第4章 一年前の話 その3
上空から降って来たトナカイの着ぐるみを前に、天崎は呆然と立ち尽くしていた。
赤い鼻に、つぶらな瞳。頭の上には立派な角が生えているものの、どう解釈したところで本物のトナカイではない。四頭身にも満たないフォルムで、赤と白のマントを羽織りながら二足歩行をするその姿は、どこぞのテーマパークや球団のマスコットにしか見えなかった。暗くてよく確認できないが、おそらく体毛は毛糸でできていることだろう。
トナカイの外見をゆっくりと観察する時間はあったが、天崎は未だに状況を呑み込めないでいた。
円に襲い掛かった『奪者』の集合体。
空から降ってきたトナカイの着ぐるみ。
さらに彼(?)は天崎の方を一瞥することもなく、着地点から一歩も動かないまま、何かを警戒するように周囲を見回し始めたのだ。
そもそも敵なのか味方なのか。いや、トナカイなのだから味方には間違いないのだろうが、当のトナカイ本人が何も言わないため、天崎も確信が持てなかった。今はただ、トナカイの行動に注意を向けるばかり。
すると突然、トナカイが動いた。
天崎へ目配せしながら、急にグランドの中心へと走り出す。しかも『こっちへ来い!』とでも言わんばかりに、前脚を大きく振って。
「ったく、なんだってんだよ!?」
喚き散らすも、ここはトナカイの指示に従うほかない。
まずはベンチにいる円を抱き上げ、それからトナカイの背中を追う。
そこで気づいた。気づいてしまった。
得体の知れない気配が、四方からゆっくりと近づいてきていることを。
「あっ!」
円が驚きの声を上げたことで、予感は確信へと変わった。
その気配の正体は、無数に折り重なった『奪者』の塊だった。
「そういうことか!」
トナカイが来いという仕草をした理由を理解し、天崎は毒づいた。
まるで津波のように押し寄せてくる『奪者』の群れから逃げるため、天崎は走る速度を加速させる。トナカイの指示に従わず、あのまま突っ立っていたらヤバかった。彼らが座っていたベンチは、すでに『奪者』に呑み込まれてしまっていた。
つづいて正面を向いたところで、天崎の顔から血の気が引く。『奪者』の大群が視界いっぱいに広がっていたのだ。グランドの内側へ走ったところで逃げ場はない。
「おい、トナカイ! ここからどうするんだ!?」
絶体絶命な状況の中、天崎が前方を行くトナカイに助けを求めた、その瞬間――、
グランドの中心で立ち止まったトナカイから、眩い光が放たれる。
「はっ!?」
まさか光で『奪者』を撃退するのか?
と思ったが、どうやら違ったようだ。一時的に足止めできているものの、『奪者』の数が減っている様子はない。
次第に光が収まっていく。
再び現れたトナカイの姿を見て、天崎は驚きのあまり目を見開いた。
そこに立っていたのは着ぐるみではなく、紛うことなき本物のトナカイだったのだ。
つぶらな瞳は鋭く尖り、雄々しい角を掲げ、悠然とした佇まいで蹄を鳴らしている。ただ一つ、赤い鼻だけは何故かそのままだったが。
そんな劇的な変身を遂げたトナカイが、天崎と円を睨みつけた。
『坊主! 早く乗れ!』
突然、頭の中に渋い声が響いた。
混乱を極めた天崎は、片耳を塞ぎながら周囲を見回す。
「っんなんだよ、この声は!?」
『いいからこっちへ来い!』
まさか、あのトナカイのテレパシーなのか?
