第8章 二十四年目の真実
わずか数分で自宅まで辿り着いた天崎は、ひとまず総門の前で息を整える。
動悸が治まった後、まずは台所へ。誰もいなかったため次に居間の襖を開けると、炬燵に入った両親がテレビを観ながら年賀状の仕分けをしているところだった。
「おう、東四郎か。あけましておめでとう」
「あら? 円ちゃんは?」
本日初対面の父とは元旦の挨拶を交わし、異変に気づいた母には答えを返す。
「神社に中学の友達がいたから預けてきた」
「あら、そうなの? 大丈夫? 迷惑になってない?」
「お前の年賀状、少なすぎないか?」
「ちゃんとお願いしたし、すぐに戻るつもりだから大丈夫。最近の若者は年賀状なんて書かねえよ。俺も数年前から書いてないし」
自分たちのペースで物を言う両親を軽くあしらい、天崎は部屋を見渡す。
目的の人物はここにもいないようだ。
「さくらさんはどこ? 急用を思い出したんだけど」
「ついさっき山に行ったわよ。昨日のウミヘビの調査をしてくれるんですって」
「調査? 一人で?」
「えぇ。でも、さくらさんなら大丈夫でしょ」
無論、天崎もさくらの心配はしていない。だが問題はそこではないのだ。
入れ違いだった父は事情を把握していなかったらしく、「えっ、さくらさんって裏の山に行ったの?」と怪訝な表情を浮かべている様子。そのやり取りの末を見届けるつもりのない天崎は、二人に気づかれないよう、さっさと山へ向かった。
家の裏手から出たところで、針葉樹に囲まれたさくらの背中を発見した。
どうやら母の「ついさっき」という言葉はそのまんまの意味だったらしく、彼女が山に足を踏み入れてから、そう時間は経過していないようだった。
「さくらさん!」
「……東四郎さん?」
怪訝そうに振り返るさくらの元へ、天崎は枯葉を巻き上げながら駆け寄って行く。
ある程度の距離を開けて立ち止まると、彼は即座に疑問を投げかけた。
「こんな所で何をしてるんですか?」
「東四郎さんを襲ったウミヘビがいないか、調査していたところです。お父さまがお調べになったので、あまり意味はないかと思いますが……それより東四郎さんこそ、何故ここに? 初詣に行ったのではなかったんですか?」
「ちょっとさくらさんに確認したいことがあって戻ってきたんです」
「確認したいこと?」
「はい。……お前、ヨミだろ」
「…………」
声を低くして断言する天崎に対し、さくらはゆっくりと目を細めるだけだった。
驚くことも、戸惑うことも、ましてや図星をつかれて動揺することもなく、ただただ無感情な瞳で天崎を見据える。
冷たい北風が枯葉を舞い上げ、それらが再び地面に落ち着くだけの間隔を空けた後、ようやく反応らしい反応を見せた。
呆れるように、嘲るように、小さく息を吐く。
「ヨミ? 何を言ってるんですか? 私は桜枝さくらですよ」
「惚けても無駄だ。仮にヨミじゃなかったとしても、あんたがさくらさんに成りすまして、俺たち天崎家の人間を騙してるのは間違いないんだよ」
「何故、そう思われたのですか?」
その返しは、己の無実を信じてもらおうとしているようには見えなかった。次にどんな言葉が出てくるのか待ちわびている様子。
だから天崎は、さっきの出来事を遠慮なくぶつけた。
「たまたま神社で会った友達に、スマホで撮影したあんたの写真を見せたんだよ。そしたら躊躇いなく五十代って答えたんだ」
「それは個人の感想では?」
「んなわけあるか。さすがに二十代と五十代は間違わねえよ。で、俺には今、間違いなくさくらさんに見えている。つまり元々さくらさんを知ってる人には、そう見えて……」
「ご友人のように、桜枝さくらを知らない人には別人に見えている、と?」
堪えきれない笑いを漏らしたさくらに向け、天崎は黙って頷いた。
どんな方法で変装しているかは分からないが、それほど難しいことではない。
