第一章 2 『家族』
一通り状況確認が済んだところで、気付いた。情報が足りない。
まずはこの少女は誰なのか。身分はどれほどなのか。家族構成はどうなっているのか。
――いちばん大事なのは、どのような世界に来たのかということだ。
「魔法ありありのよくある中世風の異世界転生か?もしくは武力で成り上がっていくレベルアップ方式の世界か?それとも意外と少ないほのぼのライフ系だろうか」
本当にここは一番重要である。それによってこの先の運命が左右される。
「次に大事なのは主人公補正だな。なにかすごいものでも秘めてるのか?魔法が使えそうな感覚は…よくわかんねぇな。足が速いとかか…?あとで色々試してみよう」
とりあえず今は多くの情報がほしい。
まずはこの部屋から出るのが先だろう。
おそらくここは家の自室、だろう。朝起きて、リビングに行き、家族に爽やかな顔で「おはよう!」というのがお約束だ。
とりあえず試してみよう。
私は少し大きめな木の扉のドアノブを掴もうとしたとき――
コンコン
ノックが聞こえた。
「――お嬢様?起きていらっしゃるのですか?」
美しい声が聞こえた。
その声はすっと耳に馴染む、女性の声だった。
「失礼します、お嬢様。今日は、お目覚めがよろしいのですね」
部屋に女性が入ってきた。
その女性は黒髪に茶色い目というこの世界で最も日本人らしい特徴を持った人だった。まだ自分を含めた二人しか目にしていないが。
すらりと長い手足、まっすぐこちらを見据える落ち着いた瞳。
黒いワイシャツに黒く足首ほどまでのスカートの上に白いエプロンを着たメイド姿の女性だ。口調からも察せるが、おそらくこの家のメイドだろう。
「おはようございます、お嬢様。――ご機嫌はいかがですか?」
女性が一歩こちらに歩み寄り、聞いてきた。
「おはようございます」
――!返せた!初対面の人に返事ができた!
私は初対面の人に挨拶するだけでも相当な労力を必要とした。それなのにここまでスムーズに挨拶ができるとは。感無量である。
じゃなくて、やはり今は朝でここから一日がスタートするのであろう。
ならば今日の目標はこうだ。
まずは現状把握。そして大体の家の情報を掴む。
この目標を達成することができれば、多少は馴染むことができるはずだ。
「お嬢様?熟考するのもよろしいですが、朝食をお召し上がりになりませんか?」
まずい、一人で考え込みすぎた。
そこで私はふと気づいた。この少女は、どのような性格なのだろう。
お嬢様、と呼ばれていたからわがまま系か?いや優しそうな見た目をしている。聖女のような性格をしていそうだ。
口調は?お嬢様らしく「ですわよ」とか使うのだろうか。いや年齢に反して敬語を使うかもしれない。それはそれは独特な語尾とかがあったらどうしよう。
しばらく考えた後、私は異世界の良家のお嬢様キャラを思い浮かべて演技するような形で対応することにした。
「ええ、いただきますわ」
理知的な自分の芯があるような強いお嬢様を思い浮かべた。果たして結果は――
「――?お嬢様、どうかなさいましたか?」
違ったー!ということは
「なんでもありません。それよりも…えっと、今日の朝食は?」
「はい、本日はコーンスープにパンでございます。デザートにフルーツを用意してございます。ぜひご賞味ください」
敬語系だった。うまくごまかせたようだ。
それよりもこの世界は食べ物はしっかりしていそうだ。
日本人は舌が肥えすぎていて、食べられるものが少ないと聞く。そんな私でも食べられそうなものでよかった。虫とかじゃなくてほんとによかった。
「では本日のお召し物を」
「は?」
女性はなんのためらいもなく部屋のクローゼットもどきを開けた。
「本日はどちらをお召になられますか?」
