第13章 キャットファイト
河川敷に降り立ったリベリアが、キョロキョロと何かを探すように周囲を見回し始めた。
「あっ! ターニャちゃんの頭、こんな所にあったんですね」
草むらの中に転がっているターニャの頭部を持ち上げると、まるでヘルメットを渡すような雑さで胴体の方へと放り投げた。
「リベちゃん……」
呆然と立ち尽くす胴体にキャッチされた頭部が、悲しげに呟いた。
再び二人が対峙する。その間、ターニャはまったく逃げる素振りを見せなかった。ただ自分の頭部をゆっくりと首の上に乗せるのみ。
「リベちゃん。もしかして、怒ってル?」
「そりゃあ怒ってますよ」
浮かない顔で問うターニャと、ニコニコと笑顔で答えるリベリア。
頭一個分以上の身長差があるため、リベリアがターニャを見上げる形になる。にもかかわらず、圧倒的に気圧されているのはターニャの方だった。
そして……。
パシッ! と小気味の良い衝撃音が響くのと同時に、ターニャの顔が真横へと弾かれた。
「貴女は自分の立場が悪くなることが、どうして分からないんですか!?」
リベリアが涙の混じった声で叫ぶ。ビンタをしたのは彼女の方だというのに、叩かれたターニャよりも悲痛な顔をしていた。
対するターニャはというと、放心したまま地面を見つめていた。何故ビンタされたのか分かっていないというよりも、親友の想いを時間をかけてしっかり噛み締めているようだった。
それもそのはず。リベリアのビンタは、ターニャの首が飛んで行かないほど優しいものだったのだから。
しかしターニャはみるみるうちに怒りを露わにしていく。
「リベちゃんには私の気持ちなんて分からないヨ!」
想いを右手に、ターニャの反撃が炸裂した。
リベリアは甘んじてその一撃を受け入れる。彼女もまた、怒りに満ちた瞳でターニャを睨みつけた。
「他人の気持ちなんて分かるわけないでしょ!」
先ほどとは逆の手で、リベリアの二撃目が放たれる。
やはりターニャも避ける様子はなかった。避けることが恥だとでも言わんばかりに、さらに反撃を繰り出していく。
「分からないなら放っておいてヨ!」
「友達なんだから放っておけるわけないでしょうがーーー!!!」
クロスカウンターだ。ターニャの一撃に合わせるように、リベリアが大きく振りかぶった。気持ちの入りように比例して、まるで張り手のように相手を突き飛ばす。当然ターニャはその威力に負け、尻もちをついてしまった。
だがターニャもそれで負けを認めるような弱い女ではない。
目の前に佇むリベリアめがけて、アメフト選手顔負けのタックルをかます。
「だったらナンデ私を見捨てたりシタノ!?」
「ふがっ!?」
タックルに巻き込まれたリベリアが、背中から地面へと倒れ込んだ。
そこへ馬乗りになってきたターニャに向けて、彼女は問いただした。
「見捨てたって、何の話ですか!?」
「リベちゃん日本で暮らすとか言って、全然帰ってこなくなっちゃったジャナイ!」
「それは家庭の事情で仕方なくですよ!」
覆い被さってきたターニャの肩を掴み、そのまま横へ回転する。
上下の関係が逆になり、今度はリベリアが馬乗りになって叫んだ。
「兄さんが怖くて、欧州には帰りたくても帰れないって言いましたよね!?」
「兄さん兄さんって、昔からブラコンなのは変わらないネ!」
「ヤンデレのあんたに言われたくないわーーー!!!」
取っ組み合いながら、ゴロゴロと転がっていく二人。
そのまま川へ落ちてしまうんじゃないかと天崎が心配し始める前に、ターニャが上になった状態で停止した。
「ダイタイ、私がヤンデレになったのは、リベちゃんのせいなんだからネ!?」
「はぁ!? 自分の短所を他人のせいにしないでくださいよ!!」
もっともだ。ターニャの主張は意味が分からない。
「ヤンデレになっちゃったのは、何度も恋に失敗したからだヨ! 恋に失敗し続けてるのは、リベちゃんがいるからなんだヨ!!」
「それこそ心当たりないわ! 納得できる説明を寄こしなさい!」
「私が付き合った男性はみんなロリコンだったミタイデ……リベちゃんを見るやいなや、すぐに心変わりしちゃうんだヨ!」
「知るかあああーーー!!!」
リベリアの絶叫が夜空に響き渡った。
