間 章 天崎東四郎の最高で最低な一日 その3
人がすれ違うのも困難なほど狭く乱雑とした部屋の中で、天崎は妙齢の男と顔を突き合わせていた。
彫りの深い目元に、整えられた顎髭。若々しい六十代に見えれば、老けた二十代にも見える不思議な顔。ただ、ほぼ初対面の相手に少しばかり緊張している天崎に比べれば、それなりの人生経験を経ていると思わせるくらいの貫禄はあった。
彼はコスプレ喫茶『ファンタジースクエア』の店長だ。二人は今その事務所の中で、まるで面接でもするように面と向かい合っているのである。
「君のことはリベリアさんから聞いているよ。天崎君」
「はぁ、よろしくです」
朗らかな笑顔とともに差し出された手を、天崎は強く握り返した。
初対面じみた挨拶を交わしてはいるが、店長の顔を見るのはこれが初めてではない。リベリアが『ファンタジースクエア』で働いてることが発覚してから、実は天崎は何回か足を運んでいた。その際、チラッと姿を目にしたことがあったのだ。
ただ大抵は事務所にいたり、たまに店に出てきてもバーカウンターの方にいたため、今まで会話するチャンスはなかったが。
では何故こうやって店の事務所で対面しているのか。
その理由を、天崎はまだ聞いていない。
「えっと……店長さんから話があるって、リベリアに聞いたんですけど……」
「あぁ。いや、別に用件があるわけではないんだ。ニュアンスの違いかな? 話があるんじゃなくて、君と一度話してみたかっただけさ」
「はあ……」
ちょっとよく分からなかった。
天崎としては友人が働いている店の店長と話すことなんてないし、何か気に入られるようなことをした覚えもない。それとも恨みでも買ったか? どちらにせよ、彼が自分と話したがっている理由に心当たりはなかった。
天崎が困惑していると、店長は少し声を落として言った。
「リベリアさんが言ってたよ。最近、ヴラド三世と名乗る男に狙われているんだってね」
「ええ、まあ……」
口が軽いなと思いつつも、リベリアが意味もなく他言するとも思えない。彼女なりの目的、おそらく店長からの助言を期待して話したのだ。彼女曰く、店長は人間かどうか判断がつかない、不思議な種族らしいのだから。
無意識に自分の胸を押さえながら、天崎は訊ねた。
「店長さんは何か知ってるんですか?」
「いいや。申し訳ないけど、僕は何も知らない。リベリアさんから聞いたこと以上はね。ただ天崎君よりも長く生きてる者として、アドバイスできることがあればと思ったんだ」
「はあ」
「まず君たちが会ったブラド三世が本物かどうか。正直、これはどちらでも構わない」
「どちらでも、とは?」
「相手がどこの誰であろうと、君が命を狙われていることには変わらない。そうだろ?」
「……確かに」
主観的な問題だ。天崎にとって、あの老人がヴラド三世かどうかは関係ない。重要なのは、奴が自分が狙っているという事実。
とはいえ――、
「けど今は、彼が本物だと仮定して話をしようと思う」
それには天崎も賛同した。
自分の中に眠る意識もそう名乗っていたし、戸塚が嘘を付いていたとも思えない。
「次に目的だ。ヴラド三世が天崎君を狙う理由は、君たちが出した結論で概ね間違いないだろうね」
「つまり俺の身体を乗っ取って、改めて『完全なる雑種』になろうとしたってわけですか」
「そう。これは僕の想像だけど、生前のヴラド三世は天使に排除される可能性を懸念して、保険を掛けていたんじゃないかな」
「保険?」
「一つは天崎家の血筋に意識を植え付けること。もう一つは君たちが出会ったように、何かしらの方法で魂がない状態を作り上げて分裂したこと。もしかしたら天崎君の中の意識が覚醒に失敗したから、もう一つの方が接触してきたのかもしれない」
「なるほど」
時期的にも理屈としても辻褄は合っているような気がする。
