第10章 妖精コレクター
女子生徒に拉致られた天崎は、国道沿いの喫茶店へと連れ込まれていた。そう、今朝方『調査員』の戸塚に尋問された、あの喫茶店だ。
まさか一日に二回も同じ店に足を運ぶことになろうとは……などと自嘲しながらも、彼女の後に続く。選んだテーブルは、今朝とは一つ隣の窓際の席だった。
腰を下ろすと、向かい側に座った女子生徒がさっそく問いただしてきた。
「おののき荘の住人なら、ターニャ=リリィウッドっていう名前のデュラハンを知ってるわよね?」
「んなっ!?」
あまりに予想外な言葉に、天崎は絶句してしまった。
なんでターニャのことを知っている? 天崎ですらフルネームを聞いたのは今が初めてだ。それを知ってて当然と言わんばかりに切り出したということは、何か事情に精通した人物なのか?
いや、そもそもの話……この女は本当に人間なのか?
天崎を引き留めるために見せた跳躍力や腕力は、とても人間のものとは思えなかった。吸血鬼とまではいかずとも、何かしらの人外な能力がなければ、あそこまでの力は発揮できないだろう。
ただ胸の谷間とパンツがなぁ……と、天崎は目を閉じる。
さっきは混乱していて何も感じなかったが、今この場で思い返してみると……ちょっと嬉しいと感じてしまう自分がいるんだよなぁ。
「なに?」
「いや、なんでもない」
なんでもなくはないのだが、女子生徒のドきつい口調と、本人の前で卑猥な妄想をしていた自分に対する嫌悪感から、天崎は視線を泳がせてしまった。
まあ、この疑問は自分で解消できるようなものではない。
正面の女子生徒と目を合わせた天崎は、話し合いに臨むため居住まいを正した。
「俺はターニャを知っている。それは嘘でもないし誤魔化しもしない。でも、それだけだ。それ以上は何も言わない」
「それはうちが質問しても何も答えないってこと? なんで? 殴られたいの?」
「暴力に訴えようとするなよ。俺が話し合いに応じた意味がないだろ。何も答えないのは、お前が怪しいからに決まってる」
「…………」
不満げに表情を歪めた女子生徒が、目を細めて天崎の顔をじーっとねめつけてきた。
いつ拳が飛んでくるかも分からない状況に戦々恐々としながらも、天崎とて考え方を曲げるつもりはなかった。
ターニャには恩も義理もない……どころか犬飼の首を斬られた遺恨すらあるのだが、だからといって今日会ったばかりの赤の他人に個人情報を渡せるほど、天崎は非人間ではない。それが暴力をチラつかせるような相手なら、特に。
だからターニャのことを教えるのは、少なくとも相手の素性が分かってからだ。
そう決め込み、天崎もまた無言のままじっと待っていると、店員が注文を取りに来た。天崎は朝と同じホットコーヒー、女子生徒はこの真冬にクリームソーダを頼んでいた。
立ち去っていく店員から視線を戻した天崎は、ふと気づいた。
女子生徒が、思案顔でぶつぶつ呟いている。
「……そうよね。協力を仰ぐなら、まずは相手の信頼を得るべきよね」
「お、なんだ? 分かってくれたか?」
「言われなくても……」
そう言いながら、女子生徒はポケットからごてごてにデコった財布を取り出した。
中から小さな紙を一枚抜くと、天崎の方へ手渡してくる。
「はい、名刺」
今時の女子高生は名刺なんて持ってるのか。
驚きと感心を表しつつ、差し出された名刺を見たところで……天崎は目を剥いた。
「んんっ!?」
名前は『渡井小噺』。名刺なのに、やけに可愛らしい動物がプリントされているのは、女子高生ということを考慮すれば許容できる範囲だろう。問題なのは、その肩書きだった。
渡井小噺。職業、『妖精コレクター』。
思わず唸ってしまった天崎は、女子生徒と名刺を何度も交互に見比べた。
「はじめまして。うちは妖精コレクターをしてる、渡井小噺っていいます。気さくに小噺って呼んでね。よろぴく」
「…………」
舌まで出して可愛さアピールするのは、今時のギャルなんだなぁと納得するも、さすがにこの肩書きを無視することはできなかった。
「えっと……妖精コレクターって、なに?」
「その前に、あんたも名乗るべきなんじゃないの? 『完全なる雑種』さん」
めちゃくちゃ違和感のあるド正論だった。
天崎がおののき荘に住んでおり、なおかつ『完全なる雑種』であることすら知っているならば、間違いなく名前くらい把握しているだろう。今さら名乗る意味なんてあるのか?
