第3章 猛獣注意
「あー……しんど」
十二月三十一日の昼、天崎は単身で自宅の裏にある山の中を歩いていた。
一言で『山』と言っても登山道があるわけではなく、また上り坂と感じるほど勾配がきついわけでもない。周囲は背の高い針葉樹が密集していることもあり、どちらかといえば『森』と表現した方が的確だった。
では、どうして大晦日に山を登ることになったのか。
その理由は昨夜、父親とした会話にあった。
蔵の中で家系図を読み終わった後、久々に実家の夕食を堪能した天崎は、自分の血を解析できるという魔術道具を見つけるため、家中を探し回った。しかし二十二時を過ぎても、描かれていた石鉢らしき物は発見できず。昨日はあえなく断念したのだった。
『自分の血を解析するための魔術道具? どんな形の物だ?』
寝る前、居間の炬燵に入って年末の深夜番組を観ていたところ、さっきまで何をしていたのか父親に訊ねられた。簡単に説明してはみたものの、彼の反応はあまり芳しくなかった。
『知らんなぁ。そんな物があると耳にしたこともない』
長年この家に住んでいる父親がそう言うのだ。発見は絶望的だろう。
諦めかけた天崎だったが、父は『ただ……』と続けた。
『天崎家のご先祖様に魔術を研究していた人がいたのは間違いない。でもって、自宅裏の山の中に専用の魔術工房があったそうだ』
『魔術工房?』
『ただ戦争で焼けたか老朽化で解体したか分からんが、今はもうないはずだ。で、その工房の跡地に祠が建てられたらしいんだけど……もしかしたら手掛かりになるような物があるかもしれんなぁ』
腕を組んだ父親が、天井を仰いだ。
戦争で焼けたのなら工房の中にあった物が残っているとは思えないし、解体したのなら自宅の倉庫にでも移しているだろう。有益な情報があるとは考えにくい。
だが、もともと魔術の研究が行われていた場所なのだ。行ってみるだけの価値はあると、天崎は判断した。
『その祠ってのは、どこにあるんだ?』
『知らん!』
出端を挫かれ、天崎はガクッと肩を落とした。
『仕方ないだろ。工房がなくなったのは、俺が生まれる何十年も前の話だぞ。それに裏山をすべて把握してるわけじゃないからな。祠なんて今まで一度も見たことない』
『マジか……』
という経緯があり、天崎は魔術工房の跡地探しを敢行しているのであった。
ちなみに自問自答の世界で出てきた『扉』という単語についても、父親に訊ねてみたのだが……。
『あれじゃないか? ほら、人外の血統を覚醒させる時に、自分の中にある遺伝子の扉を開けるようなイメージをするだろ? つまり『完全なる雑種』の条件は、他種族の特徴を自由に引き出せる者ってわけだ』
という曖昧な回答が返ってきた。
天崎としては扉を『開く』というよりも、眠っている遺伝子を『起こす』というような感覚だったので、父の意見には賛同しかねた。もちろん否定できる材料がないのも事実だが。
「……帰ろうかな」
出発してから三十分。早くも心が折れかけていた。
すべて把握していないと父も言っていた通り、天崎家が所有する土地はとてつもなく広い。例の祠がどれほどの規模なのかは知らないが、砂漠の中でオアシスを探すのと、そう大差はないだろう。
「……なんだ?」
ふと前方で何かが蠢いていることに気づいた。
地面を覆いつくしている枯葉の中から、ガサゴソと擦れ合う音が聞こえてくるのだ。鳥かリスみたいな小動物でもいるのかな? と、立ち止まって様子を見ていると……ようやくその正体が判明した。
「蛇!?」
枯葉の隙間から顔を覗かせた細長い爬虫類を見て、天崎は素っ頓狂な声を上げた。
とはいえ天崎も、子供の頃は山で駆け回っていた半野生児だったのだ。山の中に蛇がいることは十分承知しているし、見慣れてもいる。
無暗に刺激しないよう、蛇を迂回するルートへ方向転換したのだが――、
枯葉の海から出てきた全身を目の当たりにしたところで、天崎は目を剥いた。
「いや、ちょっと待て。デカすぎんだろ」
