プロローグ
一定のリズムで揺れる車両が眠気を催促し、天崎はうつらうつらと船を漕いでいた。
だが夢うつつの至福なひと時も、隣にいる円の元気なはしゃぎ声によって妨げられる。
「わっ! 海だぁ!」
ゆっくりと覚醒した天崎は、円の頭越しに窓の外を眺めた。
堤防や民家によって見え隠れしているものの、太陽の光を反射して煌びやかに青く輝いているのは紛れもなく海だった。ただ円と違い、見慣れている天崎は海に感動を示すことはない。どちらかといえば雲一つない快晴の方に安堵していた。
「……そうだな」
小さく同意した天崎は、姿勢を正すのとともに大きな欠伸をかましたのだった。
十二月三十日。二人は今、天崎の実家に帰省するため電車で移動している途中だった。
二両編成の車両内は、片手で数えられるほどしか乗客がいない。おののき荘の最寄り駅から電車を乗り継いで片道約一時間。ローカルな単線が走るくらいには、天崎の実家は田舎寄りなのだ。
海が見えてきたということは、もう少しで到着するはず。
あと何分眠れるのか思い出しながら、天崎は再び瞼を閉じたのだった。
目的の駅に到着し、天崎と円は少ない荷物を片手にホームへと降り立った。
他に降りた乗客はいないのか、幅の狭いホームはとても閑散としている。とはいえ、この駅ではいたって普通のこと。駅員の姿さえ見ないまま、最近設置された真新しい自動改札機を通ると、天崎にとっては懐かしい景色が広がっていた。
寂れた田舎駅にはもったいないくらいの整ったロータリー。本数の少ないバスは今は停車しておらず、とても見晴らしがよい。そして駅から真っ直ぐ伸びる道の先には、緑生い茂る山がこの地を訪れる人々を見下ろしていた。
おののき荘の最寄りの駅とは大違いだ。と、天崎は改めて実感する。
駅前にはコンビニと個人経営の喫茶店が一軒ずつ。線路沿いにある駐輪場はがらんとしており、錆び付いた自転車が何台か放置されていた。当然、立体駐車場・立体駐輪場などはない。
うららかな日差しに帰郷を歓迎されながら、天崎たちは送迎場まで歩いていく。
「迎えが来てるはずなんだけど……」
探すまでもなかった。ロータリー横の送迎場には、見知った軽自動車しかなかったからだ。
天崎たちが姿を現すと、あちらも気づいたのだろう。エプロン姿が似合う妙齢の女性が運転席から出てきた。
「おかえりなさいませ、東四郎さん」
「さくらさん。お久しぶりです」
無表情で一礼した女性に対し、天崎は朗らかな笑顔で返した。
女性の名前は桜枝さくら。正真正銘の人魚である。
天崎の父親が若い頃、人魚の一族と縁があったらしく、それから今に至るまで交流を続けているのだ。現在はお盆や年末年始などの長期休暇のみ天崎の実家を訪れ、大掃除などの家事を手伝ってくれているのである。
幼い頃から面識のある天崎にとっては、夏休みや冬休みになると家に来るお姉さん程度に認識していた。
「円お嬢さんも、元気そうですね」
「おひさ」
と言って、円は片手を挙げて自分が元気であることを伝えた。
円とさくらは、これで三度目の対面だった。去年の年末年始と今年のお盆、それぞれ帰省した時に、円も一緒に連れて帰っていたのである。
この二人が並ぶと、天崎はいろいろと思うところがあった。
ほんの少しだけ離れて眺めてみる。本気で喜んだ時以外は常に無表情の円と、あまり表情を崩さないさくら。円が二十個くらい歳を取ったらこうなるのかなぁと、常々考えさせられていた。もちろん、座敷童にそんな未来は来ないのだが。
「では、ご自宅へお送りします。荷物は後ろへ」
言われた通り手荷物を積み込み、二人は後部座席に乗り込んだ。
駅から離れ、年季の入った日本家屋が並ぶ小道を進んでいく。当然のことながら、四ヶ月前に帰省した時の街並みとほとんど変わっていなかった。
「ところで東四郎さん。今年はやけに帰省が遅かったですね。もう明後日には年が明けてしまいますよ」
運転中のさくらがバックミラーで天崎を一瞥した。
問われることは予想していたのだが、視線を向けるさくらの圧が強く、思わずしどろもどろになってしまう。
「まぁ、なんて言うか……今年は補習があって、だいぶ課題を出されちゃったんですよ」
「補習ですと?」
