第七章「血盟」
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七火の間に朝の光が降りていた。
天窓から差す冬の陽が樫の長卓を白く照らし、卓上に七つの銀の杯が並んでいる。杯の底に赤黒い液体が溜まり、光を受けても輝かない。七つの火の血を混ぜた液体。血盟。
ルキウスは上席に立ったまま、杯の列を見下ろしていた。足元の石畳から冬の冷気が靴底を通して這い上がり、天窓からの陽射しが肩と首筋を温めている。上と下で温度が違う。
血統魔法の残滓を含む混合血。飲んだ者の魔力の回路に微かな紐帯を結び、裏切れば苦痛と魔力減退が訪れる。鎖魂魔法を原型とする聖域の古い慣例。公式の説明はそれだけだった。
だが——それだけか。
先祖の記憶は、血盟についても断片を持っている。円卓を囲む七人の映像。あの穏やかな光景の底に、血盟が敷かれていた。七つの火を繋ぐ回路。かつてそれは信義の証だった。互いの炎を分かち合い、裏切りの代償を身体に刻む。言葉だけでは足りない信頼を形にした。
今、この杯が同じ役割を果たせるとは思わない。
七火の間には既に六人が集まっていた。
シグルが卓の左端に立っている。大柄な体躯が冬の光を受け、額の刀傷が白く浮いていた。腕を組み、杯を一瞥しただけで視線を正面に戻す。革の手甲が擦れる微かな音。儀式の作法に興味はない。北方の男にとって、誓いは態度で示すものだった。
その隣、一つ空けた位置にオーシンがいた。穏やかな面立ちに似合わぬ緊張が頬に走っている。農夫のように大きな手が腿の上で握られ、指の節が白い。十五か十六の少年。この場の最年少だった。襟元の大樹の紋章が呼吸に合わせて微かに揺れ、その周囲に湿った土と若葉の匂いが漂っていた。深根派の少年の体から滲み出す、大地の気配。冬の間に不釣り合いな、生きた緑の匂いだった。
蒼氷派のユエンは杯の列を凝視していた。碧い瞳が七つの杯を一つずつ走査し、何かを計測している。銀髪の横顔に感情はない——消えたのではなく、全てが処理に回されている。杯の並び。液面の高さ。光の反射角。蒼氷派の精密さで、七つの杯が記録されていく。ユエンの立つ位置から、微かに冷えた空気が流れてきていた。肌に届くほどではない——だが太陽派の血は温度の勾配を見逃さない。
ライラは紅い衣の袖を両手で握り、唇に何かを呟いていた。声にはならない。朱謡派の娘の祈りか、あるいは歌のはじめの一節か。紅い唇が微かに動くたび、空気の底に熱を帯びた甘い振動が伝わってくる。鼓膜ではなく肌で拾う共鳴。謡焔魔法の気配——制御されてはいるが、この娘の感情は常に周囲に染み出す。
シリンは最後に入ってきた。藤色の衣が石壁に映り、月影派の半月の紋章が袖口で銀色に光っている。扉が開いた時、香油の冷ややかな残り香が一瞬だけ届いた。いつもの微笑が——なかった。白磁の横顔に浮かぶのは、静かな緊張だけだった。あの完璧な社交の笑みを封庫で崩して以来、月影派の娘の顔は変わった。仮面の下の仮面を剥いだような、剥き出しの集中。
そして——。
末席にアシュルが立っていた。
灰色の外套。擦り切れた裾。随員のいない、証人の席。候補者ではない。立候補の資格を保留されたまま、大祭司の特例で儀への参加を認められた男。七火を繋ぐ回路を完成させるには、七つの火が揃わなければならない——だから招かれた。それが名目だった。
名目の裏に何があるかは、この場の全員が承知していた。
アシュルの灰色の瞳は杯を見ていなかった。壁を見ていた。七火の間の扉に残る七つ目の紋章——灰に沈む王冠と断ち切られた鎖。小さく、目立たぬ位置に。三百年前に門柱からは削り取られた紋章が、この扉にだけ残っている。
