プロローグ
十二月二十二日。午前九時。多くの学校が明日からの冬休みを控えたこの日、天崎の高校も例に漏れず体育館で終業式が行われていた。
千人弱の生徒たちが整列する中、舞台の上から校長が挨拶を始める。毎度毎度、この無駄に長ったらしい話にはどのような意図があるのか、聴覚を遮断させた天崎は暇つぶしに考えてみる。長話に耐えさせるための訓練なのか、はたまたただの嫌がらせなのか。もちろん、本気でそう思っているわけではないが。
結局、大人には大人の考え方があるのだろうという投げやりな回答を導き出した後、意識をも遮断して長話を乗り切るのが恒例だった。
そして無駄な時間を意味もなく耐え抜いた後、各クラスが順番に教室へと戻り始める。
大掃除が終われば、担任から通知表の受け渡し。恐る恐る確認した天崎だったが、『1』がなかったので良しとしておいた。
「月島は成績どうだった?」
「えっ? 私!?」
なんとなしに訊ねたのだが、月島は肩を大きく揺らすほど動揺していた。
あ、ついつい男友達のノリで訊いちまった。と後悔した天崎だったが、今さら質問を取り消すわけにもいかず、苦笑いしたまま月島の返答を待つ。すると彼女は、まるで通知表を奪われることを恐れるかのように強く握りしめ、あたふたしながら答えた。
「えっと……その、私は転校生だから、あまり参考にならないかな」
「そういえばそうだったな」
けっこうクラスにも馴染んでいたので、彼女が転校生であることをついつい忘れてしまっていた。
ただ、月島ってそれなりに勉強できる方じゃなかったっけ? そう疑問に思い、すぐに思い出す。初日に授業内容を教えてくれたのは、確か姉の裕子の方だった。
「成績っていうと、安藤さんの通知表は凄そうだよね」
急いで通知表をカバンにしまった月島が、矛先を変えてきた。
「安藤? いやいや、全然ダメだ。あいつこそ参考にならないよ。理系科目は全部『5』で、後は『3』か『4』に抑えてるって言ってたしな。一学期の時に俺も見たけど、普通の成績だったよ」
「へー、なんだか意外だね」
「なんでも、あまり成績良くして目立つのを防ぐためだってさ。本気出せば全国模試でも軽く満点取れる頭があるってのに、まったく嫌味にしかならんよな」
とは言っても、有史以前から生きている安藤の中身は、今年で何万歳……もしかしたら億にも届くかもしれない年齢なのだ。嫉妬する対象のスケールが大きすぎて、あまり実感が湧かないのも事実だった。
クラスメイト全員の手に通知表が行き渡った後、担任から冬休み中の過ごし方に関する注意があり、ようやく解放されることになった。午前十一時。これにて今年最後の授業は終わり、明日から冬休みである。
教室内が喧騒で埋もれる中、天崎も周りに倣って大きく背筋を伸ばす。
すると月島が遠慮がちに話しかけてきた。
「あっ、天崎さん……」
「ん?」
「えっと、その……ちょっと話があるんだけど……」
そう言いつつも、彼女は口ごもってしまう。視線は床に投げ出され、組んだ両手の指は変な動きを繰り返していた。いや、これはいつものことなのだが。
そう。いつものことなので、月島の次の発言を根気強く待つ。
しかし決意を固めた彼女の言葉は、天崎に届くことはなかった。
「天崎!」
なぜなら、いきなり大声で名前を呼ばれたからだ。
突然のことに驚きつつも顔を上げる。教室前側の扉付近で、担任がこちらを向いていた。
「ちょっと話があるから、今から職員室に来い」
「話、ですか?」
問い返すも、担任は「待ってるぞ」とだけ言って去っていった。乱暴だなと思いながらも、無視するわけにもいかない。
面倒くさいという本音を舌打ちとして表に出した後、再び月島の方へ向き直った。
「あぁ、悪いな。それで、話ってなんだ?」
「あっ、えっと、その……んーん、ごめん。なんでもないや」
ちょっと悲しそうに、月島は首を横に振る。
なんでもなくはないだろとは思ったが、強く追求するかどうかは躊躇われた。
「本当になんでもないのか?」
「う、うん。早く職員室に行かないと先生に怒られちゃうよ。引き留めてごめんね」
別に話すだけならそう時間を取られるわけでもないし、月島の方が先に話し始めたのだから引き留めるも何もないだろうに。
ただ一度口を閉ざしてしまったら、それこそ万力でも使わない限り月島が再び話し出さないことは天崎も知っているので、ひとまず彼女の言う通りにしておく。このまま押し問答していたら、本当に担任から怒られそうだし。
「じゃあな、月島。何か用があったら、また連絡くれればいいから」
「うん、そうだね。また……」
別れの挨拶を交わし、天崎は小走りで教室から出て行く。
その背後で月島が大きくため息を吐いたことを、天崎は気づかなかった。
職員室へ入り、担任のデスクへと直行する。
椅子を回した担任は開口一番、呆れ顔で死刑宣告を放った。
「天崎。お前、明日と明後日の補習に出席しろ」
「えぇ!? 補習!? なんでっすか! 俺、赤点なんて一度も取ったことないですよ!」
「成績は悪くないんだよ。成績はな。問題なのは出席日数だ。これを見ろ」
と言って出してきたのは、教員がよく持ち歩いている黒いノート……いわゆる閻魔帳と呼ばれる冊子だった。
もともとそういうデザインなのか、もしくは担任が独自にレイアウトした結果なのかは分からないが、天崎が実際に出席した日数と、各教科ごとの進級に必要な出席日数が見やすいように並んでいる。それをじっくりと上から見比べていったのだが……。
「ギリギリ大丈夫じゃないっすか!」
という嘆きに、担任は頭を抱えて天井を仰いだ。
「ギリギリってことは、もう後がないってことなんだぞ? お前は三学期、一度も休まずに出席できる保証があるのか?」
「それは……」
言葉に詰まってしまう。
今まで欠席した理由も、天崎自身に責任があったことはほとんどない。『完全なる雑種』が故、人外が起こす事件に巻き込まれて、仕方なく学校に行けなかったというのが大半だ。
しかも今は謎の男……ヴラド三世(仮)も警戒しなければならない。三学期、一度も欠席しない保証どころか、すでに数日は出席できないだろうという想定すらあった。
天崎が言葉を返さないでいると、大きくため息を吐いた担任が警告する。
「お前は成績自体はそんなに悪くないんだ。だからやる気さえ見せれば、多少は出席日数が足りなくても頭を下げれば何とかなる。いいか? 補習といっても、テストで良い点を取れと言ってるわけじゃない。お前は補習に『出席』して課題を『提出』することが何より大事なんだ。だから明日と明後日の補習には必ず出ろ。留年したくなかったらな」
「そんなぁ」
この時点で冬休みが二日も減ってしまったことに対し、天崎はがっくりと肩を落としたのだった。




