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狼守りと桜雨  作者: 橘花やよい
人と狼(戦編)
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12 衝突

「――そんなことは許さぬぞ!」


 ふいの叫びに、まほろははっと顔を上げた。狼たちの輪の外で、兵を従えた男が立っていた。西海国の兵が山をおり、篠見の原に隊列を組んで進んできていた。見渡す限りの兵。これだけの人間が集う様を見るのははじめてだ。彼らは全員、敵を殺すために、ここにいる。


「裏切る気か、狼たち!」


 最前に立つ男が叫ぶ。あの男が、西の呪者なのだろう。琥春の意に沿わない契約をして操った呪者。まほろはずっと、恐ろしい男を想像していた。会えば憎らしくて気が狂うかもしれないと思っていた。


 だがそこに立つ男は、不思議なほど気品のある顔立ちをしていた。


「そなたらの合意のもと、契約したはずだろう!」


 まほろは狼たちの前に出て、男と向きあった。憎しみは、不思議と抱かなかった。


「もともと狼たちと契約をすることが間違っていたんです。他者の命を縛ることなど、だれにもできません。もう彼らを自由にしてください」

「ならぬ。我らはこの戦に勝たねばならぬ。民のためにも!」


 憤った男の言葉に合わせて、兵たちが武器を握る手に力がこもる。まほろは背中に汗が伝うのを感じながら、男の顔に帝や女宮を重ねていた。


 この男も、自国の民を想いここに立っているのだ。守るべきもののために必死なのだと感じてしまう。ここにいる者はひとも獣も、みな必死に立っている。男の視線に射貫かれ、まほろは緊張を飲みこんだ。


 だれも死なせない。この場所に血を流させない。


「……兵を退かせてください」

「そなたのような小娘になにがわかる!」

「わかります!」


 叫んだまほろに、男が口をつぐんだ。


 だれも殺さず死なせないために、ここに来たのだ。琥春も、そのつもりで戦っていた。殺しあい、憎しみあうことから生まれるものなど、なにもない。


「退いてください」


 祈るように訴えた。男はくちびるを噛んで、身体をふるわせて絶叫した。


「そなたには、なにもわかるまい! 民を背負う重責など――」


 言葉が不自然に途切れた。その直後。


 男は唐突に口から血をこぼした。咳きこみ、膝を折る。


 まわりの兵たちが目を見開いた。


 まほろも固まった。だが、すぐにわかった。


 ひとりの呪者、それも狼守りの一族ではない呪者が、これだけの狼と同時に契約を結ぶなんて負担が大きすぎる。それにいま、狼たちはまほろに心を寄せようとしてくれていた。この男との契約は望まれていない。


 まほろはとっさに駆けよろうと踏みだした。


「狼たちとの契約を解いて! あなたが死んでしまいます!」

「来るな、東の小娘ごときが!」

「わたしはだれも死なせたくないだけです!」

「きれいごとだ。この戦に勝たねば民が死ぬ! 退けぬのだ!」


 血にまみれた叫びに、まほろはひるんだ。争わないと終わらないのか。


 それでも首をふる。狼たちと心を通わせることができると、一縷の望みができた。同じ人間同士、通わせられないことなどないはずだ。そんな哀しいことなどあってはならない。甘い理想だとしても、そう信じる。


「退いて、お願いだから……!」


 そのとき、弓の音がした。


 すっと、まほろの胸から熱が引いていった。


 ――ああ。どうして、こうなるんだろう。


 まほろは自分に向かって、鋭い矢の筋が伸びる様を見た。まほろの言葉は彼らに届かなかったのだ。どうして。どうして。


 すぐ後ろには、狼たちがいる。まほろは奥歯を噛み、狼を庇おうと腕を広げた。もう片腕しかない。いまの自分にあるのは、師から教わった癒しの力だけだ。そんな自分に、どれだけのものを守ることができるだろうか。


 矢の筋が見える。まほろは息を止めた。


 耳もとで鋭い音がなり、頬や腕を熱が走る。痛みに叫ぶ。


 だが、矢のほとんどはかすっただけだった。


 それなのに、胸の近くで、たしかに矢が肉に刺さる鈍い音がした。


 重たいものが地面に落ちる音がする。


 ――なんの、音?