…つまりこういうことだろうか。
この少女は一人で着替えることはせず、毎朝メイドさんに着替えさせてもらっていた。
うそだろ。私はさすがに羞恥心が勝つんだが。
「あ、えっと、今日は自分で服を選んでみたいかな、なんて…」
「左様でございますか。かしこまりました。では私は下に降りてお食事の準備をして参ります。なにかございましたらお呼びつけくださいませ」
がちゃりと扉を開けて出ていってしまった。
随分淡白な返答だった。毎朝着替えさせてもらっているならばいきなり断られたらそれなりの違和感はあるはずだが。
もしかしたらいつもではないのかもしれない。読み違えたか。
とりあえず私は言われた通り着替えることにした。
クローゼットもどきの中にあるのはフリフリのドレスが数着。
現実世界の私は少しボーイッシュなところがあったのでスカートなど着なかった。
いまさらこんなフリル、着る気にはなれない。
しかしそれしかない以上、着るしかないだろう。郷に入っては郷に従えである。
なぜ私がクローゼットもどきというのかという問いに対する答えはこうである。
でかすぎてクローゼットと言うか衣装部屋のようだ。
衣装部屋というには小さいが、中に入って踊れそうなくらいはスペースがある。
そして衣服からは手入れの行き届いたいい香りがするというのがとてもよい。
あらためて姿鏡の前に来たが、やはりこの少女はなかなか美人である。
着替えながら白く美しい肌に目を通した。
「ここまで綺麗な子ということは、やはり身分が高いのか?」
個人的にはテーブルマナーとかうるさそうな良家に生まれたくはなかった。
というわけで少し身分が高めの一般家庭だということを期待する。
「…てか中身が入れ替わったこと、バレないほうがいいよな」
普段接している大切な家族の中身が知らない女になっていたらそりゃ嫌だろう。
「でも正直に言ったほうが帰る手段を探すことができるかもしれない」
メリットとデメリット、比べるとどちらも捨てがたい。優柔不断な私には決められない。
本来ならば言うべきなのだろうが、なんか転生モノってすぐ殺しにかかってくるイメージだ。最優先事項は死なないこと。
死んでもやり直すことができる能力を持っている主人公がいるが、尊敬こそしているが絶対に自分はやりたくない。死ぬのは死ぬときでいい。
着替えが終わったところで、部屋の外に出てみる。
この家はだいたい木造で、結構広そうだ。
扉を開けると右と左に廊下が続いていて、他にも扉が何枚かある。
階段を見つけ、下るとおそらくリビングであろう空間が出てきた。
「おはよう、クルシュ」
「クルシュ、おはよう!」
「クルシュ、寝癖が直っていないわ」
一斉に話しかけられ、私は仰天する。
まずこの空間にいるのは自分を含め5人。
最初に話しかけてきた男はおそらくこの家の大黒柱、父親だろう。白髪に緑翠の瞳、ハイスペックそうな、イケメンである。
次に話しかけてきたのはこの少女の見た目と酷似している少女だ。ていうか本当にこの少女が二人いるかのような見た目である。白髪に紫紺の瞳。
最後に私の寝癖を注意してきたのが母親だろうか。私の中の良妻賢母を形にしたような女性である。個人的に「良妻賢母」という言葉にいい印象を持っていないが。
金髪に瑠璃色の瞳、とても美しい声をした女性だった。
私の好みにどストライクである。
…じゃなくて、この三人がこの少女の家族なのだろう。
ちなみにもう一人はさっきのメイドさんである。男性の横に控えている。
みんな慣れた仕草でテーブルに座る。
テーブルの上にはさっきメイドさんが言っていたメニューが並べられ、なかなか美味しそうだ。お腹がなった。
「クルシュ?座らないの?」
「座ります」
さっきの会話から察するに、この少女の名前はクルシュ。
