間 章 とある人魚と『完全なる雑種』の出会い その2
十二月三十一日の昼過ぎ、天崎誠三は自宅を訪れたシオンとジョージを出迎えていた。
「あっ。お、お久しぶりです!」
「あぁ、久しぶり。って言っても、あれから二日しか経ってないけどな」
やや緊張した面持ちで一礼するシオンを見て、誠三は表情を緩めた。
後ろに控えるジョージは以前と同じ執事服なのだが、当然シオンは裸ではない。厚手のセーターにプリーツスカートといった、余所行きの恰好だった。
「今日は何の用だ?」
「え、えっと……」
誠三が問うと、シオンは顔を伏せて口ごもってしまった。
しばらく待っても恥ずかしそうにもじもじするだけだったため、最終的にはジョージが言葉を繋いだ。
「シオンお嬢様も十四歳を迎えて人の脚に変化するようになったので、地上の常識を勉強するべく、こうして陸へ上がってきたのです。しかし、どうせ学ぶのなら同年代の方に教えていただいた方が、何かとやりやすいと思いまして」
「ふーん。それでウチの誠三に白羽の矢が立ったってわけかい」
そう言ったのは、家の奥から出てきた誠三の母親だった。
「ただ残念なことに、今日は大晦日。ウチの誠三は大掃除に追われているんだよ。人魚のお嬢様をエスコートする時間なんてないのさ。それとも何かい? 誠三を貸し出す代わりに、何か良い代案でもあるのかい?」
「掃除ですか。僭越ながら私が承りましょう」
「その話、乗った!」
「乗んな!」
二つ返事で受け入れる母親に、鋭いツッコミを入れる誠三だった。
「何を言ってんだい。あんたみたいな大雑把にしか掃除しない奴と、いかにも仕事ができそうな執事だったら、こっちに任せるに決まってるじゃないか」
「うぐ……」
実の母親にド正論をかまされ、誠三はちょっと泣きたくなった。
「それにほら、地上を案内するってことは、それなりに出て行く物もあるだろうからさ。明日のお年玉は色を付けとくよ」
「よし、任せとけ!」
「は、はい! よろしくお願いします!」
一変して意気込んだ誠三は、喜ぶシオンの肩を力強く叩いたのだった。
結局、誰も損にならないジョージの提案により役割が交代する。外出の準備をした天崎は外へ、ジョージは掃除をするために家の中へ上がった。
「誠三。どうせならシオンちゃんを祭りに連れてってやりなよ」
「祭り? 神社の祭りのことか? 大晦日の今日は陽が沈んでからだろ」
「それまで適当に街中をぶらついて、日が暮れたら一度戻っておいで。それじゃあ、いってらっしゃい」
「はあ」
玄関口で二人を送り出した母親は、さっさと家の中へ戻っていった。
「お祭りがあるんですか!?」
「祭っちゃ祭だけど、夏祭りよりかは小規模かな。メインは餅つきとか凧揚げだし」
「モチツキ? タコアゲ?」
「あっ、そっか。シオンは知らないのか」
「す、すみません」
「謝ることじゃないさ。ただ案内しがいがあると思ってな」
花火くらいなら海からでも見たことがあるかもしれないが、陸にあるものすべて、シオンにとっては初体験なのだ。こりゃ思った以上に大変な仕事になるぞと、誠三は改めて気合いを入れたのだった。
準備を整えた二人は、早速家から出発した。
すると総門を越えたところで、突然シオンが誠三に寄りかかってきた。
「お、おい……」
「ごめんなさい。まだ歩くのに慣れていないもので……迷惑でしたか?」
「いや、迷惑ってほどじゃないけど……」
誠三も思春期だ。年頃の女の子に腕を組まれて平静でいられるわけがない。
心拍数が跳ね上がっていることを自覚しながらも、これは介護みたいなものだと割り切り、そのままシオンの支えになることを選んだのだった。
「それで、今日はどこへ案内してくださるんですか?」
