間 章 天崎東四郎の最高で最低な一日 その2
月島とは駅前で待ち合わせていた。
ただ、いつも利用している最寄りの駅ではない。隣町の駅周辺には大型のショッピングモールがあり、月島が観たいと言っていた映画はその中にある映画館で上映されるらしいのだ。
なら最寄駅から一緒に行けばいいんじゃないかと天崎は提案したのだが、知り合いに見られたら恥ずかしいからと、やんわりと拒否されてしまった。何を今さらと思うも、天崎は月島の意見を尊重したのだった。
雪のせいで電車が止まるということもなく、待ち合わせ時間通りに到着する。
未だ天候は悪く、積もった雪が溶ける様子もない。それでも人通りは多く、似たり寄ったりの防寒着を着込んだ人々が駅前から散っていく。
そのためバス停の端で佇んでいる月島に気づくのが、少し遅れてしまった。
左右に流れる通行人に気をつけながら、月島の元へゆっくり歩いていく。その途中で声を掛けようとしたのだが……ふと違和感を抱き、天崎は足を止めた。
しかし、その違和感は一瞬にして氷解する。
もしかして月島の私服を見るのって、これが初めて……か?
空美から借りたシャツやメイド服などの『制服以外の服装』は見たことがあっても、『月島の私服』は記憶にないような気がする。
そう意識するやいなや、一気に緊張してきた。
「あっ、天崎さん」
ぼんやり見惚れている間にも、向こうが気づいたようだ。
緊張していることを悟られまいと、天崎は小さく深呼吸をする。
「おう。悪いな、待たせちゃったみたいで」
「ううん、私も一つ前の電車で来たところだから」
お決まりの文句を言って、月島は白い息を吐きながらはにかんでみせた。
ゲレンデマジックほどではないにしろ、雪で彩った彼女は普段よりも何割か増しで可愛く見える。一方で天崎は、高鳴り続ける鼓動を適当な話題で隠すことが精一杯だった。
「ええっと、月島は寒くないか?」
我ながらバカみたいな質問だったなと、天崎は後悔した。
胸の凹凸が分からなくなるほどの分厚いピンクのコートに、革の厚いスノーブーツ。マフラーや手袋はもちろんのこと、頭の上にすっぽりと収まっているファーキャップには耳当てまで付いている。外部に露出している部分といえば、赤く染まった鼻を中心とした顔の周辺くらいだろう。つまりは完全防寒。寒いわけがない。
「ううん、全然平気だよ」
案の定、月島は寒さなど屁でもないといった感じだった。
「私よりも、天崎さんこそ寒くないの?」
月島の疑問は当然のものだ。
天崎はニットセーターの上にチェスターコートを羽織っているだけ。頭はもちろんのこと、手袋やマフラーなどの防寒具は一切身に着けていない。今にも雪が降りだしそうな気温とは思えない、かなりの軽装だ。
にもかかわらず、天崎は寒さに震えている様子はなかった。
「まあ、俺は『完全なる雑種』だからな。この程度の寒さなら、これくらいの服装で十分なんだよ」
「それって関係あるの?」
「あるある。一部の人外には『環境適応能力』ってのがあってだな……」
そう説明しながら、天崎は「行こう」と月島に促した。
雪が積もっている道を、二人は転ばないようにゆっくりと歩き出す。
「気温とか重力とか、その土地の環境に自然と身体が慣れるようになってるんだ。俺の場合、史上最大の寒波とか、素っ裸で外にでも出ない限り、あんまり寒いと感じないんだよ」
「へー、そうなんだ」
「ちなみに『環境適応能力』の中に『言語獲得能力』ってのがあってさ、旅行先の公用語を瞬時に覚えられる奴もいるみたいだぞ。俺は言語には疎いから、その辺の感覚はよく分からんけど……例えばリベリアなんて日本語ペラペラだろ? アイツ、街で会話してる人たちの言葉を聞き取って、即座に覚えたらしいぜ」
「え? リベリアさんって、日本語ペラペラだったんだ」
「ん?」
予想外の反応に、天崎は首を傾げた。