とは思いつつも、相手が先に名乗ったのだからこちらも応えるのが筋だ。
礼儀として、天崎もまた自分の名前だけを伝えた。
「で、妖精コレクターってなんだ? 確かデュラハンも妖精に分類されてたよな?」
不穏な固有名詞なためか、心なしか天崎の声も低くなる。イメージとしては、昆虫の標本みたいに何種類もの妖精を磔にしている画が浮かんだ。
「うーん。簡単に言っちゃえば、吸血鬼ハンターやゴーストバスターみたいなものね。メインは退治じゃなくて研究だけど」
「妖精を集めてるのか?」
「妖精を密猟するのは国際法で禁止されてるから。うちが集めてるのはコレ」
と言って、小噺は化粧道具入れの中からいくつもの小瓶を取り出した。
テーブルの上に並べられたそれらを、天崎は身を屈めて覗く。中には何も入っていない……いや、各ビンいろいろな色に染められた気体が密封されているようだった。
「妖精は人を惑わすってよく言うでしょ? その原因は妖精の羽から撒き散らされる、この鱗粉にあるの。これを吸った人間は、幻覚を魅せられることになる。試しに一つ開けてみてもいいわよ」
そう言われたので、天崎は遠慮なく小瓶を一つ手に取った。
蓋を開け、中身の匂いを嗅いで気づく。このストロベリーのような甘ったるい匂いは、小噺の身体から漂っているものと同じだ。つまり彼女は、妖精の鱗粉を香水代わりに使っているということなのか?
「……これで今、俺は幻覚を魅せられてるってことなのか?」
「いえいえ、囚われる幻覚がなければ惑わされることはないわ。例えばそうね……今からうちは服を脱ぐわ」
「は?」
呆気に取られている間にも、小噺はいきなりシャツのボタンに手を掛けた。
不敵な笑みを見せながら、一心不乱にそれらを解いていく。前面がはだけたところで、小噺は躊躇うことなくシャツを脱ぎ捨てた。小ぶりな胸を包むブラジャーが露わになるも……彼女はそれすらも取ろうとする。
その時点でさすがにマズいと思った天崎は、慌てふためきながら顔を逸らした。
「ばっ! お前、こんな所で何やってんだよ!」
「ナニって?」
自らのブラを引っぺがし、正面に掲げたところで小噺は静止した。
手の平で目を覆っている天崎は、指の間からチラッと小噺の方を覗き見る。彼女は上半身がすっぽんぽんになったまま、ニヤニヤと人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべていた。
「とにかく! 分かったから早く服を着ろ!」
「服を着ろって、うちは最初から脱いでなんかいないんだけど?」
「はい?」
からかい口調の、その言葉を耳にした瞬間だった。
上半身裸だった小噺が、一瞬のうちに元の制服姿へと戻っていたのだ。
超速で衣服を着たのではない。最初からシャツを脱いではいないどころか、両手すら微動だにしていない様子で、彼女はただ正面の席に座っていた。
「んー? どうしたのかなぁ? もしかして天崎君は、うちの裸を想像しちゃったのかなぁ? このエロ坊主ぅ」
「…………」
意図的に幻覚を魅せた奴が、なに言ってやがる!
