エピローグ
デュラハン騒動が終結した次の日。
天崎は気怠い身体に鞭を打って、しっかりと学校へ登校していた。
その帰り道、一緒に通学路を歩く犬飼が冬の寒空を仰ぎながらぼやく。
「あーあ。ターニャちゃんと結ばれるためには、俺っちもデュラハンにならなきゃいけないわけかぁ」
細かいことはさておき、一応の顛末は安藤から聞いたのだろう。ターニャが犬飼の首を斬った理由やその能力、そして彼女がすでにアイルランドへ帰国していることは、彼も承知のようだった。
「いくら好きな相手だからってさ、いきなりデュラハンになってくれって頼まれても、お前だって拒否するだろ?」
まるで自分が取った行動を正当化するように、天崎は訊ねた。
そう言いたくなるのも当然だ。ターニャの暴走が原因だったとはいえ、犬飼を人間に戻したいと願ったのは天崎のエゴなのだ。仮に犬飼がデュラハン化を熱望していたとなれば、天崎はいろんな意味で落胆していただろう。
そんな天崎の内心とは裏腹に、犬飼は曖昧な感じで答えた。
「そりゃ今すぐ人間を辞めろって言われたら嫌さ。でも将来的にターニャちゃんと結ばれるためだったら、デュラハンになるのも……アリかなぁ」
「マジか……」
さすがの天崎もドン引きだった。
いくら相思相愛だったとしても、愛のために人間であることを捨てるのか。一途に恋をしたことのない天崎にとっては、理解しがたい思考回路だった。
「いやまあ、マジで将来的には、だぜ。今は家族のこともあるし、デュラハンになった後でターニャちゃんに振られたら怖いからなぁ。最初は人間としてお付き合いしてえかな」
「好きにしろよ」
安易に他人の恋愛事情に首を突っ込むべきじゃないなと、天崎は思った。
「んで、俺っちがこっちに来てる理由を早く教えてくれよ」
「そう急かすなって」
やや不満げに言う犬飼に対し、天崎は諭すように答えた。
二人は今おののき荘方面へ向かっている途中だった。つまり犬飼にとっては帰路ではなく、また同伴の理由を天崎は伝えていない。愚痴の一つも出るというものだ。
「あの公園が目的地だ。何があるのかは行けば分かる」
「公園?」
訝しげに首を傾げた犬飼を引き連れ、児童公園へと足を踏み入れる。
すると少し離れた所で、日傘を差したリベリアがベンチから立ち上がった。
「天崎さーん。こっちでーす」
「あっ、リベリアさん!」
表情を緩ませた犬飼が、早々に彼女の元へ駆け出そうとする。
しかし寸でのところで天崎が引き止めた。
「先に忠告しておく。あんまりリベリアに鼻の下を伸ばさない方がいいぞ」
「なんだい天っち。俺っちがリベリアさんと仲良くするのが、そんなに嫌なのかい!?」
「……後悔しても知らないからな」
脅迫じみた低い声で忠告を終えた天崎は、犬飼を解放した。我慢できずに駆け寄っていく友人の姿を見て、新しいオモチャを見つけた犬みたいだなと天崎は思った。
「リベリアさん、髪型変えたんっすね! いやー、すげー似合ってます! 可愛いっす!!」
「あ、あはは……」
褒められたのにもかかわらず、リベリアは曖昧に笑うだけだった。それどころか、何故か顔を引き攣らせている。やってしまった……とでも言わんばかりの表情だ。
『もう、ショーゴ様ったら! さっそく浮気するつもりナノ!?』
「タ、ターニャちゃん!?」
唐突にターニャの声が聞こえ、犬飼は慌てふためきながら周囲を見回した。
しかし、それらしき姿は見当たらない。この場に居るのは、リベリアと犬飼と天崎の三人だけだ。
「こっちですよ、こっち」
苦笑いを浮かべたリベリアが、手にしているスマホを犬飼の方へと向けた。
画面の中では、腰に手を当てたターニャが頬を膨らませて怒っていた。背景から察するに、どうやら自宅のリビングのようだ。
「ターニャちゃん、アイルランドに帰ってから、即行でスマホを買いに行ったんですよ。これでいつでも通話できます」
『今も家の外で『調査員』がうろついてるけど、これなら怒られないもんネ』
と言って、怒り顔から一変、無邪気に笑ったターニャが、画面に向かってピースサインを作った。
リベリアが顔を引き攣らせたのも納得だ。ターニャの元彼たちは、リベリアを見た途端に心変わりをするような連中ばかりだったのだ。リベリアとしては、また謂れのない難癖をつけられて友情に罅を入れられるのを危惧したのだろう。
案の定、ターニャはすぐに犬飼へと問い詰めてきた。
『で、ショーゴ様。リベちゃんが可愛いって、どういう意味カナ?』
「やだなぁ、ターニャちゃん。ほんの挨拶だぜ。ジャパニーズ挨拶。リベリアさんが可愛いのはもちろんだけど、ターニャちゃんはそれ以上に美人だし、俺っちが愛してるのも君一人だけだぜ」
おぉ、扱い慣れてやがる。
隣で聞いていた天崎は、感心するのと同時に友人の尻軽さにドン引きしていた。
