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狼守りと桜雨  作者: 橘花やよい
終章
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1 ふたりの兄妹

 春になり、御所の庭を白い桜が彩っていた。はらはらと散る花びらを横目でとらえ、女宮は帝のもとを訪ねた。そっと障子から覗き見て、苦笑する。


「兄上は、今日もお忙しいようですね」

「宮か。それを言うなら、宮のほうこそ、また国境(くにざかい)に向かったのだろう」


 書き物をする帝のとなりに座して、わたくしの仕事はたいしたことではございませんよ、と謙遜しながら彼の記す書状を眺める。びっしりと書かれた文字たちに辟易した。夜通し、兄が頭を悩ませて記したのだろう。


「西海国との話はまとまりそうですか」

「どうだろうね、すり合わせるのが、なかなか」


 苦笑する兄だが、きっとうまくやってくれる気がした。女宮は相手を脅すことしか交渉の術を知らないが、この兄ならば双方納得のいく形に収める術を持っているかもしれない。戦においては心もとない兄だが、こういう場面では、兄のほうが強いのだ。


 きっとまほろも、そういう政を自分たちに望んでいたのだろう。


 そう思ったのを察したのか、帝はふと遠い目になった。


「まほろが役目を果たしたのだから、わたしたちも応えねばなるまいよ」

「……そうですね。彼女は、本当によくやってくれました」


 女宮は情けない笑みを浮かべた。


「想像以上だったな」

「ええ」


 あの戦で、東庵国も西海国も、驚くほど死者を出さずに済んだ。


 まほろが敵の手に落ちた狼たちと和解しただけでも、褒め称えたいほどの功績だった。狼を敵にするか否かで、死者の数は相当数変わる。


 だが、それだけにとどまらず、狼たちはまほろに手を貸すことを選んだのだった。彼らはまほろと琥春を逃がすために、西海国の兵を退けてくれた。しかも律儀に「殺さないで」というまほろの叫びを守る形で。


 狼たちからしたら、これ以上人間の戦に使われたくはないという意図もあったのかもしれない。東庵国に隷属しているわけではないのだ、と。とにかく彼らは敵を威嚇し追い返すことに徹した。そうして戦のほとぼりが冷めたころ、山野に駆け去っていった。


 だれも死なせず殺さずとはいかなかったが、まほろがいなければ死者がどれほどの数になっていたかわからない。それに比べると、本当にまほろはよくやってくれた。


「敵を殺さず戦を終わらせることなど、できるはずもないと思っていたのです。彼女が嫌がっても、最後はわたしが戦の舵取りをして敵を(ほふ)ることになるだろうと。そう思っていたのに、よくもまあ予想を外してくれたものです」

「ああ、そうだね」


 帝は書状を書き終えると、使いの者に渡して西に送るよう命じた。


「だが、戦を一度終えただけでは解決にならない。ここから先は我らの仕事だ」


 自分に戒めるように、帝はつぶやいた。女宮もゆっくりとうなずく。


「では、わたくしも兄上の手足として働きましょう。国境にもどります」

「もう行くのか。……大事な務めだ。頼むよ」

「はい、もちろん。任されました」


 軽く応じてみせるが、役目の重さは身に染みている。


 東庵国の国境、かつてから西との小競り合いに悩まされていた民たちの不満や不安を取り除く。そうして、西海国の民に天辰の大河を使わせることを納得させる。なかなか骨の折れる仕事だ。長年の怨みはそう簡単に消えてなくならない。


 だが、まほろは成し遂げた。あれほど怨まれていた狼たちと心を通わせた。


 このあたりで、すべての怨みを断ちきってみるのもいいかもしれない。


 まほろが女宮の要求に応じて戦を終わらせたのだから、女宮も彼女の要求を叶えるべきだと思う。自分は意外と義理堅いのだ。それに穏やかな世に向けて進もうとしている兄に、水を差すこともしたくないし。


 ……本当は、こんな終わり方でいいのだろうか、とも思うけれど。


 徹底的に相手を退けてしまったほうがよかったのでは、と思わないでもない。こんな甘い終わり方では今後がどうなるかわからないのだから。けれど、まあ、こうなってしまったのだから、いま自分にできることをしなければならないだろう。


「行って参ります」


 帝の部屋を辞し、渡り廊を歩く。冬のころよりも幾分鮮やかな花が増えて彩りが添えられている庭を見ると気分がいい。やはり白ばかりではあきるというもの。春はいい。


 西の空を見て、女宮は息を吸いこんだ。


 狼たちと契約をした西の呪者は、西海国の二番目の皇子だった。彼は結局、慣れぬ術を使った影響でその後まもなく死んだそうだ。


 国のために獣と契ろうなどと、どこの国の皇族も考えることは同じなのだろうか。それだけ、西海国も必死だったのだろうけれど。彼らも彼らで、民のために戦っていたのだ。気持ちはわからないでもない。同情すべき点もある。


 ――だったらお互い助けあえ、と、まほろは言うのだろうな。


 本当に仕方がない。どうにか、助けあえるように、世の中を動かさなければ。


「宮さま」


 声をかけられ、女宮はふり向いた。和泉が旅支度をして立っていた。そういえば、しばらく暇がほしいと言っていたな、と思い出す。


「こちらのことは気にするな。ゆっくりしてくるといい。ただし、入り浸りすぎて帰るのが嫌だと駄々をこねるのはやめておくれ」

「そんなことはいたしません。わたくしは宮さまにお仕えしている身ですから」


 真面目に答える和泉に、女宮は笑った。


「まほろによろしく伝えてくれるか」

「はい、しかと」


 では、と女宮は和泉と別れ、自身の旅支度にかかった。


 まほろとはしばらく会っていない。自分が会いに行けば、彼女はあまりいい顔をしないだろう。ずいぶん怖がらせることをたくさんしてしまったし。


 ――ひとまず、この慌ただしい政を終わらせるのが先だな。


 そのあとに、まほろへ手紙でも書いてみようか。彼女には、改めて謝罪と礼をしなくてはならない。そう心に決め、女宮は廊を歩いていった。

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