間 章 とある妖精と????の会話
とある一級河川の河川敷。土手の上からも死角となる橋の下に座り込んだターニャ=リリィウッドは、若い男の生首と口づけを交わしていた。
長い長い接吻の後、唇を離した彼女は、眠りに落ちている生首を恍惚とした表情で眺める。
「ショーゴ様……」
荒くなった吐息から、自然と生首の名前が漏れた。
その生首の名は犬飼省吾。天崎東四郎の友人である。そして今はターニャと愛し愛され、完全なデュラハンへ転身するのを待つ身。ほんの一日か二日待つだけで、デュラハンの自分と結ばれても良い存在へと昇華する。
遠足を心待ちにする子供のような笑顔を浮かべ、犬飼の頭部をその豊満な胸に抱きしめたターニャは、彼が目覚めるのを待った。
と、その時だった。
「妖精」
雑草を踏みしめる音と共に、しゃがれた声が耳に届く。
今まで人の気配を感じていなかったターニャは驚き、飛び上がるように立ち上がった。
「誰ッ!?」
「慌てるな。俺は貴様の味方だ」
「味方?」
闇に溶けるように佇んでいたのは、ターニャよりも背の高い男だった。
丈の長いロングコートを羽織っており、頭には帽子を被っている。声からして壮齢のようだが、月明かりすら届かない橋の下であるため、男の全身はシルエットとしてしか捉えることができなかった。
味方と諭され、警戒心を露わにしたターニャは、犬飼の頭を自身の背後へ隠す。
「今さら隠さんでも、俺にはすべて分かっている。貴様は一抹の不安を抱いているのだろう? デュラハンよ」
「何を……」
「その男がデュラハンとなった後も、本当に自分を愛してくれるのか、と」
「――――ッ!?」
その言葉は図星だった。
ターニャは過去、何度も恋愛に失敗していた。それは愛し合った男性に対してデュラハンになってほしいと懇願すると、必ず二の足を踏まれるからだ。そしていつも彼らは人間のままでいたいと言い、ターニャの元を去っていく。
業を煮やした彼女は、二十数年前、当時付き合っていた男性を無理やりデュラハンにした。種族転換自体は成功したものの、彼はデュラハンになることを容認しなかった。
結果として、彼の自殺という最悪な事態を招いてしまった。
それから二十数年、もう恋なんかしないと心に誓い、『調査員』の監視を甘んじて受け入れた。軟禁状態ならば、男性と接点を持つことが少なくなると思ったからだ。
しかし今年も残り三ヶ月となったところで、不測の事態が発生する。
親友のリベリアが兄と喧嘩し、家を勘当されてしまったという手紙が届いたのだ。しかも今は日本に住み、気軽に欧州へ足を踏み入れることはできないのだという。
その報告を受け、ターニャは大いに落ち込んだ。
後にアイルランドの悪夢と呼ばれる大事件を起こした後、ずっとターニャを元気づけてくれたのがリベリアだ。アイルランドから出られなくなったターニャの元へ、彼女は頻繁に会いに来てくれた。ターニャを精神的に支えてくれたのが、他ならぬリベリアだった。
彼女が日本に住み始めてから、何度か手紙でやり取りをした。日本での暮らしは順調のようではあるものの、それと同時にターニャの気持ちは沈んでいく。しばらくリベリアに会っていないことで、寂しくなってしまったのだ。
だからこそ、ターニャはリベリアに会いに行くことを決意した。
『調査員』の監視の目を盗み、運よく日本へ入国することに成功する。
そこで運命的な出会いがあった。
ふと立ち寄った居酒屋で気前の良いおじさんと意気投合し、気づいたら頭部だけが彼の自宅へと運ばれていた。しかも一緒に飲み交わしたおじさんの部屋ではなく、その息子さんらしき人の部屋へ。
最初は彼も生首が喋ったことに恐れ戦いていたが、自分はデュラハンだと素性を明かすと、意外にもすんなり受け入れてくれた。どうやら恐怖心よりも、ターニャの容姿に惹かれたことの方が上回ったみたいだ。
それから三日ほど寝食を共にし、犬飼省吾という男性の内面を知る。
よく喋る人だった。気さくな人だった。そして、とても素敵な人だった。
何年も男性と触れ合っていなかった反動か、ターニャはすぐに恋に落ちた――。
「取り引きをしないか?」
しゃがれた声で呼びかけられ、ターニャははっと我に返った。
目の前に怪しい男がいるのにもかかわらず、犬飼との甘い思い出に浸ってしまっていた自分を戒めながら、ターニャは問い返した。
「取り引き?」
「俺の要望に応えるならば、貴様の恋を成就させる方法を教えてやろう」
「…………」
胡散臭いことこの上ないのだが、ターニャは無碍に追い返すことができない。
自分は過去に何度も失敗しているのだ。いくら怪しくとも、その甘い囁きに耳を傾けるだけなら損はないだろうと、ターニャは判断した。
「アナタの要望とは、ナニ?」
「簡単なことだよ。天崎東四郎の首を斬ってもらいたい」
「天崎クンの?」
そう言いながら、ターニャはリベリアの友人であり恩人でもある、あの少年の顔を思い出していた。
「彼をデュラハンにしろってコト?」
「いいや。貴様のその手で、首を斬るだけでいい。斬った後で元に戻すのも、そのまま放置するのでも構わない。どのみち、奴はデュラハンにはなれんよ」
「?」
男の言い回しは意味が分からなかったが、ターニャの気持ちは傾きかけていた。
ただ首を斬るだけ。デュラハンにしろとか、殺害しろとか言われたわけではない。
たったそれだけで、この恋を成就できるのならば……。
「では、期待してるぞ」
「あっ、ちょっとマッテ……」
引き留めるターニャを無視し、男は本当に今までそこに存在していたのか不安になってしまうほど、何の痕跡も残さず去っていった。
残されたターニャは、呆然と立ち尽くすのみ。
男は簡単なことだと言っていたが、天崎の首を斬るのはなかなか難易度が高いと思う。
彼の身体能力はかなり優れているようだし、今の状況で会いに行けば、めちゃくちゃ警戒されるに違いない。首を落とすほどの隙を見せてくれるかは怪しいところだ。少なくとも今は、問答無用で拘束してくるだろう。
ならば犬飼がデュラハンになった後で実行するか?
いや……と、ターニャは考えを改める。
思い描くのは最悪の事態。目覚めた犬飼が絶望し、自殺してしまう未来。
そうなってからでは、何もかもが手遅れなのだ。あの男の言う恋を成就させる方法が本当だとしたら、彼が目を覚ます前にやらないと。
そう判断したターニャは、眠っている犬飼の頭を今一度見つめてみる。
すべては犬飼と結ばれるため。そもそも元より困難が多い恋愛なのだ。多少のリスクは犯す必要がある。
ターニャの瞳に、漆黒の意志が宿った瞬間だった。