ルキウスはその視線を追った。
——あの紋章を見ている。証人としてこの場に立ちながら、三百年の沈黙を見ている。
叩き込まれた回路が起動する。目的を推定せよ。利用価値を測れ。
だがその問いは、今朝はルキウスの思考の表層を滑るだけだった。
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大祭司が入った。
白い祭服に金糸の縁取り。年老いた顔に深い皺が刻まれ、だが声は広間の天井まで届いた。祭服に焚き込まれた香の匂いが先に広がり、乳香と古い蝋の——儀式の匂いが七火の間を満たした。七火の聖域の長として、この儀を司る権限を持つ男。
——焔武帝の駒。
その認識は、盟約の試煉の間に確信に変わっていた。封庫への立ち入りを阻止し、先に血盟を要求した大祭司。七火を集め、繋ぎ、開かせる——祖父が描いた手順の通りだ。
大祭司が七つの杯の前に立ち、腕を広げた。
「七つの火よ。ここに原炎の裔たちが集い、盟約の証を立てんとする」
声が石壁に反響した。天窓から降り注ぐ光の中に、声の震えが溶けている。
「血盟を飲む者は、七つの火の絆に縛られる。盟約に違う者には苦痛と魔力の衰退が訪れ、盟約を守る者には七つの火の加護が宿る。これは聖域の古き慣わし。魂に刻む契約なり」
大祭司は鎖魂の業に触れなかった。灰鎖派の鎖魂魔法を原型とする契約でありながら、その名を祝詞から消した。番人を追い出し、番人の作った鍵だけを使い続けている。
矛盾だった。
叩き込まれた声がその矛盾を処理する。「有用なものは出自を問わず利用せよ」。祖父ならそう言うだろう。合理的だ。だが合理的であることと正しいことは同義ではない。
大祭司が杯を手に取った。一番目の杯を掲げ、光に透かした。赤黒い液体が薄く揺れる。
「太陽派アウレリア家。盟約の文言を」
ルキウスは一歩前に出た。
杯を受け取る。銀の冷たさが指に伝わった。杯の中で赤黒い液体が微かに揺れ、その揺れ方に——不自然な粘度があった。血と魔力の混合物。七つの火の残滓が混じった液体は、光を吸い込むように沈んでいる。
教わった判断を纏ったまま、この杯を飲むこともできた。
政治的な計算として。封庫を開くための手段として。七火の力学の中で最適な位置を確保するための投資として。
正しい判断だった。鋳型の通りの。
だが——。
先祖の記憶が、静かに浮かんだ。暴力的なフラッシュバックではない。招かれたように訪れる、あの穏やかな映像。
杯と杯が触れ合う硬い音。開け放たれた窓から風が吹き込み、七つの紋章旗の裾を揺らしている。あの円卓だった。だが今回は——手元が見えた。七人の手が杯を掲げ、同じ液体を飲んでいる。灰鎖の男が何かを言い、太陽の男が笑う。笑みに——計算がない。信義と呼ぶには砕けすぎた、仲間としての信頼。
映像が去った。
七火の間の天窓から差す光が、杯の銀を白く照らしている。千年前と同じ場所。同じ光。だが——杯と杯が触れ合う音はなく、風も入らない。あの円卓の信義の代わりに、政治と策略が七つの杯の間に張り巡らされている。
——それでも、飲む。
祖父の嫡子としてではなく。
先祖の記憶の中にあった、あの砕けた関係。信義で結ばれた七火。それが今の七人の間に生まれる保証はない。だが杯を掲げるこの瞬間に——纏ってきたものを脱いで、ルキウスという個人として、盟約の文言を唱える。
それだけだった。
ルキウスは杯を掲げた。
「太陽派アウレリア家、ルキウス。七つの火の盟約に加わり、血盟の絆を受け入れる。私の光は盟約を照らし、盟約を破る影を許さない」