癇に障るも、実際に衣服を脱いでないとなると、今の幻覚は天崎の妄想だ。かなり生々しい演出を見たことから、エロ坊主と揶揄されても否定できず、また恥ずかしさのあまり言い返すことはできそうになかった。
ただ、これで確信できた。
先ほど小噺に追われた時に見た脚力や腕力は、すべて幻覚だったというわけだ。
「幻覚といえど、やけに現実離れしてるよな……」
「それはあんたがそう思い込んでただけ。私が『待て』と言ったから、あんたは私の足に合わせて逃げた。『跳ぶ』と言ったから、頭の上を跳んだように見えた。『砕く』と言ったから、アスファルトが砕けたように見えた」
「じゃあ実際には、俺が全力で逃げてたわけじゃないし、お前は横を駆け抜けて追い抜いただけだし、アスファルトは粉々になってないんだな?」
「そういうこと。すべては妄想。まあでも、あんたの周りにそういうことができそうな人物がいるほど、妄想はより明確になっていくんだけどね」
同性ということもあってか、天崎はあの金髪の吸血鬼を思い浮かべた。そういうことができそうな人物というよりは、それ以上のことを目の当たりにしているんだけれども。
そこで、ふと気づく。
実際に怪力があるわけではないし、匂いを嗅いだ後に幻覚を魅せられると判っているなら、素直に従う必要はないんじゃないか? と。
「なんか悪い顔してるわね。でも、それはやめておいた方がいい」
「?」
まるで心を読んだような発言をした小噺が、人差し指を出してくる。そしてテーブルの上に置いてある天崎の右手に触れると、悪魔のような笑みを浮かべて宣言した。
「うちの人差し指には、百万ボルトの電流が流れている」
その瞬間だった。
天崎の右手に、激痛が奔る。
「――――ッ!?」
身体ごと飛び退く勢いで、反射的に右手を引いた。
あまりの痛さに涙を浮かべつつも、慌てて手を確認する。叫び声を上げそうなほどの激痛だったにもかかわらず、特に傷らしい傷ができているわけではなかった。
念のためおしぼりで拭いながら、涙目で小噺を睨みつける。
彼女は可笑しそうに笑っていた。
「幻覚ってのはなにも視覚だけじゃなくて、五感全部にあるから覚えておきなさい」
「だからって、お前な……」
「思い込みって不思議よねぇ。今の言葉、冷静な人だったら痛みなんて感じないはずだもん。だってボルトは電流じゃなくて電圧だから」
「……どうでもいい」
飄々と言い放つ少女に恐怖を覚え、天崎は肩を落とした。
百万ボルトという電圧を体験したことがないからこそ、この程度で済んだのだろう。もし高電圧の威力を熟知していたなら、普通に死んでいてもおかしくはない。小噺の容赦のなさが垣間見え、天崎は逃げるのを諦めたのだった。
「お前の素性は分かったよ。で、俺に何の用だ? ターニャのことを聞いてどうする?」
「ふふん。ようやくその気になったわね」
不遜な態度で腕を組む小噺。
機嫌の善し悪しがコロコロと変わる様は、まるで子供みたいだった。
「うちがあんたに要求するのは、ズバリ協力よ。あんた、ターニャ=リリィウッドの捕獲に協力しなさい」
「捕獲?」
まさか自分と同じ目的だったなんて……と、拍子抜けする。
しかし、すぐに認識を改めた。
天崎がターニャを追っている理由は、犬飼の頭部を奪還するためだ。ただタイミング的に、小噺はターニャの蛮行を知らないはず。もし知っていたら、こうまで落ち着いてはいられないだろう。
つまり小噺は、天崎とは違う目的でターニャを捕獲したいのだ。
「なんでターニャを捕まえるんだ?」
だから天崎は、犬飼の件を隠したまま訊ねた。
「アイルランドにある『調査員』の組合から要請があったからよ。妖精を捕まえる要請がね。なんつって」
「…………」
今時のギャルの間では、親父ギャグが流行っているのだろうか?