宿主である天崎自身が、己の中にあるヴラド三世の意識に気づいた。ならば今後、不用意に吸血鬼の血統を覚醒させないようにするのが当然の流れ。第一プランが失敗だと判断したもう一つの方が、第二プランへと切り替えたのだ。
「じゃあヴラド三世は俺の身体を使って何をしようとしているんでしょうか?」
「これは確信を持って言える。彼の悲願は生前の続きだ」
「生前の続き?」
「ヴラド三世は『完全なる雑種』になることを目指して、結局は目標を達成できなかった。なら、その続きを求めるのが普通の欲求だ。もちろん、その先の野望は本人に聞いてみないと分からないけどね」
「あー……俺の中のヴラド三世も似たようなこと言ってたみたいです。記憶が混線して明確には覚えてないけど、おそらく目的は支配だろうって」
「支配か。それが一番可能性が高いかもね。ただ……」
「ただ?」
「いや、ごめん。不確定なことを言って不安を煽らない方がいいな。気にしないでくれ」
「?」
気にはなったが、そう重要なことでもなかったのだろうと天崎は判断した。
ともあれ、一つだけヴラド三世に対して共感できることがあった。
もし大きな野望があり、それが志半ばで潰えてしまったのであれば……続きをやりたいと思うのは、誰だって同じだ。
「俺は、どうすればいいんでしょうか」
沈んだ声で問う。これが最も重要だった。
ヴラド三世の悲願だからといって、黙って身体を明け渡すわけにもいかない。天崎だって、これから歩んでいきたい人生があるのだから。
「正直なところ、明確な対処法は分からない。だから僕から提案できることは二つ。『完全なる雑種』の血統の使い方をもっとよく知ること。そして仲間を集めることだ」
「血統の使い方、か」
年末年始、実家に帰ったら改めて親父に教えを乞うてみようと思った。
「仲間を集める、とは?」
「ヴラド三世は今、あの手この手で天崎君の血統を覚醒させようとしているんだろ? 敵は彼一人とは思わない方がいいし、君一人で対応するのは無謀すぎる。リベリアさんみたいな、強くて信頼できる仲間と縁を作ることを推すよ」
「…………」
店長の言うことにも一理あるが、天崎は手放しで賛同できなかった。
これは自分の問題だ。相談するくらいならまだしも、できれば他人に迷惑を掛けたくない。相手が危険に晒されるようなことなら、特に。
ふと仲間という単語で、ここに来る前のことを思い出した。
「店長さんは大堕天使のカラエルって知っていますか?」
「大堕天使のカラエル?」
「円が……俺の部屋に棲みついてる座敷童が言ってたんですけど……」
そう言って天崎は、円が体験した今日の昼の出来事を簡単に話した。
月島とのデートを終え、おののき荘に帰宅した天崎は、遊び疲れてぐったりしている円から話を聞いたのだ。公園で大堕天使を自称する変な奴に襲われた、と。
もちろん、カラエル自体も捨て置けない。しかし円の口からヴラド三世という名が出たことにより、天崎の認識も変わった。カラエルはミルミルを勧誘したがっていたそうだが、根本的な狙いは自分なのだ。
その話を聞いた後、『ファンタジースクエア』に行くかどうかギリギリまで迷っていた。だが四六時中付き添ってやるわけにもいかないし、円も大丈夫だと言っていたため、結局は後ろ髪を引かれながらも予定通り『ファンタジースクエア』を訪れたのだった。
その旨を伝えると、店長は難しい顔で自分の顎髭を撫でた。
「カラエルという個体名は知らないかな。大堕天使というのは、おそらく堕天した大天使のことだろうね」
「大天使? 天使とは違うんですか?」
「少し長い話になるけど……」
と言って、店長は唇を一旦水で湿らせた。どうやら本当に長くなるらしい。