異世界へ行った時のボスとは比べ物にならないにしろ、ひとたび現実世界で出会えば警察沙汰になること間違いなしの図体。体長は短く見積もっても五メートルはあり、人の頭程度なら簡単に収まってしまいそうな口を持つ大きな蛇だった。
そんな大蛇が三匹。いつの間にか背後から二匹が忍び寄ってきており、天崎は蛇の檻に囚われてしまった。
「マジかよ。裏山にこんなデカい蛇がいたなんて……」
白と黒の縞模様をした三匹の大蛇は、明らかに天崎に敵意を向けているようだった。
六つの赤い瞳は獲物を捉えて離さず、じりじりとにじり寄ってくる。そして間合いに入ったと判断したのか、前方の蛇が二本の牙を剥き出しにしながら飛び掛かってきた。
「くそっ!」
しかし正面からの攻撃を食らうほど天崎はヤワではない。持ち前の反射神経を活かして、難なく避ける。
だが怖いのはここからだ。回避中に後ろから襲われてはひとたまりもない。
なので天崎は前へ跳び込んだ。飛び掛かってきた大蛇とすれ違うように前転すると、即座に体勢を整えて後ろを振り返る。
囲まれた状態からは脱せたものの、三匹の大蛇は未だ敵意を剥き出しにしている様子。逃げようにも背中を向けたくはないし、かといって素手で追い払うのも得策ではない。毒を持っていたら一大事だ。
「準備してる時間はなさそうだな。……仕方ない、久々にやってみるか」
この窮地を突破できる秘策があるのか、天崎の顔に焦りの色はなかった。
ゆっくりと距離を詰めてくる大蛇に警戒しながら、己の人差し指に牙を立てる。そして躊躇いなく皮膚を噛むと、痛みとともに滲んだ血液を舌で舐めた。
「『吸血の時間』」
宣言するのと同時に、自分の身体の構造が変化していくのを実感した。
この『吸血の時間』は本来、吸血鬼が己の肉体を強化する時に使う技である。自分自身の遺伝子を体内に取り込むことで、吸血鬼としてその場限りの進化を遂げるのだ。準備時間が必要な他の種族の血統とは違い、こちらは即効性かつ汎用性があった。
ただ吸血鬼の能力を十全に発揮できるわけではない。眠っているヴラド三世の意識を起こすわけにはいかないし、何より今は真昼間。吸血鬼の弱点が露わにならないギリギリを狙ったため、恩恵は微々たるものだった。
「さあ、来なよ」
天崎の挑発が伝わったのか、大蛇が再び襲い掛かってきた。
先ほどと同じように、一匹目が先行した後、やや遅れて他の二匹が動き出す。思った通り、天崎が回避した瞬間を狙っているようだ。
二匹目、三匹目が立て続けに飛び掛かってくる。その間に最初の一匹が体勢を立て直すという、獲物に休む暇を与えないコンビネーション。紙一重で攻撃を躱す天崎は、まるでダンスでもするように大蛇たちを翻弄していた。
「動体視力、反射神経ともに問題なし」
素の身体能力のままだったら、ここまで余裕を持てなかっただろう。
しっかりと強化できていることを確信した天崎は、反撃を試みる。
牙による攻撃を避けた際、逆に大蛇の喉笛を鷲掴みにしてやった。そのまま遠くの方へ投げつけ、連携が崩れているうちに逃走を図ろうとしたのだが――天崎自身も予想だにしなかったことが起こる。
片手で掴んでいた大蛇の喉笛を、握力のみで握り潰してしまったのだ。
「うげっ」
肉をもぎ取る生々しい感触が手の平から伝わり、天崎は思わず表情を歪めた。
「力の加減を間違えた? だとしたら、この状況はちょっとマズいな」
制御できていないということは、血統が暴走していることに他ならない。このまま戦闘が長引けば、いずれヴラド三世が目覚めてしまうだろう。
抉り取った大蛇の肉片をその場に捨て、早々に決着をつけるために身構える。
だが残った二匹の大蛇は、仲間の死を見るやいなや、急に方向転換を始めた。
「……逃げた?」
一目散に離れていく大蛇を見送りつつも、天崎の脳裏に嫌な予感が過る。
蛇が獲物を狩る時に連携を取るだろうか?
仲間がやられたのを見て、即座に撤退する判断力があるだろうか?