無言のまま白い目で見つめていると、小噺は今の発言がなかったかのように続けた。
「ターニャ=リリィウッドは現在、アイルランドから出てはいけない身なの。にもかかわらず数週間くらい前から姿をくらましたらしくて、指名手配されてるのよ。んで、数日前に『調査員』がこの近辺で目撃したらしくて、この地域で主に活動しているうちにお鉢が回ってきたってわけ。本当に迷惑な話よね。一応妖精に分別されてるけど、デュラハンなんて悪魔に近いじゃない」
最後は完全に愚痴だったが、天崎はリベリアの紹介を思い出していた。
ターニャはパスポートを剥奪され、密入国者として日本に来たと言っていた。何故剥奪されたのかは聞いていないが、そんな人物が黙って海外へ行ったとなれば、騒ぎになるのも理解できる。
「それで、俺の学校にいたのもターニャを捕まえる一環だったわけか? お前、ウチの生徒じゃないだろ?」
「あー、それは別件よ。『調査員』があんたの学校で異変の鱗片を発見したらしくてさ。調査に乗り出してるんだけど、学校の中までは入れないじゃん? だから一番歳が自然なうちがセーラー服着て潜入してたんだけど……なんでうちがそんなことしなきゃいけないわけ!? うちが若造だからって、『調査員』の奴らこき使いやがって! あー腹立つ頭にくるぅ!」
目の前にいる天崎どころか、ここが喫茶店であることも忘れたように発狂する小噺。安藤といい小噺といい、若いのに大変だなぁと思いつつ、とりあえず天崎も頭の中に浮かんだ戸塚の顔を小突いておいた。
学園祭の件については深く追及されたくないので、早々に話を戻す。
「協力するって決めるには、まだ足りないな。なんでターニャを捕まえなきゃならないんだ? いや、不法入国だからっていうのは分かるよ。でもパスポート剥奪されるなんて、アイツいったい何したんだ?」
「え? なになに、知らないの?」
まるで今時の流行を知らない友達を嘲るかのように、小噺はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて小馬鹿にしてくる。別にそれで気が立ったりはしないが、天崎にとっては少々調子が狂う相手だった。
「ターニャ=リリィウッドは、実は過去にアイルランドで……」
語り出したのも束の間、彼女は唐突に口を噤む。しかも何故か顔面蒼白になり、冷汗すら浮かべている様子。
突然の変化を訝しげに思うも、小噺の視線が横を向いていることに気づいた。店内の方ではなく、道路に面した窓側だ。
外に何かあるのか? と、天崎もそちらに目を向けたところで……絶句した。
すでに太陽は沈み、行き交う自動車がヘッドライトを灯している。サラリーマンの帰宅時間なのか、歩道を歩く通行人にはスーツ姿が多い。だが天崎たちが目にしているのは、車道でも歩道でもなく、もっと手前。
喫茶店の窓際に立つ金髪の吸血鬼が、ガラスの向こうからじっと、じーっと無表情でこちらを見下ろしていた。
「ハジメマシテ! 私はリベリア=ホームハルトと申します! ヨロシクネ!」
天崎の隣に座ったリベリアが、対面の小噺に向かってはきはきと自己紹介をした。
しかし肩を並べている天崎には、はっきりと伝わっている。リベリアの内に秘める、底知れない怒りを!
居たたまれなくなった天崎は、先ほど店員が運んできたホットコーヒーに口をつけながら、顔をガラス窓の方へと向けて現実逃避していた。
対する小噺はクリームソーダに手を付けないまま、警戒した目つきでリベリアを睨む。
ただ先ほど小噺本人が正論をかましたように、自己紹介してきた相手に無言を貫くのはマナー違反だろう。他人を小馬鹿にした笑みは失いつつも、彼女はしっかりと自分の名前と素性を口にした。
「……うちの名前は渡井小噺。妖精コレクターよ。よろしくね、リベリアさん」
「あらあらぁ、リベリアさんなんて堅苦しくなくてもいいんですよぉ。気軽にリベリアって呼んでくれてもいいんですからぁ。ねっ、天崎さん!」
「……そ、そうだな」
恐ろしすぎて、顔を背けたまま頷いてしまった。
そして前置きが終われば本題だ。笑っていない笑顔を張りつけたリベリアが、無理やり天崎の顔を覗き込んでくる。