「太古の昔、世界がもっと単純だった時代、地上の秩序は大天使によって保たれていた。けど時代とともに自然環境や生物の生態系が多様化、複雑化していってね。大天使という強大な生命体が存在すること自体が秩序を崩壊させるようになってしまったんだ。そのため大天使たちは天界へ引っ込んでいった後、自分たちの遺伝子を使ってクローンを造り出した。それが今の天使だ。つまり昔から存在していた天使を大天使、そのクローンを天使と区別している」
「ならカラエルが地上にいる時点で秩序が崩壊しているんじゃ?」
「それは問題ない。カラエルが堕天しているならね。そもそもどう足掻いたところで、大天使はもう地上に降臨することはできないんだ」
確かクルクルも言っていた気がする。魔界の悪魔や天界の天使が下界へ降りるのは、人間がアリの巣へ無理やり身体を捻じ込むようなもの。悪魔は下界の生物に生まれ変わったり、天使はクルクルみたいなクローンを造って送り出すしか方法はない、と。
「天使が堕天する際、地上に適応できるよう、かなり力が削ぎ落される。とはいえ大堕天使と言うくらいだ。おそらく普通の天使よりも力関係は上なんだろうね」
「……そうですか」
堕天使は例外なく排除対象になる。クルクルの言葉を思い出して、カラエルは天界からの使者に対応してもらうことも期待していたのだが……どうやら無理みたいだ。
「にしても、堕天使を味方に付けるのは予想外だった。自分の存在を抹消した種族なのに」
「カラエルが堕天したのは千年以上も前のことらしいんで、ヴラド三世が抹消された時には、すでに天界にはいなかったみたいなんです」
「どのみち君の身体を手に入れるためには、猫の手も借りたいってことなんだろう。くれぐれも気をつけることだ」
「……はい」
店長の瞳をまっすぐに見つめた天崎は、重々しく頷いた。
不意に店長が目を逸らした。天崎も釣られて彼の視線の先、壁掛け時計を見る。もうすぐ午後八時になるところだった。
「おっと、そろそろイベントの時間かな。悪いね、時間を取らせてしまって」
「いえ。貴重なお話、ありがとうございました」
お辞儀をした天崎は、店の方へ行くために立ち上がる。
しかし、その前にどうしても訊いておきたいことがあった。
「店長さん。一つだけ質問してもいいですか?」
「何かな?」
「失礼かもしれませんが……店長さんって、本当に人間なんですか?」
「僕は人間だよ」
即答だった。まるで問われる内容が分かっていたかのように、もしくは違う回答など最初から存在しないかのように。気分を害するわけでもなく、してやったりと得意げな笑みを見せる店長の顔は、とても印象的だった。
敗北感を味わった天崎は、誤魔化すように言い繕った。
「いやぁ、変なこと訊いてすみません。あまりにも人外の情報に詳しかったもんで」
「ふふっ。おそらくはリベリアさんの差し金だろ?」
すでにお見通しだったようだ。リベリアが「天崎さんなら違う答えが返ってくるかもしれません!」と閃いていたが、さすがに考えが甘かった。
「僕が人外について詳しいのは、昔いろいろあってね……」
「いろいろ、ですか?」
「……いや、僕の話をしても仕方がない。何か困ったことがあればいつでも相談に乗るから、遠慮しないでね」
「はぁ、ありがとうございます」
店長が何者か気にならないわけではないが、天崎としては深く追求するほどでもなかった。プライベートなことだし、縁が深い相手でもないし。ともあれ今の天崎にとって味方が一人でも増えたことは、何よりも心強かった。
挨拶を済ませて、天崎は事務所から退室する。
そのまま店の方へ身体を反転させたのだが――ふと気づいた。
「俺がこっちからホールへ行ったらマズいよな?」
店は今も営業中である。私服の客がバックヤードから現れるのは、他の客に要らぬ不信感を与えてしまうだろう。喫茶店という食品を扱う店なら、特に。
なら裏口から出て正面に回るべきか?