 なにが起きたのか、わからなかった。必死に頭を働かせる。そして知る。


「……琥春!」


 まほろに突き刺さるはずだった矢は、まほろを庇って飛びだした琥春の身体に深々と突き刺さっていた。琥春はぴくりとも動かない。


 痛みを忘れた。


「琥春! 琥春……!」


 弓の音がさらに鳴る。二度目の攻撃の波が押しよせる。琥春を庇うように覆いかぶさった。だれも死なせないために、自分はここに来たのだ。そのはずだ。琥春を救うために、自分はここにいるはずなのだ。


「死なないでっ!」


 視界の端に、銀色がかすめた。まほろの脇から銀色の筋が飛びだして、前に躍りでた。


 狼たちだった。


 飛んできた矢を口でくわえ、放り捨てる。


 狼たちは、西の兵に向かっていく。


「来い」


 後ろから腕を引かれた。ひとの姿になった弥琥が、片手でまほろを引き、片手で琥春を抱きあげ、後退した。


「弥琥」


 弥琥は目を伏せた。


「――琥春はあれでも、狼たちに慕われていた。同胞が逃げるだけの時は稼ごう」

「でも」

「おまえにも、死なれては困る」


 呆然とするまほろに琥春を預け、弥琥は言う。


「俺たちを、救ってくれるのだろう? ……信じるぞ、その言葉。おまえのためではなく、狼の未来のために」


 とたん、彼は巨大な獣になって駆けていく。


「駄目! 殺さないで!」

「まほろ、退きなさい」


 とっさに叫んだまほろの腕を、今度は女宮が引いた。いつのまにか前線にまで来ていた彼女は武具をまとっていた。彼女は琥春に刺さった矢の柄を刀で短く切り落とし、まほろの腕に琥春を押しつける。赤羽が駆けよってくるのを見て、まほろの背を押した。


「兄上が陣にいる。山吹もだ。そこまで飛べ」


 女宮はまほろの頭に布を巻きつけた。矢がかすった額からとめどなく血が流れつづけ、布もすぐさま赤く染まっていく。


「羽をつかめ。琥春の矢には触れぬようにしろ」


 女宮の後ろには、東庵国の兵たちがいる。彼らも手に手に武器を持ち、いまにも戦場に駆けていく心づもりをしていた。


「あとの戦の責はわたしが持つ」

「いや……、ひとが死ぬのは嫌です!」

「おまえが死ぬことも、琥春が死ぬことも、わたしは望まぬ」


 女宮はよくやったと、赤羽の背を叩いた。


「まほろは十分役目を果たした。もうよい。行け!」


 赤羽が大きく羽ばたく。まほろを乗せて空に駆けのぼり、迷いなく山の陣を目指す。帝が陣から呼んでいるのだろう。まほろはふり向きながらも、落ちないように必死に片腕で赤羽をつかんだ。懐に入れられた琥春の小さな鼓動を感じる。


「琥春」


 地上から、ひとびとのざわめく声が聞こえる。戦がはじまったのだ。結局、自分ひとりではどうすることもできなかった。だれも救えはしない。まほろは苦しくなり、目を閉じて何度も琥春を呼んだ。その頬に、冷たいものが触れた。


 雪だ。


 まほろの目には、瞬間、白い花が踊り狂うように見えた。幾億もの花びらが、狂ったように乱れ散る。


 桜の散る丘で、琥春と出会った。ともに生きたいと思った。消えゆきそうなぬくもりを胸に抱き、まほろは祈る。


 琥春だけは、死なせたくない。ともに生きたい。


 生きていたい。


 息を吸い、前を見据えた。気を失いそうになるのを必死に堪え、赤羽にしがみつく。死なせはしない、絶対に。



 山の陣へと転がりこむと、騒然とする中で山吹を見つけだし、琥春を託した。その瞬間、まほろの意識も薄らいで地に伏した。


 まほろの上に、幾重にも白く冷たい花びらが折り重なる。流れだす血に、白い花びらは紅く染まっていく。穢れた花は溶け、赤い血だまりをつくっていく。


 ――ああ、また汚してしまった。


 まほろは目を閉じた。


 今度こそ、美しいままの桜が見たい。


 ただひたすらに美しい花を、琥春とともに。

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