今の言い方だと、月島はリベリアと会話したことがないどころか、喋っているところを聞いたことすらないようにも捉えられるのだが。
いや、そんなはずはない。
怪訝な眼差しで見つめていると、月島は慌てて言い繕った。
「ほ、ほら。リベリアさんと会ったのはお姉ちゃんの方だから……」
「でもリベリアって学園祭に来てたよな? あの時は会わなかったのか?」
「私は会ってないかな。顔をちょこっと見ただけ」
意外や意外。まさか月島とリベリアに接点がなかったとは。
朝夕はおののき荘でリベリアと、昼間は学校で月島と会っていた天崎としては、まったく気づかなかった。
「あっ、えっと、天崎さん。そういえば昨日はサンタさんのお手伝いをしてたんだよね? どうだった?」
まるで次の話題に早く移りたいと言わんばかりに急かす月島。
天崎も特に気に留めないまま、昨夜の出来事を大まかに話した。
「昨日は何事もなく終わったよ。『奪者』の襲撃もなかったし、誰かがソリから落ちることもなかったしな。ああいや、途中から雪が降りだして、それはそれで大変だったかな。まあ、あいつらははしゃいでたけど」
「円ちゃんとミルミルちゃんも一緒だったんだっけ」
「そうそう。んで、お礼のつもりか知らんけど、今朝起きたら俺の所にもプレゼントが置いてあってさ……」
「えっ!? プレゼント!?」
言うやいなや、月島の瞳がキラキラと輝きだした。
まさかそんな反応をされると思わなかった天崎は、遠慮がちに付け加える。
「期待させといて悪いけど、実は箱の中には何も入ってなかったんだ。『メリークリスマス!』って書かれた紙切れ一枚だけだった」
「紙切れ?」
「これくらいの」
と言って、天崎は両手で紙切れの大きさを表現した。
月島が不思議そうに首を傾げるも、天崎としてもまったく同じ心境だった。メッセージが書かれただけの紙切れを、わざわざ包装する意図が分からない。期待させておいて落とすなら、あんなプレゼントはもらわない方がマシだった。
「他には何も入ってなかったの?」
「何もなかったぞ。何か入る余地もなかったし」
「他にメッセージとかは?」
「なかったよ。一応、隅々まで確認してみたけどな」
「炙り出しとか」
「……そこまでしてメッセージを隠す意味も意図も分かんねえよ」
というか、月島の食いつき方が異様だった。
手袋で顎を支え、真剣に悩んでいる。
「他には……例えば、その紙切れがとても高価な材質だったとか?」
「とてもそうには見えなかったけどな。だったら相応の現金でもいいし、換金するだけ手間がかかるし」
「じゃあ、その紙切れに不思議な魔法が掛けられていたとか!」
「魔法、か」
確かに宇宙人であるサンタクロースは、人知を超える能力を持っている。
空を飛ぶトナカイやプレゼントに変化する宝石など、数えだしたらキリがない。だからプレゼント箱に入っていたあの紙切れに、何かしらの特別な力が宿っていたとしても、天崎には否定できる根拠がなかった。
そして天崎が反論しなかったためか、月島がさらに調子に乗ってくる。
「やっぱりそうだよ! きっとその紙に何かあったんだよ!」
「仮に魔法が掛けられていたとして、月島はどんな効力があったと思う?」
「うーん……今日一日幸せになれる、とか?」
「なるほどなぁ」
ふと、ござるサンタが言っていたことを思い出した。
座敷童ほどではないものの、サンタクロースも特定の条件下で人間に対して幸運を分け与えることができるらしい。だから月島の指摘も、あながち間違っていないだろう。
「天崎さん、今日は何かいい事があるかもしれないね」
「だといいな」
天崎が柔らかく嘆息すると、月島はまるで自分のことのように微笑み返してくれた。
と、その時だった。
月島が一瞬にして視界から消えた。もちろん瞬間移動などで、この場から露と消えたわけではない。何の前触れもなく、月島の身体が地面に沈んだのだ。