再び位置関係を反転させたリベリアは、地面で寝そべるターニャに往復ビンタを仕掛ける。
「だから相手がデュラハンになってくれないと思ってるんですか!? 貴女はバカなんですか!? そんなこと考えてるから、ヤンデレだって言われるんですよ! っていうか、ロリコンじゃない男性とお付き合いすればいいだけじゃないですか!」
「付き合ってからロリコンだって判るから仕方ないジャン! リベちゃんを紹介する前と後で、私に対する態度が露骨に変わるんダヨ!? その時の私の気持ち、リベちゃんにワカル!?」
「だったら紹介してくんなーー!! 彼氏ができるたびに自慢しに来やがって! 人間を連れて来られても、私どういう顔をすればいいか分からないんですからね!?」
吸血鬼にとっての普通の人間とは、ほとんど食糧のようなものだ。いくら友達の彼氏だからといって、惚気半分自慢半分で紹介されても迷惑なだけだろう。その際、苦笑いでもするリベリアの微妙な表情が目に浮かぶようだった。
さらに上下関係が入れ替わり、今度はターニャが往復ビンタをする番となる。
「ナンデみんな恋も知らない引きこもりのちんちくりんを好きになるノ! 吸血鬼はよくて、デュラハンはダメナノ!? カワイイは正義ナノ!?」
「私に言うな! 言うて貴女もかなりの美人ですよ!? 私にはない豊満なボディもあるじゃないですか! 虜にできる男性なんて、たくさんいるでしょ!」
叫びながら、リベリアは覆い被さっているターニャの胸を往復ビンタし始めた。
ターニャも負けじとリベリアの控えめな胸を揉み始める。
「私がスキになった男性は、ちっぱい好きばかりだったんだヨ!」
「だから私に責任を押し付けないでくださいってば!!」
もうお互い何を言いたいのかも分からないまま、本心だけをぶつけ合う。
すると絡み合った二人が、先ほどの位置に戻る方向へと再び転がりだした。
今度はリベリアがマウントを取った状態で止まる。
「そもそも、私だって恋くらい知っています! 引きこもりもちんちくりんもその通りですけど、それだけは間違えないでください!!」
「嘘だネ! 家からまったく出ないリベちゃんが、男性を好きになるなんてありえないヨ! どうせ映画か漫画の話でショ!?」
「違いますー。ちゃんと実在する男性ですー。私だって恋くらいするんですから!」
「ほお? じゃあ言ってみなさいヨ! リベちゃん全然そんな話しなかったし、お兄さん以外で会話する男性なんてほとんどいないって言ってたジャン! そんな引きこもり状態で、誰を好きになったって言うのサ!?」
「私は……!」
そこでリベリアは言葉を切る。
わずかに顔を上げると、視線だけを前方に向けた。
少し離れた所で、天崎が呆然と立ち尽くしていた。不用意に二人の間に入って来ないのは正解だ。女同士の喧嘩に巻き込まれたら、ひとたまりもないだろう。
だからこそリベリアは安堵し、それと同時に確信を得た。
ターニャに恋を知らないと言われた時、反射的に浮かんだのは天崎の顔だった。
天崎に対して前々から特別な感情を抱いていたのは知っていたが、己の中にあるそれが恋心かどうかは確証がなかった。
しかしターニャとの問答で、リベリアは自分の気持ちに納得がいった。
恋と言われて即座に浮かんだ顔。
誰を好きになったと訊かれて、無意識に視線が向いた男性。
今なら自信を持って答えられる。
あなたは誰が好きですか? と訊ねられたら――、
「私は……」
視線をターニャの方へと戻す。
大きく息を吸い込んだ後、高らかに宣言した。
「私は天崎さんのことが好きです!」
「それは知ってるヨ!」
「知ってるんかーい!!」
リベリアによるツッコミが炸裂した。
脳天にチョップを受けたターニャが、「オギャアアア」と叫び声を上げて目から火を噴く。だが本当に顔から火を噴きそうなのはリベリアの方だった。
リベリアはターニャの襟口を両手で掴むと、上体を起こしてゆっさゆっさと揺らし始める。
「えっ? えっ? な、なんで知ってるんですか!?」
「当たり前ジャン! リベちゃん、再会してから天崎クンの話ばかりスルシ、天崎クンを前にした時の態度が全然違うモン! アレで分からなきゃタダのアホだヨ!」
「そ、そうだったんですか……」
