第1章 天崎一家
「えぇ!? おののき荘ってなくなっちゃったの!?」
驚きに満ちた父親の声が、八畳の居間に響き渡った。
両親と炬燵を囲みながら二学期の報告という名の世間話に興じていたところ、いきなり息子の口から大事件が放たれたのだ。驚く気持ちは理解できるものの、飛び散った父の唾を浴びた天崎は不快そうに顔を拭ったのだった。
父親の名前は天崎誠三。天崎家の現当主である。
当然ながら、その血統もまた紛うことなき『完全なる雑種』だ。あらゆる種族の混血で、身体能力も普通の人間より遥かに高い。ただ歳のせいか、昔よりもだいぶ筋肉が衰えているような気がする。
やっぱり『完全なる雑種』も年齢には勝てない普通の人間なんだなと、四ヵ月ぶりに会った父親に対して、そんな感想を抱いた天崎だった。
「なのに大家さん、まったく連絡してこなかったよな……」
誠三は割とショックを受けているようだった。
「二十年以上も前に退去した元住人に、いちいち連絡なんてしないだろ」
「そりゃそうだが、今は息子も入居してるんだぞ? 保護者に報告するのが普通なんじゃないか?」
父親の正論に対し、天崎は「確かに」と納得した。
というか、アパートの場所が変わるのと同時に住所も変更されているはずだ。度々送られてくる郵便物はどうやって……いや、新おののき荘は場所も近いし名前も変わっていない。おそらく配達員が融通を利かせてくれているのだろう。
「そうかぁ。おののき荘、なくなっちゃったのかぁ。俺たちの思い出の場所だったのにな。なぁ、母さん?」
と言って、誠三は隣へ同意を求めた。
天崎の母親は、朗らかな笑みを浮かべながら視線を落としていた。というのも、彼女の膝の上で円がスヤスヤと寝息を立てているからだ。どうやら一時間程度の移動でも、円にとっては長旅だったらしい。
話を振られた天崎の母親――詩音は、ゆっくりと顔を上げる。しかし夫に向けた笑顔は、何か含みのあるものへと変わっていた。
「へー、そうなんですか? 私がおののき荘に住んでた期間は、数ヶ月もありませんでしたからね。あんまり思い出らしい思い出はないです。いったい誰と勘違いしたんでしょうね?」
「そ、そうだっけ?」
長年連れ添っている妻の表情を察し、誠三は露骨に目を泳がせた。
ただ父が口を滑らせたことについては、天崎も多少は共感ができた。
人外を引き付けやすい体質である『完全なる雑種』の周りには、好意の有無にかかわらず、何かと美しい異性が集まってくる。リベリア然り、円然り。特に空美なんかは顕著なものだろう。恋仲からすれば、引きずってでも離れさせたい相手に違いない。
だから天崎は「今のは失言だったな」と心の中で父親を憐れんだのだが……二人の会話の中には、どうしても聞き逃せない言葉があった。
「あれ? 母さんもおののき荘に住んでたことあるの?」
「あるわよ。大家さんの予知能力を頼りにしてた、短い間だけだったけどね」
「マジか。知らなかった」
父親が旧おののき荘に住んでいた時期があり、天崎はその伝手で一人暮らしを始めたのだ。けどまさか、母親までもがおののき荘の元住人だったなんて……。
いや、待てよ? と、天崎は衝撃的な事実に気づく。
父の下宿期間は、天崎と同じく高校在学中の三年間だけだ。つまり十五歳から十八歳くらいまで。そして母の年齢は父の三つ下。ということは……?
息子が知ってはいけない領域だと悟った天崎は、それ以上は考えないよう首を振った。ただ自分の両親がそんな昔から出会っていたことには、感動よりもショックの方が大きかった。
「にしても、『完全なる雑種』の血を狙った吸血鬼の襲来か。俺の所に来なくてよかったよ。だっはっは」
「息子が命を狙われたのに笑って済ませるのか……」
おののき荘がなくなった時と比べて、誠三の反応はあまりにも軽かった。
「まあ、俺も若い頃はそれなりに苦労したからなぁ。死にかけたことなんて一度や二度じゃないぞ。でも、今はこうして普通に生きてる。お前もなんとかなるだろ」
「その筋の通っていない理屈と自信はどこから来るんだ……」
とはいっても、父親の武勇伝は耳にタコができるくらい聞いている。あまりにも嘘くさい眉唾な話だったが、実は全部本当なんじゃないか? と思うくらいには、天崎もいろいろと自分で体験していたのだった。
すると突然、誠三の顔色が何の前触れもなく変わった。
「で、だ。今年は帰ってくるのが遅かったが、何かあったのか?」
ついにその話題が来たかと観念した天崎は、肩を落として答えた。
「あー……ちょっと補習のせいで課題を多く出されまして……」
「それはさくらさんから聞いたぞ。勉学のことなんてどうでもいいんだよ。卒業さえできればな。最悪、ウチで農業やればいい。土地はあるんだし」
それが親の言うことか。
訝しげに目を細めた天崎が、不満そうに訊ねた。
「じゃあ何だってんだよ」
「コレに決まってるだろ!」
小指をまっすぐに立てた誠三が、天崎に押し付けるように乗り出してきた。