一瞬で判断した天崎は、無我夢中でトナカイの元へと駆け出した。
トナカイの後方には、変身の際に一緒に出現したソリが繋がっていた。いや、ソリというよりは荷台と呼んだ方が的確な、ただの大きな木製の箱だ。だがなんであろうと天崎は構わず、その中へダイブする。
『振り落とされんなよ!』
頭の中に声が響くのと同時に、トナカイが四本の足で地面を蹴った。
たった数歩の助走を経て、まるで視えない上り坂でも上っているかのように、ソリが宙へと浮き始める。
「う、浮いたッ!?」
『坊主! 悪いが手綱を取ってくれ! このままじゃ乗り心地が悪いだろ!?』
良いか悪いかといえば、かなり悪い。変な横揺れが発生しているし、離陸中なので姿勢が安定させられない。シートベルトでもしなければ、簡単に転げ落ちてしまうだろう。
だからといって、手綱を握っただけでどうにかなるものなのか? と思いつつも、天崎は言われるがままトナカイと繋がっている紐を握りしめた。
すると突然、ソリの揺れが止まった。未だソリ全体が傾いているにもかかわらず、まるで水平な道路を走る車のような安定感が生まれる。何故か風の影響も受けなくなった。
『へぇ、上手いじゃねえか、坊主! サンタの素質があるんじゃねえの!?』
「冗談言ってる場合じゃないだろ……」
呆れた返答をしつつも、天崎は地上を見下ろした。
ほんの十数秒前まで自分たちがいた公園は、完全に『奪者』の群れに呑み込まれていた。夜の闇に紛れているものの、膨大な数の何かが蠢いているのが分かる。たとえ『奪者』そのものに害はなくとも、その圧倒的な質量に圧し潰されてはひとたまりもない。
やがて空に逃げた天崎たちには追いつけないと判断したのだろう。『奪者』たちは潮が引くように退散していき、数秒後には何事もなかったように静寂が訪れる。
一通り『奪者』の動きを観察していた天崎は、ソリの中で脱力した。
「今の、なんだったんだよ……」
『分からねえ。小さな『奪者』が固まって大きく見せたり、夜間には異様に動きの速い奴もいるけどな。人間を襲ったり、あんな膨大な数の『奪者』が押し寄せるなんて、見たことも聞いたこともねえ。坊主と嬢ちゃん、何か『奪者』の恨みでも買うようなことしたかい?』
「するかよ」
肩を落とした天崎は、吐き捨てるように呟いた。
ふと気づき、前を走るトナカイへと問いかける。
「ってか、今まで普通に会話してたけど、この声はあんたなんだよな?」
『おうよ。着ぐるみ状態じゃあ話すことはできねえが、元の姿ならこうやってテレパシーで意思疎通できるぜ』
「じゃあ何のために着ぐるみになってたんだ?」
『ありゃただの擬態だ。街中にトナカイがいたら、みんなビックリしちまうだろ?』
「……それもそうか」
着ぐるみでも職質くらいはされそうだが。
ソリの中は安全だと判断した天崎は、抱えていた円を解放する。どうやら御者が手綱を握っている間は、ソリは安定を保てるようだった。
星が瞬く夜空を旋回し続けるトナカイに向けて、天崎は声を掛ける。
「そういえば、あんたは風俗サンタの相棒でいいんだよな?」
『風俗サンタ? ……あぁ、ござるサンタのことか。その問いに関しては、一応イエスと答えておくぜ。俺はあいつと長年コンビを組んでるからな』
「なんで突然いなくなったんだよ」
責めるような口調になってしまうのも、無理のないことだった。
サンタが仕事をサボっていたのが原因とはいえ、トナカイがいなくならなければ、天崎たちが『奪者』退治なんてしなくても済んだのだから。
しかしトナカイはというと、まるで自分は悪くないと言いたげに睨みを利かせた。
『ああ? お前、あのござるサンタから聞いてないのか? 俺だって離れたくて離れたわけじゃねえよ。あいつが仕事そっちのけで女遊びしてたから、さっさと見切りつけて対策を練ってたんだ』
「対策?」
『そうだ。もうすぐ来る……んん?』
肩越しに振り返っていたトナカイの視線が、地上に広がる夜の街並みへと移った。
それに釣られて、天崎もまたソリの端から下を覗き見る。はっきり視認することはできないが、住宅に囲まれた狭い路上で、誰かがこちらに向けて手を振っているようだった。
『チッ。あのござるサンタ、あんな所にいたのか』
「迎えに行くのか?」
『見た限り、あいつの周りに『奪者』はいねえ。さっさと回収してまた空に逃げるぞ』
言うが早く、トナカイは地上へ向かって走っていく。
近づくにつれ、サンタの声が耳に届いてきた。
「おーい! こっち、こっちでござる!」
年甲斐もなくぴょんぴょんと飛び跳ねて、自らの存在をアピールするサンタ。しかしトナカイは停止する気がないようだった。
減速はしたものの、地面すれすれまで接近すると、即座にまた空へと昇っていく。サンタがいる地点を原点とした、放物線を描くような軌道だった。
「おおい!?」
トナカイの思惑を悟ったサンタが、慌ててソリの縁にしがみついた。
再び空へ向かっていく途中、重たそうな身体を必死こいてソリの中へと滑り込ませる。その間にも、もし落ちたら決して助かりそうにない高度まで上昇していた。
『へぇ、やるじゃねえか』