兄以外で誰かを好きになったのは初めてだったので、リベリアも自分の行為にまったく自覚がないようだった。まさか、そんなに分かりやすかっただなんて……。
羞恥心により、彼女は顔の温度がさらに上昇していくのを感じていた。
「じゃ、じゃあターニャちゃんの質問の意味って何ですか!? どんな裏の意図があったって言うんですか!?」
「日本に来る前の話に決まってるジャン! 今はその話をしてるんダカラ!!」
「あぁ、じゃあいないです」
「ダヨネ!」
ビックリするくらい冷静になったリベリアが、掴んでいたターニャの服を離した。
そして馬乗りになったままで、眼下のターニャに向けて呆れたため息を漏らす。
「っていうか、そろそろ本題に入りませんか? 天崎さんのご友人の頭、どこに隠してるんですか?」
「リベちゃんは私からショーゴ様まで奪うつもりナノ!?」
「貴女がいきなりデュラハン化させたせいでしょうが!」
リベリアの制裁チョップがターニャの額を襲った。
今度は叫び声までは上げなかったものの、まるで叱られた子供のように拗ね始める。目尻に涙を浮かべ、唇を尖らせながら。
そんな我が儘すぎる親友を前にして、リベリアは頭を抱えた。
「はぁ、どうせデュラハン化も合意の上じゃないんでしょ? だったらまず冷静になって、天崎さんのご友人と一度話し合いましょうよ。私も側にいてあげますんで」
「ヤダヤダ! どうせショーゴ様も、デュラハンになりたくないって言うんだモン。裏切られるくらいだったら、最初から彼の意志なんて聞かない方がいいんダヨ!」
「貴女はまた同じ過ちを繰り返すつもりですか!?」
「…………」
昔のことを思い出したのか、ターニャは目を逸らして黙り込んだ。
恋人を許可なくデュラハン化させた挙句、自殺されてしまった悲劇の結末。本人も大いに反省していたというのに、またも同じことを繰り返そうとしているのだ。ターニャの自分勝手な考え方は、あまりにも幼稚だった。
しばらくの間、お互い無言が続く。
ふと、ターニャが息を吐くように小さく呟いた。
「……こうなったのは、リベちゃんのせいだからネ」
「まだ言いますか」
「だってそうだヨ。リベちゃんがアイルランドに来ないから私、寂しくて寂しくて……」
「…………」
今度はリベリアが考え込む番だった。
アイルランドの悪夢という事件を起こした後、ターニャはほぼ軟禁状態だった。その中でリベリアは唯一の友達といっても過言ではなかっただろう。それがいきなり縁を断ってしまったのだから、ターニャにとっても相当堪えたはずだ。
それと同時に、少し甘やかしすぎたんじゃないかとリベリアは自分を戒める。軟禁されたのは自業自得だが、ターニャを寂しがらせないように事あるごとにアイルランドに足を運んだのはリベリアの責任だ。
ただ……と、リベリアは目の前の哀れな友人を見下ろす。
どんな大罪を犯そうと、やはり友人を放っておけるわけはなかった。
「……分かりましたよ。私もなんとか欧州へ帰れるように努力してみます」
「ホント!?」
「えぇ。ただし、天崎さんのご友人の首を戻すのは絶対ですからね。その後どうなろうと私がとやかく言うつもりはありませんが、これだけは約束してください」
「うん、わかっタ!」
ターニャは意外にも素直に了承してくれた。
やはり前回の失敗を思い出させたことが大きかったのだろう。犬飼を手に入れたいという気持ちに間違いはないが、だからこそ死別というトラウマが彼女を譲歩させたのだ。
ならばリベリアとしても、ターニャの要望は最大限に応えてやらなくてはならない。
それ故、さてどうやって欧州に帰ろうかと、今から思案を始めたのだが……。
彼女はターニャの性格を見誤っていた。
「でもリベちゃん、気兼ねなく故郷に帰れる方法があるヨ」
「気兼ねなく?」
「そう。こうやって……」
完全に油断していた。
ターニャが右腕を高々と挙げるまで、まったく反応できていなかった。
「あっ、しまっ……」
刹那、ターニャの手刀が薙ぎ払われる。
リベリアはわずかに身を引いたものの、回避することはできなかった。
首筋に一本の線が引かれるのと同時に、リベリアの頭が……落ちる。
「私がリベちゃんの首だけを持って帰るカラ、ずっと一緒にイヨウ。ネ?」