どうしようかと迷いながら、廊下で立ち往生していると……ふと、リベリアの声が聞こえたような気がした。店の方ではない。すぐ近くからだ。
「この部屋か?」
イベントに招待した本人に今後の予定を聞くため、天崎は事務所と隣接する部屋の扉を開けたのだが――。
「おーい、リベリア。俺は一旦外に出た方がいいよ……なっ!?」
中を覗いた天崎は、全身に電流が奔ったように硬直してしまった。
部屋にいたのは、リベリアだけではなかったからだ。
彼女の他に、女の子が五人。コスプレ喫茶らしく、メイド、巫女、ナースといった日常ではお目にかかれない衣装を身に纏っているものの、何かが変だ。それは全員が衣装を着崩し、下着を露わにさせているからだろう。
手にしているのは赤と白の服。いつかどこかで見たサンタの衣装。
複数の女子が脱衣している非日常的な光景に戸惑いながらも、天崎の脳は奇跡的に理解へと至った。
ここは更衣室。女性だけが立ち入りを許される、乙女の花園なのである。
だがそれが分かったところで、次に取るべき最善の選択肢が舞い降りてくるわけではない。天崎の反射神経をもってしても、両足は未だ床に張り付いたままだった。
突然の闖入者に呆然とする女の子たちと、徐々に事の重大さを理解し冷汗を浮かべ始める天崎。そして時計の秒針が目に見えて角度を変えた頃、顔を引き攣らせたリベリアがようやく沈黙を破った。
「天崎さん。さすがにそれはマズくないですか?」
その一言で、天崎はハッと我に返った。
「し、失礼しましたあああああああ!!!」
力任せに扉を閉めた音と天崎の渾身の謝罪は、店中に轟いたのであった。
まさか高校生のうちから土下座することになるなんて……と思いながら、天崎は廊下に這いつくばっていた。
やがてサンタの衣装に着替えた女の子たちが更衣室から出てくる。頭を上げて彼女たちの顔を確認してみたが、当たり前のようにみんな怒っていた。
どんなに口汚く罵られてもいい。蹴ったり殴ったりされても構わない。その覚悟はできている。それだけ自分は悪い事をした。許してくれなくてもいいから、これだけは言わせてくれ。
その想いを込めて、天崎は再び顔を伏せた。
「ごめんなさい! すみませんでした!」
声を上げて全力で謝罪する。
しかし天崎に浴びせられたのは罵声でも暴力でもなく、人数分のため息だけだった。
「頭を上げて、天崎君。どうしてあたしたちが怒ってるか分かる?」
「え?」
先頭にいるミコミコが、代表として訊ねてくる。
なんで怒ってるかなんて、そんなものは決まっているだろうに。
「えっと……俺がみなさんの着替えを覗いたから、ですよね?」
「ちがーう」
そして「やっぱり分かってなかったか」とでも言いたげに、ミコミコは首を横に振った。後ろの女の子たちも同じような反応をしていることから、どうやらみんなの意見は一致しているらしい。
自分の反省点を否定されたことで、天崎はさらに混乱してしまう。
着替えを覗いたことが違うなら、いったい何に対して怒っているんだ?
「天崎君。いい? あたしたちはもういい大人だし、年下に下着を見られるくらいなら笑って許せるの。でもね、無断で更衣室に入ってきたのはダメだよ。せめてノックくらいしなきゃ」
「えぇ? それって別に同じじゃ……」
「いいえ、段違いです! 今回はみんなが知ってる天崎君だったからよかったけど、もし変なおじさんとかだったらどうするの? 着替えてる途中に知らない男の人がいきなり入って来るって、けっこうな恐怖だよ? これから常に扉の方を警戒しなくちゃいけなくなっちゃうじゃない」
「えっと……」
「少しは女の子の立場になって考えてみなさいな」
そう言われ、天崎は想像力をフルに発揮してみせた。
自分は女の子。アルバイト先の更衣室で着替えている途中に、見知らぬ男が入ってきたら……なるほど、確かに怖い。服を脱いでいて無防備だし、今よりも圧倒的にひ弱になっているだろうから。