「この赤っ鼻! なんで停まらないんでござるか!?」
口元を緩めるトナカイに対し、サンタは息も絶え絶えになりながら罵声を浴びせた。
だが安心するのは、まだ早い。
サンタの脳天に天崎の鉄槌が落ちる。
「な、なんでいきなり殴るんでござるか、天崎殿! 痛いではござらんか!」
「うるせえ! こっちはそれ以上に危ない状況だったんじゃい!」
サンタに涙目で訴えられるも、天崎も退くつもりはなかった。
『奪者』は危害を加えてくることはないという嘘っぱちのせいで、危うくミンチになるところだったのだ。げんこつ一発で責任が取れるなら安いものである。
だがサンタも譲るつもりはないようだ。
殴られた頭を撫でながら、弁明を始めた。
「拙者も気配を感じていたでござるが、あんなに大量の『奪者』が集まるなんてことは今まで一度もなかったでござる。いったい何が起きてるんでござるか!?」
「それを訊きたいのはこっちだよ!」
『無駄だぜ、坊主。そいつを叩いても何も出やしないさ。本当にこんなことは過去に一度もなかったんだ。『奪者』の駆除をサボってたからとかじゃねえ。前代未聞の異常事態だぜ』
「だったら、その異常事態が起こった原因はなんだよ……」
半分くらい泣きそうな声でサンタを問いただそうとした……その時だ。
突然、背筋に得体の知れない悪寒が奔る。
そして――、
『ミツケタ』
泡沫が割れるような濁った音が、天崎の耳に這入ってきた。
慌てて振り返る。想像だにしていなかった光景を前にして、天崎は絶句した。
「な……に……?」
目の前には巨大な山があった。
いや、いくら夜の帳が下りていようと見間違えるはずはない。その山は、無数の小さな『奪者』が積み重なってできた生き物の塔だった。
『しっかり掴まれ! 上へ逃げるぞ!』
真っ先に我に返ったトナカイが叫ぶ。刹那、ソリがほぼ垂直に傾いた。
ただ真下に落下するということはない。重力に引っ張られる感覚はあるものの、ソリにへばりつくことは簡単だった。
『ミツケタ。ミツケタ。ミツケタ』
先ほどよりも興奮した音を発する『奪者』の塔が、天崎たちが乗るソリへ触手を伸ばす。その様子は、まるで金属に引き寄せられる砂鉄のようだ。常に形状を変えながら、ソリを丸ごと呑み込もうとする。
追いつかれるか? それとも逃げ切れるか?
捕まるかどうかの瀬戸際、迫り来る『奪者』の触手がソリの下辺に触れた。それと同時に、ソリ全体が大きく傾く。
「あっ!」
円の小さな手では、その揺れに耐えることはできなかった。
弾き飛ばされた円の身体が、真っ逆さまに落ちていく。
「円!」
天崎に迷いはなかった。
ソリの外側へ放り出された円に向かって、自らも飛び降りる。床を蹴って初速をつけたためか、彼女の元にはすぐに追いついた。
円を胸元へと抱き寄せた天崎は、そのまま自分が下になるように回転する。
反射的に飛び出してしまったが、これからどうする? このまま地面に到達するまで待つしかないのか? それとも『奪者』の群れに圧し潰されるのか? 円を守ることはできるのか?
スローモーションになった思考の中で、様々な考えが頭を過っていく。
だがしかし、着地は意外と早く訪れた。
落下速度が致命傷に達するよりも先に、右肩が何かに衝突する。
「痛った!」
まともな受け身も取れず、天崎は思わず悲鳴を上げてしまった。
ただ音と感触から、そこがアスファルトや土の地面、また『奪者』のような謎の生命体の上ではないことが分かった。おそらく木製の床だ。
「女の子を助けるために飛び降りるなんて、やるじゃないか少年」
聞いたことのない声を耳にし、痛みで涙が浮かび始める目を見開く。
天崎たちが落下した場所は、先ほどと同じくサンタのソリの中だった。
しかし手綱を握っている人物が違った。赤と白を基調とした三角帽子と防寒着は同じだが、ござるサンタに比べてだいぶ細身であり、それでいて血気の良い顔色をしていた。
「あんたは……」
「僕だけじゃないよ。みんな来てる」
天崎が何か言いかけると、細いサンタは夜空を大きく指でなぞった。
顔を上げ、その指先の動きを目で追う。いつの間にか『奪者』の山から離れており、その周りを何隻ものソリが取り囲んでいることに気づいた。十や二十では足りない数だ。
「この地域を担当するサンタのトナカイがさ、俺の相棒はクズでサボり魔だから手伝ってくれって泣き付いてきたんだよ。それで自分の仕事が終わったサンタから、順々に集まってきてくれたのさ」
「だからトナカイがいなくなったのか……」
「さあ、見てみな。あれだけのサンタが集まれば、『奪者』の掃討なんて一瞬さ。しかも一ヶ所に集まってくれてるから、やりやすいことこの上ないね」
細いサンタが得意げに笑った、その時だった。
どのソリを襲うべきか右往左往していた『奪者』の塊が、突如として動きを止める。まるで自らの死期を悟った動物のように天を仰いだ。
それもそのはず。『奪者』の頭上には、多くのソリから放たれた稲妻のような光が一ヶ所に集結していたのだ。
そして光り輝くエネルギーの塊が落雷となって降り注ぐのとともに、『奪者』の群れは一瞬にして浄化されたのだった。




