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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第6話『クビナシシンドローム』

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第15章 あのお方

 真っ暗な水の底から浮き上がるような感覚で、天崎はゆっくりと目を覚ました。


 微睡んだまま周囲を確認しようとする。しかし首を何かに固定されているのか、左右を見回すことはできなかった。


 仕方なく正面だけに注視する。


 それでも現状把握には至らない。視界に入る物体が輪郭でしか捉えられないほど、この室内は薄暗かった。


「おや、起きたかい? おはよう」


 どこかで聞いたことのある声がして、目の前にある物体が動いた。

 部屋の中が少しだけ明るくなる。立ち上がったその人物が蝋燭を灯したようだ。


「戸塚……さん?」


 蝋燭の光にぼんやりと照らされたのは、見知った『調査員』だった。


 ただ異様に背が高い。出会った時は自分よりも数センチ高い程度だったはずなのに、立ち上がった戸塚の身長は天を衝くほど巨大だった。


 いったい何故? 疑問を抱くのと同時に、すぐに解決する。

 ああ、そっか。自分が座っている状態なのか、と。


 上目遣いで戸塚を見つめた天崎は、未だ覚醒しきっていない頭で訊ねた。


「……ここは?」

「ここは人里離れた廃墟だよ。ちなみに君の首を斬ってから二時間くらい経っている」


 廃墟? と呟き、天崎は視界に映る有様を見て納得した。


 おそらく学校の教室なのだろう。十組ほどある机と椅子はあちこちに散乱し、窓ガラスはほとんど割れ、床は木くずや枯葉などで埋もれている。数年単位で人の手が入っていないことは明らかだ。


 廃墟というよりは廃校の一室。天崎は今、後方のロッカーから教室を一望しているのだ。


 状況は理解できた。しかし戸塚の二言目が違和感を生む。


 ……首? 首を斬ってから二時間? どういうことだ?


 ゆっくりと思考能力を取り戻していった天崎は、慌てて自分の身体を見下ろした。


 だが首がまったく動かない。いや、そもそもの話、首から下の感覚が一切なかった。


 まさか……。


「俺は……デュラハンになったのか?」

「君はデュラハンにはならないよ」


 正面に立った戸塚が即答した。


「いや、ちょっと違うかな? 今はデュラハンになってるだろうけど、首を元に戻してしばらく待てば人間に戻るはずだ。君はデュラハンの血も受け継ぐ『完全なる雑種』だからね。いやはや、たった二時間で目を覚ましたのも、その血統のおかげだろう。最悪、丸一日くらいこの廃墟で待つつもりだったよ」

「……俺の身体はどこにあるんだ?」

「首を斬った場所に置いてきた。話をするだけなら、首から上があれば十分だからね。今ごろ本物の『調査員』に保護されてるんじゃないかな?」

「…………」


 つまり戸塚は天崎の首を斬った後、頭部だけを持ち去ったというわけだ。


 天崎が住んでいる地域に、こんな廃校があるなど聞いたことがないから、おそらく相当距離が離れているに違いない。車か何かで移動してきたのだろう。


「ちなみに大声を出して助けを呼んでも無駄だよ。さっきの術式はもう効力を失っちゃったけど、この廃墟の周りに民家は一つもないからね。誰の耳にも届くことはない」

「――ッ!?」


 術式という単語を耳にして、ようやく思い出した。


 戸塚は天使の『認識阻害』が発動しているという紙を所持していた。天崎の方に知識はないが、おそらく学園祭で使用されたものと同じ術式だろう。この男が、そんなものを手にして現れた意味。つまり――。


