第5章 年越しそばを食べながら
風呂から出て廊下を歩いていると、エプロン姿のさくらとばったり遭遇した。
「あ、さくらさん」
「目を覚ましたんですね、東四郎さん。無事でよかった……」
心の底から安堵しているさくらの姿は、意外とレアだった。
それだけ自分は心配を掛けたのだろう。両親やさくらの気持ちを慮ると、少々居たたまれない気分になった。
ふと、風呂に入る前に抱いた疑問を思い出す。
しかし訊ねようとしたところで、さくらに先を越されてしまった。
「あの渡井さんって方は、東四郎さんのお知り合いなんですか?」
「ええ。少し前に、ちょっとした縁があって……。なんでも今日は山の中で妖精を探してたらしいんです」
「妖精を?」
「あっ……」
訝しむさくらを前に、天崎はついつい声を上げてしまった。
妖精を探してたなんて言ったら、妖精コレクターと暴露したようなもの。ついさっき小噺に叱られたばかりなのに……と、天崎は改めて反省し直した。
「今から年越しそばをお持ちしますので、居間でお待ちください」
「あ、はい」
さくらは特に追求するわけでもなく、さっさと台所へと向かっていった。
結局、蛇の毒に関しては聞けずじまいだった。とはいえ、こんな廊下で立ち話するような内容でもないし、訊ねるチャンスはいつでもある。別に今日じゃなくても。
そう思い、年越しそばを待つため、天崎は居間の襖を開けた。
部屋の中では、小噺と円が炬燵に入ってくつろいでいた。
「いやー。お風呂貸してくれるだけじゃなくて、まさか年越しそばをご馳走してくれたり、一泊させてくれるなんて思ってもいなかったわ。宿取ってなかったから野宿覚悟だったのに。ラッキー!」
「お前、意外とサバイバーだよな」
呆れつつも、天崎もまた炬燵に潜り込んだ。
「つーか、どうやって野宿するつもりだったんだ? 山の中で一泊できるほどの大荷物じゃなかっただろ?」
「リュックの中に寝袋が入ってるのよ。今どきの寝袋って意外とコンパクトになるから、割と助かってるのよね」
「寝袋って、お前……そりゃ熊が出るって話は聞かないけど、蛇くらいはいるんだし、この時期だとクソ寒いだろ」
「仕方ないでしょ。妖精って気まぐれで、いつどこに現れるか分かったもんじゃないし」
「お前は妖精のためなら何でもするのか?」
「当たり前よ!」
うわ~と、天崎はドン引きした。
サバイバーじゃなくて、ただの命知らずだったかと評価を改める。
そんなやり取りをしていると、唐突に襖が開いた。
「お待ちかねの年越しそばですよー。はい、どうぞ!」
どんぶりを載せたお盆を持った詩音とさくらが居間に入ってきた。湯気とともに漂ってくるそば汁の匂いが空腹感を刺激する。
「わー、美味しそう! いただきます!」
円と同じくらい遠慮なくがっつく小噺。
麺をひとすすりした後に上げた顔は、幸せに満ちていた。
「美味しぃ! 年越しそばなんて、何年ぶりかしら」
「ふふっ。ここまで喜んでくれるなら、作りがいがあるってものよね」
詩音の言葉に、さくらが黙って頷いた。
「それでは、私は失礼いたします」
一礼したさくらは、そそくさと退室していった。
ただ詩音は一緒に食べるようで、結局は四人で炬燵を囲むことになった。
「それにしても、まさか渡井さんと東四郎が知り合いだったなんてねぇ」
「知り合いっていっても、関りを持ったのはつい最近のことなんだけどな。しかも何度も会ってる間柄じゃないし」
「だとしても、待ち合わせたわけでもないのに山で遭遇するなんて奇跡じゃない? 渡井さんは裏の山で何してたのかしら?」
不意の問いに、天崎は興味を示した。
詩音の言い方は、無断で私有地に入ったことを責めているわけではない。かといって、女一人で登山道でもない山の中を歩いていたのは不自然なのも事実。
だからこそ気になってしまう。
果たして小噺は、なんて言い訳をするのか。
「実はうち、妖精コレクターをやっていまして。今日は妖精を探していたんです」
「あっ、普通に言うんだ」
「当たり前でしょ? 一宿一飯の恩がある相手に誤魔化してどうするの?」
「そりゃそうだけどさ……」
頭がおかしいと思われるかもしれないって忠告したの、お前じゃん。
不満顔で無言の抗議をするも、詩音からは予想外の反応が返ってきた。
「あぁ、妖精コレクターさんだったのね。若いのに、がんばってるわねぇ」
「えっ! 母さん、妖精コレクターのこと知ってるの!?」
「私も天崎家に嫁いだ身なんだから。他の妖精コレクターさんと会ったこともあるし、何度か妖精も見かけたことあるわよ。ここら辺の土地、不思議なエネルギーが満ちてるみたいで、集まってきやすいのよね」
「……そんな誘蛾灯に集まる羽虫みたいに言わないでくれ」
そう言いながらも、天崎は愕然としていた。
いや、よくよく考えてみれば当たり前のこと。妖精コレクターの間でも有名な土地なら、小噺以外の研究者が足を運んでいても不思議ではない。そんな場所に詩音は二十年近くも住んでいるのだ。むしろ妖精の存在を知ってなきゃおかしい。
では、何故天崎は落ち込んでいるのか。