杯を口に運んだ。
赤黒い液体が唇に触れた。鉄の味がした。血の味に似ているが、血ではない。もっと古い——錆びた金属を舐めた時の、舌の裏が痺れるあの感覚。液体は温かかった。銀の杯は冷たいのに、中身だけが体温に近い温度を保っている。生きているかのように。
粘度が喉に絡みつき、嚥下の瞬間——熱が走った。喉を通過し、胸の奥に落ち、そこから全身の血管を伝うように広がっていく。太陽魔法の熱とは違う。もっと古い、原型的な熱。火が生まれる以前の、存在そのものが燃える感覚。
そして——微かに、他の火の気配が混じった。
冷たさ。風の匂い。土の重み。氷の静寂。紅い情熱。そして灰の匂い。
七つの火が、一瞬だけ、ルキウスの中で混ざり合った。
すぐに消えた。残ったのは胸の奥の鈍い熱と、指先に残る銀の冷たさだけだった。
杯を卓に戻した。
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シグルが杯を取った。
文言を唱えなかった。杯を掲げもしなかった。灰色の眼で大祭司を一瞥し、それから杯を一息に干した。喉が鳴った。酒を干す時と同じ、北方の男の嚥下音が石壁に微かに響いた。杯を卓に戻し、口元を手の甲で拭った。
大祭司が「文言を」と促した。
「誓いは飲んだ。言葉はいらん」
低い声が石壁に跳ね返った。大祭司の眉が僅かに動いたが、何も言わなかった。シグルの態度は無礼に見える。だがルキウスには——あの行為が、最も正直な誓いだと見えた。あの態度そのものが、誓いだった。
次にオーシンが杯の前に立った。
大きな手が杯を取った。震えていた。指の節が白く、唇が結ばれている。穏やかな面立ちの頬だけが強張り、年長者の視線を受ける少年の輪郭が一回り小さく見えた。
「深根派ケルナッハ家、オーシン。七つの火の盟約に——」
声が途切れた。喉が詰まったように。少年の目が杯の中の液体を見つめ、それから一瞬、天窓の光を仰いだ。
「——加わります。僕の根は……この盟約の土の中に」
静かに言い直した。
杯を口に運んだ。飲む瞬間——変化が走った。少年の両足が石畳の上に据わり、震えていた手が止まった。重心が深く沈み、大地に根を張るような安定が全身に行き渡る。深根派の血が杯の中の残滓に応えている。樹精魔法の反応——血盟の液体が体内を通過する間、大地と接続された者の身体は、揺るがない。ルキウスの足裏が靴越しに微かな振動を拾った。石畳の下を、何かが通ったような。
杯を下ろしたオーシンの目が、変わっていた。先ほどまでの強張りが消え、この場に初めて根を下ろした者の落ち着きがあった。
ユエンが杯を取った。
「蒼氷派シュアン家。七つの火の盟約に参加する。我々の氷は盟約の証を——保存し、違約の痕跡を記録する。七つの火の全事象を」
低く乾いた声に温度がなかった。名を名乗らなかった。「我々」と言った時点で個人は消えている。蒼氷派の代弁者として、冷徹に杯を傾ける。碧い瞳は閉じなかった。飲む間も目を開けたまま——液体の通過を、自分自身の身体反応を、臨床的に観察している。杯を持つ指先に霜が降りていた。銀の表面を薄い氷膜が這い、そこだけ冬の朝の光が鈍く屈折している。
だが杯が唇を離れた瞬間——碧い瞳に、何かが走った。
光の角度が変わったのではない。瞳孔が微かに開き、すぐに収縮した。〇・三秒。処理できない入力に——蒼氷派はああいう反応をするのか。
ユエンは何も言わなかった。杯を卓に戻す手は完璧に制御されている。だがあの〇・三秒の揺れを、ルキウスは見逃さなかった。