さくらを知っている人の前ではさくらとして振る舞い、そうでない人には成りすましている元の人物のまま接する。仮に両者が居合わせたとしても「この人が桜枝さくらだ」と紹介されれば、変装前の姿をさくらだと信じるしかない。
元々さくらは深海に住む人魚。陸の知り合いは少ないだろう。年齢や顔立ちの話題さえ出なければ、バレる危険性は限りなく低かった。小噺というイレギュラーさえ現れなければ。
その旨を読み取ってくれたのか、肩を落としたさくらは自嘲気味に口の端を吊り上げた。
「いやはや、運がないね。長居をするつもりはなかったから、この程度の変装で事足りると思ってたけど……まさか天崎東四郎が知り合いを家に招待し、なおかつ一泊させることになるとは。ホント、タイミングが悪すぎた」
「なら認めるのか?」
「そうさね。お察しの通り、私はヨミ。参考までに聞いておきたいんだけど、どの段階で私の正体に勘づいたんだい?」
答える義理はない。しかし未だ分かっていないことがあるのも事実。相手の口を軽くさせるためにも、天崎は仕方なく話し始めた。
「まず、襲い掛かってきた蛇が誰かに操られているのは明らかだった。じゃあ、それは誰なのか。小噺には何もせず逃げたってんなら、狙いは俺だけだったわけだろ? 帰省して早々、年末に山の中を散策するなんて普通は思わない。つまり何者かは待ち伏せしてたんじゃなくて、俺と親父の会話を聞いていた。近くで監視してると思ったんだ」
「ふんふん、それで?」
「どこかに隠れているのか、それとも盗聴でもされているのか。そう考えてた矢先、小噺がおかしな反応を見せてな。俺がさくらさんをお姉さんと呼んだ時、目を剥いて驚いたんだ。で、もしかしたら誰かがさくらさんに化けてるんじゃないかと疑った」
「失礼だね。まだ若いつもりだよ。……にしても、よくもまあ渡井のお嬢さんの反応だけで、そこまで行動しようと思ったね。昨日のうちに私の写真まで撮ってさ」
「つい最近、幻覚で苦い思いをしたばかりだからな」
そういう意味では遭遇したのが小噺だったことも大きかった。目の前の出来事が本当に現実で起きた現象なのか、疑うことを思い出せたのだから。
「ちょっと待ちな。だとしても私がヨミだとは断定できないんじゃないかい?」
「それは単なる鎌掛けだよ。さくらさんじゃないことさえ証明できればよかった。だから親父の昔話に出てきた名前を拝借したんだ」
「やれやれ。私は自分から正体を明かしてしまったわけだね」
と言って、さくらに成りすました女性――ヨミは、大きく肩を落とした。
ただ天崎としても割と確信があった。年齢が相応なのはもちろん、裏で糸を引いている人物が存在するなら、二十四年前に行方知れずとなったヨミという人魚が、どうしても頭にチラつくのだから。
「これで満足したか? 次は俺の方も聞かせろよ」
「おっと。その前にご対面しようじゃないか」
そう宣言するやいなや、ヨミが両手を前に伸ばした。
何か仕掛けてくる? 警戒した天崎が身構えるのと同時に、パンッ! という破裂音が響いた。ヨミが一度だけ手を叩いたのだ。
その瞬間――彼女の顔が変化した。
目尻が吊り上がり、鼻が低くなる。ただ何よりも大きく変わったのは、肌に刻まれた皺の本数だろう。明らかに二回りくらい年齢を重ねた容貌になった。
まるでイリュージョンのような一瞬の出来事に、天崎は驚愕する。
「まさか、幻覚か!?」
「いいや、そんな上等なものじゃないさ。ただのメイクと催眠だよ。とはいっても、変装しやすいように少し顔を弄ってるけどね」
「そんなバカな。たったそれだけで、さくらさんだと誤認するわけが……」
「するさ! なにも毎日顔を合わせてる家族や友人じゃあない。年に二回か三回、家の手伝いをしに来る程度の間柄だろ? なら多少の変装で誤魔化すのは簡単だよ」
絶句する天崎に向けて、ヨミはさも当然のように言い放った。
最後にさくらに会ったのは四ヶ月も前だ。おそらく両親もだろう。なら特徴や仕草をある程度トレースし、そこに催眠も加えれば、その人物になりきることは可能……なのか?