「へっ?」
その理由は明白だった。
アスファルトの凍っている部分を踏んでしまったのである。足元の注意が疎かになっていた月島は、背中から地面へと落ちていった。
だが隣にいるのは普通の人間ではない。『完全なる雑種』だ。
「月島!」
持ち前の反射神経で、即座に月島の背中へと腕を回す。しかし前準備ができていなかったためか、あまりにもバランスが悪い。このままでは自分もろとも転倒してしまうだろう。
一瞬でそう判断した天崎は、あえて転ぶことを選んだ。
月島の身体を強引に抱き寄せ、自分が下になるよう全身を捻る。それ以上は体勢を整える余裕もなく、そのまま地面に肩を強打した。
「痛って!」
激痛が奔り、思わず声を上げてしまう。ただ苦痛に悶えたのは天崎だけだった。
目尻に涙が浮かび始めるも、天崎はまず月島の身を案じた。
「月島。大丈夫か?」
「うん。大丈夫……」
顔を上げた月島が固まった。
同様に、天崎もまた表情を強張らせる。
顔がとても近かった。それも当然だ。天崎は月島のクッションとなるべく、彼女の身体をできるだけ自分の方へと抱き寄せているのだから。
顎を引けば額が触れそうな近距離で、二人の視線が交差する。
だが、お互いの温もりを楽しめるほど長く密着してはいられなかった。
徐々に蘇ってくる聴覚が、二人の意識を現実へと引き戻す。
車道を行き来する車のエンジン音や、歩行者が雪を踏む足音など。そう、ここはそれなりに人通りのある公道なのだ。いつまでも寝そべってるわけにはいかない。
「えっと……月島さん? 先に立ち上がってくれませんか?」
「ふぇ?」
天崎が遠慮がちに言うと、月島はうっとりとした様子からようやく目が覚めたようだった。
「あわわわわ! ご、ごめん!」
取り乱した月島が慌てて立ち上がる。
天崎に手を貸した後、彼女は俯きがちに呟いた。
「あ、ありがとう」
「……おう」
今回ばかりは天崎の方も気の利いた言葉が出てこなかった。
お互い気恥ずかしそうに視線を彷徨わせたまま身を整える。結局その後ほとんど会話をすることなく、目的のショッピングモールへと到着した。
風除室で雪を落としながら、天崎が月島に訊ねる。
「今さらで悪いんだけど、何の映画を観るんだっけ?」
「コレ!」
今までとは打って変わって元気に飛び跳ねた月島が、入口にある映画宣伝用のポップを指で差した。それは悪の組織の罠によって主人公が子供になってしまった、漫画原作のアニメ映画だった。
「なるほどなぁ」
先ほどの月島とのやり取りを思い出し、天崎は一人納得していた。
サンタクロースから贈られたプレゼントの意図を探るような、あの振る舞い。名探偵が出てくる、このアニメの影響だったのか……。
「あっ、早くしないと始まっちゃう!」
雪で進行が遅れたためか、どうやら時間ギリギリになってしまった様子。
急かす月島に手を引かれながら、天崎はショッピングモール内の映画館へと向かった。
「…………んん?」
映画を観終わった後、館内から出て行く人の流れに乗りながら、天崎は首を傾げていた。
その隣で、未だ興奮冷めやらぬ月島が感想を捲し立ててくる。
「す、すごかったよね! まさか社長が犯人だったなんて……。でも最後、爆弾が仕掛けられたビルから脱出するところが一番見入っちゃったかな! 今でも心臓バクバクいってるよぉ。それにライバルの関西弁君もカッコよかったなぁ。危険を顧みず証拠を集めてる時なんて、息を吸うのも忘れちゃってたもん。やっぱり同じ名探偵同士、引き合うものがあるんだね」
「お、おう……」
月島の口から次々と飛び出てくる感想も、天崎の耳には届いていなかった。
原作の漫画はリベリアの部屋で一通り読んだものの、シリーズ化している映画を観たのはこれが初めてだった。だからこそ疑問を抱かざるを得ない。