「それで? なーんでターニャちゃんを追いかけていった天崎さんが、こんな所で妖精コレクターさんとお茶してるんですか? デート? デートですか? 天崎さんは、自分のご友人がどうなってもいいって言うんですか?」
「いや、それはよくないが……これには訳があってだな……」
「訳? 訳って何ですか? 是非とも聞かせてもらおうじゃないですか」
一言一言発するたびに、リベリアが顔を近づけてくる。怒りに満ちた笑顔もそうだが、脅しのようにチラチラと見せてくる牙が何よりも怖かった。
首筋に刃物を突き付けられたような感覚に陥った天崎だったが、助けは思わぬところからやってくる。
対面に座る小噺が、テーブルを乗り出す勢いで問いただしてきた。
「ちょっと待って。ターニャを追いかけていったって、どういうこと? ターニャ=リリィウッドはおののき荘にいるんじゃないの?」
「あらら。妖精コレクターって言うから、てっきり知っているものだと思ったんですが……天崎さん、話していなかったんですね」
居住まいを正したリベリアが、悪戯な笑みを浮かべた。
二つの意味で助かったと、天崎は胸を撫で下ろす。リベリアの友達を売るようなマネをしていたら、さらに激怒されても不思議ではなかった。
「いいですよ。知りたいのであれば、つい先ほどあった出来事を話しましょう」
「え。犬飼のこと、話すつもりなのか?」
「私は事実を伝えるだけです。その後、妖精コレクターさんがどう判断するのか、私は知りませんし関与しません」
リベリアがそう言うんなら……と、天崎もそれ以上は何も言わなかった。
自分たちの推測も含め、リベリアはターニャと犬飼のことをすべて話す。すると一連の流れを耳にした小噺が、頭を抱えて発狂した。
「はああああぁぁぁぁ!!? なんでそんな面倒くさいことになってるの!? これじゃあアイルランドの悪夢の再来じゃない!」
どこぞの悪魔と同じような絶望の仕方だった。
ただ事情を知らない天崎には、聞き逃せない単語があった。
「アイルランドの悪夢って何だ?」
「ターニャちゃんが出国禁止になる原因となった事件ですよ」
隣のリベリアが言う。その横顔は、どこか悲しげだった。
「二十年くらい前……だったと思いますが、ターニャちゃんは人間の男性に恋をしました。お互い気も合い、確かお付き合いもしていたと思うんですけど、ターニャちゃん、今回の天崎さんのご友人みたいに、相手に許可なく首を切っちゃったんですよね。それでデュラハン化させることには成功したんですけど……」
落ち込みかけていたリベリアが、さらに肩を落とした。
その態度からして、あまり良くないことが起こったのは容易に想像できるが、天崎はしっかり聞かねばならない。彼の友人である犬飼は、今まさに同じ状況に陥っているのだから。
「……どうなったんだ?」
「相手方にとってデュラハン化は不本意だったらしくて、えっと、その……ターニャちゃんに罵詈雑言を浴びせた後、自殺してしまいました……」
「…………」
目的があって『完全なる雑種』になろうとしたリベリアや、天使から堕天使へと堕ちたミルミルとは違う、不本意な種族転換。長年人間として生きてきたその男性にとっては、かなり堪えたはずだ。たとえ愛する女性と同じ種族になったとしても、その身を投げ捨てても拒絶したくなる気持ちは、分からないでもない。
ただ天崎は、本当にそれだけか? と疑問に思う。
今の話だけを聞けば、ただの個人的な悲劇だ。アイルランドの悪夢なんていう仰々しい固有名詞は付けられないだろう。
天崎が首を傾げたまま待っていると、今度は小噺が言葉を継いだ。
「その後、自暴自棄になったターニャ=リリィウッドが街中の人間の首を斬って回ったのよ。デュラハン化させるためじゃなくて、ストレス解消が目的だったから死者もデュラハンになった人もいなかったけど、街は大混乱に陥ったらしいわ」
「それでパスポートを剥奪されたってわけか……」
「そう。最終的に捕らえられたターニャ=リリィウッドは『調査員』の監視の元、長い間軟禁状態だったわ。最近は大人しかったこともあって、監視も緩くなっていたんだけど、まさかクリスマスを友人と祝うためだけに密入国してくるとはね」
