第11章 デパートでの攻防
リベリアは空から、天崎は地上からと、二手に分かれて捜索することになった。
しかし街中を一時間も走らないうちに、天崎の心はぽっきりと折れる。
「いや、無理だろ……」
片側三車線の国道に跨る歩道橋の上で、手すりに寄り掛かった天崎が夜空を見上げながらぼやいた。
いくらなんでも情報が少なすぎる。この広い街で、人一人……いや、デュラハン一人を見つけ出すなんて、まず不可能だ。
しかも相手は自分たちから逃げ隠れすることを目的としているのだ。たった二人で追い詰められるわけがないし、すでに県外に逃走している可能性だってある。
タイムリミットギリギリまで粘るつもりだが、頭の隅ではすでに諦めが過っていた。
気分転換も兼ねて、天崎はリベリアに電話を掛ける。
『もしもーし、こちらリベリアです』
「何か手掛かりでも見つかったか?」
『いえ、全然ですねぇ。物凄い速さで動いてる車両もなければ、騒ぎになってるような場所もありません。あ、そういえば今さっき近場で火事があったみたいで、一応確認に行ったんですけど、ターニャちゃんとは関係なさそうでした』
「まあ火を起こす理由がないからな」
『空からだと、これ以上の捜索は意味がないかもしれませんね。建物の中に隠れられたら、絶対に見つけられませんし。……あー、こんなことならターニャちゃんの血、少しだけでも頂いておけばよかったです』
「そういえばお前、血を吸った相手がどこにいるのか分かるんだったな……」
そうそう広範囲まで察知できるわけではないとはいえ、ないよりはマシだ。
……いや、天崎の部屋には、犬飼の胴体があるのだ。奴の血を手掛かりに、頭部と一緒にいるであろうターニャの位置も掴めるのでは?
「リベリア。お前、俺の家に戻って、犬飼の血を少しもらって来いよ。もちろん直接牙を立てないようにな」
『あー、その手がありましたか。けど進言した私が言うのもなんですが、頭部の方も出血していないと、それほど効果はありませんよ』
「でも、やらないよりはマシだろ?」
『そうですね。分かりました。じゃあ私は一度、おののき荘に戻ります』
「頼んだ」
やり取りを終え、通話を切る。
そういえば、おののき荘側はどうなっているのだろう。特に変化はないと思うが、せっかくスマホを手にしてるんだし、状況を知るためにも軽く連絡を入れようとしたところで……ふと気づいた。
「俺、空美さんの携帯番号知らねえ……」
一年以上お隣さんをやっているのに、今さらながら判明した事実だった。
おののき荘に固定電話があるのは大家の部屋だけだ。大家に取り次いでもらうことも可能だが……まあリベリアが今から向かうのなら心配する必要もないだろう。
「……いや、待てよ?」
犬飼のスマホに電話を掛けるのもアリだ。空美と円が気づくかどうかは分からないが、試すだけなら損はない。
そう思いつつ、天崎はアドレス帳から犬飼の電話番号を呼び出した。
想定通り、なかなか繋がらない。まあ、普通は他人の電話に出たりはしないだろう。このまま留守電に切り替わるかなと諦めた――その時だった。
『…………もしもし?』
コールが止み、通話が繋がった。
あまりに声が小さかったためか、耳に跡が残るくらいスマホを押し付ける。ただ空美ではあるまい。失礼だが、あの人がこんなしおらしい声を出している様子がまったく想像できない。ならば残るは一人だ。
「円か?」
呼びかけるのと同時に、天崎は顔をしかめることになる。
彼が立っている歩道橋の下を、何台もの消防車や救急車が通り過ぎて行ったのだ。けたたましいサイレンの音が、通話を妨害する。円でなくとも、この騒音の中で普通に会話をするのは骨が折れるだろう。
サイレンが遠ざかるのを待ってから、天崎は再び呼びかけた。
「悪い。円か?」
しかし反応はない。通話が切れているわけでもないし、電話口から相手の息遣いも聞こえている。もしかして、こちらが名乗らないから黙り込んでいるのか?
そう思い、天崎が自分の名前を言おうとした、その瞬間だった。
『……フフフ』
笑った? いつも無表情の円が?
いや、円だって笑う時は笑う。けど、どうして今なのだ? このタイミングで笑った理由を意味もなく勘ぐってしまう。
そう考え始めた刹那、天崎の脳裏に奇跡的な閃きが過った。
ターニャは自分の頭部が収まっていた犬飼のリュックを奪っていった。もしそちらにスマホが入っていたとしたら?
