間 章 とある人魚と『完全なる雑種』の出会い その3
目的の駅で降りた後、駅前の喫茶店でお茶をした二人は、そのまま電車でとんぼ返りしていた。シオンの歩行速度と疲労を考慮し、家に着く頃には日が沈みかけているだろうと計算したからだ。
なんとか日没前に帰宅し、母親にシオンを預けて待つこと十数分。
可愛らしい浴衣に召し替えた彼女を見て、誠三は思わず感動の吐息を漏らした。
「へ、変じゃないですか……?」
呆ける誠三の反応を否定的に捉えたのか、シオンは恥ずかしそうに下を向いた。
もちろん、そんな意図じゃなかった誠三は慌てて取り繕う。
「ぜ、全然変じゃないぞ。変じゃないけど……なんでこの時期に浴衣? 寒くないか?」
「はい! 人魚は比較的寒さに強いので、大丈夫そうです!」
「それならいいんだけど……」
本人が大丈夫と言うならいいかと、誠三もそれ以上は言及しなかった。
すると他の部屋を掃除していたジョージがやってきた。
「お母さま。仏間の清掃、完了いたしました。……おぉ、お嬢様。いつにも増してお美しいですね」
「あ、ありがとうございます」
面と向かって褒められたシオンは、頬を朱に染めて再び俯いてしまった。
そのやり取りを見ていた母親が誠三の脇腹を肘でつつく。曰く、「お前もしっかり褒めてやれ」だそうだ。それに対して誠三は「言われんでも分かっとるわ」と、手を振って軽くあしらったのだった。
「んじゃ、そろそろ行くか」
「はい!」
頷き合った二人は、もはや当たり前のように手を繋いだ。
そして大晦日の祭りに向けて、意気揚々と出発したのだが――、
背後で交わされた母親とジョージの会話により、誠三は戦慄した。
「次はどちらを掃除いたしましょう?」
「そうだねぇ。もう時間も遅いし、最後にトイレをやってもらって終わりかな」
「かしこまりました」
トイレ。そう、トイレだ!
シオンはつい二日前に初めて人の脚に変化したばかり。昼の案内でも、一度もトイレに立ち寄ることはなかった。もしかしたら人の脚では一度も排泄したことがないのかもしれない。
ましてや今は浴衣。もし途中で助けを求められたら……。
「どうかしましたか?」
青ざめる誠三を怪訝に思ったのか、シオンが顔を覗き込んでくる。
しかし心の内を吐露することはできそうになかった。
「いや、なんでもない」
ええい、なるようになれ!
と、人知れず覚悟を決める誠三だった。
「わー!」
長い階段を上りきったシオンが感動の声を上げた。
鳥居を越えた先では屋台が立ち並び、多くの祭り客が境内の中を往来していた。
「人がいっぱいいます!」
「まあ田舎っつっても大晦日だし、除夜の鐘をつきに来た人もいるんだろうな」
「モチツキやタコアゲもやってるんですよね?」
「悪い。その二つは元旦……明日の昼間だな。今日は屋台や花火がメインだよ」
そんな会話をしつつも、淡いオレンジ色に染まる境内を歩いていく。
すると突然、シオンが何かに惹かれるように小走りになった。彼女が最初に興味を持った屋台は金魚すくいだったようだ。
「天崎さん! 見たことのない魚がいます!」
「そりゃ金魚は淡水魚だからな」
生け簀の前に屈んだシオンは、自由気ままに泳ぐ金魚を目で追い始めた。
ってか、こんな時期に金魚すくいかよ。と思って店主を見ると、気さくな感じで声を掛けられた。
「おっ、誰かと思えば天崎さん所の倅かい。大きくなったなぁ」
「ども」
どうやら顔見知りらしいが、誠三の方はまったく覚えていなかった。
「こっちのカワイ子ちゃんは、あんたの彼女かい?」
「いや、まぁ……はは」
なんで否定せずに愛想笑いしてるんだと思いつつも、彼女という設定の方が何かとやりやすいと考え、そのまま放置する。中学までの友達と鉢合わせしないことを願うばかりだ。
ふと、顔を上げたシオンと目が合った。
「ここは金魚を売ってるお店なんですか?」
「なんだい嬢ちゃん、金魚すくいは初めてかい? なら一本サービスするから、よかったら遊んでってくれや」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
お椀とポイを受け取ったシオンは、誠三にコツを教えてもらいながら、恐る恐るといった感じで金魚を狙う。しかし動きがぎこちないせいか、案の定ポイはすぐに破れてしまった。