そして何より常軌を逸した大きさ。あの三匹の大蛇は何者かに育てられ、操られていたに違いない。そう考えた方が自然だった。
ならば……と、天崎は近くにある手頃な木に登り始めた。
腕力のみでの木登りだが、身体能力が強化されているためか、猿のような軽快さで登っていくことができた。
ある程度の高さまで到達すると、天崎は周囲を大きく見渡した。
もし誰かが大蛇を操っていたのだとしたら、近場で観察しているはずだ。
「……いた」
案の定、それほど遠くない場所に人影を発見した。
逃げる暇を与えないよう、天崎はすぐさま行動に移る。
まるで忍者のように隣の木へ飛び移り、高度を落としながら、さらに隣の木へ。そうして人影の元へと接近していき、最終的に枯葉の絨毯の上に着地した。
「きゃっ!」
空から登場した天崎に驚き、目的の人物は尻もちをついてしまった。
問い詰めたい気持ちをぐっと抑え、まずは確認をしなければならない。この女性が本当に蛇を操っていたのか、それともたまたま居合わせただけなのか。
そう思いながら、腰を抜かした人物の顔を覗き込んだのだが――、
今度は天崎の方が驚きの声を上げる番となった。
「こ、小林!?」
「あぁ!? うちの名前は小噺だって何度も言っとるやろがハゲ! ……って天崎!?」
人影の正体は、見知った人物だった。
小柄な体躯に強気な口調。先日とある事件で知り合った、妖精コレクターの渡井小噺だ。ただ以前よりも雰囲気がだいぶ違うため、天崎は思わず聞き返してしまう。
「えっと……お前、本当に小噺なんだよな?」
「は? どっからどう見ても渡井小噺でしょ? ……あっ、もしかして化粧とか服装が違うから疑ってんの? あんたバカ? こんな山の中でスカート穿いてがっつり化粧してくる女がいると思う?」
一気にまくし立てられ、さしもの天崎もたじたじだった。
服装は機動性を重視した色気ゼロのジャージだし、化粧は薄く……というかまったくしていないのか、ずいぶんとのっぺりした顔になっている。髪は無造作に結んでいるだけだった。
とはいえ小噺の主張はド正論だ。山に入るのに、お洒落をする奴はいない。
だからこそ当然の疑問が湧いてくる。
「お前、こんな所で何やってんだ?」
「まさか、うちの肩書きを忘れたわけじゃないでしょうね?」
「妖精コレクターだよな?」
忘れるわけがない。以前それで辛酸を舐めさせられたのだから。
立ち上がった小噺は、ジャージに付いた枯葉を払いながら説明を始めた。
「そうよ。妖精コレクターは妖精コレクターらしく、フィールドワークで妖精を探して研究しているの。妖精そのものを捕まえることはできないから、鱗粉を集めたりとかね」
と言って、小噺は背負っているリュックをこれ見よがしにアピールしてきた。
「妖精!? この山ん中に妖精がいるのか!?」
「いるわよ。妖精なんてどこにでもいる。人間には見つけられないだけでね。特にこの土地は特殊なエネルギーが満ちてるみたいでさ、他の場所よりも妖精が集まって来やすいのよね」
「知らなかった……」
まさか実家のすぐ裏に、妖精なんて不思議生物が生息していたなんて……。子供の頃、けっこう遊んでいたはずなのに、一度も目撃した記憶はなかった。
「だからって大晦日に仕事しなくてもいいだろ」
「素人は黙っててほしいわね。妖精はお盆や年末年始みたいな特別な日に現れやすいのよ。お祭り好きな種族だから、そういう日に限って油断しているみたいなの」
「お祭りか。そういや近くの神社で軽くお祭り騒ぎになるもんな」
年末年始、自宅近くにある神社では、毎年屋台が並んだり除夜の鐘の前に花火が上がったりする。その騒ぎに乗じて妖精が集まって来るのだろう。仕事熱心な妖精コレクターなら、見過ごせないイベントだ。
そういうことなら納得だと頷いていると、今度は小噺が詰問してきた。
「で、あんたこそ何でこんな山の中にいるの? 妖精の研究者じゃないし、どう見ても登山する格好でもないわよね?」
「俺は実家に帰省してるだけだぞ。それにここ、天崎家の土地だから」
「は?」
地面を指して説明するも、小噺は唖然とするだけだった。