「どお、分かった? 入室前のノックと声掛けの重要性が」
「はいぃ! 今度から必ずノックするようにします!」
「いや、ノックしたからって男の子が女子更衣室に入って来たら普通にダメでしょ」
「そうですね!」
テンパりすぎて、自分が何を言ってるのかすら分からなくなっていた。
そんな天崎の様子が面白かったのか、ミコミコは不意に悪戯な笑みを見せた。
「でもぉ、天崎君がそんなに見たいって言うんなら、お姉さんサービスしちゃおうかな」
赤と白の衣装をはだけさせ、ゆっくりと肩を出すミコミコ。
その行為が妙に生々しかったためか、天崎は再び硬直してしまった。
「こらこら、高校生をからかってやるなよ」
「あたぁ!」
後ろで見ていた他の女の子が、ミコミコの脳天にゲンコツを落としたのだった。
涙を浮かべた彼女は、気を取り直して天崎に言う。
「んじゃ、そういうことでよろしく。今からお店でイベント始まるから、楽しんでいってね」
そうして彼女たちは店の方へと歩いて行った。
リベリアを残して。
「天崎さん。鼻の下、伸びてましたよ」
「……勘弁してくれ」
さすがに今の状況で「男だから仕方ないだろ」とは言えなかった。
膝の埃を払いながら立ち上がる。すると赤と白のサンタ衣装に身を包んだリベリアが目に入った。
「ってか、どうしてこんな時間に着替えてたんだ? とっくに営業中だろ?」
「八時からクリスマスイベントが始まるからですよ。交代で着替えてたんです」
そう言って、リベリアは赤いスカートの端を摘み上げた。
「どうです? 可愛いでしょ」
「あぁ、可愛いよ」
「誰よりも可愛いですよね!?」
「そりゃもう、誰よりも」
「世界一可愛いですよね!!?」
「もちろん」
「やったー! じゃあ私も天崎さんのこと許しちゃいます!」
両手を挙げて大喜びしたリベリアは、勇み足で他の女の子を追いかけていった。
一人残された廊下で、天崎は首を傾げる。
「にしても、わっかんねーな」
リベリアのことではない。天崎にとっては吸血鬼の考え方よりも、女子大生という生き物の方がよっぽど理解できそうになかった。
イベントは以前から告知されていたためか、店内は通常の営業日よりも盛況しているように感じられた。しかし、その客席のほとんどは埋まっていない。なぜなら訪れた客たちは注文を済ませると、すぐに店の一角へ移動して行くからだ。
「ビンゴ、ね」
行儀よく席に座っている天崎は、先ほど渡されたビンゴカードを眺めた。
クリスマスイベントとは店員と客を交えたビンゴだったようで、揃った順番によってはそれなりの景品が貰えるらしい。とはいってもサンタコスの女の子と無料でチェキが撮れたり、店員直筆のサインがもらえたりなど、店にとってあまり痛手にならない物ばかりなのだが。
もうちょっと実用性のある物だったら参加するんだけどなぁと、天崎は真ん中しか空いていないビンゴカードをテーブルの上へと放り投げたのだった。
「どお、天崎君。楽しんでる?」
「あ、ども」
客と店員の輪から離れ、ミコミコが天崎の席までやって来た。
そのまま隣に座ってしまう。
「え。こういう店って、店員が客の隣に座ったらマズいんじゃないですか?」
「大丈夫だって。誰も見てないし」
確かに、ミコミコが抜けたことすら誰も気づいていない様子だった。
ともあれサンタコスの女の子と肩や膝が触れ合うほど密着させるのは、天崎としても緊張しないでもない。特に腰を下ろしたことで露わになった太ももから意識を逸らすように、盛り上がっているビンゴ大会の方へと視線を向けた。
「なんか今日って、いつもより店員さん少ないですよね? イベントなのに」
「んー? 天崎君、それってあたしたちに喧嘩売ってるのかなぁ?」
「?」
見れば、ミコミコは非常に恐ろしい笑顔を貼り付けていた。
怒らせてしまった原因に心当たりがなく、天崎は眉を寄せる。
「分かってないようだから言うけど、今日は何の日?」