「ま、逃亡生活を円滑にするために、催眠に関してはかなり研究したからねぇ。妖精の幻覚ほどではないにしろ、そんじょそこらの催眠術師よりかは秀でてる自信があるよ」
ヨミが姿を消してから二十四年。一つの学問に時間を費やしていたのなら、どこまで到達できるのだろうか。十七歳の天崎では想像することすら困難だった。
ふと、冷ややかな笑みを浮かべたヨミが軽く頭を下げる。
「改めて、はじめましてだね。天崎東四郎」
「ふざけやがって……」
人を小馬鹿にした態度に、天崎は怒りが湧き上がってくるのを感じた。
両親の人生を弄んだ元凶が目の前にいる。だがそれ以上に、ヨミに対して憤りを覚える理由があった。
単純な話だ。
この数日間、ヨミがさくらを騙って家事をしていたということは……。
「本物のさくらさんはどこだ!?」
最悪の想定が脳裏を過ったためか、天崎の声は心なしか震えていた。
ともすれば怯えているようにも見える彼を前に、ヨミはわずかに目を見開く。そして怪しげな笑みで顔を歪ませると、物憂げに答えた。
「成りすましてる間に、本物に来られても困るからねぇ」
「――ッ!? てめぇ!」
ヨミの挑発が糧となり、天崎の感情は一気に爆発した。
沸騰するほどの熱を持った血液が頭に上り、視界が急激に狭まっていく。相手を叩きのめすことしか考えられなくなった天崎は、拳を握って一歩踏み出したのだが――ヨミに先手を打たれてしまった。
「おっと、待ちな。私に近づくんじゃないよ。これを見てごらん」
「なっ――」
ヨミが示す方向へ視線を向けた天崎は、驚きのあまり言葉を失った。
複数の大蛇がヨミの足元へ寄ってくる。その背中に、ぐったりとしたまま動かない小噺を乗せながら。
「小噺!」
大声で呼びかけても、彼女は微動だにしなかった。
「生きてるよ。じゃなきゃ人質としての価値がないからね。でも……」
ヨミが手を挙げる。
すると一匹の大蛇が口を開き、禍々しい牙を覗かせた。
「合図一つでいつでも致死量の毒を与えられるから、慎重に行動することだよ」
「くっ……」
全力で駆け出したところで間に合う距離ではない。下手すれば二人ともあの世行きだ。
無関係な小噺を危険に晒すわけにもいかず、天崎は足止めを食らう。
脅しがしっかりと機能しているのを見て、ヨミは鼻で笑った。
「正体に気づかれたら厄介だから処分しようと思ってたけど、人質として使えてよかったよ。もっとも今となっちゃ、その意味もなくなっちゃったけどね」
「お前、いったい何が目的なんだ!?」
そう、ヨミの目的だけが一切不明なのだ。
何故、シオンを人間にしたのか。
何故、若い頃の両親と自分の元に大蛇を差し向けたのか。
何故、危険を冒してまで天崎家に潜入したのか。
天崎が手にしている情報だけでは、それらを解き明かすまでには至らなかった。
「おやおや、そんな口の利き方してもいいのかい? 自分の大恩人に向かって」
「……は?」
まるで宇宙言語でも耳にしたかのように、天崎の脳は理解を拒んだ。
大恩人? ヨミが? 自分にとって?