 しかし首だけになってしまった今、天崎にできることなど一つもない。

 目を細め、威嚇にも似た声音で問いただす。


「……何が目的なんだ?」

「君をデュラハン化させることだ。目的は達成されたから、話が終わったらすぐに帰してあげるよ」

「そんなことは聞いていない」

「じゃあ何故デュラハン化させるのか、ってことを訊いているのかい?」

「それだけじゃない。学園祭の件もだ」


 先月末の事件は、まだ記憶に新しい。


 天崎の高校で行われた学園祭では、石神という名の死神が結界を張り、学内中の人間の魂を抜き取った。最終的な目的は、天崎を死神化させることだったという。


 デュラハン化と死神化。どちらも天崎の血統を覚醒させることに重点を置いている。

 その目的が意味不明なのだ。


 すると戸塚は、やむを得ないなと言わんばかりに肩を落とした。


「あのお方の指示だよ。それ以上でも以下でもない」

「あのお方?」

「君にも一度会ったことがあると言ってたけどね。いつもフェルトハットを被って、僕と同じようなトレンチコートを着た背の高い老人さ」

「やっぱり……」


 天使の術式が出てきた時点で、なんとなく予想はついていた。


 リベリアに『完全なる雑種』の存在を教え、月島に魂の縛り付け方を施し、石神を誑かして学校中の人間の魂を弄んだ元凶。


 何か事件があるごとに、その存在が見え隠れする謎の男。

 天崎をデュラハン化させたのは、その男の指示?

 戸塚は奴に従っているだけ?

 まだ何も見えてこない。


「そいつはいったい誰なんだ!?」

「あれ? なんだい、名乗ってなかったのかい? てっきり宣戦布告をするために会いに行ったんだと思ってたけど」

「宣戦布告だと? 戦争でもするつもりなのか?」

「いやいや、言葉が悪かった。そんな物騒なことを企んでいるわけじゃないよ。もっとも君にとって、あのお方は明確に敵ではあるんだろうけど」

「敵?」

「うん。あのお方の正体は、君も多少は知っているはず……というか、名前くらいは耳にしたことがある人物だ」


 そう宣言し、戸塚は得意げにその人物の名を口にした。


「彼の名はヴラド・ツェペシュ。ワラキア公国の君主であるヴラド三世その人だよ」

「…………は?」


 予想外の名前に、天崎は耳を疑った。

 同時に、自分の中に流れる血液が疼いたような気がした。


「あ、あり得ないだろ。五百年も前の偉人だぞ?」

「彼は人間から吸血鬼へと進化した存在だ。吸血鬼にとって五百年という年月は、寿命を迎えるのに長すぎるというほどではないんだよ」


 確かに。リベリアだって、あの成りで百年近くも生きているのだ。五百年ならば往生していなくても不思議ではない。


 だからヴラド三世が現代を生きているのも理に適っている、のか?

 いやいやいや、そんなわけがない。と、天崎は即座に否定する。


 自分の中に眠るヴラド三世は言っていたのだ。己の存在が完全に消滅する前、自身の意識の一部を天崎家の遺伝子に植え付けた。いずれ復活するために、と。


 実際には死去したわけではなく、下界に存在してはいけない存在と見做され、天使にその存在ごと抹消されたらしい。どちらにせよ、ヴラド三世が今も生きてるなんてあり得ないことだった。


 戸塚が嘘を付いている? 何のために?


 そういえば自分の中のヴラド三世も、記憶が曖昧だと言っていたらしい。こちらの情報が錯綜している可能性もある。例えば、実は自分をヴラド三世だと思い込んでいる一般吸血鬼だった、とか。