「お前、もしかしてターニャか!?」
大声で呼びかける。
だがしかし、通話は相手側から切られてしまった。
「くそっ!」
今の通話時間だけが虚しく表示された画面を見つめながら、天崎は悪態をつく。すぐさま同じ番号に掛け直してみるものの、再び繋がることはなかった。
何度か試した後、最終的にどうやら電源を切られてしまったようだ。
「ターニャは犬飼のスマホを持っている、か……」
スマホをポケットに収めた天崎は、行き交う車を見下ろしながらぼやいた。
電話は繋がらない。が、それで何か位置を特定できる方法はないだろうか?
……ないよなぁと、自問自答する。今さら背後の環境音を思い出すのも不可能だ。
ひとまずスマホから思考を切り離し、他の方法を模索する。
「酒井はどうだ? いや、無理だな」
天崎の友人には、スマホの電波を視認して追いかけることのできる鬼がいる。
しかし異世界での一件以来、姉にスマホを没収されてしまったらしい。連絡を取るのは難しいだろう。どのみち相手側の電源が入っていないので、電波を飛ばすことはできないが。
「あとは……」
そういえば、安藤が行方不明になったこともあった。
あの時、どうやって居場所を特定したのかといえば……。
「そうだ、クルクルだ!」
大家の部屋で眠っている惰天使を思い出し、天崎は声を上げた。
天使固有の能力『認識阻害』のせいか、顔はまったく浮かんでこない。ただ天使は『真実看破』という現在の事実を正しく把握できる能力があったはず。安藤の時みたいに、またクルクルを背負って街中を走ってみてはどうだろうか?
「絶対に協力してくれそうにないけど……もうこれしかねえな」
クルクルという名の天使は、五十年も仕事をサボり続けている、自他ともに認める怠け者なのである。あの時はお互いの利害が一致したから力を貸してくれたが、今回は奴が協力するメリットがない。
だが、他にターニャを捜す手段がないのも事実。
藁にもすがる思いで、今おののき荘に向かっているリベリアにクルクルの協力を要請してもらうべく、再びスマホを取り出した。
と、その時だった――。
「キャアアアアアア!!」
女性の悲鳴。しかも意外と近場から。
「なんだ?」
異変を感じ取った天崎は、電話を後回しにして一目散に歩道橋を駆け降りる。
少し離れた歩道の上で、妙齢の老女が顔面を蒼白にして座り込んでいた。
まだ悲鳴が上がってから一分も経っていないためか、人だかりはできていない。通行人が我関せずと視線を向けていくばかり。そんな人々の間を縫うようにして、天崎は怯えている老女の元へと駆けつけた。
「どうかしましたか!?」
問うものの、近づく前から大方の予想はついていた。
ただ遠目から見えたその光景は、とても受け入れがたいものだった。
「む、娘が……」
呆然自失と座り込む老女の側で、二十代くらいの女性が倒れていた。
しかし端から見ても、その女性に息があるとは思えない。なぜなら、彼女の首は無残にも一刀両断されていたのだから。
「何が起きたんですか?」
女性の容態を診るため屈んだ天崎が、老女へと問う。
すると彼女は、すぐ横にあるデパートの入り口を指で示した。
「が、外国人の女が……いきなり娘の首を……」
ターニャだ! そう確信した天崎は、老女が指差した方へ向かうべく腰を浮かした。
だが、今すぐにでも追いかけたい衝動を寸でのところで抑える。再び屈み込んだ天崎は、首を切断された女性の母親と向き合った。
「落ち着いてください。大丈夫ですから」
とは言いつつも、娘が通り魔に襲われて冷静でいられる母親なんているわけがない。
だから天崎は言葉ではなく行動で示した。
側に転がっている女性の生首を持ち上げる。犬飼と同じく眠っているようであり、首の断面には黒い靄が覆っていた。
リベリアや空美に教わった通り、生首を胴体の方へとゆっくり近づける。すると断面の靄が絡み合い、まるで磁石が引き合わせられるようにくっついた。そして数秒後には、傷跡すらも消失する。
なるほど、こういう感じでデュラハン化を阻止するのか。
学んだ天崎は、すぐに立ち上がった。おそらく彼女はもう少し昏睡したままだろうが、ずっと寄り添っているわけにもいかない。今はターニャを追わないと。
「もう大丈夫だと思いますけど、念のため救急車を呼んでください!」
大声で忠告した天崎は、老女の反応を待つ前に踵を返した。
急いでデパートの中へと入る。平日の閉店前ということもあってか、店内はあまり混雑していない。パッと見た限り、客よりも従業員の方が多いように感じた。
雑多な店内を大きく見渡してみる。時間的にそうそう遠くへ行けるとは思えないし、百七十センチ越えの外国人女性など嫌でも目立つ。
噂をしている人はいないか、もしくは従業員に聞き込みをしようとしたところで――、
「キャアアアアアア!!」
階上から再び悲鳴が響いた。
「二階か!?」
天井を見上げた天崎は、近場のエスカレーターへと一目散に向かった。
それにしても何が起こっている? 何故ターニャは見も知らぬ人間の首を斬ったんだ? 犬飼が完全にデュラハン化するまで、どこかで隠れていればいいだけだろう。どうしてわざわざ騒ぎを起こすような真似をする?
