第12章 首無しライダー
死に物狂いで階段に辿り着いた天崎は、手すりから身を乗り出して階下を確認した。
下に降りて行ったのは見えた。ターニャは一階から逃げる気か? ……いや、足音から察するに、さらに下へ向かっているようだ。このデパートには確か、地下駐車場がある。
とにもかくにも、彼女がデパートから出る前に捕らえたい。
瞬時に覚悟を決めた天崎は、わずか二歩で踊り場へ、そして一階へと駆け降りる。
「うぅ~……」
本来なら痛くも痒くもない段差だが、着地するたびに足の裏から伝わる振動が、常に股間を刺激する。妖精コレクターの小噺が、デュラハンは悪魔寄りだと言っていた理由が分かった気がした。躊躇いなく股間を蹴り上げるなど、悪魔以外の何物でもない。
そんな冗談は置いといて、痛みに耐えつつも、なんとか地下駐車場へと降り立った。
同時に、股間の痛みとはまた違った冷汗が浮かぶ。
自分の頭をしっかりと装着したターニャが、駐車してある大型バイクに跨っていたのだ。しかも当然のようにエンジンもかかっている。
「だからなんで鍵が!?」
いや、自転車ならともかく、バイクの鍵が都合よくその場に放置されているなんて、まず考えられない。つまり乗り物を運転する際、鍵の存在が障害にならないのはデュラハン特有の能力か何かなのだろう。
その可能性に至るやいなや、天崎は一気に焦り始めた。
乗り物で逃げられては、絶対に追い付くことができない。
数時間前に聞いたリベリアの言葉が、耳の奥でこだまする。
「くそっ!」
悪態をついた天崎は、ターニャの背中に向かって一心不乱に駆け出した。
あと数歩で手が届くかという距離で、天崎は思い切り地面を蹴った。まるで九回裏ツーアウトで内野ゴロを打った高校球児が如く、渾身のヘッドスライディングがバイクへ向かって炸裂する。
テールランプで腹を打ち付けることも厭わず、両腕をクワガタのように広げ、ターニャの腰の辺りを目がけて決死のダイブを決めた。
間に合うか? それとも逃げられるか?
ただがむしゃらに、己の全力を振り絞る。
そして――、
がっしりとターニャの腰へ腕を回した瞬間、奇妙な浮遊感が全身を襲った。
「――――ッ!?」
まるで突然、宇宙空間に放り出されたよう。上下左右の感覚が失われ、天崎は思わず目を閉じてしまった。
しかし次の瞬間、冷たい風が頬を撫でていることに気づく。
ターニャが運転する大型バイクは、音もなく夜の道を走っていた。
「なっ――!」
目を開けると正面にはターニャの背中があり、夜の街並みが高速で後ろに流れていく。
そう、ターニャは天崎に捕獲された状態のままバイクを走らせているのだ。
「お前……」
天崎が何かを言いかけるのと同時に、ターニャが身じろぎした。
片手をハンドルから放すと、自分の腰にしがみついている天崎を引き剥がそうとする。
「チョット! 天崎クン、放してヨ!」
「はぁ!? ふざけんな! 今放したら死んじまうだろうが! せめてバイクを止めろ!」
天崎が言うことも、もっともだった。
現在ターニャが運転しているバイクは、時速五十キロで走行する自動車の間をすいすい追い抜いている。そんな速度で振り落とされれば、間違いなく軽傷では済まないだろう。後続車に撥ねられるのも、また怖い。
そうでなくとも、今の天崎はいつ落ちても不思議ではない体勢だった。
シートの後ろ半分のわずかな余白で腹ばいになり、ターニャの腰に回している両腕のみで身体を固定しているのだ。故に下半身はバイクから半分落ちているようなものであり、後輪に巻き込まれないよう全力でエビ反りの姿勢を維持していた。
落ちるのも時間の問題だと感じた天崎は、賭けに出る。
歯を食いしばり、全身に力を込めた。
「うがががががあああ!!」
驚異的な腹筋と背筋力で、エビ反りになっている下半身をさらに高く持ち上げる。走行中のバイクの上で姿勢を変え、そのまま後ろ半分へ座ろうという作戦だ。
天崎の筋力があれば、うつ伏せから座席へ座ることくらい容易だ。ただ問題なのは、支柱となっているターニャが耐えられるかどうか。
当然ながら、両腕にもそれ相応の力が入る。無茶な行動のせいでターニャがバランスを崩せば、二人とも地面へ真っ逆さまだろう。
だからといって何もしなければ、自分が落ちるだけ。ここはターニャの耐久性を信じ、天崎は作戦を継続した。
「うおおおおおおおおお!!!」
浮かせた両脚を横に開き、尻を座席の方へ強引に引き寄せる。それと同時に支柱となっているターニャの身体をよじ登るようにして、腰に回している腕を胸や肩へと移動させた。
「もう、ヤダ! ドコ触ってるの!?」