「す、すみません! 壊してしまいました……」
「いやいや、そういう遊びだから」
金魚すくいを知らない新鮮な反応に、誠三と店主は笑い声を上げた。
それから何回か試し、一匹捕まえたところでシオンは満足したようだ。ただ持ち帰っても飼うことはできないため、捕らえた金魚は生け簀に戻して、代金だけを払って金魚すくい屋を後にした。
他にも射的、ヨーヨーすくい、くじ引きなど、目についたものを片っ端から遊び、小腹が空いたタイミングで興味が食べ物へと移る。すると、ちょうど目の前にタコ焼きとイカ焼きの屋台が並んでいた。
「あっ、あそこにタコとイカって書いてありますね。……焼きって何ですか?」
「火を使った調理方法の一つだよ」
「へぇー。タコやイカって食べられたんですね!」
ん? と、誠三は首を傾げた。
確かに海の中じゃ火も使えないし、あんな見た目の生物を生で食べようと思わないだろう。
やっぱ人間って食に関してはおかしな生き物だよなぁ。などと感心している間にも、シオンは興味津々に屋台の中を覗き込んでいた。
「わー、良い匂い。美味しそう!」
「イカ焼きは見たまんまだけど、タコ焼きは刻んだタコがその丸いやつの中に入ってるんだ」
「そうなんですか! うーん、どっち食べよう……」
「両方買えばいいだろ。二人で分けようぜ」
「いいんですか!?」
瞳を輝かせるほど喜んでくれるなら、驕りがいもあるというものだ。
タコ焼きとイカ焼きを購入した二人は、参道の端にあるベンチへと腰を下ろした。
熱々のタコ焼きに悪戦苦闘しているシオンを横目で眺めつつ、ちょうどいい機会かなと誠三は思う。昼間から気になっていたことがあったのだ。
「なあ、シオン。一つ訊いていいか?」
「はい、なんでしょう?」
「なんで俺に地上の案内を頼んだんだ? 同年代だからジョージさんよりも親しみやすいってのは分かるけど、だったら他の人魚でもよかったんじゃないか? この前の話を聞いた限り、年上の姉妹はいるんだろ?」
「…………」
途端、シオンの表情に影が差した。やはり踏み入ってほしくない話題だったみたいだ。
予想はしていたため質問に後悔はなかったが、誠三はシオンを労わるように、慌てて取り繕った。
「あ、いや、話したくないんなら、別に無理して話さなくてもいいから……」
「お姉様たちが……私のことを、あまりよく思ってないからです」
雑踏に溶け込んでしまいそうな、小さな声。
ただ喉を震わせながら紡がれた言葉は、状況的にも容易に想像できる内容だった。
だから誠三は不躾を承知で、さらに一歩踏み込んでいく。
「シオンとお姉さんたちの間で、何かあったのか?」
「実は私……妾の子なんです」
「妾?」
「お父様は人魚で、お母様は人間。つまり人魚と人間のハーフでして……」
なるほど。それで疎まれてるわけか。
口には出さなかったが、誠三は大いに納得した。
そこで、ちょっとした違和感を抱く。その答えは、すぐにシオンの口から語られた。
「人魚と人間の間にできた子供は、本来なら人間として生まれてくるはずなのですが、何故か私は人魚だったみたいで……。たぶんお姉様たちも、それを気味悪がって避けているのかと思います」
「何故かって……なんでなんだ?」
「分かりません。お父様は『どんな事象にも例外はある』と言ってました」
「…………」
突然変異という単語が頭の中を過った。
人間が人魚を懐妊するのも想像に絶するが、無事に出産した後も大変だったに違いない。
シオンと出会った日、誠三は母親に訊ねた。人の脚に変化するようになる前の人魚が陸へ上がった場合、どうなるのかと。
基本的には海から上がっても問題ないのだが、尾を乾かしたり淡水に浸かったりするとマズいらしい。具体的な症状は母も知らなかったが、命にかかわるほどの重傷を負うため、成長期前の人魚は海から離れられないんだとか。
だから生まれたばかりのシオンを、すぐに海へ連れて行く必要があっただろう。
「えっと、それで……シオンのお母さんは?」
「生きているという話は耳にしていますが、実は一度も会ったことがないんです」
「なら、お母さんに会ってきたらどうだ? せっかく人の脚に変化する歳になったんだし」