意味が分からない。恩を感じるどころか、実際は真逆の感情を抱いているというのに。
「困惑するのも無理はないね。あんたに自覚があるわけもないんだから」
「……何を言ってるんだ?」
「単刀直入に言わせてもらうよ、天崎東四郎。あんたは私のおかげで生まれることができた。この世に生を受けた要因を恩人と称しても、決して過言だとは思わないけどねぇ」
「…………」
どうやらヨミの方に理解をさせるつもりがないらしい。彼女が発した一言一句、天崎の頭が意味を捉えることはなかった。
「いいさ、教えてやるよ。天崎誠三の思い出話を補完するようにね」
そう言って両腕を大きく広げたヨミは、まるで演説でもするかのように、高らかに声を張り上げた。
「一つ目。私の家へちょくちょく遊びに来ていたシオンのお嬢さんに、家族へ不信感を募らせるよう仕向けた。父親や姉たちはお前のことを疎んでいるよ、とか言ってね」
「は?」
「二つ目。天崎誠三が実家へ帰省するタイミングを見計らって、シオンのお嬢さんに地上へ行くよう提案した。その際、サメに襲わせて天崎家の近くへ追い込むのも忘れないようにね」
「ちょっと待て……」
「三つ目」
天崎の制止を無視し、ヨミは三本目の指を立てた。
「デート中の天崎誠三とシオンのお嬢さんの元へ、ウミヘビを遣わせた。単につり橋効果を狙っただけだったけど、天崎誠三が『完全なる雑種』の能力を発揮させたのは良い拾い物だったね。シオンのお嬢さんも、普通の人間とはどこか違う天崎誠三に心を動かしたようだ」
「待てっつってんだよ!」
「四つ目。天崎誠三を人魚の里へ招待するよう提案した。そして最後に、シオンのお嬢さんに人間になれる薬を渡した。別に人魚のままでも構わなかったけど、シオンのお嬢さんが自分を信じて人間になったと知ったら、天崎誠三は必ず責任を取ると思ってね」
実際、その通りになった。
もちろん誠三とシオンがお互いに惹かれ合って結婚したことも嘘ではない。しかしそれ以上に、二人は決して別つことのできない状況へと追いやられていた。
誠三にとってシオンは、人魚という種族と故郷を捨ててまで自分を頼ってくれた存在だ。正義感の強い誠三が、そんな少女を蔑ろにできるはずがない。
シオンにとって誠三は、頼ることのできる唯一の存在だった。もし天崎家に見限られたら、生きていく術はなかっただろう。彼女はもう二度と故郷に帰ることはできないのだから。
あまり考えたくはないが――二人は踊らされていたのだ。
ヨミという魔女の手の平の上で。
「いったい、何のために……」
襟首を掴んで問い詰めたかったが、蛇に睨まれたため断念した。
こちらが動けないのをいいことに、ヨミの顔がさらに邪悪に染まる。
「何のため? 何を言ってるんだい? それはさっきも言ったじゃないか」
「さっき?」
いつだ? これまでの会話を思い返すまでもなかった。
喉を鳴らすような笑い声を漏らしながら、ヨミはすぐに明示した。
「お前を作るためさ。天崎東四郎」
「俺を作る……ため?」
意味が分からなかった。
確かにヨミの一連の行動は、誠三とシオンを引き合わせることに何役も買っている。
現に彼女はシオンに向けて、最終的には結婚し、子供を作り、幸せな家庭を築けとまで言っていた。現在から遡って言い換えれば、天崎東四郎を誕生させよと解釈しても何ら違和感はないだろう。
では何故ヨミは、誠三とシオンの子供を作らなければならなかったのか。
その答えを明言する前に、ヨミは話を逸らした。
「時に天崎東四郎。あんた、自分が他の人間と少し違うと思ったことはないかい?」
「……そりゃあるだろ。俺は『完全なる雑種』なんだから」
「ああ、悪いね。普通の人間じゃなくて、普通の『完全なる雑種』とだよ。とはいっても、あんたの周りには天崎誠三しかいないだろうけど」
「…………」
昨日、初めて知った事実がある。
しかもそれは天崎を大いに悩ませた。
「おや? その顔は心当たりがあるようだね。言ってみな」
第三者に打ち明けるのは気恥ずかしかったが、黙っていては話が進まないと思い、天崎は遠慮がちに口を開いた。
「……俺は人間以外の種族に性的欲求を抱くことはないけど、親父はそうじゃないらしい。普通に人間の女性と同じように感じるそうだ」
「なるほど。当たらずとも遠からず……いや、むしろ正解と言ってもいいかもね」
そんなことが?