くすぐったそうに身じろぎしたターニャが、肩越しに振り返って叫んだ。
「ああ!? 今さら胸を触られたくらいで何言ってんだ! 昨日、どんだけ生で揉んだと思ってんだよ!?」
「アレは天崎クンが勝手に揉んで来たんデショ! 私はイヤだったヨ!」
「だったらそれなりに意思表示くらいしろ!」
「口がないのにイヤだって言えるわけないジャン!」
「なんかホントごめん!!」
さすがに自分の方に非があると感じたのか、素直に謝る天崎だった。
にしても、ターニャは意外と余裕がありそうだった。もしかしたらデュラハンには、何者にも運転を邪魔されない特殊な能力でもあるのかもしれない。
言い争いをしている間にも、天崎は座席の後ろ半分へ座ることに成功する。
しかし一息ついたのも束の間、バイクが急に蛇行し始めた。
「オチロー! オチロー!」
「落とそうとすんな! っていうか、お前がバイクを止めろ!!」
普通だったらスリップしてもおかしくないほどバイクを傾けるため、天崎も振り落とされまいと必死にしがみつく。
ターニャもターニャでバイクを停止させるどころか、片手をハンドルから放して天崎の首を刎ねようと狙ってくる。しかし真後ろまで腕が届かず、お互いどうすることもできないまま距離だけが重なっていく。
「おまっ! 前を見ろ、前を!」
慌てて警告する。進行方向の信号が、赤く光り輝いていた。
だがターニャは止まらない。停車している車の横を通り過ぎ、猛スピードで交差点へと侵入する。
ただ、そのまま直進するわけではなかった。
体重を右側に傾けたターニャに従い、バイクもまた一気に沈み込む。
「おいいいいぃぃぃ!!」
簡単に言えば右折だ。その方法が常識を超えているのだけれども。
車体の角度は地面とほぼ水平。アスファルトに触れたフレームが火花を散らす。
後部に座る天崎にとっては、いきなり顔の真横に地面が迫ってきたようなものだ。頬がすりおろされないよう、さらに力強くターニャにしがみつく。
そして何より驚きなのが、まったく減速をしなかったことだ。
慣性の法則を完全に無視し、車体の進行方向だけが直角に曲がる。目を開けていなければ、進路が変わったことに気づかないほどスムーズな右折だった。
そして今の天崎には、目を見開く余裕すらなかった。
一歩間違えれば人間おろしになっていたかもしれない恐怖。さらに今まで経験したことのない物理法則無視の世界が、天崎の脳を一瞬だけブラックアウトさせていた。
その一瞬が、不運を招く。
右折が完了した後、崩れた姿勢を整えるため、天崎は無意識のうちにターニャの身体を掴み直そうとする。その際、間違えて彼女の後ろ髪を引っ張ってしまったのだ。
もちろん非常に危険な行為には違いない。しかし今は違う意味で致命的だった。
髪を掴んだ瞬間、ターニャの頭がポロッと外れてしまったからだ。
「はっ!?」
もちろん忘れていたわけではない。ターニャはデュラハンだ。
リベリアから聞いた話を思い出す。デュラハンの頭が肩に乗っている状態というのは、強力な磁石でくっついている程度なのだと。
「アアアアアアアァァァァ!!! 放してェ! チガウ! 放さないでェ! 落ちたら死んジャウウウウゥゥゥ!!!」
「放さねえよ! つーか、バイクを止めろおおぉぉ!」
左手に吊り下げられた生首が、大口を開けて騒ぎ出した。
もちろん天崎とて、ターニャの頭部を放り捨てるつもりはない。だが徐々に速度を増していくバイクは、それ相応の風圧を全身に受けることになる。右腕一本で自分の身体を支えることすら危ういところだ。
ふと、最悪な事態に気づいた。
運転手の頭がないため、ずいぶんと見通しが良い。ただ当然ながら、後部にいる天崎の視界が良くなったところで意味はなかった。
「ターニャ! お前、ちゃんと前は見えてるんだろうな!?」
「ウゥ、酔う、酔う。頭を振り回さないデェ……」
目を回したターニャの頭部が、青白い顔をしながら大人しくなった。
役に立たなくなった頭部は無視し、再び前を向く。
問題ないはずだ。先ほどのデパートや自転車で逃げられた時も、ちゃんと周りが視えているような動きをしていた。たとえ精神がリンクしていても、頭部と胴体、両方に視覚があるのだろう。
しかし期待を裏切るかのように、再びバイクが蛇行を始めた。
先ほど天崎を振り落とそうとしたような、意図的な揺さぶりではない。飲酒運転でもしているが如く、ターニャのハンドルさばきが安定しなくなったのだ。
「まさか……頭が酔っているからか?」
生気のないターニャの頭部を一瞥した天崎の顔から、サッと血の気が引いた。
マズい、このままでは転倒してしまう!
