた。


「分かった」


 すぐ振り返り、詩音に指示を出す。


「詩音。灯台のシゲ爺さんに電話して、人魚の里からジョージさんたちを寄こしてもらってくれ。次に病院へ電話だ。渡井さんを救急車に乗せたら、そのまま付き添いを頼む。俺は裏山の様子を見てくる」

「分かりました」


 指示を受けた詩音は、即座に電話の方へと飛んでいった。

 最後に誠三は、息子に力強く言い聞かせる。


「東四郎、いいか? お前は何も考えるな。炬燵に入って、ゆっくり休め。後のことは全部、俺たちに任せろ。いいな?」

「……うん」


 胡乱げながらも首肯してくれた息子を信頼し、誠三は台所から出て行った。


 言われた通り、天崎は非常にゆっくりとした歩調で居間へ向かう。そこで小噺を下ろし、自分は洗面所へ。こびり付いた血痕をできるだけ洗い落としてから、再び居間へと戻った。


 炬燵に入り、横になって目を閉じる。

 眠気はすぐにやってきた。


「ああ、眠い」


 身体の奥底から湧き上がってくる睡魔に導かれるがまま、天崎は眠りへと落ちていった。






「殺すぞ」と言葉にしたことは何度もあった。それは友人に対してだったり、トラブルを起こした元凶に向けてだったり。前者は冗談交じりで、後者は脅しの意味も込めて。


 そして相手を殺しそうになった場面も、少なからず経験していた。


 思い起こされるのは、今年の夏休みが終わってから今日までの四ヶ月間。


 吸血鬼と決闘し、堕天使とは殺し合い、異世界では他のプレイヤーに襲われた。しかし結果論ではあるが、そのいずれも相手を殺すことなく事態を解決へと導いている。


 吸血鬼に追い打ちをかけたのは自分ではなかったし、堕天使はいくら身体を破壊しても再生すると分かっていたし、異世界での対人戦はすべて友人に任せていた。


 だから――人を殺したのはこれが初めてだった。


 ヨミを握り潰した時の感触が、未だに手の中に残っている。子供の頃、遊び半分で殺してきた昆虫とは、まったく違っていた。アレは――一個の命を摘み取る感覚だった。


 同じ命なのに、何故人と昆虫ではこうも罪悪感が違うのか。

 その理由は明白だ。


 苦痛に歪む顔。耳を貫く断末魔。周囲に飛び散る血しぶき。

 考えただけでも身の毛がよだつ、おぞましい死に方。


 誰だって、あんな死に方はしたくない。再形成が不可能なほど粉々に骨を砕かれ、裂けた傷口からは内臓が飛び出て、原型を留めないほど身体がぐちゃぐちゃになるなんて――。


 あぁ、痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛痛痛痛痛いたいいたいいたいいたいいたい――――。






「――郎さん? 東四郎さん?」


 意識の端で名前を呼ばれたような気がして、天崎はゆっくりと目を覚ました。

 ぼやけた視界に映ったのは、今一番会いたいと思っていた人物だった。


「さくら……さん?」


 相手の名前を口にしたことで、急に頭が回り始める。ここに至るまでの出来事も思い出し、慌てて飛び起きようとしたのだが……さくらに額を小突かれ、天崎は再び布団へと沈んでしまった。


「東四郎さん。安静にしろとまでは言いませんが、少し落ち着いてください。いきなり激しく動くのは身体に毒ですよ」

「……すみません」


 言葉選びに引っ掛かりを覚えたが、天崎は素直に謝った。


「にしても無事だったんですね、さくらさん」

「無事? 私は無事です。ここのところ身の危険を感じたことはありませんが……どうしてそう思われたのですか?」

「いや。さくらさんに成りすましたヨミが、本物に来られたら困るって言ってたから……」

「成りすましてるのだから、来られて困るのは当然では? その後、私を殺して山の中に埋めたとか言ってましたか?」

「……言ってないですね」

「なら、彼女は自分の心情を表明しただけですね」


 ドヤ顔になるさくらに対して、天崎は目を泳がせることで降参を示した。


 ただ堂々と論破されても、天崎としては微塵も苛立ちを感じなかった。それどころか二つの意味で大きく安堵したくらいだ。


 一つはさくらが無事だったこと。

 もう一つは、この人が間違いなくさくらであること。


 事の経緯は聞いてるはずなのに毒という単語を使ったり、今まで寝込んでいた弟分を意味もなく煽ってみたり。歯に衣を着せない、もとい自分に対して遠慮のない物言いをする彼女は、幼い頃から慣れ親しんだ桜枝さくら本人以外の何者でもなかった。