からかわれているんじゃないかと思い、天崎は無言でヨミを睨みつけた。
「じゃあ、それが何故だか分かるかい? 父と子で、何故そんな違いがあるのか」
「分かるわけねえだろ」
威嚇するように否定すると、ヨミが口の端を大きく吊り上げた。
まるで生涯を懸けて作り上げた作品を自慢するかのように、興奮に満ちた声を張り上げる。
「お前が完璧な存在だからだよ、天崎東四郎! 完璧故に、それ以上に何かを求めることがないのさ!!」
「完璧? 俺が?」
そう言われ、天崎は自分の身体を大きく見回した。
しかしヨミが宣言したような、完璧である実感などどこにもない。
「表面的なものじゃない、血統の方さ。言うなれば、あんたは完成されたジグソーパズルのようなものなんだよ。一ピースですら入り込む余地はなく、どこにも繋がらない存在。だからこそ他者に惹かれたりはしないのさ。なぜなら天崎東四郎は一個として完璧な存在だから!」
「…………」
声が枯れる勢いで演説するヨミとは対照的に、天崎の態度は冷めたものだった。
ヨミの言いたいことは、なんとなく理解できる。だが間違っているのだ。自分の身体だからこそ、天崎は自信を持って言える。
「興奮してるところ悪いけど、性欲を抱かないのは人間以外の種族だけだぞ。人間相手には普通にするんだから、他者の入り込む余地がないなんて言えないだろ」
「それは性的欲求ではなく生殖欲求だね。子孫を遺すという生物の本能には、いくら完璧な存在であっても抗えないのさ。だからこそ同じ人間だけには性欲を持てるんだよ」
「…………」
なんだか屁理屈で言いくるめられているような気がする。
とはいえ、天崎が絶対に受け入れられない理由があった。
「なんで普通の『完全なる雑種』の親父から、急に俺みたいな完璧な『完全なる雑種』が生まれるんだ? どう考えてもおかしいだろ」
「そんなことも分からないのかい? ちょっと頭を捻れば容易に想像できるだろ?」
「……まさか」
天崎東四郎が受け継いだ遺伝子は、なにも父である天崎誠三だけではない。
完璧な『完全なる雑種』になるため、足りない部分を補えるだけの遺伝子を、仮に母親の詩音が持っていたとしたら?
饒舌になったヨミは、なおも語り続ける。
「シオンお嬢さんの母親が人間だって話は聞いただろ? 人魚と人間の間にできた子供は、普通は人間として生まれてくる。けどあの子は違った。何故か人魚で生まれてきたんだ。そこに目を付けた私は、母親の家系をちょっと調べてみてね」
「……どうだったんだ?」
「いたんだよ。彼女の先祖に、天崎家の不完全さを補う存在がね。そいつの名は西村狂一郎。『完全なる雑種』に成り損ねた男だよ」
「『完全なる雑種』に……成り損ねた男?」
「理由は分からなかったけどね。西村狂一郎は人工的に『完全なる雑種』になろうとして、そして失敗した。結局は人間のまま、残滓のように残っていた他種族の遺伝子が、子孫に受け継がれていったってわけさ」
人工的に『完全なる雑種』になろうとした男。似たような人物を天崎も知っている。
過去に一度だけ自分の前に姿を現した歴史上の人物、ヴラド三世だ。
しかし――、
「ちょっと待て。人工的に『完全なる雑種』になろうとしたんなら、天使が黙っちゃいないだろ。他種族の遺伝子を手に入れてから子孫を残すのは、どう考えてもおかしい」
事実ヴラド三世は人間から吸血鬼に進化し、そして『完全なる雑種』へと至った。だが、その行為が天使の禁忌に触れた。彼は天界へ連行され、その存在を抹消されたらしい。
では何故、西村狂一郎は抹消の対象になり得なかったのか。
「天使は過程なんざ見ちゃいない。結果だけを重視するんだ。だから失敗した西村狂一郎は排除されなかったのさ」
ああ、確かに。と、天崎も納得した。