「いえ、その……お父様はあまりお母様の話をしませんし、お母様が今どこで何をしているのかも知りませんので、会うのは難しいかと……」
「……そっか」
そもそも今までだって、顔を合わせるくらいはできたはずなのだ。にもかかわらず、会ったことすらないというのは……シオンの両親の間に、何かのっぴきならない理由があったのかもしれない。
会話が終わり、二人は手元の食べ物を黙々と消費していく。
それらを完食したところで、ゴミを片付けた誠三が跳ねるように立ち上がった。
「よし! せっかくの祭なんだ。しんみりしてても仕方ねえ。こっちへおいで」
「えっ? あ、はい」
戸惑いつつも、シオンは差し伸べられた手をしっかりと握りしめる。
すると誠三は、彼女を抱き寄せるように引っ張り上げた。そのまま神社の本殿の方へと早足で歩いていく。
「あの、天崎さん? いったい、どこへ……」
「こっちに花火が一番よく見える場所があるんだ」
本殿の横を通り過ぎて、二人はさらに山の奥へ。
道らしい道のない急勾配の坂を上って行くと、それほど歩かないうちに境内が一望できる位置まで到達した。ただ周りの木々が壁の役割を果たしているのか、明かりは乏しく祭囃子も急に遠くなった。
二人は適当な岩を見繕って腰かける。
その瞬間、煌びやかな光が空を包むのと同時に、ドーン! という爆発音が轟いた。
「わっ!」
驚いたシオンが慌てて両耳を塞ぐ。怯えているようにも見えたが、誠三は構わず彼女の手を握って、肩が触れ合うほど身を寄せた。
「大丈夫だよ、危険はないから。ほら、見てみな」
誠三が指先を空へと向ける。
まるで手を伸ばせば触れられると錯覚するほどの距離で、二発目の花火が開いた。
「わー、キレイ……」
その美しさに虜になったシオンが、花火にも負けないくらい顔を輝かせた。
彼女の様子を見て安心した誠三もまた、花火を堪能しようと夜空に目を向けたのだが――終わるまでに、その半分以上を見逃してしまったことは言うまでもない。
やがて夜空の華が途切れ、辺りが静寂に包まれる。再開しないところを見るに、どうやらすべて打ち尽くしたようだ。
少しだけ余韻に浸っていると、不意にシオンが笑みを向けてきた。
「素敵なものを見せていただきました。ありがとうございます!」
「喜んでくれたんなら、俺も嬉しいよ」
照れ臭くなった誠三は、頭を掻きながら顔を背けた。
「じゃあ戻ろうか」
「はい!」
上って来た時と同じく、誠三はシオンの手をギュッと握りしめる。
しかし数歩ほど進んだところで、彼は唐突に足を止めた。何か得体の知れない気配が、自分たちを取り囲んでいることに気づいたからだ。
「……なんだ?」
暗がりに目を凝らすまでもなく、気配は正体を露わにした。
「蛇ッ!?」
地を這う音を立てながら近寄ってくる、細長い爬虫類が三匹。しかもかなり大きいようで、人の頭程度ならギリギリ丸呑みできそうなほど。尻尾の方は未だ暗闇に隠れており、その全長を把握することはできなかった。
「シオン。俺から離れるなよ」
「……はい」
シオンを背後へ回した誠三は、苦い表情を浮かべた。
自分一人なら走って逃げることもできただろう。だが今はシオンがいる。背負うにしても、敵意を剥き出しにしている猛獣から逃げ切れる自信はなかった。
なら仕方がない。逃げられないのなら、駆除するまでだ。
腹をくくった誠三は、その場でどっしりと腰を据えた。
「先に言っとく。シオン、変わり果てた俺の姿を見ても……驚くなよ?」
「えっ?」
返事を待つことなく、誠三は意識を集中する。
数ある遺伝子の中から、最も扱い慣れている種族を選んでトリガーを引いた。
「『獣王の怪』」
己の内にある扉が開くような感覚。
すると突然、誠三の肉体が変異を始めた。
右腕の筋肉が異様に盛り上がり、急激に体毛が濃くなっていく。さらに四本の指から伸びる爪は、刃物のように鋭く尖ったものへ。その変化はまさに、満月を見た狼男が獣の姿に変わっていく過程そのものだった。
「つっても、今はこれが限界だけどな」
準備時間がなかったため、変異は肩口の辺りで止まる。それでも蛇を屠るだけなら十分だ。
そう判断したのも束の間、様子を窺っていた一匹が飛び掛かってきた。
反射的に身構えた誠三は、迫り来る蛇を迎え撃つ。方法はシンプルだ。タイミングを合わせて、牙を剥く蛇の口内へ獣の腕を叩き込む!
