第16章 顛末
一瞬にして意識が繋がった。
眠気はなし。夢を見た記憶もなし。まるで今この瞬間から天崎東四郎という人間が生まれたんじゃないかと錯覚するほど、はっきりとした起床だった。
視界に映っているのは、見慣れた天井の木目と白色の蛍光灯。そして和服姿の同居人と、金髪金眼の友人だ。
「円とリベリア……か?」
蛍光灯が逆光になっているため、彼女たちの表情までは窺えない。ただ吐き出された吐息が安堵を表していることくらいは、寝起きの頭でも十分理解できた。
「ここは?」
「おののき荘ですよ。天崎さんの部屋です」
上半身を起こしながら問うと、リベリアが返答をくれた。
しかし彼女の様子がいつもと違うような気がして、天崎は首を傾げる。
「リベリア? お前、なんか雰囲気が変わったな」
「え? えぇ……。実は首を刎ねられた時に、髪も一緒に切られてしまいまして。不揃いになっちゃったんで、この際だからバッサリと短くしたんですよ」
と言って、リベリアは恥ずかしそうに自分の髪を撫でた。
あー、なるほど。髪を切ったから雰囲気が違うように感じられたのか。納得、納得。
それと同時に、記憶の糸が手繰り寄せられる。
首? 首を刎ねられた? そうだ、思い出した!
「お前、首は大丈夫なのか!?」
「大丈夫ですよ。吸血鬼は首を切断されたくらいじゃ死にませんし、通りすがりの死神さんに助けていただきましたからね。命拾いしました」
「死神?」
死神と聞けば、石神しか思い浮かばない。
そういえば意識を失う前、石神の声が聞こえたのを思い出した。
「ただ完全に傷跡が消えるのは、まだ一週間くらいかかるかもしれませんね。今はこうなっています」
リベリアがタートルネックに隠れている首元を晒す。
首の周りには、抉ったような生々しい傷跡があった。とはいえ、胴体と頭は完全に切り離されたいたのだ。生きているだけでも奇跡に等しいだろう。今さらながら、吸血鬼の回復力には驚かされるばかりだ。
完治すると耳にし、天崎は全身から力が抜けるほど安堵した。
「よ、よかった……。まあ、髪のことは残念だったかもしれないけど、短髪になったリベリアも可愛いよ。似合ってる」
「天崎さんって、時々無自覚でそういうこと言うから卑怯です」
嬉しさ半分、恥ずかしさ半分。今の気持ちが顔に出るのを嫌ったリベリアが、唇を尖らせながら顔を背けたのだった。
と、反対側にいた円が天崎の上へダイブしてくる。
どうやら嫉妬しているようだ。
「安心しろ。円はいつもカワイイよ」
「にゃーん」
猫の鳴きマネで嬉しさを表現した円が、布団の上で丸まってしまった。
いつも通り。いつも通りの日常だ。
しかし、いつまでもこの日常に身を委ねているわけにはいかない。
気持ちを切り替えた天崎は、頭の中に散らばった記憶の断片を繋ぎ合わせるため、一つ一つ丁寧にリベリアへと訊ねた。
「えっと……まずは今日って何月何日なんだ?」
「十二月十六日ですよ。天崎さんが最後に眠ってから丸二日経っています」
「二日ぁ!?」
まさか、そんなに長い間眠っていたなんて……。
というか、それだと今回の騒動で定めた制限時間をとっくに過ぎている。
「犬飼はどうなったんだ!?」
「ご安心を。天崎さんのご友人は、ちゃんと人間に戻りましたよ。あの後ターニャちゃんはすぐに目を覚ましたんですが、意外にも素直に頭の在り処を吐いたもので。今はもう目覚めていて、最初は安藤さんのカウンセリングを受けていたようです」
「そ、そうか……」
ひとまず最終目標は達成されていたようで、安堵の吐息を漏らした。
リベリアも無事。犬飼も無事となると、後は元凶となった奴だ。
「ターニャはどうなったんだ? 確か小噺に連れていかれたんだったよな?」
「残念ながら、ターニャちゃんはアイルランドへ強制送還されてしまいました。本当ならその場で排除という話も出たんですが、私が『調査員』と取り引きをして、強制送還まで減刑させていただいたんです」
「取り引き?」
問うと、リベリアは牙を剥き出しにしながらにっこりと笑った。
「私が『ターニャちゃんを排除するなら、この街の人間を無差別に殺して回りますよ』って言ったら、『調査員』の方々、顔を青くしていましたからね。たぶん無事にアイルランドへ送還されていると思います」