ヴラド三世も『完全なる雑種』に成るための活動中ではなく、『完全なる雑種』へ至った後に排除されたはずだ。でなければ『完全なる雑種』に成ったヴラド三世だけが歴史から抹消された、なんてことにはならないだろう。
西村狂一郎も監視くらいはされていたかもしれないが、失敗したと分かるやいなや、天使は天界へ引き上げていったに違いない。
ここまでの話を統合することで、ようやくヨミの計画の全貌が見えてきた。
元より『完全なる雑種』だった天崎家。
先祖に『完全なる雑種』に成り損ねた人間がいるという母親の血筋。
それら二つの血を掛け合わせることで、完璧な血統を持つ子供が誕生した。
「だから親父と母さんを引き合わせる必要があったのか……」
「そういうことさ。ヴラド公へ完璧な肉体を捧げるために、私も苦労したもんだよ」
「なっ――」
今まさに思い描いていた人物の名がヨミの口から出たことにより、天崎は身を硬直させた。
彼女は間違いなく言った。ヴラド公と。
「お前、ヴラド三世の手先だったのか!?」
「おや? 言ってなかったっけ?」
小馬鹿にするように笑うヨミを前に、天崎は愕然とした。
これがヴラド三世の計画だとしたら、前提がすべて覆る。
天崎は最初、天崎家の血統に意識を植え付けたヴラド三世が、たまたま自分の代で復活したものだと思っていた。そして内側から肉体を乗っ取ることに失敗したからこそ、セカンドプランであるトレンチコートの老人が接触してきたのだと。
だが違った。天崎東四郎自体が、ヴラド三世へ捧げられるために作られた器だったのだ。
自分の出生の秘密だけではない。己が生まれた意味すら他人の謀略だったことを知り、天崎の頭の中は真っ白になっていた。
「そこまでして……奴は何をするつもりなんだ?」
「おおっと、話しすぎてしまったかな? 悪いけど、これ以上は何も言わないよ。個人のプライバシーの問題だからね」
「ふざけやがって……」
怒りによって頭に血が上るのを感じた天崎は、ゆっくりと前傾姿勢になった。
こうなったら力づくだ。取っ捕まえて情報を吐き出させた後、人魚の里へ突き出してやる。
ヨミの背後に控える蛇の群れを一瞥する。こいつらは合図がなければ動かないのか、それともヨミの身に危険が迫ると自動的に反撃してくるのか。
いや、何よりも最優先するべきなのは小噺の安全だ。ヨミの合図よりも早く、蛇の強襲よりも素早く動ける種族を模索しながら、己の内に意識を向けたのだが――、
「おや、抵抗する気かい? いいさ、私に『完全なる雑種』の力を見せておくれよ。引き出すのは神の力かい? それとも悪魔の力かい?」
天崎は失念していた。ヨミは『完全なる雑種』に対して理解のある魔女だった。
目論見がバレて一度は止まったものの、天崎は構わず準備運動を進める。
「てめえを捕まえて小噺を助けられるんなら、神でも悪魔にでもなってやるよ」
「ふん。なら私も抗ってやらないとねぇ。ヴラド公に貢ぐ肉体だから、あんまり傷つけたくはないけど……ま、三日は目覚めないくらいの覚悟はするんだね」
ヨミが手を挙げると、四方から大小様々な種類の蛇が這い寄ってきた。
完全に囲まれてしまった。もう後には引けない。
一瞬で勝負を決めるしかないと覚悟した天崎は、右手の人差し指に噛みついた。
「『吸血の時間』」
一つ試してみたいことがあった。
この『吸血の時間』は、吸血鬼が自分の血を吸うことによって一時的に能力をブーストできる、いわばドーピングのような技だ。内に眠るヴラド三世が目覚める恐れもあり、天崎は今まで十全に発揮できなかったが、吸血鬼の身体能力を借りる程度は問題なかった。
これを少し応用してみる。
吸血鬼でもない天崎が、血を吸うだけで吸血鬼に近づけるというのなら――、
自分の中にある他の種族も簡単に覚醒できるのではないか?
