7 返事の代わりに、花籠が届く
翌朝、朝食の終わり頃に花籠が届いた。
白い籠に、淡い花ばかりを詰めてある。
白薔薇、淡い桃色の小花、細い菫色のリボン。香りは控えめだが、見た目は見事に可憐だった。
玄関で受け取った家令のハルトマンが、居間へ持ってきた。
父伯爵は新聞から顔を上げ、母夫人はナイフを皿の縁へ置き、リーゼロッテは湯気の残る茶を見てから、花籠を見た。
「ラドクリフ家からでございます」
ハルトマンは添えられた封筒を母へ渡した。
宛名はリーゼロッテに向けられている。けれど婚約者から伯爵家へ届いたものだ。母が封を確認し、リーゼロッテへ差し出す。
「読みなさい」
「ええ」
封蝋にはラドクリフ家の紋が押されている。中の紙は上等で、かすかに香水の匂いが移っていた。
封筒の香りが、茶の匂いより先に立ち、彼女は軽く眉を寄せた。
――リーゼ。
――昨日は驚かせてすまなかった。
――君なら分かってくれると思い、つい甘えてしまった。
――アネットも、自分のせいで君に迷惑をかけたと心を痛めている。
――彼女は本当に弱っているんだ。
――どうか少しの間だけ、優しい気持ちで見守ってほしい。
――落ち着いたら、改めて君の部屋のことも相談しよう。
――今度、三人でゆっくり話せたらと思う。
最後に、ヒューバート、とある。
リーゼロッテは手紙を読み終え、折り直して母へ渡す。父が新聞を畳む音がする。
母は最後まで読み、手紙を卓へ置く。それから花籠を見る。菫色のリボンの端が、白薔薇の下でやわらかく垂れている。
「……三人で?」
「そう書いてあります」
「ゆっくり」
「ええ」
「話せたら」
「そのようです」
父が低く言う。
「何を考えてるんだ。まるで返答する気がない」
その通りだ、と彼女も思う。
こちらは昨日のうちに、正式な確認状を出していた。
南棟二階の部屋を現在誰が使っているか。アネットの滞在期限はいつまでか。責任者は誰か。カーライル家への連絡は済んでいるか。婚礼準備に関わる部屋の使用変更について、ラドクリフ家はどう考えるか。
尋ねたのはそれだ。
なのに返ってきたものは、花籠と、優しい気持ちで見守ってほしいという願いである。
「ハルトマン!」
母が呼ぶ。
「こちらに」
「この花籠は、奥の花部屋へ! 客間には出さないで」
「承知いたしました」
「記録には、ヒューバート様個人からリーゼ宛ての花籠と手紙、と残して」
「そのようにいたします」
ハルトマンが花籠を持つと、菫色のリボンが揺れた。アネットの帽子についていた造花と同じ色だ。
ヒューバートがそこまで考えたかは分からない。花屋に任せたのかもしれない。あるいは、アネットが好きそうな色を選んだのかもしれない。
どちらにせよ、リーゼロッテに選ばれた色からは遠い。
「お返事は」
ハルトマンが尋ねる。
「正式な確認状への返答を待つ、とだけ」
母が言う。
「ヒューバート様個人への礼状は?」
ハルトマンの問いに、母は娘を見る。リーゼロッテは小さくうなずく。
「花籠への礼だけ書きます。内容には触れません」
「それでいいわ」
すると父ががたん、と音を立てて席を立つ。
「ラドクリフ家は、こちらの確認を家の話として受け取っていない。ヒューバート個人の機嫌取りで済むと思っている」
「若旦那様だけの判断という線もありますわね」
母が言うと、父は短く息を吐く。
「そうなら当主が止めるだろうさ」
父の返事はそれで終わった。
*
朝食の席が片づく頃、花籠は奥へ下げられた。
居間にはもう香りも残らない。けれど、手紙の文面だけは卓の上にまだ残っていた。
――君なら分かってくれる。
――つい甘えてしまった。
――優しい気持ちで。
そのどれも、リーゼロッテへ謝っている形をしているが、中身は、場所を空けろと言っている。
それでもリーゼロッテは礼状を書くために、自室へ戻った。アニーが机の上に個人用の白い便箋を用意した。《《花籠への礼》》なら、それで足りる。
「お嬢様」
「何」
「菫色は、お嫌ですか?」
アニーが珍しくそんなことを訊いてきた。リーゼロッテは少し考える。
「花やリボンに罪はないわ」
「ええ」
「ただ、あの色をわざわざ私の前に置く人がいるということは覚えておく」
アニーはうなずき、リーゼロッテはペンを取る。
――ヒューバート様。
――花籠を頂戴いたしました。