「オラああぁぁ!」
誠三の一撃は、蛇の上顎を貫いた。そのまま脳を破壊する。
一瞬にして命を失った蛇は、痙攣しながら地面へ落ちていった。
数は減った。だが、まだ油断はできない。
残り二匹の奇襲に備え、誠三は再び身構える。それと同時に、隙を見て逃げる算段もしていたのだが……二匹の蛇は襲い掛かってくるどころか、急に方向転換してしまった。
「……逃げた?」
普段よりも研ぎ澄まされた誠三の五感が、周囲に小動物がいないことを感じ取った。どうやら一匹目が瞬殺されたことで、恐れを為したみたいだ。
「なんだったんだ? 縄張りに入ったとか、俺たちを捕食しに来たってわけじゃないよな? ってか、あんなデカい蛇は初めて見たぞ」
「あ、あの……天崎さん?」
拍子抜けしたまま分析していると、シオンが恐る恐る声を掛けてきた。
さて、どこから説明したものか。
「天崎さん……腕が……」
「心配しなくても大丈夫。すぐに戻るよ」
怯えた様子のシオンを前に、誠三は気を落とした。
そうだ、もう説明だけで納得してもらえるような段階ではない。腕一本とはいえ、人間だと思っていた奴が獣の姿に変身したのだ。もはや問答無用で敬遠する対象だろう。
こうなると分かっていたからこそ、普段は人前で血統を覚醒させないようにしていた。ただまあ、やってしまったものは仕方がない。たとえ嫌われようとも、無事にシオンを護れたのだから今回は良しとするか。
そう自分に言い聞かせ、シオンからの返答を待っていたのだが――、
彼女は誠三が予想だにしていなかった反応を示した。
「ビックリしました! 天崎さんは不思議な特技をお持ちなんですね!」
「へ?」
目を輝かせたシオンが乗り出してくる。
怖がっていると決めつけていた誠三も、これにはたじたじだった。
「え、いや、これは特技とかじゃなくて、体質なんだけど……」
「そうなんですか! 他にもできる方がいらっしゃるんですか?」
「身近だと俺と親父くらいかな。なんて言うか、天崎家は『完全なる雑種』っていう特殊な血統を持つ家系で、普通の人間とは少し違ってさ……」
「普通の人間とは違う? あっ、じゃあ私と同じですね」
そう言って微笑むシオンを目の当たりにして、誠三はさらに面を食らった。
確かに人魚と人間のハーフなら、普通の人魚ではない。しかもシオンは突然変異で人魚として生まれてきた子供。同じような境遇の仲間がいると知り、喜んでいるのだろう。
だとしても獣に変身する人間に対して、ここまで親しみを込めて笑えるだろうか?
そう疑問を抱くのと同時に、誠三は思い出した。
そういえばシオンは、陸に上がったばかりの世間知らずなお嬢様だった。
心配事が杞憂だった反動もあり、誠三は思わず吹き出してしまう。
「天崎さん? どうして笑っているんですか?」
「いや、ごめん。なんでもないんだ」
心の内を吐露したら怒られるだろうなと思いつつも、誠三はしばらく笑いを抑えることができそうになかった。
「よ、よく分かりませんが、天崎さん。実は、ちょっと気になることがありまして……」
「ん、なんだ?」
誠三の袖を引っ張っていたシオンが、地面に転がっている蛇の亡骸を一瞥した。
「この蛇、たぶんウミヘビだと思います」
「ウミヘビ!? ちょっと待て。確かに海は近いけど、ここは山だぞ?」
「そうですけど……この白と黒の縞々模様、海の中で何度か見かけたことがあります。もちろん、ここまで大きくはありませんでしたが……」
「…………」
知識の少ない誠三でも、ウミヘビが爬虫類と魚類の二種類いることは知っていた。
爬虫類の方なら陸の上でも活動は可能だが、こんな山の中まで上ってくるだろうか?
とはいえ、人魚であるシオンが言うのだから信憑性が高いのも事実。では、何故こんな所にウミヘビが? まさか誰かが意図的に放ったのか? 何が目的で?
「……ああ、悪い。考えるのは後回しにして、ひとまず山を下りよう」
「はい」
異形と化した右腕を誰かに見られては厄介だと思い、ゆっくり下山していく。もう数分もしないうちに元に戻るだろう。
その途中、誠三はシオンに伝えなければならないことがあるのを思い出した。
「あのさ、シオン。実は俺、一人暮らししてるんだ。今は年末年始だから実家に帰省してるだけなんだよ」
「えっ、そうだったんですか?」
「うん。だから、いつかは下宿先に帰らなくちゃいけない」
「…………」
繋いでいるシオンの手が、少し緩んだのを感じた。
「……あと、どれくらいで帰られるんですか?」
「長くて一週間かな。でも、また春休みになったら戻ってくるから……」
「その場所って、海から近いですか?」
誠三の言葉を遮ったシオンからは、諦めきれない気持ちが滲み出ている。
だが、こればかりは誠三も心を鬼にして事実を伝えなければならなかった。
「いや、特に近くはないかな。かなり内陸だ。電車を乗り継いで、一時間くらいはかかる」
「そう、ですか……」
消沈気味に呟いたシオンが下を向く。
それから境内へ戻るまでの間、二人が言葉を交わすことはなかった。