「何の日って、クリスマス……あっ!」
鈍感な天崎でも、さすがに今日という日の意味に気づいたのだった。
クリスマスに飲食店でアルバイト。つまりはそういうこと。どうりでマジョマジョの姿が見えないわけだ。
自分の失言に気づき、天崎は頭を抱えてしまった。
ただミコミコも本気で気を損ねたわけではないようだ。何故か面白いおもちゃでも見つけたようにニタニタと気色悪く笑っている様子は、違う意味で怖くなったが。
居たたまれなくなった天崎は、ドリンクを口に含むことで間を繋ごうとする。
するとミコミコが、ようやく微笑の理由を口にした。
「天崎君。リベリベに告られたんだって?」
「ぶはッ!」
思わず吹き出してしまった。
「な、なんで知ってるんですか!?」
「リベリベが話してたよ」
そりゃそうか。それ以外にあり得ない。
しかし露骨に目を泳がせたのがマズかったようだ。リベリアの話が本当だと確信したミコミコは、詳しく話せと興味津々な瞳で天崎に訴えかけてくる。
「で? で? それからどうなったの!? 実はリベリベも告ったことだけ白状してさ、結果がどうなったとか一切話してくれないんだよね。イヤな記憶だから話したくないのかもしれないし、イメチェンとか言って急に髪も短くしてきたから、もしかしたら天崎君にフラれたんじゃないかとあたしは睨んでるんだけど……どお!?」
「どおと言われても……」
そこは子供みたいな発想なんだなと、天崎はミコミコのことがさらに分からなくなった。
とはいえ髪を短くしたことについては、正直に話すわけにもいかない。というか手斧で首を切断された際に一緒に斬られましたと説明しても、信じてはくれないだろう。ならば触れないまでだ。
告白については……まあ当たり障りのない回答でお茶を濁すだけだ。
「フってもいないし、だからって付き合ってるわけでもないですよ。リベリアが自分の想いを俺に伝えただけで、いろいろと保留中なんです」
「えー! 保留中って……えー! 男だったらスパッと結論出さなきゃ! 女を待たせたらダメだぜ!」
「いえいえ、保留にしようって言ってきたのはあっちです」
「えっ、どゆこと? なんで告白してきた方が保留にしちゃうのよ!」
乙女チックに瞳を輝かせたミコミコが、天崎の襟元を掴んでぐらぐらと揺らしてくる。恋バナに熱心な女性がこんなに面倒なものだと思わなかった天崎は、言わなきゃよかったと今さらながら後悔していた。
さらに予想外の不運が訪れる。
ミコミコにがっくがっくと揺らされることで、天崎が手にしていたグラスの中身が溢れてしまったのだ。
「つっめた!」
「あっ、ごめーん! ついついやりすぎちゃった」
平謝りしたミコミコが、急いで立ち上がった。
「何か拭く物、持ってくるね。……んん?」
ドリンクの溢れた場所を凝視したミコミコが、少し不審げに唸った。
「どうかしましたか?」
「んーん、なんでもない。拭く者、持ってくるね」
何故かもう一度宣言して、颯爽とバックヤードへ駆けて行った。
残された天崎は、ひとまずナプキンで拭おうとする。しかし水ならともかく、果汁増し増しの炭酸ジュースだ。ベタ付くのも当然イヤだが、それ以上に跡になったらどうしようと考えたところで……ようやくタオルを持ってきてくれたようだった。
リベリアが。
「天崎さん、ジュース溢したんですって? もう、ドジですなぁ」
「原因は俺じゃねえよ。早くタオル貸してくれ」
「ここでは私が従者です。拭いてあげますよ。どこに溢したんですか?」
「いや、ちょっと待て」
全体を見渡すリベリアを、天崎は手で制した。
どうして拭いてもらうことを拒むのか。そう、彼がジュースを溢したのは自分の股間だったからである。
そのことに気づいたリベリアは、少し驚いたように目を見開いた。
「自分でやるからタオルだけ貸してくれ」
「まあまあ、遠慮なさらず。この下僕めが、天崎さんの大事な場所を綺麗にふきふきしてあげますからねぇ」