くわぁ! と目を見開いたさくらが振り返ってきた。
「ちょ! さくらさん、前、前!」
「ご安心を。しっかりブレーキに足を置いておりますので」
「前を見てなきゃブレーキも踏めないでしょうに……」
海の中では魚類の下半身も、陸の上では人間と同じ二本足になっている。だから運転に支障はないのだが、人魚は特別視野が広いというわけでもない。なのに、なんでそんな自信があるのかと天崎は呆れてしまった。
「補習に関しては、私は言及しないでおきましょう。ちゃんとお父さまに話して、しっかりと叱られてください」
「別に叱られるようなことでもないんですけどね」
補習を受けたのは成績が悪かったからではない。出席日数がギリギリだったからだ。
そして同じ『完全なる雑種』の父親なら、そこら辺の事情は汲み取ってくれるはず。自分がどれだけ気をつけようとも、人外が絡む事件は向こうからやって来るのだから。
まあ冬休みに入ってからしばらくは遊び惚けていたし、課題が多かったのも事実だし、今年は安藤が手伝ってくれなかったのも大きな要因ではあるが。
「人魚の里の方はどうですか? 何か変わった出来事とかありました?」
「相変わらずですよ。東四郎さんも、また機会があればいらしてください。きっと里長も喜びます」
「……そうですね」
喉がつっかえたような返事になったのには理由があった。
さくらが住む人魚の里は、この海の沖合にある。といっても人魚の泳ぐ速度で一時間近く掛かるし、また大海原のど真ん中なので目印になる物は何もない。里に住む人魚の案内なしで辿り着くことは、まず不可能だった。
そんな自殺行為に等しい冒険を決行した男が二人。そう、天崎親子である。
人魚の血統を操る訓練と称し、当時中学生だった天崎を連れて、天崎父は二人だけで人魚の里を目指した。そして当たり前のように遭難。あの時、里の人魚が偶然にも通りかからなかったらマジでヤバかった。
それ以来、天崎は遠泳が少々トラウマに。人魚の里を訪れたのも、その一回のみだった。
そんな苦い思い出を回顧していると、再びバックミラー越しにさくらと目が合った。彼女は何故か不敵な笑みを浮かべていた。
「人魚の里ではありませんが、東四郎さんのご実家では大きな変化がありましたよ」
「……何かあったんですか?」
「実は東四郎さんに弟ができました」
「はぁ!?」
「嘘です」
「だよな!」
運転席へ乗り出していた天崎は、糸が切れたように腰を下ろした。
冷静に考えてみれば、四ヶ月前に帰省した時は母親の身体に何の異常もなかったのだ。そんな短期間で子供が生まれるわけがない。
「いや、さくらさんは弟ができたと言っただけだ。妊娠が発覚したってことも……」
「東四郎さん? 本当に嘘ですからね? あまり真剣に悩んでもらっても困ります」
「でも一瞬信じちゃうくらいには仲が良いんだよなぁ、あの夫婦は」
「それには同意です」
まるで他人事のように自分の親を思い出す天崎であった。
やがて車は人里を離れ、小さな雑木林へと入る。そこを抜ければ、天崎にとっては馴染み深い風景が広がっていた。
向かって左手には広大な畑があり、ぽつぽつと民家も点在している。その先にある防潮堤の向こうは、電車の中から見た海の水平線が頭を覗かせていた。
そして右側は、道路沿いにまっすぐ塀が延びていた。
ただのブロック塀ではない。石垣を基礎に、壁は練り土でしっかりと固められており、上には瓦の屋根が葺いている。それこそ昔ながらの武家屋敷を囲うような塀が、道路先まで延々と続いていた。
雑木林を抜けてから五秒ほど走った後、車は総門の前で停止した。
「ありがとうございました」
「では、私は車を車庫へ入れてきますので」
荷物を持って降りた天崎と円は、走り去って行く軽自動車を見送った。
開け放たれた総門をくぐって、久々に帰ってきた我が家を見渡してみる。
門から玄関まで繋がる石畳。旧おののき荘よりも年季を感じさせる、木造の母屋。長年潮風に晒され、変色しきった瓦屋根。端の方には、祖母と過ごした縁側も見える。何度か改修や改装を繰り返しているが、土蔵や門など江戸時代から残っている建造物もあるらしい。
そう。先祖代々伝わるこの古めかしい日本家屋こそが、天崎の実家だった。