 どのみち、今の天崎には何も分からない。

 分からないからこそ、やることは一つだ。


「そいつの目的は、なんだ?」


 相手が何者であろうと、天崎の前に現れて悪だくみをしているのは事実。だから今はその人物が誰かというよりも、目的を知ることが優先だった。


 ただヴラド三世の名前を出した時に比べて、戸塚の歯切れが悪くなる。


「うーん、あのお方が名乗ってもいないのに、僕が勝手に目的を話すのはちょっとマズいかなぁと思って」

「今さら何を言ってんだ」

「確かに。勝手に正体を明かした手前、何を今さらって話だよね。だからまあ、ヒントくらいはあげちゃっても問題ないだろう」

「ヒント?」

「君は大切な物を宝箱に詰めていくのが好きかい? それとも宝石の詰まった見知らぬ宝箱を開けるのが好きかい? あのお方は後者の方が好みだったというだけのことだよ」

「は?」


 言い回しが難解すぎて、理解をすることは叶わなかった。

 比喩なのか、それとも本当に宝箱を開けることが目的なのか。


 しかし天崎は諦めなかった。自分の元へと這い寄ってくる陰謀の手掛かりが、今まさに目の前にいるのだから。


「何としてでも吐いてもらうぞ。たとえ痛めつけることになってもな」

「はっはっは。生首だけの今の君に、いったい何ができるって言うんだい?」

「そりゃ俺は何もできないさ。けど、助けを呼ぶことくらいはできる」

「助け?」


 眉を寄せた戸塚が、軽く周囲を見回した。


 当然のことながら廃墟は何一つ変わっていないし、誰かが潜んでいるような気配もない。野生動物すら迷い込んではいないだろう。


 ハッタリだと確信した戸塚が、鼻で笑った。


「さっきも言ったけど、この廃墟の周りに民家はまったくない。大声で叫んだところで、人間の声量じゃ公道に届くかすら怪しいだろうね」

「ところで、俺の傷はどうなってる?」

「傷?」


 突拍子のない問いかけに、戸塚は再び訝しげな表情を浮かべた。

 天崎の言葉の意味を捉えきれず、素直に答える。


「もしかして自傷した顔の傷かい? 君が眠っている間に確認したけど、どうやらすでに塞がっているようだったよ。さすが『完全なる雑種』。治癒速度が普通の人間の比じゃないな」

「そこから流れた血は?」

「僕が拭いてあげたよ。感謝するんだね」

「なるほど。そういうことか」


 感謝するどころか、天崎は会話をぶった切って視線を床へと落とした。


 頭を電柱に叩きつけたこともあり、額がぱっくり裂けるほどの傷もあったはずだ。それがすでに塞がっており、なおかつ流血が拭われているのなら、『認識阻害』が効力を失った今でも気づかないのは仕方がない。


 だから天崎は、下唇を思い切り噛んだ。

 そして噛み切った小さな肉片を、戸塚の足元へと吐き出す。


「……何のつもりだい?」


 さすがの戸塚も、その行為に対して温和な表情を維持できなかったようだ。唾を吐きかけられた怒りなのか、それとも理解できない天崎の行為に不審を抱いたのか、つかみ所のない笑みを消す。


 それとは対照的に、下唇から血を流した天崎は、ニッと笑って見せた。


「仲間を呼んだんだよ」

「仲間? なにを言って……」


 戸塚がさらに首を捻った――その時だった。

 突然、何か大きな物体が窓枠を通って教室内へと飛び込んできた。


 カラスやコウモリではない。人間サイズの何かが、まるで大砲の弾が着弾したかのように撃ち込まれたのだ。


 衝撃により生れた突風が、窓枠に残っていたわずかなガラス片や床に散らばっている木くずを舞い上げる。しかし飛び込んできた物体が、壁や床に衝突することはなかった。


 その物体――リベリア=ホームハルトは、乱雑に放置されている机の上に着地すると、にっこりと笑みを浮かべながら天崎たちを見据えた。


「どもー。天崎さん、こんな辺鄙な場所にいたんですね。随分と捜しちゃいましたよ」


 無邪気に笑うリベリア。

 彼女の登場に天崎は不敵な笑みを浮かべ、戸塚は驚きのあまり狼狽を隠せない様子だった。


「リベリア=ホームハルト――ッ!? どうしてここに……」

「こいつは遠くからでも俺の血を嗅ぎ分けることができるんだよ。そのために下唇を噛み切ったんだ」

「だとしても、数十キロは離れていただろう。召喚魔法か何かでも使ったのかい?」

「いえいえ。実は天崎さんの残り香を追って近辺まで来ていたのですが、どうも途中から曖昧になってしまいまして、上空を旋回していたんです。すると天崎さんの新しい匂いを察知したんで、急いでやって来たというわけですよ!」

「なるほど」


 予定が狂ったな。と言わんばかりに、戸塚は苦みのある笑みを浮かべた。


「それで天崎さん。この方は?」

「敵だよ。俺をデュラハンにしたのも、たぶんターニャの手を斬ったのもそいつだ」

「なんと!」


 大げさに驚いたリベリアが、目の前の戸塚を睨みつけた。その気迫に気圧されたのか、戸塚は一歩後退する。


「んで、こいつにはいろいろ聞きたいことがあるんだ。できれば無傷で捕えたい」

「お安い御用です」


 敬礼したリベリアが、机からピョンと飛び降りた。

 勝負あったな。と、天崎は確信する。


 戸塚はただの『調査員』だ。吸血鬼に対する戦闘法など心得ていないだろう。


 またベテランの吸血鬼ハンターでさえも、前準備がなければ何の対処もできないと聞く。リベリアが姿を現した時の反応から察するに、彼女の登場は完全に予想外だったはずだ。何かしらの準備をしているとは思えない。