「…………」
信じられないと言わんばかりにため息を吐く小噺に向け、リベリアは口を尖らせて睨みを利かせていた。
「にしても、そんな大事件があったなんて知らなかったけどな。地球の裏側だからって、少しくらい聞いたことがあっても不思議じゃないと思うんだが」
「うちらが生まれる前の話よ。まだネットも広く普及してない時代。『調査員』が裏で動いてたから、テレビや新聞は報道規制されてたみたいね。海外へ情報が漏れることはなかったのは幸いだけど、少なくともアイルランド国内じゃ有名な事件よ」
「ふーん」
ターニャがパスポートを剥奪された理由や、過去に起こした事件はだいたい把握した。
ただ天崎には納得できない点があった。
「前にも同じような事件があったんなら、先に言っとけよ」
「……すみません」
軽く窘めると、リベリアはしゅんと肩を落として素直に謝罪したのだった。
そのやり取りを見ていた小噺が、テーブルをこつこつと爪で叩く。
「ターニャ=リリィウッドが人間の首を斬って逃走したのは予想外だけど、やることは変わらないわ。身柄を拘束するの、協力してくれるわよね?」
「ちょっと待ってください。ターニャちゃんを捕まえた後、どうするつもりですか?」
小噺の言葉は天崎に向けられたものだったが、リベリアが身を乗り出して反応した。
「うちはデュラハンに興味ないから、後のことなんて知らないわ。ただ『調査員』に引き渡すだけ。たぶんアイルランドへ強制送還するつもりだったんだろうけど、合意のない人間の首を斬ったってんなら、その場で排除もあり得るかもね」
「排除なんてさせませんし、ターニャちゃんは私と一緒にクリスマスを過ごすんです!」
「だからうちは関与しないんだってば。後のことが気になるんなら、『調査員』に直接進言すれば?」
「でも貴女がターニャちゃんを諦めれば、『調査員』に引き渡さなくても済みますよね?」
「受けた仕事はちゃんと成し遂げるのがうちのポリシーよ。赤の他人に懇願されただけで、途中で投げ出したりなんてしない」
「私がそれを許すとでも?」
「今より一層、立場が悪くなるわよ」
「…………」
「…………」
無言で睨み合う二人。再び居住まいの悪さを感じた天崎は、コーヒーカップを口に運ぶことでお茶を濁した。というか小噺の奴、リベリアを吸血鬼と知っていながらここまで食い下がるとは、なかなか度胸があるようだ。
少女二人が火花を散らす光景を、天崎は我関せずといった立場で眺める。
すると突然、矛先が自分の方へと向いた。
「あんたはどっちに協力するの!?」
「どっちって?」
いきなり問いただされた天崎は、ぼんやりと口を開ける。
苛立ちを隠そうともせず、小噺がヒステリックに叫んだ。
「あんたがターニャ=リリィウッドを捕まえた場合、うちかリベリア=ホームハルト、どっちに身柄を渡すかってこと!」
「何を言ってんだ? そんなもの、リベリアに決まってるだろ」
「へ?」
「…………」
リベリアは間抜けな声を上げて固まり、小噺は目を細めて天崎を睨む。一瞬だけ場の時間が止まったが、その原因を作った天崎本人は「俺、変なこと言ったか?」と言わんばかりに二人を見比べていた。
と、小噺が低い声で唸り始める。
「人間と吸血鬼だったら、あんたは吸血鬼の味方をするってわけね?」
「人間と吸血鬼じゃなくて、渡井小噺とリベリア=ホームハルトな? そこは間違えるな」
「でも彼女、ターニャ=リリィウッドが母国で起こした事件のこと、黙ってたわよね? それでも信頼するの?」
「それに関してはちょっと頭に来たけど、ちゃんと謝ったからその話はもう終わりだよ。それで信頼がなくなるわけじゃない」
「……分かったわ」
天崎の返答を聞き終えた小噺が、手の平でテーブルを叩きつけて立ち上がった。
そして正面にいる二人に睨みを利かせながら吠える。
「なら仕方ない。今の話はなし。もうあんたに協力は仰がないわ。この件に関して、あんたたちは明確な敵よ。うちがターニャ=リリィウッドを先に見つけて捕まえるから、覚悟しときなさい!」
一方的に宣言した小噺が、大股でさっさと店から出ていった。