「お前は天崎家の長男であり一人っ子だからな。跡取りの心配をするのは当然だろ? 今回帰省が遅れたのだって、恋人とイチャイチャしてたからだろうって、母さんと邪推してたところなんだぞ!」
「毎回訊いてるよな、それ」
帰省する度に訊いてくるものだから、息子としてもうんざりしていた。
そして毎度のごとく、軽くあしらうように答える。
「何度も言ってるけど、特にそういうのは……」
そこまで言いかけ、天崎はふと思い出した。
確かに今年の夏まで恋色沙汰なんてなかった。しかしこの四ヶ月間で、自分の周りの環境は大きく変わったではないか。特に二人の女の子から好意を寄せられたことは、一番の変化だと言っても過言ではない。
その二人の顔が浮かび、天崎は一瞬だけ言葉に詰まってしまう。
ただ天崎もまだ十七歳。思春期真っ只中。自分の恋愛話を親に告白するのは、恥ずかしさが先に来てしまうお年頃。
つまらない意地を張った天崎は、顔を背けて「……ない」と静かに続けた。
しかし、その反応を恋愛脳な両親が見逃すはずはない。
「見たか、母さん! 我々が心配せずとも、事はしっかりと進んでいるようだ!」
「えぇ、見ましたとも。今夜は赤飯にしましょうかね」
思春期の息子よりも、さらに幼くはしゃぎ倒す両親だった。
見かねた天崎は、無理やりこの話題を終わらせようとする。
「あー、もう分かったから。ところで親父、『完全なる雑種』の血統について、もっと詳しく知りたいんだけど」
「『完全なる雑種』の血統? なんでまた」
「さっきの吸血鬼の地続きでさ、ちょっと厄介なことになってるんだよ」
「ふーん?」
眉を寄せた誠三は、顎を撫でながら天井を見上げた。
厄介事の内容を訊ねてくる様子はない。本当に手に負えない事件だったら息子から話してくれるという、信頼の表れなのだろう。父自身が苦難を乗り越えてきたせいか、少々楽観的すぎる気もするが。
「俺が知ってることは全部教えたつもりだからなぁ。悪いけど、目新しいことは何もないぞ」
「何か文献とか資料とかは?」
「うーん……」
誠三の反応は、あまり芳しくなかった。
ダメ元ではあるが、天崎もネットや図書館で『完全なる雑種』について調べてみた。しかし当然の如く、それらしい情報は皆無。『完全なる雑種』という単語すら見つけられなかった。
これだけ歴史ある家なのだから、何かしら文献が残っていると期待していたのだが……。
諦めかけた、その時。誠三が何か閃いたように顔を上げた。
「そうだ。お前、ウチの家系図は見たことなかっただろ」
「家系図? ……確かに見た記憶はないけど」
「なら読んでみろ。欲しがってる情報があるとは限らないが、アレは一見の価値ありだ。面白いぞ」
「?」
天崎家の家系図に興味はあるが、面白いとはこれ如何に。
ともあれ、見れば分かるということなのだろう。
「で、その家系図はどこに?」
「裏の土蔵にあるはずだ。俺も最後に確認したのは数年前だけどな」
「あー、あそこね」
天崎家の敷地内には、江戸時代に建てられたらしい古びた土蔵が一棟ある。今でも倉庫として使っているのだが、扉には大きな南京錠が掛けられているため、出入りする時は常に父と一緒だった。
「ってなわけで、自分で確認してこい」
と言って、誠三は背後にあるタンスを弄り始めた。
「えっ、俺が一人で入ってもいいのか?」
「出入り禁止にしてたのは小さい頃だけだ。お前ももういい大人だからな。天崎家の何たるかは自分で調べろ」
タンスから取り出した南京錠の鍵を差し出され、天崎は手を伸ばす。だが受け取る寸前に、誠三は鍵を握りしめてしまった。
からかわれたと思った天崎はムッとするも、父の表情は真剣そのものだった。
「言い忘れてたが、天崎家の家系図はちょっとした魔術書になってるんだ。普通の本とは少し違うから、驚くなよ?」
「魔術書? 危ない物なのか?」
「いや、危なくはない。魔術というよりも、どちらかといえば催眠に近いのかな。とある術式によって、面白い仕掛けが施されてる」
「ああ。面白いって、そういう……」
天崎自身そうそう目にしたことはないが、現代社会にも魔術が存在することは知っている。安藤が学校の周りに張った結界も、その一つだ。
では、何故ただの家系図に魔術が?
その疑問がありありと顔に現れていたのだろう。何も言わずとも、誠三は中身のない解答を寄こした。
「俺もなんであんな家系図になってるのかは知らん。たぶんご先祖様が面白がって作ったんだろうな」
「どんな魔術なんだ?」
「見れば分かる」
丸投げされた天崎は、「えー……」と不満顔を露わにした。
「でも危ない物じゃないんだろ? ならいいか」
「まったくもって危険じゃない。ただ一つ、約束してほしい」
「?」
「家系図は土蔵の中にあるが、持ち出して自分の部屋で見ろ。そして確認を終えたら元の場所に戻せ。いいな?」
「なんで?」
「お前のためだ」
その声質があまりに真剣だったため、天崎も頷くほかなかった。
「……分かった」
「健闘を祈る」
何故か祈られ、天崎は土蔵の鍵を受け取ったのだった。