そう。自分は一度も目撃したことがなかったからである。
要は疎外感を感じて、ただ不貞腐れているだけだった。
「でもまさか東四郎のお嫁さん候補が、こんな可愛い妖精コレクターさんだったとはねぇ」
天然を著しく発揮した母親の発言に、天崎と小噺は同時に吹き出した。
「ちょっと待って、母さん。なんでそんな勘違いしてるんだ?」
「え? 一緒にお風呂入るくらいだから、そういう関係じゃないの?」
「それには訳があって……」
必死で言い訳を考えながら、天崎は小噺を睨みつける。しかし彼女は火照った顔を手で仰いで、そっぽ向いてるだけだった。まさか昼間の玉の輿発言は本気じゃないよな? と、少しばかり心配になった。
母の誤解を解きつつも、一同は年越しそばを平らげていく。
そして全員が食べ終わって一服し始めた頃、ようやく誠三が帰ってきた。
「いやー、まいった。さすがに陽が沈んでからの調査は無理だな。……おっ、東四郎も起きたか。よかった、よかった」
「って言う割には全然心配してた感じじゃないんだけど」
「そりゃ生きてたら死にかけることくらいあるからな」
若い頃に何度も死にかけた人間の言葉には説得力があった。それでも実の息子に対して笑い飛ばしながら言うことではないが。
まあ天崎も慣れている。今さら文句を言うつもりはない。
「お疲れ様です、あなた。ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し……の作ったおそばにする?」
「一つ目と三つ目って同じだよな?」
詩音と交代で炬燵に入った誠三が、苦笑いを浮かべた。
そのやり取りを見ていた小噺は、天崎に耳打ちする。
(天崎のお母さんって、天然?)
(両親の仲が良すぎるのが、俺が下宿している理由の一つだ。察しろ)
あまり答えらしくなっていなかったが、小噺は深く納得したようだった。
「それで親父。蛇は見つかったのか?」
「いや、全然ダメだった。逃げた後の痕跡すら発見できなかったよ。で、もう一度聞きたいんだが、二人が目撃した蛇は白と黒の縞模様で、とてつもなく大きかったんだよな?」
昼間の蛇を思い浮かべた天崎は、小噺と顔を見合わせた。
ただ小噺からは話を聞いているようなので、今度は天崎の口から状況を語る。
「そう。最初は三匹いたんだけど、三匹とも同じような模様だった。大きさは五メートル以上はあったかな。しかもそいつら、誰かに操られているような感じだった」
「誰かに操られてる?」
「統率が取れた動きをしていたって言えばいいんかな。襲い掛かって来た時も、逃げ出したタイミングも、まるで誰かが指揮しているみたいだったよ」
「…………」
閉口した誠三が、襖に手を掛けている詩音と視線を合わせた。
そして顎を擦りながら、重々しく口を開く。
「操られてるかどうかは置いといて、その蛇はおそらくウミヘビだな。俺が直接見たわけじゃないから断言はできんが……」
「「ウミヘビ!?」」
声を上げた天崎と小噺が再び顔を見合わせた。
どうりでさくらが詳しいわけだ。と、天崎は心の中で一人納得する。人魚である彼女なら、海の生き物に対する知識が豊富でも不思議ではない。
だからこそ混乱してしまう。
「待て待て。ウミヘビって海の生き物だろ? なんで山の中にいるんだ?」
「俺に訊かれても困る。けど、あの時と状況が似ているからなぁ」
「あの時?」
「父さんも昔、同じような蛇に襲われたことがあってな……」
そう言って、誠三は天井を見上げた。
大蛇に襲われたという、昔の経験を思い出しているのだろう。
「側にいた母さんが、そいつらをウミヘビだと判断したんだ」
「母さんが? なんで?」
「あー……」
空気の抜けるような声を漏らした誠三が、目を泳がせた。
「お前もいい大人だし、話しておくか。っていうか、話すべきなんだろうな」
「そのセリフ、昨日も聞いたような気がするけど……今度は何の話なんだ?」
戸惑いながら自分の両親を見比べる天崎。
父はまっすぐ息子の目を見つめ、母は心なしか不安そうに俯いていた。
静まり返った居間の中で、天崎は父が語り出すのをじっと待つ。
すると小噺がおずおずといった感じで割り込んできた。
「あ、あの……部外者のうちは席を外した方がいいですよね?」
「そうだな。渡井さんと円ちゃんに聴かせるような話じゃないから……母さん」
「はい」
指示を受けた詩音は、空になったどんぶりをお盆の上に載せると、小噺と円を引き連れて居間から出て行った。残されたのは、父と息子だけだ。
「それで、今さら何を話そうってんだ?」
「おそらく、お前が生れてから一番驚くような真実をだよ」
天崎だって『完全なる雑種』として、それなりの人生を経験してきた。特にこの四ヶ月は、普通の人間には一生をかけても体験できない驚きの連続だっただろう。それらも飛び越える衝撃の事実を、父親は隠しているということなのだろうか?
「それじゃあ話すか。父さんと母さんの出会いを」
そう言って、誠三は二十年以上も前の出来事を滔々と語り出したのだった。