友人の首を刎ねたターニャは、嬉々として笑っていた。
地面に転がるリベリアの頭。断頭を目撃した瞬間、天崎は反射的に駆け出していた。
「リベリア!」
だが、予想だにしていなかった事態が起こる。
頭部を失ったリベリアの胴体が、ターニャの腹を思いきりぶん殴ったのだ。
「えっ――――ッ!?」
まさか反撃が来るとは思っていなかったのだろう。まるで攻撃に備えていなかった無防備な身体に、渾身の一撃が入る。一瞬にして白目を剥いたターニャは、肺の中の空気をすべて吐き出しながら、仰向けに倒れてしまった。
それと同時に、リベリアの胴体もまた崩れ落ちる。
「リベリア!?」
もう一度名前を呼んだ天崎は、気絶している長身の北欧美女と、頭部と胴体が真っ二つに切り離された金髪の吸血鬼の元へと歩み寄った。
「天崎さーん。すみません、助けてください!」
声が聞こえ、天崎はビクッと肩を揺らす。
半デュラハン化しているはずのリベリアが、何故か泣きながら助けを求めてきた。
「うわーん、完全に油断していました! 今まで喧嘩で首を刎ねられたことは一度もありませんでしたから……」
「リベリア! お前、大丈夫なのか!?」
「大丈夫ですよ。いえ、すみません。大丈夫ではないです。ひとまず頭を戻していただけませんか?」
「ああ、分かった」
陽気に喋るリベリアの生首を拾い上げた天崎は、そのまま胴体と断面を合わせる。すると先ほどデパート前で助けた女性と同じように、元の身体へと戻っていった。
「お前、ターニャに首を刎ねられても意識を失わないんだな」
「私は吸血鬼なのでデュラハンにはならないんですよ。あっ、でも意識を失わないのと首を斬られた後に少しだけ動けるのは、慣れてるからですかねぇ。昔からよくターニャちゃんに首を斬ってもらって、身体交換ごっことかやってましたから。ただ身体が痺れちゃって、しばらく動けなくなっちゃうんですよ。ほら、この通り。腕がまったく上がりません。っていっても、二十分か三十分もすれば普通に動けるようになると思いますけどね。にしても、間に合ってよかったですよ。ターニャちゃんに一撃食らわせて気絶させなければ、危うく頭単身でアイルランドに運ばれてしまうところでした。いやー危なかった危なかった。あははのはー」
「……なんでそんなに早口なんだ?」
「えーっと……」
もごもごと言い淀んだリベリアが目を泳がせた。
少しだけ所在なさげに眼球を動かした後、彼女は地べたに寝転んだまま、恥ずかしそうに天崎に訊ねた。
「天崎さん。ターニャちゃんとの会話……聞こえてましたか?」
「あぁ……まぁ、大体は……」
「そうですか……」
再び挙動不審に視線を彷徨わせるリベリアの顔が、今にも泣きだしそうに緩んでいく。心なしか目尻に涙も浮かんでいるよう。身体が痺れて動かせず、顔を隠せないこともまた、彼女の羞恥心をくすぐっているようだった。
「…………」
「…………」
しばらく二人の間で微妙な空気が流れる。
さすがに何か言わなきゃいけないと感じた天崎が、口を開いた。
「リベリア。俺は……」
「あーっと、天崎さん。この後どうしましょうか!?」
だがしかし、リベリアの露骨な話題逸らしに阻まれてしまう。
天崎としても明確な答えを持ち合わせているわけではないので、ここはリベリアの意を汲むことにした。
「えっと……ターニャは今、気絶してるんだよな?」
「はい。ただ私も焦っていたため、手加減はできませんでした。なので、いつ起きるかは見当もつきません。天崎さんのご友人が完全にデュラハン化するまでには、目を覚ますとは思いますが……」
不安そうに呟いたリベリアが、横で倒れているターニャを一瞥した。
天崎たちの最終目的は、犬飼の頭を取り戻すことだ。今ここでターニャが持っていないところを見ると、おそらくどこかへ隠しているのだろう。彼女を捕らえたところで、居場所を聞き出さない限り解決ではない。
どうしたものかと天崎が考えを巡らせていると、リベリアが提案してきた。
「ひとまずターニャちゃんが起きるのを待つしかないですね。寝てる間に手足を雁字搦めにして、起きたら即座に頭の場所を聞き出しましょう。デュラハンの怖いところは、乗り物と手刀だけですので」