 催眠が効いていたんだとしても、なんで自分はヨミをさくらと誤認してしまったのか。むしろ自分に対する憤りの方が大きかった。


「あの、東四郎さん? そろそろ手を放していただけませんか?」

「え?」


 見れば、天崎はさくらの手をギュッと握りしめていた。

 気恥ずかしさを感じ、慌てて手を放す。


「す、すみません」

「いえ。うなされてたからといって、迂闊に近づいたのはこちらですので」

「俺、うなされてたんですね……」


 鮮明に思い出すことはできないが、ひどい悪夢を見ていたような気がする。その証拠に、真冬にもかかわらず布団が寝汗で湿っていた。


「そういえば、ここは……」


 記憶が確かなら、炬燵の中で眠りに落ちたはずだ。


 居間なのは変わりないが、炬燵は部屋の隅に寄せられ、いつの間にか自分は布団へと移動させられていたようだった。


「ちなみに俺ってどれくらい眠っていました?」

「どれくらいかは知りませんが、今は一月二日の午前八時です」

「二日の……八時!? そんなに!?」


 さすがに驚きを隠せなかった。あれから二十時間近くも経っていたのだから。


 眠気覚ましにはちょうどいい真実を聞いて唖然としていると、サッと襖が開いた。居間に入ってきた誠三は、目を覚ました息子を確認するやいなや、安堵の息を吐く。


「起きたか、東四郎」


 そして布団の横で胡坐をかくと、真剣な顔つきで訊ねてきた。


「起き抜けで悪いが、何があったか話せるか?」

「ああ」


 神妙に頷いた天崎は、ヨミとのやり取りをゆっくりと話し始めた。


 ただし、すべてを語るつもりはない。両親が出会った経緯を知らせるのは憚られたし、それに加えて自分が完璧な『完全なる雑種』であることも伏せた。


 結局、父とさくらに明かしたのは、ヨミがさくらに変装していたこと。それに気づいた小噺が蛇に襲われ、大量に出てきたから自分で対処しようとしたこと。しかし血統が暴走したためヨミを殺害してしまったことだけだった。


「ヨミがさくらさんに? それに血統の暴走、か……」


 一通り話を聞き終えた誠三が、天井を仰ぎながら呟いた。


 結果的にヨミの目的や暴走の理由は伝えられなかったが、致し方あるまい。ヴラド三世については、今はまだ話すべきではないと天崎は判断していた。


「そういや、俺が眠った後ってどうなったんだ? 小噺は?」

「ああ、すまん。それも話そう」


 そう言って、誠三は咳払いした。


「安心しろ。渡井さんは無事だ。病院で検査したところ、どうやら毒蛇に噛まれたわけじゃなかったらしい。いや、蛇の咬傷があったから噛まれはしたのか? ……よく分からんけど、全身麻酔みたいな薬で気絶させられていたそうだ。たぶんヨミが何かしらの薬を蛇の牙に仕込んだんだろう。後遺症もないみたいだから明日には退院できるって、付き添いの母さんからさっき連絡があった」

「そっか。よかった……」


 命に別状がないことを知り、天崎は心から安堵した。

 誠三の説明は続く。


「ヨミの遺体については、ジョージさんたちに海へ運んでもらったよ。元々人魚の里から追われる身だったし、秘密裏に処理してもらった。だから、その、なんだ……大丈夫だから、安心しろ」