「なんだよその変態キャラ! ってか従者から下僕にグレードダウンしてるし! 謙遜しすぎるのは逆に失礼だぞ!」
「そんなことはどうでもいいんです! 天崎さんは私にすべてを委ねて、大船に乗ったつもりでふんぞり返っててください!」
「どんなプレイだ! お前はタオルだけ渡せばいいんだよ!」
「イヤです! 溢れたジュースを拭くのは店員の義務なんです!」
強引にタオルを股間へ押し付けようとするリベリアと、必死に抵抗する天崎の攻防が始まった。しかし相手は吸血鬼。股間はなんとか死守できていたが、力任せに振り解くことは不可能に近かった。
そんなこんなで数秒ほど膠着状態が続いた後、リベリアが泣きそうな声を上げた。
「もう! なんで拒否するんですか!?」
「そりゃ……」
恥ずかしいから。そう答えようとしたのだが、それではいつまで経っても埒が明かないのは明白だった。
だから少し攻め方を変えてみる。
恥ずかしいと言うよりも恥ずかしそうに顔を背けながら、天崎は決定打を口にした。
「お前、ここの店員だろ? 客は平等に扱わないといけないと思うからさ……他の奴に、そういうことやってほしくないんだよ」
言うやいなや、リベリアの手が止まった。
ただ、まったく反応がない。不思議に思い、ゆっくり顔を窺ってみると……彼女はボケッと大口を開けたまま放心しているようだった。
やがて天崎の言葉が脳内を浸透していったのだろう。リベリアは徐々に笑顔を取り戻していき、最終的には瞳を輝かせて弾かれるように背筋を伸ばした。
「はい! やめます!」
そして天崎にタオルを渡すと、宙に浮きそうなほど軽い足取りでビンゴ大会の方へと戻っていった。このあまり広いとも言えない店内で、スキップでもしそうな勢いだった。
解放された天崎は、どっと疲れたように肩を落とす。
「……言っちゃ悪いけど、扱い易いよなぁ。アイツ」
先ほどよりも露骨に上機嫌になったリベリアを、天崎は遠巻きに眺めながら静かに呟くのであった。
まだまだ雪が残る商店街を、天崎とリベリアは並んで歩いていた。
雪をさらって行く夜風は非常に冷たく、気温も氷点下近くまで下がっている。だが、吸血鬼と『完全なる雑種』にとっては大した寒さではないらしい。身震いすることもなく、普段通りの足取りでおののき荘へと向かっていた。
コスプレ喫茶『ファンタジースクエア』でのクリスマスイベントが終わった後、閉店までもう少し時間があったものの、天崎もいるということで、リベリアは少し早めにシフトを上がらせてもらったのだ。
「天崎さん。そういえば、店長とはどんなお話をされたんですか?」
「ああ。ヴラド三世に関することだったよ」
答えると、リベリアが目を剥いた。
言葉にせずとも、詳しく話せと訴えかけているのがありありと感じられた。
「なんでもヴラド三世の目的は、俺たちが出した結論で概ね間違いないだろうってさ」
「つまり天崎さんの身体を乗っ取って、『完全なる雑種』になることですか?」
「そう。で、店長さんが言うには『完全なる雑種』になった後、生前の続きを目論んでいるらしい」
「本人も支配だなんだのって言ってましたもんね」
「最後にアドバイスも貰ったな。『完全なる雑種』の血統をもっとよく知ること。それに頼りになる仲間を集めること、だってさ」
「……なるほど」
神妙に頷いたリベリアだったが、その表情はどことなく沈んでいた。
何かを言いかけ、しかし言葉が上手く出てこないのか、すぐに口を閉じてしまう。その仕草があまりにも妙だったため、ついつい天崎は問いただしてしまった。
「どうしたんだ?」
「いえ、その……私も天崎さんのこと守ってあげますよ! って宣言したかったんですけど、この前のことがありますからね。お荷物になるかもしれないって思うと、自信がなくなってしまって……」
しゅんと項垂れるリベリア。
だが天崎は、なんだそんなことかと笑い飛ばしたのだった。