素敵な名前だ。
しばらく帰る手段が見つかるまで、私はクルシュとしてこの家にお世話になることにしよう。騙してるみたいで申し訳ない気持ちもあるが。
朝食が始まってわかったことがある。
それはこの世界のご飯は意外と美味いということだ。
日本人は舌が肥えていて海外の食事をまともに食べられないという話はよく聞くが、なかなか美味なのである。
例えばスープ。体だけにとどまらず心まで暖かくなりそうなこのスープは絶品である。
パンは少しかたい。フランスパンを若干、ほんの僅かに柔らかくしたようなものである。かたい食べ物を好む私からしたらなかなか良いパンである。もっと食べたいな。
パン自体にはやや甘みがあり、黒糖パンを思い出す。
やはりどの世界でも甘いものというのは万人受けするのだろう。私も甘党である。
そして大事なデザート。おそらくなにかの果実であろう。
赤い丸い果物。これだけしか情報がないとりんごとしか思えないが、目の前にあるのはりんごではない。
まずは見るからに酸っぱそうである。匂いが。見た目が。
次に少し食べづらい色をしている。
外側は赤く、美味しそうであるが皮を剥くとあら不思議、真っ青だった。
人間は確か青い食べ物には食欲が失せるという本能が備わっているはずだ。
青い食べ物はまだ熟れていなくて美味しくないから、だった気がする。反対に赤い食べ物は熟れているサインなので食べたくなるそうだ。
「クル?リング、食べないの?」
考えていると、突然少女が声をかけてきた。
「ごめんなさい、少し考え事をしていました。いただきます」
「――?なんで私にまで敬語なの?お姉ちゃんだから?」
「――敬愛を込めて」
「数秒しか変わらないんだから、いつも通り気軽に接してよ」
適当に躱したつもりだったが、少女は納得いかないらしい。
会話から察するにこの少女と私が乗り移ってしまったこの少女、クルシュは双子なのだろう。酷似しているわけである。
てか違和感に気づかれそうだからこの世界の常識とか家族構成とかいち早く掴みたいところである。
とりあえずこの少女の名前は何だ。
「クル、カルをからかうのもほどほどにしなさい。確かにカルは素晴らしい姉だけど、あなたにそんな言葉遣いをされると距離を感じてしまうものよ」
母親に諭された。
「ごめんね、えっと、カル」
「えへへ、やっぱクルはそっちのほうがいいや」
カルはご機嫌そうである。とりあえず良かった。
「クルシュ、カルシュ。食後はどのように動くのだ」
突然食事中一言も話してこなかった父親が口を挟んできた。
食後はどのように動くのか?それはこちらが聞きたい。
てかカルは愛称で本名はカルシュなのか。騙されるところだった。危ない危ない。
ここは双子の姉であるカルシュに丸投げしてみよう。
「食後は少しお勉強してから訓練です。今日もよろしくお願いいたします」
「訓練か。どっちをやるのだ?」
「はい、午前中に魔術を、そして午後に剣術の訓練をしたいと考えております」
――へえ、この世界にもやはり魔法があるのか。
それにしても訓練?この歳で?英才教育だな。
剣術とかできなさそうな華奢な体型だというのに訓練しているのだろうか。大変そうだ。
「わかった。今日は厳しくいくぞ」
「無論でございます。必ずやものにしてみせます」
なんかどんどん話が進んでいくな。
なんとなく、私もこの訓練に参加しなければならないことがわかってきた。勘弁してくれ。
私は家に修学旅行で買った洞爺湖の木刀は持っていたが、本当に持っていただけで振ったことなどない。
剣術の訓練は置いといて、魔術の訓練は楽しみだ。
どのような魔法が見れるのか、わくわくしてきた。
それにしても剣術は父親直々に教えているのか。子ども思いな父親じゃないか。
優しくしてね?