 煮え切らない言い方に、天崎はすぐ理解がいった。


 要は人間ではないから戸籍は存在せず、罪に問われることはない。またヨミは独り身で、人魚の里の爪弾き者だから誰かに恨まれることもない、と言っているのだろう。


 父のその優しさが、逆に天崎の罪悪感を募らせていった。


「ちなみに円ちゃんはお前の部屋で寝てる。迎えに来ないから最初は怒ってたようだけど、お前の寝顔を見るなり、すぐに許したみたいだ」

「後でちゃんと謝っておかなきゃな」


 特に示し合わせたわけではないが、三人は天崎の部屋がある二階の方へ視線を向けた。

 その姿勢のまま、誠三が改めてぼやく。


「にしても、なんでヨミはさくらさんに変装してたんだろうなぁ」


 話していないので疑問を持つのも無理はないが、天崎はふと気になってしまった。


「ヨミがこの家に来たってんなら、さくらさんは今までどこにいたんですか?」

「ずっと人魚の里にいましたよ。今年の年末年始は来なくてもいいという連絡を受けましたので。そこで私も不審に思うべきだったのかもしれませんが……申し訳ありません」

「いやいや、仕方ないですよ。来なくていいって連絡が行ってたんなら、さくらさんに落ち度はないです」


 頭を下げるさくらに対し、誠三が慌てて弁護した。

 人魚の里と連絡を取るためには、灯台の近くに住む人魚のシゲ爺に言伝を頼むしかない。誠三か詩音を装ったヨミが彼を騙したのだとしたら、さくらは信じるしかないだろう。


「そういえば、ヨミが平日にもたびたびこの家に足を運んでいることが判明しました」

「……どういう意味ですか?」

「特に用事がなければ、私がここを訪れるのは年末年始とお盆。そしてゴールデンウィークの三回だけです。しかし去年の十月と十一月、私が何度かお邪魔したらしいのですが……」


 さくらが続きを促すと、誠三は深く頷いた。


「近くまで来たから寄ってみたとか、母さんと一緒に買い出しに行ったりしていたみたいだ。俺は昼間は仕事があるから、直接会ったわけじゃないけど……今思えば、それもヨミだったわけだな」


 と言って、誠三は苦虫を噛み潰したような顔を露わにした。


 その気になれば、ヨミはいつでも詩音に危害を加えられたのだ。妻の身を案じる発露から、そのような表情になるのも無理なからぬことだろう。


 もちろん事情を知っている天崎は、そんな心配はしていない。自分が帰省する今年の年末年始まで、ヨミは事を荒立てるわけにはいかなかったのだから。


「……いや、ちょっと待て」


 父とさくらに聞こえないよう、天崎は口元を押さえて呟いた。


 それだけ用意周到だったのだ。なのに一昨日の昼、どうしてヨミは使い魔の蛇で自分を襲わせたのだ? あれさえなければ、さくらの正体を疑う可能性も格段に低くなったはず。


 あの時、自分は何をしていた?


「確か……家系図に載ってた魔術道具を探してたはずだ」


 つまり見られたらマズい物が祠に納められていたのか?

 それとも自分の血を調べてほしくなかった?


 おそらく後者だろう。赤の他人であるヨミが、魔術道具や祠の存在を知っていたとは思えない。天崎親子の会話を盗み聞きして、慌てて阻止しようとしたのだ。


 ならば、やるべきことは一つ。

 布団から出た天崎は、まっすぐに父の目を見つめた。


「親父。俺、ご先祖様の魔術工房があったっていう祠へ行きたい」

「は?」


 藪から棒な申し出に唖然とするも、三日前の会話だと思い出したようだ。


「なんでだ? 今すぐにか?」

「できるだけ早い方がいい」

「とは言ってもなぁ……」


 それ以上は理由を聞くこともなく、誠三は渋い顔を浮かべる。どう捉えたところで肯定的な表情ではなかった。


「俺はいろいろと連絡待ちだから、家を離れるわけにはいかないんだよ。それに、まだどこにあるのか見つけてないんだろ? いつ帰れるか分からんし、昨日の今日で山に行かせるのもなぁ。俺が母さんに怒られちまう」

「そこをなんとか」

「うーん……」


 なおも許可を出し渋る誠三。息子の身を案じて、父親として当然の判断を下していることは理解しているため、天崎も躍起になったりはしない。ただ誠意を持って頼み込むのみ。


 するとさくらが横から助け舟を出してくれた。


「ならば私が同行しましょう。大蛇程度なら、私が追っ払ってあげますよ」

「まあ、さくらさんがそう言うのなら……」

「よっしゃ」


 父が了承するやいなや、天崎は即座に立ち上がった。


「じゃあさくらさん、お願いします。もしかしたら長丁場になるかもしれないんで、準備はきっちりしましょう」

「分かりました。では出発は一時間後に。東四郎さんも、まずは腹ごしらえして体力を回復しなければならないと思いますので」


 指摘されて初めて気づいたように、天崎の腹から情けない音が鳴ったのだった。

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