「気にすんな。あんなの完全にイレギュラーだろ。怪我させるなって言った俺にも落ち度があるし。俺もただの人間相手に負けるつもりはないから、リベリアは力の強い人外とかの相手を頼むよ。頼りにしてるぞ」
天崎はリベリアに全幅の信頼を寄せている。その本心が伝わったのか、彼女は感無量とでも言いたげに目尻に涙を溜めながら、元気よく「はい!」と返事をしたのだった。
会話が途切れ、二人はそのまま帰路を歩いていく。
ふと思い出したかのようにリベリアが訊ねてきた。
「ところで天崎さん。昨夜はサンタさんのお手伝いをしてたんですよね? どうでしたか?」
「どうもこうも、普通に終わったよ。前に話した、『奪者』に襲われることもなかったしな。帰宅してからは寝不足で死にかけたけど」
「もしや、お駄賃として特大のプレゼントを貰っちゃったりとか!?」
「まあ一応、な……」
「えー、ずっるいですぅ」
羨ましそうに唇を尖らせられても反応に困ってしまう。
あの紙切れを、どう説明するべきか。月島は何か不可思議な効力でもあるんじゃないかと疑っていたが、真相は闇の中だ。メリークリスマスと書いてあった手前、たとえ魔法が掛けられていても今日限定のような気もするし。
まあ、ありのまま話すしかないか。と、思ったところで――、
リベリアの顔を見ると、何故か少し興奮気味のようだった。
「天崎さん。私、サンタさんからプレゼント貰っていないので天崎さんがくださいよ!」
「なんでだよ。俺はサンタじゃねえ」
「えー。でもプレゼント配ったんだから、今年限定のサンタクロースみたいなもんじゃないですか? 私だけのサンタクロースになってください!」
「…………」
私だけのサンタクロースという単語が絶妙に胸の内をくすぐって、危うく気持ち悪い笑顔を披露するところだった。
仕方ない、プレゼントくらいしてやるか。そう考えたところで、天崎は自嘲した。結局、扱いやすい上にチョロいのは自分も同じだったわけだ。
「分かったよ。で、何が欲しいんだ?」
「天崎さんが目を瞑ってくれれば、それで十分です」
「目?」
訳が分からず首を傾げたのだが、リベリアは「いいから、いいから」と瞼を閉じろのジェスチャーをしてくる。もちろん拒否する理由もない。立ち止まった天崎は、言われるがまま素直に目を閉じて――、
それと同時に、唇に柔らかい感触が当たった。
驚いた天崎は、ついつい目を開けてしまう。
目と鼻の先に、リベリアの長い睫毛があった。
「――――ッ!?」
柔らかくも熱い接触は、天崎から正常な思考を奪っていく。ほんの二秒にも満たない時間だったはずだが、異様に長く感じられた。
やがて唇を離したリベリアは、軽快な足取りで距離を取る。
子供のように無邪気な笑みを浮かべた彼女の頬は、ほんのり紅潮していた。
「えへへー。天崎さんからのプレゼント、貰っちゃいました」
まるで一生の宝物にしますとでも言いたげに、彼女は自らの唇に触れた。
それに対し、一方的にプレゼントを奪われた天崎はというと……突然のことに放心しながらも、行き場のない喜びを持て余しているようだった。照れ臭そうに顔を背け、ただただ頭を掻くのみ。
だが時間が経つのとともに、天崎は自分の身体に起こった異変に気づく。
口の中に、じんわりと血の味が広がっていったのだ。
「あっ、お前……」
「あちゃー、バレちゃいましたか」
唇を重ねる際、軽く牙を立てたのだろう。血が溢れるほどではないにしろ、唾液に赤色が混じっている。しかしそれ以上に、血の味を感じるまで噛まれたことに気づかないほど動揺していた自分に、天崎は驚いていた。
「吸血鬼化してヴラド三世が目覚めたらどうするんだ!」
「それくらいなら大丈夫ですよー」
そう言って舌を出したリベリアは、雲の開けた夜空へと飛び立っていった。
「あ、コラ、待て!」
どのみち帰る場所は同じなのだが、楽しそうに夜空を舞うリベリアの背中を、天崎は急いで追いかけるのであった。