——血盟の中に、蒼氷派の計算が処理できない何かがある。
ライラが杯の前に立った。
紅い衣の少女が両手で杯を持ち上げた。声にならない呟きが唇を這う。祈りか。歌か。朱謡派の娘にとって、儀式と詩と信仰の境界は曖昧だった。
「ライラは——七つの火に、歌を捧げるの。全部の声。嬉しい声も、怖い声も。——全部」
紅い唇が血盟に触れた。
空気が揺れた。
共鳴だった。血盟の液体がライラの唇に触れた瞬間、七火の間の空気そのものが低く震えた。謡焔魔法が血盟の中の原炎の残滓に反応している。ライラの感情が液体の中の炎の記憶と触れ合い、その共鳴が空気を伝って——ルキウスの胸の奥で、先ほど飲んだ血盟の残滓が反応した。温かい。不快ではない。だが制御されていない感情が体内に流れ込む感覚は——太陽派の規律が最も忌避するものだった。
ユエンの手が震えた。卓の上に置かれた指先が、一瞬だけ痙攣するように動いた。碧い瞳がライラの方を向き、すぐに正面に戻る。凍らせた感情に、朱謡派の炎が触れた——ルキウスはその反応を記録した。
シリンが最後に杯を取った。
六人の目が集まる中、藤色の袖が杯に伸びた。白磁の指が銀に触れる。
「月影派マフザル家、シリン。七つの火の盟約に加わります。わたくしの影は盟約の裏を映し、盟約の真意を問い続けましょう」
声は静かだった。いつもの誘導的な柔らかさはなく、むしろ——削ぎ落とされた声。仮面を外した後に残る、素のシリンに最も近い声。
杯を口に運んだ。藤色の袖が微かに揺れ、白磁の喉が一度だけ動いた。飲んだ瞬間、ルキウスの胸の奥で血盟の残滓がまた反応した。月影の気配——冷たくはない。薄い絹を一枚、内側から掛けられたような、影の手触り。
杯を下ろした時、シリンの顔にいつもの微笑はなかった。社交の笑みも、諜報員の冷たい目も。残っていたのは——ただの若い女の顔だった。
暗い瞳が、一瞬だけルキウスと合った。
視線の中に——何があったか。信頼ではない。まだ。だが敵意でも計算でもなかった。
ルキウスはその視線を受け、頷いた。
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六家が飲み終えた。
残るはアシュル。末席の証人に、六つの視線が集まった。その意味を、この場の全員が異なる角度から計算していた。
アシュルは杯の前に進んだ。
灰色の外套が七火の間の光の中を歩く。随員のいない足音。上席から末席まで、六人の視線がその背を追った。
大祭司がアシュルを見下ろした。
「灰鎖派ウルク家。証人として、血盟に触れることを許す。ただし盟約の文言を唱えることは認められない。杯に手を触れ、七つの火の証人たることを示せ」
文言を唱える資格すらない。証人とは名ばかりの半端な立場だった。
アシュルは頷いた。無表情。下級書記が上役の命令を受け流す時の、あの静かな従順。
杯を手に取った。
飲まなかった。規則の通り、指先を液面に触れさせた。赤黒い液体が灰色の指先に微かに付着し——。
変化は、アシュルの目に出た。
灰色の瞳が一瞬、遠くなった。焦点が杯を超え、七火の間の壁を超え、ここにはない何かを見ている目。書庫で古い文書を読む時の飢えた目でもなく、下級書記の無表情でもない。全く見たことのない目だった。
何かを——見ている。
血盟の中の何かに、灰鎖派の血統が反応した。鎖魂魔法の残滓が血盟の原型を認識したのか。あるいは——禁忌魔法の知識が、血盟の裏の構造に触れたのか。
ルキウスは息を吸い、止め、吐いた。訓練された回路が走る。問うべきだ。何を見た。何を知った。情報は早く掴むほど有利になる。
だが、問わなかった。