「取り引きっていうより脅迫じゃねえか。お前の立場も悪くなるんじゃないか?」
「ターニャちゃんが排除されるよりはマシです」
それもそうかと、天崎は『調査員』たちに同情したのだった。
ふと、疑問が浮かぶ。
「……ん? ちょっと待て。そんな脅しが通じるんだったら、クリスマスまで一緒に過ごしたいとか要求できたんじゃないか?」
「あー、それは無理寄りの無理ですねぇ。これ見てくださいよ」
苦笑いを浮かべたリベリアが、自分のスマホを差し出してきた。
画面に映っているのは、いつでもどこでも一言呟ける系のSNSだった。
リベリアが画面に並んでいるトレンドの一つをタップする。すると同じような画像がたくさん出てきた。
「おい、これって……」
「えぇ。この前、デパートでターニャちゃんが暴れた時の惨状です」
画像の中には、現実に目にしたことのある光景が広がっていた。
婦人服売り場で倒れている客や従業員。それらの人間はすべて断頭され、頭部があちこちに転がっている。
知っている人からすれば、断面の黒い靄によりデュラハン化している途中だと判別できるだろう。しかし、その場に居合わせただけの人間にとっては猟奇殺人事件、もしくはテロ以外の何物でもないはずだ。
いや、実際テロには違いないのだが。
「アイルランドの悪夢の時はネットが発達していなかったので、各種メディアを抑えるだけで情報の拡散は防げました。けど今はSNSが主流になっていますからね。いくら情報規制をしても、こうやって個人を発信源にして広まってしまうのですよ」
「この人たちは大丈夫だったのか?」
「はい。『調査員』からの話によれば、誰一人デュラハンにさせることなく事態を収拾できたとのことです」
「そっか」
また一つ、不安材料が減ってよかった。ターニャが勝手に暴れた結果だとはいえ、自分が追っていたせいで被害者が出たとなると後味が悪すぎる。
「そんでもって、あの温和な安藤さんもさすがにブチ切れましてね。ターニャちゃんの滞在を断念したわけです」
「な、なるほど」
たとえ『調査員』が許したとしても、安藤としてはまたいつ爆発するかも分からない爆弾を放置しておきたくはないだろう。安藤の気苦労を理解するのとともに、アイルランドに帰った方がむしろ安全だと思った。
「ちなみにターニャの手は? 俺をデュラハン化させる時に利用されたはずだ」
「それも大丈夫ですよ。ターニャちゃんの手は、天崎さんの胴体と一緒に落ちていました。デュラハンも人間に比べれば治癒能力が優れているので、一ヶ月もすればちゃんとくっつくと思います」
「んじゃ一ヶ月ばかり不便になるのは、ここで暴れた罰だとでも思ってもらおうか」
犬飼の首は時間内に戻った。
ターニャが帰国したことは、リベリアも了承している。
これにてデュラハンの事件は一件落着。無事に幕引き……にならないことは、天崎が一番よく知っていた。
胸の奥に引っかかっているのは、もちろん戸塚との会話だ。
どんなやり取りをしたのか、今一度思い返してみたところで――、
ふと、言葉の一部が鮮明に蘇った。
『あのお方の名はヴラド・ツェペシュ。ワラキア公国の君主であるヴラド三世その人だよ』
彼はそう語っていた。
「そうだ!」
トレンチコートの男の正体を思い出し、天崎の顔色が変わった。
いてもたってもいられず、慌てて飛び起きる。しかし今にも飛び出していきそうな天崎を、リベリアが制した。
「ダメですよ、天崎さん。起きたばかりなんですから、もう少し安静にしてないと。買い物くらいは私が行ってあげます」
「あぁ、いや、すまん。大家のばっちゃんの部屋に行くだけだ。すぐに戻る」
「大家さんの?」
「悪いけど、リベリアは俺のスマホから安藤を呼んでくれないか?」
「え? えぇ、はい。分かりました」
天崎の威勢に気圧されたリベリアが、呆気に取られたまま承諾した。
その間にも、天崎は急いで自分の部屋から出る。西に傾いた太陽が茜色に輝いていることから、どうやら今は夕刻らしい。この時間帯なら、大家はたぶん部屋にいるだろう。
草履をひっかけた天崎は、ほとんど飛び降りるようにして階段を下った。
大家の部屋のインターフォンを押すと、すぐに中から声がした。
「おやおや、東ちゃんじゃないかい。目を覚ましたんだね」
「あぁ、心配かけてごめん」