すでに百キロ以上もスピードが出ているのだ。倒れたらタダじゃ済まない。
せめて速度を緩めるくらいはできないかと、胴体の肩越しに前を見る。しかし両手は塞がっているし、そもそも免許を持たない天崎では、バイクを停止させる方法など知っているわけがなかった。
「……嘘だろ?」
絶望する天崎に、さらなる追い打ちがかかる。
先ほどの右折で道幅の狭い県道に入っていたらしく、気づけば周囲の明かりがだいぶ乏しくなっていた。いつの間にか市街地から外れていたようである。
そして天崎は、この先に何があるのかを知っていた。
前方に現れたのは巨大な山だった。いや、周囲が薄暗いからそう見えるだけであって、実際は河川に跨る橋である。前を走る自動車のテールランプが、その道筋を照らしていた。
もちろん道なりに行けば何も問題はない。しかし酩酊している今のターニャでは、自由にハンドルを扱うことができていなかった。
猛スピードで走るバイクが本線を外れ、左の側道へと入ってしまう。
「おいおいおいおい!!」
運転手の頭がなく見晴らしが良いため、状況の把握は容易だった。
何故あそこに橋があったのか。答え、そこに川があるからだ。
では川の氾濫などの水害を防ぐため、岸に築かれた堤防を何というか。
そう。土手という名の壁が、当たり前のように天崎たちの行く手を阻む。
「曲がれえええぇぇえぇ!!」
大声を出したところで、もうすでに遅かった。
まったく減速もしないまま、バイクの前輪が土手の麓を踏んだ。
ガクン! と大きく車体が振動するとともに、急な勾配を上り始める。
そして数メートルの土手をわずか一秒ちょっとで上り終えた大型バイクは、ロケットの如く大空へと発射されたのだった。
「――――ッ!!!???」
最初に天崎の目に映ったのは、夜空に浮かぶ大きな月だった。
あぁ、映画だったらこのまま空を飛べるのかなぁ……などと思うも、天崎が乗っていたのは自転車ではないし、そもそもバイクは使い果たされた燃料タンクのように、地面へ向かって落ちていく最中だった。
つまり天崎は今、単身で空中へと放り出されているのである。
しかし気持ちの良い空中遊泳も長くは続かない。
急激に速度が落ちるのとともに、今度は視界がぐるんと回る。月の光が反射する漆黒の水面が見えたと思ったら、次は河川敷に整備された遊歩道。そして逆さに映った住宅街の後、再び夜空が戻ってくる。
その時点で、天崎は覚悟を決めた。
いつの間にかターニャの頭部を放していた左手で自分の頭を庇い、右腕は脇をがっちりと固める。全身を丸めながら落下地点を見極めた天崎は、重力が為すまま真っ暗な河川敷へと落ちていった。
「痛ッ――!!」
地面と衝突した瞬間、右腕に鈍い痛みが奔った。だが逆に言えば、それだけで済んだみたいだ。頭が地面と接触することは避けられたし、下半身も軽く打ちつけた程度。歩くには支障なさそうである。
「……俺が『完全なる雑種』じゃなかったら、普通に死んでたな」
耐久力だけの問題ではない。身動きの取れない空中で体勢を整えられる体幹や、短い落下時間で即座に行動に移せる反射神経は、『完全なる雑種』の運動神経あっての賜物だった。
「ターニャは……」
右腕を庇いながら立ち上がると、少し離れた場所でふらふらと歩いている胴体を見つけた。
デュラハンという種族も人間よりは頑丈な身体をしているのか、目立った怪我をしている様子はない。ただ地面に衝突した衝撃と乗り物酔いから、かなり足腰に来ているようだった。
「おーい! 胴体! こっちだヨォ!」
ふと、草むらの中から声がした。何かを捜すように彷徨っていたターニャの胴体が、そちらの方へ向く。
どうやら頭部と胴体の距離が十メートル以上離れていたようだ。精神のリンクが切れ、お互いどこに居るのか分からなくなっていたのだろう。
頭の方も無事だったのかと安堵するのと同時に、天崎は焦り始める。
せっかくここまで追い詰めたのだ。また逃げられでもしたら、今度こそターニャを発見するのは不可能になってしまう。何としてでも捕まえなければ。
小鹿のように震える両脚に鞭を打って、ターニャの方へと歩を進める。
と、その時だった。
夜空から突然、ターニャの目の前に大きな物体が降ってきた。
「!?」
まるで頭への道筋を遮るように降り立った物体に、ターニャは思わず足を止める。
着地の際に舞い上がった砂埃の中に立っていたのは、金髪の吸血鬼だった。
「やーっと見つけましたよ。ターニャちゃん」
金髪の吸血鬼――リベリア=ホームハルトは、久しぶりに会った友人に話しかけるような気軽さで、ターニャに微笑みを向けていた。