アシュルの目が——覚悟を湛えていた。
見たものが何であれ、その男は退かない。罠と知りつつ進む者の目。以前にも見たことがある。封庫の扉に手を当てた時の、あの目。
——今は問うな。
帝王学の判断ではなかった。ルキウス自身の判断だった。
この場で問えば、アシュルが見たものを全員に晒すことになる。血盟の回路はまだ脆い。
アシュルは指先を液体から引いた。灰色の瞳が焦点を取り戻し、杯を静かに卓に戻した。表情は既に元に戻っていた。下級書記の無表情。仮面の被り直しの速度は、いつも通り見事だった。
だが——戻る前の、あの一瞬の目を、ルキウスは記憶に刻んだ。
アシュルの灰色の瞳が卓を横切ってルキウスに触れた。一瞬だった。言葉はない。だがあの目が——いずれ語ると、言っていた。
教わったどの枠にも収まらない場所で、何かが——繋がった。
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大祭司が血盟の成立を宣した。
「盟約の試煉は成就した。七つの火は血盟によって結ばれ、聖域の禁域への立ち入りが認められる」
禁域。封庫の最奥。
あの扉。七つの窪みを持つ黒い木の扉。七つ揃いて鍵となる——その条件が、今日ようやく整った。
三つの光は既に灯っていた。灰鎖の灰色。太陽の金色。月影の銀色。残る四つ——荒嵐、深根、蒼氷、朱謡。今日、血盟を結んだことで、七人全員があの扉の前に立てる。
七人は七火の間を出た。
回廊を東翼へ向かい、封庫の前に立った。蔦に覆われた白い石壁に、窓を塞いだ煉瓦の跡が暗く浮いている。鉄の格子。錠前は既に外されていた——三人で封庫に入った夜に。
格子を抜けた瞬間、空気が変わった。
冷たい——だけではない。動いていない空気だった。何十年も人の呼吸に触れず、石の隙間から染み出す冷気だけを蓄えてきた空気。埃と古い石と、微かに甘い腐蝕の匂い。封蝋が長い年月で崩れ落ちた匂いだった。七人の息が白く濁り始めた。松明の光が石壁を這い、封印された扉の列が両側に並ぶ。封印の紋様が幾重にも重ねられ、古いものの上に新しいものが上書きされている。
松明を持つのはシグルだった。先頭を歩く。恐れがない。暗闇を恐れない北方の戦士の足取りで、石畳を踏む音が廊下に響いた。七人の足音が石壁に反響し、重なり合った。七火の間では吸い込まれていた音が、この狭い廊下では跳ね返り、増幅されて耳に戻ってくる。
その後ろにルキウスとシリンが並んだ。天窓の光が遠ざかっていた。廊下を進むごとに、肩から太陽の温もりが薄れていく。太陽魔法の継承者にとって、光の喪失は肌で感じ取れる。皮膚の表面が微かに粟立ち、体の奥から代わりの熱を絞り出そうとする本能的な反応。
オーシンが足を止めた。膝をつき、石畳に掌を押し当てている。大きな手の指が石の継ぎ目に沿って動き、石畳の向こう側に触れようとしている。この封庫の床の下にある地脈の気配を、少年は知覚しているのかもしれない。
アシュルは最後尾を歩いていた。
灰色の瞳が壁面の紋様を読んでいる。古代文字の配列を追い、封印の構造を解析するように。他の六人にはただの装飾に見える紋様が、この男には意味のある文章として映っている。時折唇が微かに動く——声にはならないが、何かを反芻している。
最奥の扉が見えた。
黒い木。銀の象嵌。扉の中央に掌を押し当てるための窪み。
窪みの周囲に七つの紋様が配されている。三つが既に光っていた。灰色。金色。銀色。残る四つは沈黙していた。
シグルが松明を壁の留め金に差し、扉の前に立った。
「四人で触ればいいんだな」
シグルらしい簡潔さだった。