――お心遣いに感謝いたします。
――昨日の件につきましては、エーレンフェルト家より正式に確認状を差し上げております。
――そちらへのご返答をお待ちしております。
――リーゼロッテ・エーレンフェルト。
短い。アニーがインクの乾きを見て、便箋をこちらへ戻す。
「これでいいかしら」
「よろしいかと存じます」
「冷たいと思う?」
「思う方は、もっと長く書いても思います」
その返事に、リーゼロッテは少し笑う。
「そうね」
手紙は封をされ、アニーによってハルトマンへ渡された。
*
昼前、今度はラドクリフ家からの正式な返答が届く。
父と母とリーゼロッテ、三人で居間に揃い、ハルトマンも控えた。
封蝋はラドクリフ伯爵のものだった。つまりは家の返答、とうことである。
母が封を切ると、紙は二枚。文面は丁寧だった。
――アネット・カーライル嬢は急な体調不良により、一時的にラドクリフ家で静養している。
――医師は数日の安静を勧めている。
――本人の精神状態も考慮し、現時点での移動は控える。
――南棟二階の部屋は仮に使用しているだけで、リーゼロッテ嬢の婚礼後の部屋については後日改めて相談する。
――カーライル家への連絡は手配中。滞在期限は、医師の判断と本人の回復を見て決める。
父が一枚目を読み終え、さっと二枚目を母へ戻した。
「……数日」
「とかありますね」
「手配中ときたら」
「ええ」
「後日!」
「そう書いてあります」
手紙をテーブルへと投げ出しそうな勢いだった。
「見事なまでに、こちらが聞いたことへ、全部、形しかない言葉を書き連ねたわね!」
「は、お飾りの返答だな。ところでそのアネット嬢の責任者は?」
手紙をもう一度母は見る。
「若旦那様が主に付き添っている、とあるわね」
リーゼロッテも見る。若旦那が主に付き添っている。
未婚の男爵令嬢に、リーゼロッテの婚約者が主に付き添う。
それを、家の正式な返答に書いてくる。ラドクリフ伯爵の署名つきで。
「分かった」
父は静かに言う。
「二通目を出す」
ええ、と母がうなずく。
「日を切りましょう」
「三日だな」
「短めね」
「医師が数日と言うなら、三日で一度判断できるだろう。移動に耐えないなら、その理由を医師の署名つきで出させればいい」
「カーライル家への連絡は?」
「今日中だ」
「責任者は奥様か家政婦長へでいいかしら」
「未婚の令嬢の静養に、若旦那が主に付き添うな、と書く」
父の声はあくまで平板だった。
そしてハルトマンが次の紙を用意するために動いた時に、リーゼロッテは口を開いた。
「お父様」
「何だ」
「もし、ラドクリフ家がこれを大げさだと受け取ったら」
「何を言っている、もう受け取っているぞ。だから花籠が来たんだろう」
ああ、そうか、と彼女は納得する。花籠は謝罪の品というより、火消しの品だ。
こちらが家として確認していることを、ヒューバートの個人的な気遣いに変えようとするもの。
リーゼロッテが花を受け取り、長い礼状を書けば、話はやわらかくなる。婚約者同士の小さな行き違いになる。
「リーゼ」
母が言う。
「昨日のあなたの帰り方は正しいわ。長居をしていたら、今日の花籠で済ませられていた」
「ええ」
「今日の礼状も正しい。短くていい」
「そうします」
ヒューバートは、リーゼロッテがどう受け取るかを考えていない。あるいは、考えた結果、リーゼロッテなら受け取ると思っている。
花を贈れば、彼女が笑い、優しい気持ちと言えば譲ってくれると信じている。
アネットが心を痛めていると言えば、部屋のことを口にしにくくなる。
――と、そう思われている。腹立たしい。
「お嬢様」
アニーが小さな声で呼ぶ。リーゼロッテは顔を向ける。
「昼のお茶を、お部屋にお持ちいたしましょうか」
「いいえ。ここでいただくわ」
リーゼロッテは椅子に座り直す。
「今日は、家の返事をここで待ちます」
母がベルを鳴らすと、茶が運ばれてくる。カップは三客。父と母とリーゼロッテの分だ。
小テーブルの上に並んだそれを見て、昨日のラドクリフ家の応接室を思い出す。あちらの三客目は、リーゼロッテの席を薄めるためのものだった。
こちらの三客は違う。父が茶を取り、母が砂糖を入れずに飲む。リーゼロッテはカップを持つ。
この席では、誰がどこに座っているか、皆が分かっているのだ。