それに対するターニャの回答は……。
『そ、そういうことなら問題ないケド……』
頬を赤らめて嬉しそうに指をもじもじさせていた。
あ、意外と扱い易いんだなと、天崎とリベリアは同じようなことを思った。ヤンデレな女には、こういう軟派な野郎がお似合いなのかもしれない。
それから画面越しに二人の電話番号とラインのIDを交換し、ビデオ通話は犬飼のスマホへと切り替える。すると彼は片手でガッツポーズを示し、唐突に宣言した。
「決めた! 俺っち、高校卒業したらアイルランドへ留学するぜ!」
『えぇ!?』「はぁ!?」
画面の中と犬飼の横から、驚愕の悲鳴が上がった。
さすがにその場のノリだと信じたい天崎は、声を震わせながら聞き返す。
「お前……マジで言ってんの?」
「おう、俺っちはマジだぜ。冗談でこんなこと言わねえよ」
確かに生き生きとした犬飼の表情からは、とても冗談だとは感じられない。しかしいくらなんでも即決しすぎだろう。
友人の大胆不敵な人生設計に言葉を失っていると、画面の中からすすり泣く声が聞こえてきた。
『わ、私……嬉しい……』
「おうよ。でも俺っちの成績じゃ、ちょっとばかし時間がかかっちまうかもしれねえ。それまで待っててくれるかい?」
『うん……待ってる』
まあ本人たちが納得してるなら、横から口を挟むのも野暮か。
そう思い、数歩ほど引いた位置から彼らのやり取りを静かに見守る天崎。
すると突然、犬飼の顔が驚きに染まった。目を見開き、アホ面を晒してスマホの画面を凝視し始める。瞬きも忘れるほど食い入り、喉の中を生唾が落ちていくのさえ見て分かるほどの集中力だった。
その時間があまりに長く、傍から見ていた天崎は少々心配になる。
どうしたんだろうと、リベリアと顔を見合わせながら犬飼の肩越しにスマホを覗き込む。そこで彼らが見たものは……下着一枚のターニャが、今まさにブラを外そうとしている瞬間だった。
「エロチャットしてんじゃねえ!」
「ふ、不健全です!」
二人が犬飼からスマホを奪おうと、同時に手を向ける。だが身軽な動きで彼らの手を避けた犬飼は、鼻の下を伸ばしながら公園の入り口へとダッシュしていった。
「天っち! 俺っち、留学の話はマジだかんな! あとリベリアさん、ターニャちゃんの番号を教えてくれてありがとう!!」
離れた所から大きく手を振った犬飼は、そのままスキップしながら去っていった。
取り残された天崎とリベリアは、唖然としたままその背中を見送るばかりだ。
「行っちまった……」
「行ってしまいましたね……」
目的は果たしたので骨折り損ではないのだが、二人の間には虚無感が漂っていた。
そこで天崎はふと気づく。今、リベリアと二人きりなのだと。
もちろん嫌ではない。気まずいわけでもない。ただリベリアの顔を見るたびに、どうしても先日のことを思い出してしまうのだ。あの言葉を意識している自分に気づき、さらにドギマギしてしまう悪循環に陥ってるのである。
天崎は隣にいるリベリアを一瞥した。
彼女は未だ犬飼が去っていった方を見つめ、「ほえー」と呆けているようだった。
どのみち、いつかは答えを出さなければならない。
大きく息を吸った天崎は、頬を掻きながらしどろもどろに口を開いた。
「あのさ、リベリア。この前のことなんだけど……」
心に決めた言葉は、最後まで吐き出されることはなかった。
なぜなら声を発するための器官が塞がれてしまったからだ。
驚きのあまり、目を見開く。見れば、リベリアが人差し指で天崎の唇を押さえながら、少女のような悪戯な笑みを浮かべていた。
「天崎さん。私、今の天崎さんとの関係って、とても居心地が良くて好きなんですよ。なので……できればもう少しだけ、このままでいませんか?」
「…………」
本心……なのだろう。しかし、それ以外の意思もリベリアの済んだ瞳から伝わってくる。
それがどのようなものなのか、今の天崎には分からない。だからこそリベリア=ホームハルトという少女を時間をかけて知っていくためにも、今は答えを保留にした。
「……分かった」
神妙に頷くと、リベリアはにっこりと微笑んでくれた。
この話はここで終わり。気持ちを切り替えるように、天崎は大きく伸びをする。
「せっかくだから、このまま飯でも食いに行こうぜ。って、まだ夕飯には早いか。なんなら喫茶店でもいいし」
「はい! 是非ともお供します! 今回、天崎さんにはご迷惑をおかけしましたから、私が奢りますよ!」
「いや、いいよ。自分の分は自分で払うから」
「もう! 私の前では見栄を張らないでください!」
天崎の脇腹を肘で優しくどついた後、リベリアは小走りで先に行ってしまう。
やれやれと呆れたため息を吐きながら、天崎はその背中を追うのだった。




