4 期限のない言葉
なるほど事細かに説明しないと、この夫人はわからないのか、と今更のようにリーゼロッテは思う。
ではご期待に応えよう。
「はい。湯を運ぶ者、リネンを替える者、夜に呼ばれる者、薬の時間を見る者、食事を作り直す者がいます。南棟二階を病室として使うなら、客間として使う場合とは人の置き方が変わります」
「で、でも、それは家政婦長が」
「家政婦長は人を増やせません」
声がやや厳しめになるのが自分でも分かった。アニーも控えたまま、視線だけを下げる。止める必要はない、という判断だろう。
だったら言うべきことはきちんと言わねば。
「奥様。私は病人を預かることに、異存を申し上げているのではありません」
「では……」
ほんの少し期待の混じった視線が夫人から放たれる。だがそれはきっちりと弾いておく。
「結婚後に使う予定で、今日そのために整えるはずだった部屋へ、私に事前の相談もなく他家の未婚女性を入れたことに対して申し上げているのです。病人であるか否かは問題ではありません」
夫人の表情から微笑みがすっと消える。
「……え、だってリーゼさん、他家の未婚女性だなんて…… あの子、アネットはうちとも長い付き合いの、親戚のような子よ」
「親戚のような方であっても、ラドクリフ家の娘ではありません」
「……でも、可哀想でしょう?」
すっと下手からその言葉から這い上ってくる。リーゼロッテは無意識にその方向から顔を逸らした。
それにしても《《可哀想》》とは便利な言葉だ! 椅子も部屋も予定も、そこへ寄せればすぐ動く。動かしたあとの戻し方を、誰も考えなくて済む。
「奥様、可哀想とおっしゃるのでしたら、一階の客間を整えるべきでした」
「リーゼ」
「医師の指示を確認し、食事と薬の時間を決め、夜番を置き、ご本人の親戚筋へ連絡するべきです」
「もちろん連絡は」
夫人はそこで言葉を切ったのを見逃しはしない。
「なさいましたか?」
重ねて追求する。
「……ヒューバートが、後でするから、って……」
後で―― また期限のない言葉だ。
「では、《《まだ》》なのですね」
「昨日の今日なのよ。皆、混乱していて」
それは答えになっていないと、どうしたらこの夫人はわかるのだろう?
「混乱している時ほど、先に連絡を入れるのではないですか? 預かった側の責任になりますから」
応接室の扉の外で、足音が止まる。たぶん別のメイドがやってきた。茶を替えるか、奥方の指示を待っている。
それに気付いたのか、夫人を落とす。
「……ねえリーゼ…… 貴女は、もう少ぉし柔らかく考えてくれる方だと思っていたわ」
本日二度目! 背後のアニーも呆れたようだった。
ヒューバートは、優しい人だと思っていた、と。
ヘンリエッタは、柔らかく考える方だと思っていた、と。
つまりラドクリフ家では、リーゼロッテが《《自分の部屋を譲ること》》を、《《優しさや柔らかさ》》と呼ぶらしい!
「なるほど? それでは、私が柔らかーく考えれば、あの部屋は戻ってくれるのですか?」
「そういうことを言っているのでは…… 簡単には……」
「では、布合わせは今日できますか?」
「今日は…… 無理でしょうけれど」
「では次はいつですか」
「……アネットが落ち着いたら」
もう答えは出ているようだ。リーゼロッテは軽くため息を吐くと、夫人に向かい、頭を下げる。
「お話は以上ですか。それでは本日の訪問は、これで失礼いたします」
「リーゼさん、待ってちょうだい。貴女がそんな帰り方をしたら、《《まるでこちらが悪いよう》》ではないの」
まるで、と言った時に、夫人付きのメイドが目を伏せた。扉の方へ向かいながら、リーゼロッテは問いかける。
「奥様、私が帰らなければ、この三つ目のカップでどなたがお茶を召し上がる予定でしたか?」
夫人は小テーブルを見る。カップは三つ。焼き菓子も三人分。
アネットが起きられたら、この部屋へ連れてくるつもりだったのだろう。もしくは、ヒューバートを呼ぶつもりだったのかもしれない。
婚約者であるリーゼロッテの訪問に、病み上がりの女を同席させ、皆で優しくしましょう、という形にする。
そして席を譲らなければ、リーゼロッテが冷たい女ということになる。
「……アネットが、貴女に謝りたいと言っていたから」
「寝室から応接室へ来られる程度には、落ち着いていらっしゃるのですね?」
夫人はその言葉に押し黙る。
「でしたら、なおのこと一階の客間へ移ったら如何ですか?」
扉を開け、リーゼロッテはアニーを促す。待ちなさい、という声が背後からしたが、聞かなかったことにした。
*
玄関広間へ向かう途中、階段の上からヒューバートの声がした。アネットに呼ばれて、答える声だ。
「ああ、今行くから」
足音が、南棟へぱたぱたと急いで行く。
リーゼロッテは玄関で外套を受け取り、若いメイドが、慌てて扉を開ける。家令ではない。やはり順番が崩れている。彼女の袖口には、白いリネンの糸屑がついていた。途中の仕事を放り出して来たのだろう。
「お見送りが整わず、申し訳ございません」
「構わないわ」
リーゼロッテはそう言うと、あっさりと馬車へ乗った。
アニーが向かいに座り、布見本の箱を膝に置く。使われなかった布。開かれなかった箱。
馬車が動き出すと、屋敷の二階の窓が見えた。
南棟の、リーゼロッテの部屋になるはずの部屋。
白い帽子のリボンが、窓辺の椅子に掛けられている。さきほどは寝台脇にあったはず。どうやら誰かが移したらしい。
その程度の世話は、誰かがしているようだた。
けれど、部屋を返すことは誰もしようとしない。