すると彼女は周囲を大きく見回し始めた。背の高い針葉樹を見上げ、真冬らしく色彩の乏しい景色を見渡し、枯葉が覆う地面に視線を落とす。
そして最後に天崎の顔を直視すると、再びアホみたいな声を上げた。
「はあ!?」
「だからここ、天崎家の私有地なんだってば。あっちの方に俺の実家があるし、どちらかと言えばお前の方が不法侵入なの。オッケー? アンダースタン?」
「…………マジ?」
「マジ」
「ど、どこからどこまで?」
「正確には知らんけど、山一個分って言ってたかなぁ」
「はああああああ!!??」
小噺の奇声が絶叫へと変わった。どことなく髪が逆立っているようにも見える。
「ってことは、玉の輿じゃない!」
「玉の輿とか言うな。あと涎を垂らすな気持ち悪い」
危ない薬でもやってるんじゃないかと疑ってしまうほど、小噺の瞳は狂気に満ちていた。
とはいえ、こんな下らない会話をしている場合ではなかった。もしかしたら小噺が蛇を操っていた犯人かもしれないし、そうでなくとも生き残った二匹はまだ近くにいるだろうから。
「で、蛇を操ってたのはお前なのか?」
「蛇?」
単刀直入に問うと、小噺は眉を寄せた。
その反応で白だと断定できたものの、天崎は一応続ける。
「さっき大きな蛇に襲われたんだ。誰かが命令しているような動きだったから、お前が蛇に幻覚をかけて操ってたとか……そもそもあの蛇自体が幻覚だったとか」
「何を言ってるのかちょっと分からないけど、うちじゃないことは確かだわ。蛇にも幻覚自体は効くと思うけど、言葉が通じないから細かな調整はできないし、それにあんたもうちの声を耳にしたわけじゃないでしょ? それに匂いも」
その通りだった。
妖精コレクターの小噺は、妖精の鱗粉を使って相手に幻覚を魅せることができる。ただ、そのためには手順が二つほど必要なのだ。
一つは鱗粉を相手に嗅がせること。もう一つは魅せたい幻覚を言葉にして聞かせること。大蛇と遭遇する前、天崎はどちらも感じ取ることはなかった。声も、匂いも。
つまり小噺は犯人ではないのだろう。
「だったら余計にマズいな。小噺、できれば今すぐ山から出た方がいい。ここら辺にデカい蛇がいるぞ」
「蛇が出るくらい百も承知よ。こちとら何年も妖精コレクターやってるんだから、蛇のあしらい方くらい心得てるっつーの」
「いやいや、人の頭だったら簡単に呑み込めるくらいデカいんだぞ。お前の細腕じゃ、一発で食い千切られるかもしれない。そんなのが少なくとも二匹はいる」
「……マジで?」
さすがの小噺も、そこまでの大きさは想定していなかったようだ。
未だ見ぬ猛獣を想像し、身を震わせていた。
「どの辺りから山に入ったんだ? もしここから遠いんなら、一旦俺の家に案内するから、早く……」
注意を促していた、その時だ。
小噺の背後から、先ほどの大蛇が音もなく接近していることに気づいた。
「危ない!」
「きゃっ!」
咄嗟の判断で、天崎は小噺の肩を抱いて横へ跳んだ。それと同時に、一瞬前まで二人が立っていた場所に大蛇の牙が迫る。まさに間一髪の回避だった。
しかし不運はここからだった。
どうやら跳んだ方向が緩やかな下り坂になっていたようで、着地に失敗した天崎は、小噺を抱きしめたまま転がり落ちてしまう。
「くそっ!」
なんとか小噺だけでも怪我をさせないよう、必死に庇う天崎。しかし、その判断がさらなる不運を招いた。
下り坂の終点に、大きな石があったのだ。周囲を把握している余裕のない天崎は、受け身も取れないまま後頭部を強打する。
「――――ッ!」
ゴンッ! とイヤな音が耳の奥に響いて、視界の端に星が散った。
ただ不思議と痛みは少なかった。おそらく多少なりとも吸血鬼の血統が覚醒しているからだろう。ダメージを確認するまでもなく、立ち上がるだけなら問題なさそうだ。
そう判断し、大蛇の襲撃に備えて体勢を立て直そうとしたのだが――、
不意に視界が遠のいた。
「えっ?」
まるで双眼鏡を逆から覗くかのよう。慌てて起き上がった小噺の姿が、どんどん小さくなっていく。
「天崎!?」
視覚と同じく、聴覚もまた機能を失いつつあった。
あ、これはマズいかもしれない。
そう思ったのを最後に、天崎の意識はぷっつりと途切れてしまった。