「同時に」
アシュルの声が最後尾から響いた。低く、抑制されていたが——揺れなかった。「既に灯っている三つも含め、七つの紋様に同時に手を当てる。一つでも欠ければ扉は開かない」
七人が扉の前に並んだ。
七つの窪みは扉の表面に円形に配されていた。原炎の紋章を中心に、七つの位置に掌大の凹みが刻まれている。各家の紋章が窪みの縁に薄く浮き上がっていた。太陽。半月。嵐雲。大樹。氷結晶。紅炎。そして灰と鎖。
ルキウスは太陽の位置に手を伸ばした。
隣でシリンが半月の位置に手を置いた。アシュルが灰と鎖の位置に。シグルが嵐雲に。オーシンが大樹に。ユエンが氷結晶に。ライラが紅炎に。
七つの掌が、同時に窪みに触れた。
——光が灯った。
最初は三つだった。既に灯っていた灰色、金色、銀色が明度を増し、扉の表面で脈打つように揺れた。
四つ目。嵐雲の位置から錆色の光。風の匂いが鼻先を掠めた。
五つ目。深い緑。足元の石畳が微かに振動し、オーシンの手から大地の力が扉に流れ込んでいた。少年の顔から、もう震えは消えていた。
六つ目。氷結晶の碧。空気の温度が下がった。ルキウスの吐く息が白く曇り、ユエンの手の周囲に微細な霜が走った。
七つ目。
紅炎の位置に火が灯った。紅い——熱い——光。ライラの指先から炎の色が滲み出し、窪みの中で踊った。甘い波紋が一瞬だけ空気に広がり、七つの光の全てが揺れた。謡焔魔法の共鳴。感情と火が、他の六つの光に触れている。
七つの光が揃った。
太陽の金。月影の銀。嵐の錆。深根の緑。蒼氷の碧。朱謡の紅。灰鎖の灰色。
ルキウスの手のひらに、七つの火の全てが伝わった。掌を通じて流れ込む七つの温度。自分自身の太陽の熱と、他の六つの火の質感が混ざり合い、血盟で飲んだ液体が体内で反応するように——胸の奥で、七つの色が一瞬だけ、溶け合った。
——これが。七つの火が同時に流れる回路。鋳型にはなかった熱だった。
先祖の記憶が一瞬だけ走った。暴力的な映像ではない。音のない確認。円卓で笑い合う七人の手が、同じ扉に同時に触れている映像。千年前と——同じ場所で、同じ動作を。
映像が消え、現実が戻った。
扉が——動いた。
音はなかった。千年の封印が解かれるのに、音は伴わなかった。ただ黒い木の表面が中央から左右に割れ、銀の象嵌が二つに分かたれ、扉が——開いた。
その向こうに——。
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空洞だった。
廊下でも部屋でもなかった。
巨大な空洞。
天井は見えない。松明の光が届かない高さに、闇が広がっている。壁面は磨かれた黒い石で、光を吸い込むように沈黙している。足元の石畳が空洞の中心に向かって緩やかに傾斜し、自然と視線を引き込む。
そして——中央に、白い炎が燃えていた。
白い。
赤でも橙でも金でもない。純白の炎。高さは人の背丈ほど。台座はない。黒い石の床の上に、何にも支えられずに燃えている。
ルキウスの皮膚が反応していた。腕の産毛が逆立ち、背筋に電流のような震えが走り、額が——額が疼いている。先祖の記憶のフラッシュバックではない。もっと深い層。太陽魔法の継承者として身体に刻まれた回路そのものが、この白い炎に共鳴していた。
熱い。だが肌は焼けない。骨の芯が、血管の内壁が、眼球の奥が——温度ではない何かに灼かれている。感覚の鋳型に嵌まらない。太陽魔法の起源そのものであり、太陽魔法を含み、太陽魔法を超えている。
原炎の残滓。
千年前に七つに分割された炎の——記憶が、ここで燃え続けていた。分割された後も、分割される前の炎の「かたち」が、残り火のように。
