間 章 とある妖精コレクターと『調査員』の会話
時間は少しだけ遡る。
天崎からターニャを奪った小噺は、彼女を背負いながら牛歩並みのスピードで夜の小道をひたすら歩いていた。
「ったく、なんでうちがこんなことしなきゃいけないのよ。っていうか、重ッ!」
食いしばった歯の間から自然と愚痴が漏れてしまうのも、無理のないことだった。
デュラハンも一応は妖精のカテゴリに入るとはいえ、限りなく悪魔に近い。どちらかと言えば精霊や環境生命体など、手の平に載るサイズの妖精を研究している小噺にとっては、畑違いも甚だしかった。
しかもターニャは、女性デュラハンの中でもかなり背の高い方だ。妖精を求めてよく山中を探索するため体力には自信がある方だったが、さすがに自分より大きい女性を背負って長々と歩けるほど、小噺は体格に恵まれていなかった。
とにもかくにも、『調査員』への引き渡し場所まではもう少しだ。
「『調査員』の奴ら、うちが若いからってこき使いやがって……」
一般的に、各種専門家は『調査員』よりも立場が上である。『調査員』は事件の報告や事後処理、現地調査しかできないのに対し、専門家は事件を解決に導く能力を持っているからだ。
にもかかわらず妖精の研究を主とする組合に所属している小噺へと、このような専門外の仕事が回ってくるというのは、明らかに下に見られている証拠だ。しかも高校への潜入調査という雑用付き。舐められてるとしか考えられなかった。
「うちだって、暇じゃないっつーの」
誰に向けているわけでもない愚痴を漏らしつつも、早く仕事を終わらせたいという一心で目的地へと向かう。
と、その時だった。
前方から誰かが近づいてきていることに気づいた。
「?」
おそらくただの通行人だろう。とはいえ小噺も年頃の女の子。人気のない夜道で人とすれ違うのは、たとえ相手に悪意がなくても警戒してしまう。しかも今はターニャを背負っているのでなおさらだ。
端に寄り、顔を伏せてやり過ごそうとする。
「やあ、こんばんは」
「…………」
意外にも、立ち止まった相手が声を掛けてきた。
変質者だったら走って逃げるのが最善手かもしれないが、ターニャを背負っている現状ではそれも難しい。最悪、幻覚で惑わせばいいかと考えながら、小噺は苛立ちを隠そうともしない顔で応えた。
「……何か?」
挑発的に返しつつ、相手の身なりを確認する。
二十代前半から半ばくらいの男だった。背は高く、季節にあったトレンチコートを羽織っている。整った顔立ちや服装からは清潔感を漂わせているものの、悪く言えば個性のないどこにでもいるサラリーマンといった感じだ。群衆に紛れてしまえば、はっきりと顔を思い出せなくなるくらいには特徴がなかった。
「そう警戒しなくてもいいよ。僕は『調査員』だ。名は戸塚という」
「『調査員』?」
オウム返し、小噺はもう一度その男の身なりをじっくりと観察した。
『調査員』とは一つのまとまった組織ではあるが、そこに決まった規律があるわけではない。身を隠して調査に臨むため、目立たない恰好なら服装は自由だ。だから身なりだけでは『調査員』かどうかは判別できない。
しかし小噺は、まったく信用していない疑いの眼差しで戸塚を睨みつける。
まず一つ。『調査員』は基本的に二人一組で行動するはずだ。なのに、この戸塚と名乗る男は一人で登場し、周囲にもう一人が待機している気配もない。明らかに……怪しい。
そしてもう一つ。こちらの方が重要だ。
「うちはあなたを知らないんですけど?」
小噺にターニャの件を依頼した『調査員』とも、待ち合わせている『調査員』とも違う。さらに言えば、過去にこの男と顔を合わせた覚えはない。戸塚とは今が完全に初対面だった。
「はっはっは。そりゃそうさ。僕は元『調査員』だからね。君が妖精コレクターとして登録される前には辞めていたのさ」
「は?」
さすがに意味が分からなかった。
すでに『調査員』を辞めていることや、小噺を一方的に知っていることは問題ない。
だが戸塚は今さっき、自分は『調査員』だと言ったのだ。それは完全に嘘。あわよくば相手を騙せるのではないかという魂胆が見え透け、戸塚という男の得体の知れなさに、小噺は一歩身を引いた。
「突然で悪いけど、ターニャ=リリィウッドをこちらへ渡してくれないか?」
「はぁ?」
さらに意味が分からなかった。
とはいえ、依頼主でも『調査員』でもない相手にターニャを渡す義理はない。
身勝手にターニャの身柄を要求してくる目の前の男を、敵と認定する。
瞬時に判断した小噺が、大きく息を吸った。
「あなたの両脚は地面に埋まっている!」
「パイナップルはミカンの味がする」
「…………?」
小噺の言葉に重なるようにして、戸塚が意味不明な単語を口にした。
すると彼は、小噺に向けて一歩踏み出してくる。
幻覚がかかっていない!?
驚いた小噺は、さらに大きな声で宣言した。
「あなたの周りに闇の霧が包む!!」
「宇宙人が夜間飛行を楽しんでいった」
戸塚の視界は闇に遮られることなく、しっかりと小噺の瞳を見つめていた。
その時点で恐怖すら覚えてしまった小噺が、震えた声で問う。
「な、なんで……? 幻覚が効かないっていうの?」
「なんだい? 君は自分の弱点を知らないのかい?」
戸塚が意外そうな声で言った。
自分の頭を指で軽く叩いた彼は、得意げに話し出す。
「幻覚とは相手の脳に働きかける技術だ。つまり脳が言葉を理解しなければ、思い通りの幻覚を魅せることはできない。君の場合、匂いが先に来るからね。自分の言葉で幻覚の内容を書き換えるのは簡単だよ」
要は幻覚にかかっていないわけではなく、幻覚の内容を自分で操ったのだ。
おそらく戸塚が今パイナップルを食べればミカンの味がするだろうし、空を見上げればUFOが通り過ぎていったのが見えることだろう。
「君はまだ若い。いろんな弱点を克服する時間は、まだたくさんある」
「こ、来ないで!」
「ヤダね!」
小噺の拒絶に被せるようにして、戸塚が叫んだ。
次の瞬間、戸塚が小噺の元へと一気に距離を詰める。そして懐から白いハンカチを取り出すと、それを彼女の口へと押し当てた。
「――――ッ!?」
ターニャを背負っているため、両手で応戦することも逃げることもできない。また戸塚の行動が突発的すぎて、反射的に抵抗することも叶わなかった。
「眠れ」
耳元で、戸塚の低い声が囁く。
すると小噺は一瞬して昏倒してしまった。背負っていたターニャごと、その場に倒れ込む。
「そのうち『調査員』が助けに来るだろう。それまで君はそこで眠っててくれ」
寝息を立てる小噺から早々に興味を失くし、彼女に覆い被さっているターニャへと視線を向ける。未だ意識を失っているようだ。
「運ぶのにはちょっと重いかな」
そう言うと、戸塚は小噺の上からターニャを引きずり下ろした。
アスファルトに寝かされるデュラハンに向けて、冷徹な視線を落とす。
「悪いけど、君の右手を借りるよ」
コートの裏に忍ばせた戸塚の手には、防災用の手斧が握られていた。
そして何の躊躇いもなく、ターニャの右手首へと振り下ろされる――。