日本刀でばっさばっさと人間を斬っていく犯人。爆破されるビルからの脱出。実現不可能そうな発明品を使って困難を乗り越えていく主人公。俺が観ていた映画は、本当に推理物だったのか? アクション映画だったんじゃないか? と。
まあ漫画と違って映画は画面映えこそが命だ。視聴者層も相まって、小難しい推理物にするよりも、アクションシーンを多く取り入れた方が客入りがいいのかもしれない。
そんなことを考えつつ、未だ余韻に浸っている月島の顔を眺める。
ふと、眼が合った。
「どうしたの?」
「あぁ、いや。……なんか月島、だいぶ変わったなと思って」
見つめていたことへの照れ隠しだったが、決して嘘ではなかった。
月島は、変わった。
「そ、そうかな?」
「おう。だいぶ明るくなったと思うぞ。昔に比べて……っていっても、まだ出会ってから三ヶ月も経ってないけど……視線もちゃんと合わせてくれるようになったし、おどおどすることも少なくなったしな」
出会った当初、月島は近いうちに死ぬつもりだった。今はもうその心配もないとはいえ、それを差し引いたとしても、彼女の変化は目を見張るものがあった。
ただ月島は、天崎の言葉をあまり好意的に捉えてはいないようだった。
映画の興奮はどこへやら。笑みを消し、ゆっくりと前を向く。
「そっか。まだ三ヶ月も経ってなかったっけ」
「……悪い。変わることが良いことばかりってわけじゃないもんな」
「ううん、そうじゃないよ。天崎さんに明るくなったって言われるのは、とても嬉しい。でも……」
そう言って、月島は自分の胸に手を当てた。
「私が変わったのは、きっとお姉ちゃんがいなくなったからだと思う」
「裕子なら守護霊として側にいるんだろ?」
「うん、いるよ。今も聞いてると思う。でも、前みたいに心の中で対話したりはできなくなっちゃったからさ」
天崎が出会う前の姉妹の関係性は大まかに耳にしていた。
二人の魂が絡み合っていた時期は、お互いが隣にいるような感覚で会話することができ、一つの身体を二人が自由に使えたのだという。
しかし姉はもういない。守護霊という概念になってしまった。
現在でも一日三十分を限度に身体を貸すことはできる。だが会話はおろか、書き置きや動画などがなければ意思疎通もできない。今はただ、妹のことを見守るだけの存在なのだ。
「だから、なのかな。私が変わったのは。お姉ちゃんがいなくても、しっかりしなくちゃって思ったから。いつまでも下を向いてたら、お姉ちゃんを心配させちゃうかもしれないから」
「……強いんだな、月島は」
「そんなことないよ」
とは言うものの、天崎はそうは思わなかった。
六年もの間ずっと側にいた姉を失った悲しみは、今の天崎には想像することもできない。にもかかわらず月島はしっかりと現実を受け入れ、この短期間で立ち直ろうとしている。強くないわけがないし、そんな彼女を天崎は心の底から称賛するのだった。
ふと、月島が俯いた。
前を向いて歩かないと危ないぞと注意しようとしたところ、彼女の口の端が動いていることに気づく。
「それに私が強くなったんだとしたら、たぶん天崎さんが隣にいるからだよ」
「ん? ごめん、聞こえなかった」
「ううん、なんでもない。ちょっとお手洗いに行ってくるね」
「お、おう」
返事をするやいなや、月島は小走りで行ってしまう。
その背中を見送った天崎は、少し心配になった。彼女の耳や頬が、映画を観る前よりもだいぶ赤くなっていたからだ。屋外との寒暖差もあるし、風邪でも引いてなきゃいいんだけど。
突っ立っていても仕方がないので、天崎は側にあるベンチへと腰を下ろした。
そのまま目の前を行き交う人々を意味もなく眺め始めたのだが……ふと見知った顔を見つけて、思わず声を上げてしまった。
「あっ!」
「うん?」
どうやら相手の方も天崎に気づいたようだ。スティックキャンディーを咥えた顔が、みるみるうちに嫌悪感を露わにしていく。