扉を開けた大家が、柔和な笑みを浮かべて出迎えてくれる。直接事件に関係してなくとも、自分が寝込むことによって気にかけてくれる人がいることを、天崎は改めて実感した。
「っと。突然で悪いけど、クルクルは居るか?」
「クルクルなら押し入れの中で寝てるけど……起きるかねぇ」
「ちょっと急ぎの用事なんだ。無理やりにでも起こせる?」
「んー……声を掛ければ返事くらいはしてくれるけど、あたしゃが起こすと機嫌を悪くするからねぇ。東ちゃんやってくれないかい? 入っておいで」
大家の後に続き、部屋の中に入る。居間でお昼寝中のミルミルの横を通り過ぎ、奥へ。
仏壇の隣にある押し入れを開けると、下の段で白い天使がすやすやと寝息を立てていた。
「クルクル。ちょっといいか? 訊きたいことがあるんだ」
「うーん……クルクルは今ちょうどノンレム睡眠に入ったところなり。次に目を覚ますのは十年後なり」
「なんか長くなってないか!?」
初対面の時は確か、後五年とかほざいていたはずだ。
場合によってはワールドカップ三回跨ぐことになるぞと、意味のないツッコミを心の中で唱えながら、天崎は動く気配のないクルクルを押し入れの中から引きずり出した。
「頼む、ちょっとでいいんだ。俺の部屋に来てくれ。ちゃんと布団も敷いてあるからさ」
「運べ」
「語尾は!?」
相当機嫌を悪くしたに違いない。クルクルが自分の個性を忘れるほどだった。
まあ、気持ちよく寝ていたところを無理やり起こされたら誰だって不機嫌になるわなと思いつつ、天崎は大家に詫びを入れてからクルクルを運び出した。
少し待っていると、安藤が到着した。
挨拶代わりに容態の確認をするのとともに、安藤は畳の上に腰を下ろす。これで部屋の主である天崎も含め、安藤、リベリア、円、そして布団の中で熟睡しているクルクルが顔を揃えることになった。
「で、わざわざ呼び出してどうしたんだい? 目覚めた報告なら電話でよかっただろ」
「そうなりよ。わざわざクルクルを拉致ったってことは、それだけ面白い話を用意してるってことなりよね?」
「いや、クルクルを連れてきたのは、ただ確認事項があったからなんだけど……」
素直にそう言うと、クルクルは唇を尖らせて「ぶるるる」と唾を飛ばし始めた。よほど頭に来たらしい。ただ仰向けに寝転びながらだったので、飛ばした唾はすべて自分の顔に落ちているのだが。
明日にでも布団を干すかと苦い顔をした天崎は、すぐに気持ちを切り替える。
「まず、ターニャを追い詰めてから何があったかっていうと……」
「あぁ、一連の流れはリベリアさんから聞いてるよ。最後に石神が助けに入ったこともね」
「分かった。ならリベリアがいなかった時のことを簡潔に言う。俺の首を斬った戸塚って『調査員』は、ヴラド三世の指示に従って動いてるみたいなんだ。俺たちが会った、フェルトハットを被ったトレンチコートの男がそうらしい」
「え?」「は?」「?」
リベリア、安藤、円が三者三様の反応を返す。
そんな中、クルクルだけが冷静に「それはあり得ないなり」と静かに答えた。
「ヴラド三世は五百年くらい前に、天界でその存在を抹消されたなりよ。今さら下界を自由に闊歩してるなんて、絶対にあり得ないなり」
「それを聞きたくてクルクルを呼んだんだ。ヴラド三世は間違いなく抹消されたんだよな?」
「クルクルが製造される前の話なりから、この目で見たわけではないなり。でもヴラド三世は天界が排除の判断を下した、人類史上唯一の例なりよ? その記録が間違ってるとは、どうしても思えないなり」
「僕も当時は担当じゃなかったから報告書でしか目にしていないけど、ヴラド三世はほぼ間違いなく排除されたと思うよ」
「なんで安藤が知ってるんだ?」
悪魔なのに天界の事情を知っているのか?
天崎が問うと、安藤は肩を竦めて答えた。
「ヴラド三世はその身を『完全なる雑種』にするべく、同胞の悪魔を殺しまくったからね。そりゃ魔界の住人もお怒りさ。天使がヴラド三世を捕らえたと聞いて、数人の悪魔が排除の瞬間に立ち会ったんだよ」
「なるほどな」
二人の意見が一致しているため信憑性は増したが、疑問もまた増えるばかりだ。
なら戸塚の言葉には、どんな意味があったんだ?
ただの嘘? 自分はからかわれただけなのか?