あまりに突拍子もない行動に、天崎はその背中を呆然と見送るばかりだ。
「敵もなにも、まず味方だった覚えがないんだけどな」
「ああいう自分勝手な女性はどこにでもいますよ」
「……お前がそれを言うのか」
隣で飄々と言い放つリベリアに、天崎はドン引きしたのだった。
ふと、重大な事実に気づく。
「つーかアイツ、クリームソーダの代金、払わずに出て行きやがった!」
「あっ、じゃあ私がもらいますね。まったく手を付けていないようですし」
「いいけど、早く飲めよ。すぐにターニャを捜しに行かなきゃならないんだから」
「はーい」
ほとんどアイスクリームが溶けてしまったクリームソーダを自分の方へと引き寄せ、リベリアは美味しそうに飲み始める。その仕草を眺めながらも、天崎もまた自分のコーヒーを一気に飲み干したのだった。
喫茶店を出てから、天崎はリベリアの異変に気づいた。
「……お前、なんか機嫌が良くなってないか?」
「えぇ? そうですか?」
本人は惚けるものの、誰がどう見てもニッコニコの笑顔である。
さすがに気味が悪いほどだったので、天崎はさらに問い詰めた。
「いやいや、本当に。最初喫茶店に入ってきた時と、雲泥の差だぞ」
「だってそりゃそうですよ。天崎さん、私を選んでくれたんですから」
「?」
意味が分からず、天崎は首を傾げる。
何の話をしているんだ? と思い返してみるも、突然リベリアが腕に抱き着いてきたので、天崎の思考はそこで停止してしまった。
「あの妖精コレクターさんと私、どちらに協力するかって問われた時に、迷わず私を選んでくれたじゃないですか。私はそれが嬉しいんです」
「あぁ、そのことか……」
と、天崎は頭を掻いた。
そして呆れながらも、自分の本心を吐露する。
「あのな。今日初めて対面した奴とリベリアだったら、お前の味方をするに決まってるだろ。そりゃ両親とかと比べたら無理だけど、お前のこともそれなりに信頼してんだから、少しは自信持てよ」
「それでも、しっかりと言葉に出してくれることが嬉しいんです!」
「そういうものなのか?」
「そういうものなんです!」
本気で嬉しそうに言い切ったリベリアが、天崎の腕に頬ずりしてきた。
マジで犬みたいな奴だな。と思いながらも、何も言い返すことはできない。公共の場で恥ずかしいと思う反面、決して悪い気はしていないのだから。
「ただ、これだけは意見を擦り合わせておこう。俺はターニャが何と言おうと、犬飼の頭を取り戻す。あいつをデュラハンにはさせない。これだけは絶対条件だ。もしお前がターニャに気を遣って犬飼をデュラハン化させるって言うんなら、悪いけど一緒には行動できない」
「それなら大丈夫です。私も今回のターニャちゃんの暴挙には、少しばかりキレてますんで。前に同じ失敗をしてるのに、後先考えずに行動しすぎなんですよ、彼女は。少しお灸を据えてあげなきゃなりません」
「オッケー」
犬飼は人間に戻す。ターニャは『調査員』に引き渡さない。
どうやら意見は一致したようだ。
そこで天崎はスマホを取り出した。
電話を掛ける。相手は安藤だ。
『何かあったかい? こっちはまだまったく手掛かりも掴めてないんだけど』
「安藤、一つ訊いておきたいことがある」
『なんだい? くだらないことならやめてくれよ。そんな時間はない』
「お前、ターニャを見つけたらどうする?」
『うーん……まぁ、それとなく『調査員』に情報を渡すってのが妥当なところだね。密入国とはいえ隠れて過ごすって言うんなら見逃してたけど、人間を無理やりデュラハン化させたとなると黙っちゃいられない。ここは穏便に母国へ帰ってもらうことにするよ』
「分かった」
強く頷いた天崎が、強引に通話を終わらせた。
そして申し訳なさそうに、リベリアに謝る。
「残念ながら今回ばかりは安藤も敵だ。あいつは自分のために、ターニャの情報を『調査員』へ流そうとしている」
「そうですか……分かりました。でも、天崎さんがいれば百人力ですしね」
「俺がどれだけ役に立てるか分からんけどな」
曖昧に微笑む天崎に、リベリアは信頼を寄せた瞳を向ける。味方が減ったにもかかわらず、二人は俄然やる気を出して笑い合ったのだった。