「こ、小林!?」
「だーかーらー! うちの名前は渡井小噺だっつーの! いい加減覚えろやボケッ!」
名前を間違えられた少女は、怒り任せに地団駄を踏んだ。
見知った顔とは、つい最近知り合った妖精コレクターの渡井小噺だった。
「お前……こんな所で何してるんだ?」
天崎が驚愕に満ちた顔になるのも無理はない。
先日のデュラハン騒動ではお互い敵同士だったし、幻覚に惑わされてターニャを奪われた後は、それきり音沙汰がなかったのだ。しかも彼女は妖精の『専門家』。こんな所で徘徊しているのを見ると、また何かの事件かと勘繰ってしまう。
しかし小噺の口から出た情報は、天崎が懸念するようなものではなかった。
「何って、女の子がクリスマスに一人で歩いてたらナンパ待ちに決まってるでしょ? あーもう! こんな女心の分からない輩ばかりだから、昨日からまったく声が掛からないのかも知れないわね!」
「決まってるのか……」
しかも二日目らしかった。
「つーか、そんな恰好で?」
ナンパ待ちらしい小噺は、天崎の高校のセーラー服を身に纏っていた。
厚めのカーディガンを上に羽織っているものの、太ももががっつり見えるほどスカートを短くしており、ローファーの相棒は今どき滅多に見ることのないルーズソックスである。見ているこっちが寒くなる服装だ。
ただ小噺は天崎の指摘を好意的に受け取ったようだ。
自分の姿を一通り見回した後、何故か得意げに笑ってみせた。
「ふふん。どお? いいでしょ、これ。この前『調査員』から支給された制服よ。捨てるのももったいないから、たまにこうやって私服で着てるんだ」
そう言って、小噺は見せつけるように一回転した。
普段の生活で女子のセーラー服姿を見慣れている天崎にとっては、別に何の感動もない。だが少々気まずくなり、露骨に視線を逸らす。回転した際にひらりと舞ったスカートから、危うく中身が見えそうだったからだ。
「いやいや、ナンパされたいんだったら制服は逆効果だろ」
「えー、そっかなぁ? でもセーラー服ってだけでプレミア感出ない?」
「だからだよ。昨今は世間の目も厳しいからな。未成年なんていう見えてる地雷を踏むような輩は少ないと思うぞ」
「そっかぁ……」
天崎の忠告に異論はなかったのだろう。素直に聞き入れた小噺が肩を落とした。
その仕草を目の当たりにして、天崎は小噺の評価を改める。
妖精コレクターなどという特殊な肩書きを持ってはいるものの、その実態はどこにでもいる普通の女の子なのだ。住む世界は違えど、蓋を開けてみれば自分と大差ないのである。
だから一度敵同士だったことがあるだけで敬遠する必要はないなと、天崎は思った。
ただ、そんなことはどうでもよくて。
天崎としては、どうしても訊ねなければならないことがあった。
「小噺はあれからどうしたんだ? ほら、俺からターニャを奪ってった後はさ」
「だーもう、思い出させないでよ! あの後マジで大変だったんだから!」
問うと、小噺がヒステリックな叫び声を上げた。まるで墓まで持って行くつもりだった醜態を、無理やりほじくり返されたような取り乱し方だった。
「元『調査員』だっていう変態に眠らされるし、目が覚めたら全部終わってたし、他の『調査員』からは無能扱いされるし、協会からは報告書という名の始末書を提出しろって催促されるし、あーもー思い出しただけでも腹立つわぁ!!」
「ご愁傷様。つっても、首を斬られた俺よりはマシだろ」
「降りかかってくる責任の重さが全然違う!」
天崎には考えの及ばぬ領域があるようだ。触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに、それ以上の追及は控えておいた。
「何はともあれ、無事でよかったよ」
「ふぅん? 心配してくれるんだ」
「一応はな」