深く考え込んでいると、安藤がみんなに見えるように指を三本立てた。
「可能性があるとすれば、大きく分けて三つだね。一つは『ヴラド三世は抹消された後に何らかの方法で蘇った』。二つ目は『ヴラド三世を騙る別人』。最後に『天崎の中に眠っている意識と同様、排除される前に分裂した存在』。もちろん、その戸塚って『調査員』が嘘を付いていない前提だけど」
「ちょっと待つなり。最後の『お兄さんの中に眠ってる意識』って、何のことなりか?」
「あー……」
まあ怠惰を極めるクルクルになら話してもいいかと、天崎は判断した。
「俺の中に別の意識があることは知ってるよな? そいつがヴラド三世なんだ。存在を抹消される前に、俺の家系に意識の一部を植え付けたんだとよ」
「それは本当なりか?」
「本人が言ってただけだけどな」
「別人じゃないなら、それで確定なりね。排除された後に復活なんてあり得ないし、監視される前のことなら天界も感知していないと思うなりから」
「まだ俺の中の意識が嘘を言ってる可能性もあるんだけどな。というかクルクルなら、この意識とトレンチコートの男が同一人物かどうか、判別できるんじゃないか?」
天使には『真実看破』という現在の真実を正確に知る能力がある。
各々が本物のヴラド三世であることまでは分からなくとも、その二人が同一人物かどうかは看破できるはずだ。
しかしクルクルは目を閉じたまま難しい顔をした。
「できるとは思うなりが、お兄さんとトレンチコートの男が対峙しているところにクルクルもいるシチュエーションが想像できないなりねぇ」
「確かにな」
「それに『真実看破』は何も自然に分かるものじゃなくて、読書をするくらいの集中力は必要なりよ」
「え、ああ、そうなんだ」
「そして何より、次にそいつが現れた時にクルクルが起きている保証がないなり!」
「……それが一番の理由だろうな」
迫真の寝顔で宣言するクルクルに、天崎は頭を抱えたのだった。
結局、奴の正体は確定しないまま。元より手掛かりが少なすぎるのだ。どこの誰だかは知らないが、戸塚が明確に敵だと宣言したことだけでも収獲だったと思っておこう。
「それで、戸塚はトレンチコートの男の目的を明かさなかったんだよね?」
天崎が思考を切り替えようとした頃合いを見計らって、安藤が訊ねてきた。
やっぱりコイツは話が早くて助かるなぁと思いつつも、天崎は神妙に頷く。
「ああ。なんで俺をデュラハンや死神にしたかったのか、あのお方とやらに配慮して何も言わなかったな。あー……いや、確かヒントみたいなこと言ってたっけ?」
眉間を抓んだ天崎は、記憶の底から戸塚の言葉を引っ張り上げた。
「ちょっと違うかもしれないけど、『君は大切な物を宝箱に詰めるのが好きかい? それとも宝石の詰まった宝箱を開けるのが好きかい? あのお方は後者の方が好みだっただけだよ』って感じだったと思う」
記憶に残っていた言葉をすべて吐き出し、再び瞼を開ける。
ただ戸塚に言われた言葉をそのまま繰り返しただけなのに、円を除く一同がギョッとしながら自分を見つめていた。
みんなの意外な反応に、天崎は戸惑ってしまう。
「え、なになに? 俺なんか変なこと言った?」
「いや、なんていうか……それってトレンチコートの男が、君の身体を乗っ取ろうとしているんじゃないのかい?」
「身体を乗っ取る?」
恐る恐るといったように指摘する安藤とは対照的に、天崎はあっけらかんとしていた。
続いてリベリアの方にも意見を促す。
「宝石ってのは、『完全なる雑種』の血統を意味してるんじゃないでしょうか。身体を乗っ取った後に自分で各種族の血統を覚醒させるよりも、すでに多くの種族が覚醒した状態の方が好みって話で……」
「リベリアさんの言う通りだ。吸血鬼、死神、デュラハン、あとミルミルの件もそうか? 普通に暮らしてたら滅多なことじゃ出会う機会のない種族ばかりだ。それらを君の元へ誘導しているんだとしたら……血統を覚醒させるのが目的なのは間違いない」
「……それ、マジで言ってる?」
「そもそも君の中のヴラド三世も言ってただろ。『完全なる雑種』はすべてを超越した存在。その肉体を手に入れるために、天崎の家系に意識を植え付けたって」
「…………」
信頼する二人からほぼ確定みたいに言われ、愕然とした天崎は自分の手の平を見つめた。
己の身を『完全なる雑種』へ進化させたこと。
いずれ復活するために、天崎家に意識を植え付けたこと。
ヴラド三世は間違いなく『完全なる雑種』の肉体を渇望している。仮にトレンチコートの男がヴラド三世なら、天崎の身体を欲していても不思議では……ない。
「というか生前に分裂って話もだけど、身体を乗っ取るなんて簡単にできることなのか?」
「できるっちゃできる、としか言いようがない。僕もいくつか知ってるけど、思いもよらない方法があるかもしれないからね。こればかりは考えても仕方がないよ」
「なるほどな。石神も魂の抜けた肉体を自由に操ってたから、あんな感じってわけか」
「トレンチコートの男には魂が入ってなかったって、石神が言ってたろ」
「あ、そっか」
ならトレンチコートの男は、ヴラド三世の残滓みたいなものなのか?