 だから天崎は、楽観的に構えながら成り行きを見守っていたのだが――、

 驚きの光景を目の当たりにすることとなる。


 拳を握ったリベリアが、戸塚との距離を詰める。

 だが彼女の渾身の一撃を、戸塚は身を横に滑らせるだけで難なく躱したのだ。


「なっ――!?」


 天崎は思わず声を上げてしまった。戸塚の回避行動が、あまりにも余裕で危なげのないものだったから。


 横へ逃げた戸塚に向けて、リベリアの追撃が迫る。だが標的が後方へと飛び退いたため、その拳もまた空振りに終わった。


 それから数秒、拳や蹴り、時に机や椅子を放り投げるという乱雑な攻撃を繰り返したが、一度も戸塚の身体に当たることはなかった。


 その異常事態に、お互いの表情が徐々に入れ替わっていく。


 苦虫を噛み潰したような表情だった戸塚の顔は一撃躱すごとに余裕を見せ始め、逆にお茶の子さいさいと言わんばかりだったリベリアには焦りが浮かび始める。


 そして天崎もまた同じく、驚愕に満ちた顔で目の前の出来事を疑っていた。


 どうしてリベリアの攻撃が当たらない? まさか戸塚は人間ではない種族? いや、そんなはずはない。それならリベリアが何か言うだろうし、吸血鬼の身体能力に対抗できる種族など限られてくる。あの鬼ですら、リベリアの攻撃を回避することはできないのだ。


 人間と吸血鬼が互角に戦っている異常事態に困惑しながらも、天崎は静観する。

 ふと余裕の笑みを見せた戸塚の口から、ため息のような呟きが漏れた。


「ふふっ。人を殺す覚悟のない吸血鬼なんて、恐れるに足らないよ」


 その言葉を耳にして、天崎はすべてを理解した。

 リベリアは今まで人間と戦った経験がないのだ。


 人を狩ったことはある。吸血鬼化した天崎や鬼などの格上の存在と、本気で戦ったこともある。死んでも問題のない異世界で、対等な他のプレイヤーを殺したこともある。しかし相手を傷つけないように人間と戦ったことは……一度もない。


 つまりリベリアは今、力の調整を試みているのだろう。


 殺してはいけないという手前、徐々に力を落としていくことはできない。やるならば逆だ。力を最小限にまで落とした状態で、少しずつ相手の力量に合わせていかなければならない。


 故に今のリベリアの身体能力は、普通の女子高生となんら変わりがなかった。


 しかも戸塚が反撃してこないため、その調整すらも簡単にさせてくれない状態だ。かといって無暗に攻撃のスピードを上げるわけにもいかない。拳の速度は、力の威力へと直接的に関わってくるのだから。


 そして天崎は気づいた。先ほど口にした『無傷で』という言葉が、リベリアの枷になっていることを。


「リベリア! 無傷はなしだ! 多少は痛めつけても構わない!」

「そんなこと言われても……」


 天崎のオーダー変更に、リベリアは困ったような表情を返す。

 もちろん対戦相手の戸塚も黙ってはいなかった。


「まいったね。痛いのは嫌だよ」


 リベリアの出力が上げられるのを恐れた戸塚が呟く。

 その瞬間――勝負は一瞬で決してしまった。


 リベリアの拳を避けた戸塚が、彼女に足をかけた。バランスを崩したリベリアは、前方へたたらを踏む。しかし、そこは吸血鬼。たとえ力を落としても、転倒するヘマはしなかったのだが……残念ながら、今は戸塚の方が速かった。