一通り食事が終わり、メイドさんが皿を片付け始めた。
私も自分の使っていた食器を台所に運ぼうとすると
「――ッ!クルシュ様、申し訳ございません!」
と急に腰を低くして謝られてしまった。
「自分が至らないばかりに…ッ!どうか、お許しください。今一度、私に機会をお与えくださいませ!」
…なんかまずかったらしい。
このメイドさんは私が食器を自分で片付けようとしたことで、自分の力不足を呆れられたと思ったのだろう。
私は別にそんなこと思っていないのだが。逆にすごい気の回る素敵な人だと思っている。
私が食器を片付けようとしたのは、私の本当の母親が食器を自分で台所に戻さないと滅茶苦茶キレたからである。
「ごめんなさい、その、お手伝いをしようと思って」
「――ッ!やはり、自分の力が及ばず…」
「そんなんじゃない!ただ少しでも楽になるかなって思ったんです」
「申し訳ございません!」
なんて平行線な会話なんだ。
埒が明かない。
「じゃあ、こうしましょう?私は少し興味があって、台所まで食器を運ばせてもらいました。私の興味本位です」
「…本当に、クルシュ様は慈悲深くお優しいお方でございます」
「大袈裟ですよ」
本当に大袈裟だ。そこまで言われるようなことはなにもしていない。
私はメイドさんに軽く会釈をして、部屋に帰った。
二階に上がって、気づいてしまった。
「どうしよう、どこが自室だっけ」
二階には同じような見た目の扉が右と左に何個もあるのだ。
出てくるとき、右手に階段があったことは覚えているが、何個目の扉だったのか、数えていなかった。
「手当たり次第、開けてっていいかな…」
なんか朝食の雰囲気からすると父親の部屋なんて開けようものなら母親にこっぴどく怒られそうだ。
とりあえず朝食前何も考えなかったことを一通り悔やんだ。
「よし、後悔先に立たずというからな。適当に開けてみよう」
一番目についたそれっぽい扉を開けてみると――
「…クル?」
まさかのカルシュの部屋だった。
見た感じ部屋のレイアウトはクルシュの部屋と全く同じだった。さすが双子。
「あ、カル。えっと、部屋間違えちゃった。ごめんね」
「隣同士だし扉一緒だもんねー。私もよく間違えちゃう」
カルシュは笑ってくれた。
カルシュは見るからに明るそうな子だ。
クルシュの姉でもあるカルシュは、見た目こそクルシュにそっくりだが中身はそこまで似てなさそうだ。いや、クルシュの性格知らないんだけどね。
とりあえずカルシュの部屋をちらっとだけ見て出ていこうとしたら、カルシュに
「まって」
と止められた。
何を待つことがあるんだろう。
まさか私が妹ではないことに気付いたか。
双子だしなんかそういうシンパシー的なのありそう。
「どうしたの?」
「…いや、やっぱりなんでもないや、勉強、何するの?」
バレたわけではなかったか。一安心だと思ったが、質問を投げかけられてしまっては答えないわけにはいかないじゃないか。
しかし、私は日本人だぞ。必殺技がある。
「まだ決めてないなー。カルはどうするの?」
――決まった!必殺、質問に質問で返すという超高等テクニック!
やりすぎると嫌われるため使い所も難しいのが難易度を跳ね上げている理由である。
純日本人であったからこそ習得できた世界的に見ても数少ない類のものだろう。ふふん。
「私は――そうね、帝王学でも学ぼうかな」
「さすがカルは学習熱心だね」
「――クルはどうするの?」
「じゃあ私も帝王学でも学ぼうかな」
完璧な会話の流れだ。自分でも惚れ惚れしてしまうほどに完璧だ。
それにしても帝王学か。もうこの年で世を統べる学問を学ぶというのか。
この世界はすごいな。いや、すごいのはこの世界よりはこの家か。
少女に帝王学を学ばせるとは、いよいよ普通の身分ではなさそうだ。これは探りをいれなければ。
しかし、今ではない。ボロを出す前に撤退せねば。
「じゃあ、私は自分の部屋で勉強してくるね」
そう言い残して撤退しようとドアへ手をかけた。
「――ズィーゲル」
肌を逆撫でされるような感覚を覚えたのはドアを開けようと力を込めた瞬間だった。