「そうだなぁ……地上の常識を学ぶためって言うんなら、そこら辺を散歩するだけじゃ意味ないし……ひとまず駅前まで行ってみるか」
「駅、ですか?」
「電車やバスが行き交う場所だよ。海で言ったら港みたいなもんさ」
「電車? バス? 聞いたことがあります。確か自動車より大きな乗り物なんですよね?」
「自動車を知ってるんなら話は早いな」
なので誠三は「行けば分かる」とだけ言って、説明を省いた。
「ただ少し歩かなきゃいけないんだけど……大丈夫か?」
「はい! 天崎さんと一緒なら頑張れます!」
そう言われるとむず痒いなと思いながらも、誠三もまたはにかんでみせた。
自宅の傍にある雑木林を抜け、駅に向かってひたすら歩く。途中、シオンは様々な物に興味を示して、誠三に質問を投げかけた。
田んぼや案山子。電柱や電線。道路標識やアスファルトに描かれた白線の意味など。海の上からでも見える陸の自然物に対しては意外と知識があったものの、人の営みに関することについては、ほとんどが未知のようだった。
そんなやり取りをしていたら、いつの間にか駅に到着していた。
これには誠三も驚きを隠せなかった。シオンの歩調に合わせていたはずなのに、普段の半分くらいしか時間が経過していないように感じられたからだ。
なんだかんだ言いつつ自分も楽しんでるんだなと思いながら、誠三はロータリーを大きく見渡した。駅に来たはいいが、さて、これからどうしよう。大晦日だからか、唯一の喫茶店も今日は閉まってるし……。
などと考えていると、シオンがさらに体重を預けてきた。
「どうした?」
「いえ、その……動いている車が多かったので、つい……」
「動いてるっつっても、ほとんど歩く速度と同じだろ? 大丈夫だって、突っ込んできたりしないからさ」
「そう言われましても……」
おっかなびっくりのシオンは、誠三の背中に隠れるように辺りを見回した。
ここへ来る途中、車が横を通り過ぎる度に、シオンが顔を背けていたのを思い出した。さすがにロータリーで同じ速度を出している車はいないが、怖いものは怖いのだろう。動いている車を初めて間近で見たのなら、なおさらだ。
「よし、分かった。じゃあ少しでも慣れるために、バスか電車にでも乗ってみるか。どっちがいい?」
「あ、安全な方でお願いします……」
「なら電車かなぁ」
バスはまたの機会にとっておき、二人は駅舎へと向かった。
お金の使い方や切符の買い方を一通りレクチャーしてから、ホームへ入場する。そして他愛のないお喋りをしながら待つこと二十分。ようやく二両編成の電車が到着した。
「わっ、わっ、わっ!」
迫り来る電車を目の当たりにして、シオンは腰を抜かしそうになっていた。
まるで初めて散歩する子犬のように全身を震わせ、誠三の二の腕を力強く握りしめてくる。そんなシオンの仕草に笑い出しそうになるのをぐっと堪え、誠三は優しく宥めた。
「大丈夫、大丈夫だから」
開いた扉に無理やりシオンを引きずり込む誠三。ずっと待っていたはずなのに、危うく乗り遅れるところだった。
「歩き疲れただろうし、座るか」
時期もあってか、乗客は疎らだった。
空のボックス席に腰を下ろして一息つく。購入した切符の駅に着いた後はどうするかな。などと頭の中で予定を組み立てようとした誠三だったが……シオンが未だに自分の手を握っていることに気づいた。
「えっと、その……」
頬を紅潮させ、恥ずかしそうに俯くシオン。
誠三が顔を向けると、彼女は目尻に薄っすら涙を溜めて呟いた。
「まだ怖いので……こうやって手を握っててもいいですか?」
「あぁ、いいよ」
ほんのり温かいシオンの手を、誠三は優しく握り返す。
これは休めそうにないなと、彼は自分の体温が上昇していくのを感じていた。