「それはそうだが、とりあえず場所を移動した方がいいかもな。そのうち『調査員』が来るだろうし」
「『調査員』? なんでですか?」
「ん?」
リベリアが首を傾げたことに疑問を抱いたが、その理由はすぐに分かった。
彼女は一度おののき荘に戻っていたため、デパートでの惨劇を知らないのだろう。
天崎は先ほどのターニャの愚行をかいつまんで話した。
「ええーっ! ターニャちゃん、そんなアホなことしでかしてたんですか!?」
身体が痺れていなければ、頭を抱えて悶絶しそうなほどの驚きぶりだった。
「今さらだけど、リベリアはよくこの場所が分かったな」
「おののき荘から飛び立ったら、ものすごいスピードで走るバイクを見つけたので追ってきただけですよ。けどまさか、その前にアイルランドの悪夢みたいなことをしていたなんて……。なんでそんなアホなことを……」
「それだ」
と言って、天崎はリベリアに人差し指を向けた。
「ターニャはあのまま犬飼のデュラハン化を待てばいいだけだったのに、どうして俺の前に現れたんだ? 捕まる危険だってあったわけだろ? それにターニャの奴、しきりに俺の首を斬ろうとしてきたしさ」
「そんなこと言われても分かりませんよ。それこそ、ターニャちゃんが起きた時に聞き出せばいいのでは?」
「それもそうだな」
リベリアの意見に納得した天崎は、反論の余地もなく素直に頷いた。
ただそうなると、意地でもターニャを『調査員』に渡すわけにはいかなくなる。少なくとも、彼女が目を覚ますまでは。
「天崎さんの言う通り、ここで悠長に話してる場合ではありませんね。そんな大事になってるなら、この地域で活動している『調査員』が一斉に捜査しているはずです。私もできるだけ彼らとは敵対したくありませんので」
「どうする?」
「一旦おののき荘に運びましょうか。幸いにも、それほど距離は離れていませんから」
「おののき荘かぁ……」
確かに、自分の部屋にターニャを匿うのが最適だと思った。
ただ距離が離れてないとはいっても、それは一人で歩いた場合だ。すでに辺りは闇に包まれているとはいえ、気絶した外国人を背負いながらの移動は嫌でも目立つ。しかも多くの『調査員』が徘徊しているとなれば、運も絡んでくるだろう。
「本来なら私が飛んで運べば早いのですが……」
と言いつつ、リベリアが身じろぎする。
しかしわずかに指が浮いただけで、首から下はほとんど動くことはなかった。
「御覧の有様なもので」
「いや、たとえ動けても空を飛ぶのはよそう。もしも『調査員』に見られたら一発だ」
少し大きめの事件があったのだから、空にも警戒網を広げているはず。つまり空を飛んで来たリベリアも、すでに捕捉されている可能性が高い。ここへ『調査員』が到着するのも、意外と早いかもしれない。
ならば選択肢は一つだ。
「俺がリベリアとターニャを抱えておののき荘まで運ぶってのはどうだ?」
「お願いしますと言いたいところですが……天崎さんも怪我してますよね? あの落下で無傷とは思いませんが」
「んんー……」
唸り声を上げた天崎は、少しずつ各部位を動かしてみる。地面と衝突した時に犠牲となった右腕が少し痺れたくらいで、それ以外は擦り傷ができた程度の痛みしかなかった。
「骨は折れてないな。ヒビも入ってないと思う。でも、確かに二人も抱えて移動するのは無理かもしれない」
「分かりました。では、先にターニャちゃんを運んでってください。私も動けるようになったら後を追いますので」
「おう」
方針を決めるやいなや、天崎はターニャを背負う。
リベリアと一旦別れ、おののき荘に向けて歩き出そうとしたのだが……。
少し歩いたところで、彼は振り返った。
「なぁ、リベリア」
「はい?」
足を止め、ゆっくりと息を吸う。
相手の顔を見ずに言うのは卑怯かとも思ったが、どうしてもこの場で伝えたかった。
「なんていうか、その……ありがとな」
何に対してのお礼なのかは、天崎自身も分かっていない。
そんな曖昧な言葉ではあるものの、リベリアはしっかりと受け取ってくれた。
「はい!」
暗くて表情はよく見えなかったが、かけがえのない宝物を手に入れた子供のように元気いっぱいな返事だった。