答えなど出るわけもなければ、じっくり考えている時間もない。
エスカレーターを僅か三秒で駆け上がった天崎は、二階のフロアで地獄絵図を見た。
「なんだよ、これ……」
蜘蛛の子を散らすように逃げていく客や従業員。足元には、十体以上の首のない胴体が転がっており、その数と同じだけの生首が周囲に散らばっていた。
婦人服売り場とあってか、首を斬られた人間はほとんどが女性だ。しかし、そこに明確な共通点はない。客、従業員、果ては客が連れていたであろう小さな子供までもが、頭と胴体を切り離されて眠っていた。
彼女たちは死んでしまったわけではないと知っている天崎でさえも、足が竦んでしまうほどの凄惨な光景。だが天崎は震える脚に鞭を打ち、逃げ惑う人々とは逆に婦人服売り場へと踏み込んだ。
「ターニャ! どこだ!?」
逃げる人々の流れからして、このフロアに居るのは間違いない。ただエスカレーターとは別に、フロアの奥には階段もエレベーターもある。早く追い詰めなければ、逃げられてしまうだろう。
その焦りが、天崎の判断力を鈍らせた。
棚の間や試着室に注意を払い、足元に転がっている人間たちに気をつけながら、婦人服売り場を歩く。彼女たちを元に戻してやりたいのもやまやまだが、今はターニャを捕らえることが先だ。これ以上、被害者を出してはならない。
視覚と聴覚を研ぎ澄ませながら数歩ほど歩いたところで、ふと奇妙な違和感を抱いた。
その違和感の正体が分からぬまま、天崎は立ち止まる。正面には、今冬最新モデルのコートを羽織ったマネキンがあった。
「…………あっ!」
そのマネキンをじっと見つめているうちに、とても重要なことを思い出した。
自分はまだ……ターニャの顔を見ていない。
美人で背の高い外国人という記号だけで、ここまで追ってきたのだ。たとえその要素に合致する人物を見つけたところで、本当にそれがターニャなのか、リベリアに確認してもらうまで分からないのだ。
いや、そもそもの話……ターニャの首には今、ちゃんと頭が載っているのか?
マネキンを見つめながら、疑問を抱いた――その瞬間だった。
突然、何者かに両足首を掴まれた。
「なっ――!?」
慌てて振り返るも、もう遅い。
両足が勢いよく後方へ引っ張られることで、天崎の身体が一瞬だけ宙に浮いた。
そのまま全身が床へ衝突しそうになるが、そこは『完全なる雑種』。持ち前の反射神経により、即座に両腕を胸の前へと滑り込ませる。
受け身には成功したが、次の難はすぐにやって来た。
足を引っ張った何者かが、うつ伏せの天崎の上で手刀を振り上げていたのだ。
「くっ!」
クッションにしていた両腕を弾くことで、身体を横へ転がす。コンマ数秒前まで自分が倒れていた場所に、鋭い手刀が叩き下ろされた。まさに間一髪だ。
だが相手の猛撃は止まらない。
一撃目を外したのなら二撃目と、床を転がる天崎を追うようにして一歩踏み出す。未だ立ち上がれそうにない天崎は、這う這うの体で逃げるばかりだ。
その途中、はっきりと目にした。
彼を襲ってくる人物は、間違いなくターニャだ。
出会った時と同様、肩の上には何も乗ってないし、ご丁寧に新しい上着まで羽織っているものの、その雰囲気は昨日夕食を共にした女性と同じもの。というか、このタイミングで新しいデュラハン出現とか、さすがに怖すぎる。
おそらく彼女は、自分の身を隠すために人々の首を斬ったのだろう。
ただ当然ながら、ここで一つの疑問が生まれてくる。
何故ターニャは、そうまでして天崎の首を斬ろうとするのだ?