自分を『調査員』だと偽った戸塚は、ターニャの手やリベリアの首を躊躇いなく切断できる残虐性を備えていた。ターニャを抱えたまま接触していたんだとしたら、それこそ殺されていても不思議ではなかっただろう。
心配したのは嘘ではない。ただ今の今まで彼女の存在を忘れていただけで。
そんなことをバカ正直に言うわけにもいかず、天崎は目を逸らした。
すると小噺は不敵な笑みを浮かべて、ゆっくりと近づいてくる。
「そっかそっか。心配してくれたんだぁ」
「な、なんだよ」
「他に引っかけられそうな男もいないし、うちは別にあんたでもいいんだけど?」
「はあ!?」
ベンチから強引に天崎を立たせた小噺は、まるで長年連れ添った恋人同士のように、自然な動作で腕を組んできた。
「よく見たらなかなか顔も整ってるし、全然及第点よね。なんか奢ってくれたら、ちょっとくらいサービスしてあげてもいいけど。どうする?」
「いやいやいやいや、待て待て待て待て」
小悪魔的に誘惑してくる小噺に対し、天崎は身を引くように仰け反った。
引き剥がすだけなら簡単だ。しかし肩だろうが背中だろうが、こちらから触ったらイチャモンをつけられそうだから困る。もしセクハラかなんかで訴えられたら、自己弁護できる自身がない。
ただ小噺からはすぐに離れるべきだと、天崎の鼻腔が思い出した。
ほんのり漂ってくるストロベリーの香り。そういえばコイツ、妖精の鱗粉を香水代わりに使って、匂いを嗅がせた相手に幻覚を魅せてくるんだった。
こんな場所で幻覚にかけられたらたまったもんじゃない。
多少の文句は言われる覚悟で、無理やりにでも離れようとしたのだが……。
「あ、天崎さん? その人は……?」
ちょうどお手洗いから戻ってきた月島に、現場を目撃されてしまった。
「つ、月島!? あ、いや、これは別にそんなんじゃなくて……」
しどろもどろになる天崎。
状況が把握できず、呆然と突っ立ったままの月島。
そんな二人を交互に見比べた小噺は、目頭を押さえて天井を仰いだ。
「なーんだ、女持ちだったのね。なら最初にそう言えや!」
「痛った!」
あっさりと解放するやいなや、怒り任せに天崎の膝小僧へと蹴りを入れた。
そのまま軽快なステップで距離を取る。
「んじゃ、また縁があったら会いましょう。バイビー」
悶絶する天崎を尻目に、小噺はさっさと去っていった。
蹴られた膝をさすりながら、天崎はその背中を恨みがましげに睨みつける。
「ったく、なんだったんだアイツ……」
「あーまーざーきーさーん?」
「――――ッ!?」
一度も耳にしたことのない声に驚き、慌てて後ろを振り向く。
どす黒いオーラを背負った月島が、泣く子も黙る笑顔を張りつけていた。
「えーっと、これには訳があってだな……」
「少し、お茶でもしましょうか」
「は……はい。是非ともお供させていただきます」
無論、逆らえるはずもない。
月島のあんな声を聞いたのは初めてなのだ。怒りの底を窺い知ることができず、今の天崎には従順に従う以外の選択肢などなかった。
気まずい雰囲気のまま、二人は一階のフードコートへと向かった。
冬休みともあってか、小学生くらいの子供を連れた家族が目立つ。とはいえ現在は午後三時を過ぎた頃なので、混雑しているというほどでもなかった。
天崎と月島は、各自ドリンクを買って適当なテーブルに腰を下ろす。
冷静を装ってはいるものの、天崎は内心ヒヤヒヤだった。
月島が怒っているのは間違いない。けど、それがどの程度なのかは、まったく計り知ることができない。だって前例がないのだ。謝るのは当然として、何て言えばいい? どんな感じで頭を下げればいい? 選択を間違ったら、さらに悪化するような気がする。というか、へそを曲げた女の子のご機嫌取りなんて円くらいしか経験がない。そんな子供だましで月島が納得するとは思えないし……マジでどうすりゃいいんだ? 教えてくれ安藤! 助けてくれ犬飼!