魂がないなら、分裂や他人の肉体を乗っ取ることも容易?
ダメだ。現状、何を考えたところで推測の域を出ない。
「情報が少なすぎるんだ。何も分からないのは仕方がない。それより今後も他の種族をけしかけてくる可能性が高いことは、しっかりと念頭に置いた方がいい」
「……そうだな」
自分の今後を憂い、天崎は大きく肩を落としたのだった。
「あの、ちょっといいですか?」
話が一段落したタイミングを見計らって、リベリアが手を挙げた。
「今回の件とはあんまり関係ないことなんですけど、気になることがあって」
「おう、なんでもいいぞ」
「では……」
わざとらしくコホンと咳払いしてから、彼女は質問を投げた。
「天使に存在を抹消されると……というか天界に連行された時点で、その人物はみんなの記憶から消えてしまうんですよね? でも私たちはヴラド三世を覚えています。これは何でなんですかね?」
「それは歴史上の人物として、書物に記録が残されてるから……だったっけ?」
自信なさげに答えた天崎がクルクルを一瞥する。
鼻提灯を膨らませた惰天使は、雰囲気を察してくれたようだ。
「そうなり。後世の人たちは、残っている記録を見て『ヴラド三世』という人物が存在していたと認識しているなり。もし当時からの知り合いが生きていたとしても、ヴラド三世の顔やどんな人物だったかは思い出せないはず……なりけど、ただヴラド三世の場合は少し違うみたいなりね」
「少し違う?」
「ヴラド三世は、その身を二回進化させているなり。人間から吸血鬼、吸血鬼から『完全なる雑種』といった感じに。その中で抹消されたのは『『完全なる雑種』になったヴラド三世』だけなりよ。つまり吸血鬼までのヴラド三世は当時の人たちの記憶にも残っていたし、今の時代にも語り継がれているというわけなり」
「だから吸血鬼界隈に残っている伝説も、しっかりとヴラド三世が遺したものだと認識されてるんですね」
リベリアの言う伝説とは、『吸血鬼としての能力を喪失する新月の夜、一夜にして千の血を飲むことにより、さらなる上位の存在への進化が叶うであろう』というものである。
実際には天崎家の血筋に吸血鬼を差し向けるための戯言だったわけだが、その伝説のおかげでこうやってリベリアと出会えたのだから、天崎としては複雑な心境である。
「なるほど。納得です」
質問はそれで終わりなのか、リベリアが深く頷いた。
これ以上、誰の口からも話が出ないだろうと判断した安藤が立ち上がる。
「だいたい把握した。ヴラド三世のこととか、その戸塚っていう『調査員』のこととか、帰ってちょっと調べてみるよ。それと万が一に備えて、肉体を乗っ取られないための対策もまとめとく」
「ああ、悪いな。頼んだ」
「じゃあクルクルも英気を養うために、もうひと眠りするなりよ! さあ、早くチエちゃんの部屋へ戻すなり!」
「その英気はいつ使うんだよ……」
すでに五十年分の英気を溜めたクルクルが、迫真の寝顔で迫って来た。
まあ自分が強引に連れてきたのだから、戻してやるのが義理だ。そう思いつつ立ち上がろうとしたところで、リベリアに引き留められた。
「クルクルさんは私が運びますから、天崎さんはゆっくりしてください」
「ああ、ありがとう」
お言葉に甘え、天崎は照れ臭そうに頭を掻いた。
部屋の中が一気に静かになる。そういえば先ほどから円が一言も喋ってないなと思ったら、話題についていけなかったのか、布団の上ですやすやと寝息を立てていた。
「…………」
戸塚の言葉。ヴラド三世の存在。その目的。
自分の元に迫る悪意に不安を抱きながらも、今はこの静かなひと時を噛み締めるように、天崎は円の頭を優しく撫でるのだった。