問いただしたくも、今の天崎に喋る余裕はないし、ターニャには答えるための口がない。
「…………」
考えているうちに、自分が意外と冷静だということに気づいた。
あまり知識にないデュラハンという種族。自転車を高速で走らせるなど、なにか異能力がないか警戒していたのだが……天崎にとって、ターニャの動きは普通の人間と大差ないように見えた。つまり、明らかに身体能力が劣っている。
そうと判れば反撃の時間だ。
ターニャの手刀を避けた勢いで、商品棚の側へと跳ぶ。そして収納されている衣類を適当に鷲掴みすると、ターニャの方へ投げつけた。
「おらっ!」
ごわごわした手触りのセーターが数枚、ターニャを襲う。もちろん攻撃力は皆無だが、空中を舞ったそれらは、ターニャの視界を遮るには十分だった。
「ッ!?」
一瞬だけターニャの動きが止まる。天崎はその瞬間を見逃さなかった。
両腕を自らの首の前で交差させ、腰を低く落とした。右肩を前に突き出すイメージを保ちながら、ターニャめがけて突進する。
ほんの数秒、投げつけられた衣服に気を取られたことが命取りとなる。
天崎の渾身のタックルが、衣服もろともターニャの身体を突き飛ばした。
背中から床に倒れたターニャを見て、天崎はすかさず彼女の上へと馬乗りになる。
両腕を上から押さえつけ、存在しない頭部に向けて叫んだ。
「ターニャ! お前、何がしたいんだよ!」
当然、相手からの返答はない。
かといって、もし頭部があったとしても問いに答えていたかは微妙なところだ。
両手から伝わってくる力は、未だ彼女が諦めていないことを示唆している。苦虫を噛み潰したように歯を食いしばり、悔しそうに睨みつけている表情が、ありありと想像できた。
となると、この先どうするか非常に困ってしまう。
このままリベリアを呼びたいが、生憎両手は塞がっているし……。
今後の動きについて天崎が悩み始めた、その時だった。
「天崎クン! 危ない! 後ろ!!」
「なっ!?」
まさか味方がいたのか!?
咄嗟のことで頭が回らない天崎は、反射的に後ろを振り返ってしまう。
だが背後には誰もいなかった。
「は?」
呆けた、その一瞬の隙――。
ターニャの膝が、天崎の股間を蹴り上げた。
「~~~~~ッッッ!!???」
直撃ではなかったとはいえ、衝撃が伝わった瞬間、頭の中が真っ白になった。それと同時に全身の筋肉が硬直し、軽い電流が流れたように身体が麻痺する。
弱まった拘束を解いたターニャが、天崎の首を狙う。
「グギギギィィ!!」
世にも奇妙な呻き声を垂れ流し、天崎は自らの上半身を後ろへ逸らした。
斬首だけは逃れられたものの、ターニャの拘束は完全に解かれる。彼女が弾かれるように立ち上がったことにより、馬乗りになっていた天崎は床へと投げ出された。
尻もちをつく天崎と、それを見下ろすターニャ。
「ふぅ~~~~」
下半身からせり上がってくる激痛を、深呼吸で無理やり誤魔化してみる。自然と涙が浮かんできた瞳で、目の前のデュラハンを睨み上げた。
さあ、どう出る? できれば股間の痛みが引くのを待ってほしいのだが。
そんな天崎の無言の懇願が届いたのか、五秒ほど対峙した後、ターニャは意外にもあっさり背を向けた。そのまま階段の方へと走っていく。
その途中、床に転がっている生首を一つ拾い上げた。
「あいつ……」
ターニャの胴体に抱えられた生首は、天崎に向かって「べー」と舌を出した。
なるほど、犬飼が美人だと豪語していただけのことはある。女好きのあいつなら、ウインク一つでイチコロにされそうな麗しい容姿だった。
だが今の天崎には、そんな華やかしい感情はまったく生まれなかった。あるのは騙された憤りと、股間を蹴り上げられた恨みだけだ。
階段へ向かうターニャを目で追いながら、天崎は叫び声を上げた。
「待てや、ごらあぁ!」
気力で立ち上がる。全身から嫌な汗が噴いた。
未だ内股でしか歩けないものの、痛みを堪えてターニャを追いかける。激しく動いたせいで涙が頬を伝ったが、それを気にする余裕もなかった。