二人の間に会話はなかったが、天崎の頭の中は大騒ぎだった。
そして無言のまま数分が過ぎた頃。
俯いていた月島が、ぽつりと呟いた。
「天崎さんって、やっぱりモテるんだね」
「ん~……そんなことはないと思うぞ。今まで付き合った女の子なんていないからなぁ」
「えっ、本当?」
月島が弾かれたように頭を上げる。
とても意外そうな顔をしていた。
「本当だよ。まったく女の子と縁がないって言ったら嘘になるけど、そういう関係の人は今まで一度もいなかったな」
「天崎さんが好きになった女の子とかは?」
「小学校中学校にはいたかな。けど片思いで終わっちまった。高校も別だし、卒業してからは顔も見てないよ」
「えっと、その……高校生に上がって、たとえば一年生の時とか……」
「いない。これは断言できる。あと、俺ってあんまり一目惚れしないタイプなんだよな。その女性の人となりを時間をかけて知っていって、徐々に好きになっていくタイプ。だから一年ちょっと一緒にいたからって、あんまり気持ちは動かないんだよ」
「へー、そうなんだ」
月島の口元が少しだけ緩んだように見えた。
しかし次の瞬間には、猜疑心を孕んだ目つきで睨んでくる。
「でも天崎さんって、割と見ず知らずの人を積極的に助けようとするよね。私の時も出会ったばかりだったし」
「それは恋愛感情とは別物だぞ。男だろうが女だろうが関係ない。困ってる人に手を差し伸べるのは当然だろ?」
「それはそうだけど……じゃあ天崎さんは、これからも誰かを助け続けるんだ」
「もちろん」
天崎は自信を持って頷いた。
目の前で困っている人がいたら無視できない。天崎はそういう性分なのだ。
ただ月島は、天崎の行動理念や性格を非難しているわけではないらしい。どちらかといえば落胆だ。「そっかぁ」と呟き、目を伏せてしまった。
その様子を見て、天崎は少しだけ焦った。
月島が自分に好意を寄せてることは気づいている。だから今まで付き合った女性がいないと知って喜ぶのは分かるものの、そこから一転、目に見えて落ち込んだのは何故なのか。
自分は天崎が助けた数いるうちの一人でしかないと知らしめられたから? それとも一目惚れはしないと断言したから? いやいや、いくら月島でも天崎が自分に惚れたからこそ命を救ってくれたとは思っていないだろう。
女の子のご機嫌取りは難しいなぁ。などと思いながら、月島の額の辺りを見つめていると……不意に頭を上げた彼女と目が合った。
居住まいを正し、天崎の顔をまっすぐと見据えてくる。
「天崎さん。えっと、その……一つ聞いてください」
「どうした? 急にかしこまって」
「私は天崎さんが好きです」
ゆっくりと紡ぎ出された言葉は、一言一句、淀みなく天崎の耳に入っていった。
だが理解には至らない。あまりに唐突すぎて、月島の言葉は頭の中でぐるぐる回ったまま、本来あるべき場所へ収まってくれなかった。
「えっと……」
考えるよりも先に口が開いたが、気の利いた返答は出てこなかった。
そのまま見つめ合うこと数秒、ようやく何を言われたのか理解が及ぶ。
もしかして今、月島から告白されたのか? こんな場所、こんなタイミングで?
そう実感するやいなや、急に動悸が激しくなってきた。
なんにせよ、早く返事をしなければと思うも、口の中が渇いて上手く声が出せない。結局、次の言葉は月島に先を越されてしまった。
「でも、さっきも言ったように、天崎さんと出会ってまだ三ヶ月も経っていないし、お互いのこともまだよく分かってないから……だから……」
言葉を切り、息を呑む。
そして月島は、自らの決意を天崎の前に示した。
「半年後か一年後に、また同じことを言います。その時に返事をください」
三ヶ月。たった三ヶ月だ。
出会ったばかりのおどおどした月島は、見違えるほど成長していた。
力強い眼差し。
迷いのない精悍な顔つき。
勇気を振り絞った彼女の覚悟を、茶化したりできるはずもない。
だから天崎も、月島の気持ちを真正面から受け止めた。
「分かった」
表情を引き締めて、天崎は重々しく頷く。
月島もまた、ほんの少しだけ頬を緩ませながら「ありがとう」と顎を引いた。
それからしばらく無言の時間が続いた。二人とも自分の飲み物に焦点を合わせたまま、一向に口を開こうとしない。というより、この状況で自然と次の話題へ繋げる会話術など、どちらも持ち合わせてはいなかった。
時間が経つにつれて、天崎は徐々に冷静さを取り戻していく。