 一切の無駄を省いた動きでコートの裏に手を忍ばせた戸塚が、防災用の手斧を振り上げた。武器があるとは予想していなかったリベリアの表情が、一瞬にして強張る。


 戸塚の方に躊躇いはなかった。

 高らかに上がった手斧が、リベリアの首筋めがけて振り下ろされる――。


「リベリア!」


 天崎の叫び声など、何の助けにもならなかった。


 手斧は無慈悲にも、リベリアの頭と胴体を分断させる。

 ザンッ! という、肉と骨が断たれる音。

 埃まみれの床に倒れた胴体と、転がっていく頭部。


 ターニャの手でデュラハン化されたのとは違う、本当の意味での断頭。その証拠に、断面から溢れ流れた血液が薄汚い床の上へと広がっていった。


「リベリア! リベリア!」


 縋るように名を呼ぶものの、頭部しかない天崎では動くことなど叶わない。


 しかし神さまは最期の別れをお許しになってくれたようだ。


 あまりに気持ちが前に出ていたためか、ロッカーの上に鎮座している天崎の頭がバランスを崩した。そのままゴロリと横に倒れると、ロッカーの下へ落下する。


 視界が高速で回転していると思ったら、木製の床へ顔面を打ち付けた。

 それでも天崎の気持ちは止まらない。


 わずかに余った勢いに任せて、床の上を転がっていく。三回転ほどすると、天崎の頭がピタッと止まった。


 少し離れた場所に、リベリアの頭があった。

 偶然にも、彼女の顔はこちらを向いている。

 視線が合い、そして――、

 リベリアは辛そうな表情の中で、にっこりと笑って見せた。


「リベ……リア……?」


 その笑みの意味を理解した天崎の心中に、絶望が満ちる。

 だが、こういう時に限って現実は裏切ってくれない。

 衰弱していくリベリアの側頭部に、戸塚のブーツが乗せられた。


「今後、リベリア=ホームハルトは、あの方にとって大きな障害になる可能性が高い。ここで始末できたのは運がいいな」

「や、やめろ! やめて……くれ……」

「やめてくれ? バカ言っちゃいけないよ。僕とリベリア=ホームハルトは生死を懸けて戦ったんだ。それで僕が勝っただけ。慈悲をかける義理は……ない!」


 すべての決定権は勝者に委ねられた。

 リベリアの頭を踏みつけていた戸塚は、その足を大きく振り上げる。


 いかに吸血鬼であろうと、何度も何度も無防備にストンプされれば、いずれは頭蓋骨が砕けてしまうだろう。そうなれば、間違いなく――死ぬ。


 頭部のみとなった今の天崎に、それを阻止する手段はない。

 己の無力を嘆いた彼は、これから起こる惨劇に耐えきれず、思わず瞼を閉じてしまう。


 だがしかし――、

 いくら待っても、頭部が粉々に砕ける音は聞こえてこなかった。


 恐る恐る目を開けてみる。

 戸塚の足は、振り上げられた姿勢のまま静止していた。


「どうして君がここにいる? 君の役割はもう終わったはずだ」


 戸塚の声が少しだけ遠くに聞こえた。どうやら顔を上げて喋っているようだ。


 何を言っている? 誰かがそこにいるのか?


 最大限まで眼球を動かしてみる天崎だったが……残念ながら、戸塚が廊下の方へ顔を向けていることしか分からなかった。


 そうしている間にも、戸塚の足がリベリアの上から退いていく。


「分かったよ。僕はこの子たちに何もしない。君は僕に何もしない。これでいいだろ? 最低限の目的は達成できたんだから、ここは大人しく退散させてもらうよ」


 渋々譲歩した戸塚のため息が耳に入った。続いて視界から彼の姿が消える。まったく名残惜しげもない足取りで、足音が遠のいていった。


 何が起きたのか、誰が来たのかも分からぬまま、天崎は混乱し始める。

 すると戸塚と入れ替わるようにして、新しい足音が近づいてくる。


 視界の端に、黒い布切れのような衣服が映った。


「こりゃまた無様な姿ですね、天崎先輩。僕に説教を食らわせた時の威勢はどこに行ったんですか?」

「お前は……!?」

「おっと。別に無駄話をしに来たわけじゃないから、さっさと眠ってくださいよ。後は僕に任せてください」


 その人物が天崎の瞼に触れると、急激に眠気が襲ってきた。

 意識が途切れる瞬間を見計らって、彼は一方的な要求を口にする。


「んじゃあ、これで学園祭で天崎先輩にした仕打ちはチャラにしてくださいね」


 学園祭? 仕打ち? チャラ?

 単語から記憶を引っ張る暇もないまま、天崎は再び混沌の眠りへと身を投じていった。

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