もちろん今までも、天崎は様々な種族の力を借りてきた。しかし、それには幾分かの準備時間が必須。デュラハンに首を斬られたり、死神の鎌で身体を貫かれたりと、対外的な要素がなければ即座に覚醒させることは難しかった。
つまり『吸血の時間』によって、準備時間を大幅に短縮しようと考えたのだ。
今回、天崎は悪魔の血統に狙いを絞った。
獣人のように変化に慣れておらず、かつ過去に一度だけ覚醒させた経験のある種族。先ほどの軽口もあり、真っ先に思いついたのが悪魔だった。
己の血を啜った天崎は、『完全なる雑種』の中にある悪魔の遺伝子に意識を向ける。
すると体中が熱を持ち始めた。悪魔のエネルギーを得た血液が沸騰し、上質なガソリンとなって全身を駆け巡る。五感が研ぎ澄まされ、筋力が増大していくのを実感した。
ここまでは順調だ。安藤の力を借りた時と似たような感覚。
だがしかし――、
「……?」
唐突に違和感を覚えた。
何かがおかしい。何がおかしいのか天崎自身にも分からなかったが、他の種族の血統を覚醒させた時と明らかに様子が違った。
言うなれば、蛇口に繋いだホースを踏んづけているようなもの。供給は十分なのに、水の出て行く量が極端に少ないのだ。
そして天崎は、その例えが的確だったことをすぐに身を以て知ることとなる。
停滞していた悪魔の力が、一気に右腕へとなだれ込んでいった。
「なっ――」
ゴウッ!! と爆発音が轟き、右腕が突然巨大化した。
獣のように濃い体毛。刺青みたいな黒い斑点。五本の指先から生えている爪は、まるで一流の研ぎ師による作品のよう。
顕現した腕の特徴自体は、天崎の想定していた通りだった。
だが、その大きさが異常だった。
数ヶ月前に発現させた時とは比べ物にならないくらい巨大。風船の中へ大量の水を流し込んだように、悪魔の右腕だけが何倍にも膨れ上がっていた。
「暴走? なんで――」
疑問に対する答えを考えている猶予は一秒たりとも存在していなかった。
巨大化した右腕が、ヨミを襲う!
「ぐっ……」
すさまじいスピードだった。ヨミが何かアクションを起こす前に、悪魔の右手が彼女の胴体を包み込む。
「あがっ……ぐっ……ぎぃ……」
バキッ、ミシッと、全身の骨が砕ける音。
何百キロにも及ぶ力で圧迫され始めるヨミを直視できなくなった天崎は、思わず自分の右腕に懇願してしまった。
「や、やめろ! やめてくれ!」
しかし自分の意思に反して、右手の握力は徐々に増すばかり。
やがて脱出を諦めたのか、ヨミの身体から抵抗する感覚が消えた。
「いひ、いひっひっひっひ……なんで、暴走したのか、と言ったねぇ、天崎……東四郎。よく考えて、みな。この、二日間……誰が、あんたの食事を作ったと……思ってるんだい?」
「――ッ!?」
何故ヨミは天崎家に潜入していたのか。その理由が、ここにあった。
彼女は天崎の食事に、何か血統を暴走させるような薬を入れていたのだ。天崎の内に眠るヴラド三世を目覚めさせるために。
「なんで、そこまでして……」
いや、これは意味のない疑問だ。ヨミがヴラド三世に忠誠を誓う理由など聞きたくもない。
それよりも、暴走した悪魔の血統をなんとかしなければ。このままでは――。
「こ、今回は失敗したけど……その身体は、い、いずれヴラド公に捧げるものだ。大事に、するんだよ……。いひ、いひひひひ。ヴラド公に、栄光あれ!」
それがヨミの最期の言葉となった。
暴走した右腕の握力が、ついに人が耐え得る限界を越える。今まで手の中に感じていた骨や筋肉による抵抗感が、急になくなった。
まるでひき肉……いや、半液体状の何かを捏ねるような感触へと変わる。
そしてヨミの肉体を執拗に破壊した後、右腕は天崎の意思と関係なく彼女を解放した。
枯葉の地面に落ちたのは、頭部以外は原形を留めていない赤黒い物体だった。
「うっ……」
漂い始める悪臭に堪らなくなり、その場で膝をつく天崎。
すると変化が二つ訪れた。
司令塔を失ったことにより、蛇たちは波が引くように逃げ始めたのだ。天崎や小噺には目もくれず、我先にと言わんばかりに散っていく。視界から一匹もいなくなるまで、三十秒もかからなかった。
またヨミを潰したことで満足したのか、悪魔の右腕は一気に萎んでいった。皮膚に現れた薄い斑点だけ残して、元の大きさへと戻っていく。
それらの様子を、天崎は茫然自失のまま見守っていた。
「…………」
ぐちゃぐちゃに変形したヨミの遺体と、未だに目を覚まさない小噺を前に、天崎はしばらくその場から動くことができなかった。