逆に月島の方は、自分の言葉をゆっくり反芻する猶予があったが故に、事の深刻さを自覚できたようだ。みるみるうちに顔が赤くなっていく。
そして羞恥心が限界を突破したのだろう。月島が唐突に立ち上がった。
「ご、ごめん。ちょっとお手洗い行ってくるね!」
また? と危うく言いかけたが、なんとか思いとどまることができた。
「あ、ああ」
了承すると、月島は全力ダッシュでトイレの方へと走って行った。
その背中を見送った後、緊張を解いた天崎の全身から気が抜けた。
「あー……びっくりした」
漏れた感想はそれだけだったが、心の内では様々な感情が渦巻いていた。
頬を抓ってみるも、どうやら夢ではないみたいだ。自分は今、同級生から告白を受けたらしい。心構えができていなかったため困惑もあるが、やっぱり一番大きく心に浮かんだ感情は喜びだった。ついつい頬が緩んでしまう。
にやけ面がキモい感じになっていないか心配だ。月島が戻ってくるまでに治そうと、両手で表情筋をほぐそうとしたのだが……全速力でこちらへ向かって走ってくる女の子に気づいた。
「え? 月……島……?」
そのはずなのだが、どうも様子がおかしい。
先ほどまでの精悍な顔つきや恥じらいの表情はどこへやら。その顔には般若の如き強面が張りつけられ、天崎に狙いを定めている。
さらに運動音痴な月島には似つかわしくないスプリンターのフォーム。
まさか! と思って腰を浮かせた天崎だったが、すでに遅かった。
「天崎いいいいぃぃぃ!!!」
すぐ目の前まで迫ってきた月島が跳躍した。両脚を天崎の方へ向けると、ダッシュの勢いに乗ったまま渾身の蹴りを繰り出してくる。捨て身のドロップキックだ。
「ぐげがっ!」
月島の両足が下腹部へクリティカルヒットした天崎は、周囲のテーブルを巻き込みながら大転倒を披露することとなった。近場に他の客がいなくて良かったと思う暇もなく、即座に胸倉を掴まれる。
怒る月島の目を見て、天崎は確信した。
「お前、裕子だろ!?」
「そうだけど、今はそんなことはどうでもいい! さっきのはどういう了見だ!?」
裕子はひどく興奮していた。
さっきのはと急に言われても、心当たりが多すぎて返事に窮してしまう。
「洋子の告白に対する答えに決まってるだろ! 『半年後にまた同じことを言うから、その時に返事をください』に対して『分かった』だって!? ふざけるな! そこは黙って抱きしめてやるのが男ってものだろう!」
「んなことできるかぁ! 俺だってテンパってたんだから仕方ないだろ! っていうか、妹のプライベートにいちいち首を突っ込んでくるんじゃねーよ! 月島が決めたことはしっかりと尊重してやれ!」
「そんなことは百も承知! これは私の個人的な感情だ! 天崎君の曖昧な態度が許せん!」
「死人が個人的な感情で出てくるって、それもう悪霊の類だよな……」
さすがにドン引きしてしまった。
天崎の抵抗が弱くなったためか、裕子の興奮も次第に治まっていく。
「洋子がいきなり告白したのも、おそらく今後も自分みたいな女の子が増えることを危惧したからだろうな。頼むから、これ以上ヒロインを増やさないでくれ!」
「無茶言うな。俺は俺の考えを曲げるつもりはねえよ」
「ま、洋子も君のそういうところに惚れたんだろうけど……とにかく!」
胸倉を解放した裕子は、天崎の顔へ人差し指を突き付けた。
「次に会う時までに『はい』か『イエス』の答えを用意しておいてくれよ! 私は帰る!」
「どっちも同じじゃねえか! っていうか、帰るってなんだよ。勝手なことしたら月島に怒られるぞ?」
「いいや、これは洋子から頼まれたんだ。『お姉ちゃん代わって! 天崎さんに一言挨拶してからもう帰ろう!』ってトイレの中で叫ばれてな。姉としては聞かないわけにはいかんよ」
「それなら別にいいんだけどさ……」
恥ずかしくて顔を合わせたくない程度なら分からないでもないが、事後処理を姉に頼るほどなのか。さっきの告白は本当に勢い任せだったんだなぁと、天崎は改めて思い知らされたのだった。
「いいか? くれぐれも私の可愛い妹を悲しませないでくれよ?」
凄んでくる裕子から視線を逸らしたまま、天崎は何も言い返すことができなかった。
満足いかないまでも、今日のところは勘弁してくれるみたいだ。踵を返した裕子は、大股でフードコートから去っていく。
「……とんだ災難だ」
ドロップキックを受けた姿勢のまま、床に尻もちをつけながら、天崎は深いため息とともにボソッと呟いたのだった。