七人が空洞に足を踏み入れた。空気の質が変わった。封庫の廊下の停滞した冷気とは違う——白い炎に吸い寄せられるように、微かな気流が足元から中央に向かって流れていた。匂いはなかった。匂いすら燃やし尽くされた空気。
誰も声を出さなかった。
シグルが扉の枠で止まった。恐れのないはずの男の膝が——折れかけた。松明を持つ腕が下がり、炎に照らされた額の刀傷が白く浮いた。北方の戦士が、見えない圧に抗うように足を踏みしめ直した。
オーシンが口を開きかけ、すぐに閉じた。ライラの呟きが途切れた。ユエンの碧い瞳が大きく見開かれ——処理と記録の回路が止まっていた。
シリンの暗い瞳に、白い炎の光が映り込んでいた。仮面も分析もなく、ただ——見ていた。
畏怖。
七人を等しく打った感情に、名を与えるならそれだった。
ルキウスは白い炎を見つめた。
先祖の記憶が——沈黙していた。
額の疼きが消えた。常に脳裏の底に流れていた先祖の気配が、きれいに引いた。静かだった。ルキウスの頭の中が、こんなに静かなのは——継承の儀を受けて以来、初めてかもしれない。
この炎を前にして、先祖の映像が来ない。粛清の夜も円卓の穏やかさも庭のイシュタも——何も来ない。先祖の記憶が黙る場所。それは先祖たちがこの場所を知らなかったということか、あるいは——知っていたが、記憶に残せなかったということか。
原炎の残滓は、記憶すら燃やす火の残り香なのだから。
ルキウスは白い炎の中を見た。
影があった。
白い炎の芯に——人の形をした影。
影ではない。人。
白い炎の中に、人が立っている。
女だった。黒い髪が炎の中で揺れている。衣の色はわからない——白い炎が全てを白く灼いている。だが輪郭は確かだった。背筋の線。肩の角度。俯いた顔。
先祖の記憶が——走った。
庭。薬草。灰色の衣。振り向く女の顔が見えない。光が白く弾けて——。
同じだ。
同じ女の輪郭だった。先祖の記憶の中の庭の女と、白い炎の中の人影が——同じ姿勢で、同じ角度で、俯いている。
名前が浮かんだ。先祖の記憶ではなく、ルキウス自身の知識から。
——イシュタ。
アシュルの姉。三年前に消えた女。灰鎖派の研究者。
隣でアシュルが——。
見ていた。
灰色の瞳が見開かれ、白い炎の中の人影を凝視していた。下級書記の仮面も、研究者の飢えた目も、どこにもなかった。剥き出しの顔がそこにあった。
唇が動いた。声にならなかった。
だが口の形は読めた。
——ねえ、さん。
ルキウスは目を閉じなかった。
白い炎が七人を照らしていた。原炎の残滓が、千年の沈黙を破って、七つの火の継承者たちの前に姿を現していた。そしてその炎の中に——灰鎖派の女が、閉じ込められている。
あるいは、守られている。
あるいは、燃え続けている。
教わったどんな判断も、この光景を処理できなかった。
ルキウスは白い炎を見つめたまま、呼吸を探した。胸が動かない。意識して息を吸い込み——熱ではない何かが、肺を満たした。
七つの火が揃い、千年の扉が開き、原炎の残滓が目の前に燃えている。
その中に——人がいる。
これが封庫の最奥。これが——祖父が七つの火を集めた理由。
アシュルの灰色の瞳が白い炎から離れなかった。剥き出しの顔。ルキウスが知る限り、あの男が仮面を完全に剥がしたのは初めてだった。
——問わない。今は。
だが、いずれ。
ルキウスは白い炎の前に立ち続けた。七人の影が黒い石の壁に長く伸び、原炎の残滓の光に——白く、灼かれていた。
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